2012年5月1日火曜日

銅鏡の宿題は進まない

   4月25日のブログで、「倭人が、何故これほどまでに銅鏡を愛用し大量に古墳に副葬したのかは後日のブログへの楽しい宿題」と書いたが、言い訳でなく、今はそれを考えるのが楽しくて宿題を書くのが惜しいと言った心境にある。
 そんな中、古くは松本清張氏の名著「古代史の謎」をはじめいろんな本を読み返している内に、福永光司氏著「道教と日本文化」の中に、「私は前に『道教における鏡と剣―その思想の源流―」(「東方学報」京都第45冊所収)という論文を書きましたが、そこでこまかく論証しておいたつもりですから、それを見ていただきたいと思います。」との叙述を見つけた。
 それで・・・、早速アマゾンや楽天で取り扱っていないか調べてみたが、新刊はもちろん古書としても出てこなかった。
 次に、それなら・・と、国立国会図書館で蔵書検索をすると東京新館にその本があることが判り、さらに、有料だがコピーをして送付してくれるサービスもあったのでクリックした。・・他国の状況など知る由もないが、日本国・立法府もなかなかのものである。検索から注文まではアッという間。
 と、誉めてあげたいところであるが、実際に届いたのは10日近く経ってからだった。

 「そんなスピード感だから公務員批判の材料になるのと違いますか」と言いたかったが、実際の対応はアウトソーシングされた民間(国立国会図書館複写受託センター)だし、そこだって人手不足で大変なんだろうなあと想像した。(彼等の名誉のために付け加えておけば、この申し込みは休館日の前夜に行なったのであり、郵便到着は日曜日の後だったから実際には1週間ぐらいなのだろう。)
 請求書には、B4単価¥24×32ページ(本では64ページ分)¥768、それに手数料、消費税、送料で、合計¥1,203とあった。
 私の感覚からすると安いものだった。
 折角だから表紙を作ってB5に製本した。
 元職時代の「業務概況」作成の要領である。
 といって、製本機はもちろん大型ホッチキスもないから、千枚通しで穴を開け極細針金で背を綴じ糊で補強した。
 自分では気に入ったので、ひげ親父さんから戴いた蔵書印も押印した。
 我が書架の自慢が増えた感じがする。
 で、その内容であるが、それは楽しくて此処では書けない。(ただ、人は「その話のいったい何が楽しいねん」と言うぐらいのつまらん話なのであるのだが・・)

2 件のコメント:

  1. さすが!恐れ入りました。疲れて昼寝している間に相変わらずまめなことしたはる

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  2. !uyumaccuさんの中ノ島図書館逍遥よりもはるかにズボラな行動しかとっておりません。
     世界を股にかけて見聞された情報をよろしくお願いします。

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