昨年5月31日のブログで「風情も香りも申し分のない楝(おうち=センダン)の花」と書いて、淡い紫色の花が一面に咲いている写真を掲載した。
それが冬になると右の12月の写真のとおり、たわわに実をつけ、今度はその輝くような実で寂しい冬空を飾ってくれた。
そして今は、ヒヨドリ、ムクドリ、カワラヒワたちが盛んに残りの実をついばみ、センダンは新しい開花の準備モードに入りつつある。
ただ、ちょっと不思議なことには、ヒヨドリたちが毎日樹上で宴会を開いている割には結構その実が地面に落ちていることで、もしかするとあまり美味しくないのかもしれない。
そこで、いつものとおりその実を採って食べてみた。
う~ん、不味くもないが美味くもない。
種が大きくて果肉は少ない。
心なしかちょっとした苦味もある。
しかし、ほんのりと甘く、食べられないものではない。写真の中の一番下のは食べた残りの種。
そして、このように大量に収穫可能であるのに楝の実の食べ方等についての話を聞かないのが不思議だと思い、帰ってから樹木の本を開いてみた。
すると・・・・、妻には「言うことやない。ええ歳をしてええかげんにしなさい」と叱られたが、本には『この実は有毒で子どもなら6個ほど食べると48時間以内に死亡する』とあった。アチャ~!
『症状は2~4時間で現れる』とある。このブログは摂取後2時間時点で書いている。
このブログが絶筆にならなければ・・・・
・・・5時間経ったので執筆を再開した。
本を読むと「木の実のうちの半分は有毒」とあった。
そういえば、実母のお世話になっていた施設で「きれいでしょう」と言ってテーブルにピラカンサが飾ってあったときがあり、私が「有毒だから気をつけてね」と教えてあげたことを思い出し、なぜ同じ想像が頭をよぎらなかったのか、我ながら間抜けだなあと反省した。
世の中は不思議なことばかりだ(と言うより私が無知なだけだが)。
葉っぱや花や根に毒があるのは、人間のあとづけの理屈かも知れないがなんとなく理解できる。
しかし、実に毒があったら種族保存にマイナスでは・・・。
いや、たしかに食べている鳥もいるのだから、鳥にだけ無毒(微毒)な毒なのだろうか。解らない。
自然界は不可解極まりない。
自然を制御できたなどというのは人間のおごりだと近頃はしみじみと実感する。
「そんなんは食べなんだ」ときっぱりと峻別する義母の「こおつと大学」は偉大である。
エー加減にしなはれや、花ならいざ知らず、身(実)にまで手を出すとは、『山城の老人、あふちにアタル!』なぞと三面記事にならずによかった。以前教えてもらった美しい棟(あふち)の花観賞ぐらいに留めておきなさい。
返信削除!今日も鳥たちが宴会をしていました。
返信削除哺乳類だけが中(あた)るのでしょうか。
化学的にではなく哲学的に不思議です。
次は遠い先人達のように「無毒化」「食糧化」を夢見ています。