2025年6月22日日曜日

流言蜚語

    1923年(大正12年)関東大震災朝鮮人虐殺事件があった。
 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした。放火した」などのデマ(流言蜚語)を信じた官憲や自警団などが、関東各地で多数の朝鮮人を殺傷した事件の総称である。日本人や中国人が殺傷された事件や、官憲による社会主義者の殺害事件もあった(亀戸事件、甘粕事件)。殺傷事件の犠牲者数は、論者の立場により幅広い差があり、正確な人数は不明である。(Wikipedia)
 以下にWikipediaの「当時についての証言など」を再録する。

 フランス文学者の田辺貞之助は、大島町の埋立地で朝鮮人と思われる250人ほどのほとんど裸の死体が並べられているのを見ている。その中には、喉を切られているものあり、後ろから首を切られているものありで、一つは完全に頭が落ちていて無理にねじ切ったようだったという。女性の死体は一つだけだったが、若い妊婦で腹を裂かれ、六、七か月の胎児がむき出しで、妊婦の陰部には竹槍が刺されていたという。

 のちに国策パルプの社長となる南喜一は、労働運動活動家であった実弟の吉村光治を亀戸事件で殺されている。真偽を確認しに亀戸署に行ったところ、日本刀を下げた巡査部長に薄暗い留置場に案内され、そこで多数の死体を目撃、南自身も斬り殺されそうになったので、必死に逃げたとの回想記を、戦後に雑誌に寄せている。

 黒澤明の自伝『蝦蟇の油——自伝のようなもの——』の中では、当時13歳だった黒澤の関東大震災時の体験が語られている。その中に、黒澤の父親が長い髭を生やしているという理由で朝鮮人に間違われ暴徒に囲まれた話や、黒澤が井戸の外の塀に書いたラクガキを町の人々が「朝鮮人が井戸へ毒を入れた目印」だと誤解し騒ぎになるというエピソードがある。

 作家の芥川龍之介はこの自警団に参加し活動をしていたことが分かっているが、「或自警団員の言葉」(『文藝春秋』192310月号「侏儒の言葉」より)において、自警団の異常な殺戮行為に対して「自然は唯冷然と我我の苦痛を眺めている。我我は互に憐れまなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である」と批判をしている。また、芥川の「大震雑記」(『中央公論』192310月号)の五の章では、朝鮮人への虚偽の噂を信じる民衆を「善良なる市民」と揶揄する等、震災後の一連の殺害事件に対して批判的視点を持っていた事がわかっている。

 菊池寛は芥川龍之介を𠮟りつけた。芥川が、かの大火の原因やボリシェヴィキの手先という朝鮮人に関する流言飛語を話題にしたからである。芥川龍之介「大震雑記」に次のような記述がある。「僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、『嘘だよ、君』と一喝した。…しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、『嘘さ、君、そんなことは』と叱りつけた。」(言論統制による伏字部分は朝鮮人を表わす用語)

 流言に皮肉をぶつけていた芥川龍之介や流言の嘘を見抜いていた菊池寛とは異なり、鎌倉で罹災した久米正雄は流言を真に受けて夜も眠れず「鎌倉震災日記」に流言を聞いた夜は「一挺の鉈をたよりに」警戒したと書いている。

 「昨夜上野公園で露宿していたら巡査が来て○○人の放火者が徘徊するから注意しろと云ったそうだ。井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえて来る。」(寺田寅彦『震災日記』「九月二日」)

 「爆裂弾を投げつけたとか井戸に毒を入れて回っているとかいう“不逞鮮人”の噂は、もう92日には私も聞かされていたのではないかと思う。」(木下順二『本郷』)

 「こやつが爆弾を投げたり、毒薬を井戸に投じたりするのだなと思うと、私もつい怒気があふれて来た。(略)私も握り太のステッキで一ッ喰(くら)はしてやろうと思って駆け寄っていった」(染川藍泉、俳人・十五銀行本店庶務課長)

 竹久夢二は都新聞に連載していた挿絵付きルポルタージュ「東京災難画信」の919日掲載分で「子供達よ。棒切を持って自警団ごっこをするのは、もう止めましょう」と呼び掛けている。

 徳富蘇峰は震災1ケ月後、國民新聞のコラムで「今次の震災火災に際して、それと匹す可き一災は、流言飛語災であつた」と断言した。

 志賀直哉は日記「震災見舞」に次のように綴った。「丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…『―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ』…『然しかう云ふ時でもなけりやあ、人間は殺せねえと思つたから、到頭やつちやつたよ』二人は笑つてゐる。」さらに続けて志賀は自身の心境を「ひどい奴だとは思つたが、不断左う思ふよりは自分も気楽な気持でゐた。」と綴っている。

 田山花袋は『東京震災記』において朝鮮人狩りに批判的アプローチをするが、その一方で『中央公論』編集者木佐木勝の日記には田山の武勇伝として「鮮人が毒物を井戸に投げ込むという噂を聞き、花袋老大いに憤慨、ある晩鮮人が自警団の者に追われ、花袋老の家の庭に逃げ込み、縁の下に隠れたので、引きずり出してなぐってやったと花袋老武勇伝を一席語る。」と書かれている。

 逃げ隠れをしても発見されて殺害に至った事例が、釣り師の鈴木鱸生(鈴木雷三、1898-1983年)の証言によると、「逃れた朝鮮人が子どもを連れて青田の中に潜んでいると、町内会の者達がそれを引き出して殺してしまったりと、随分残酷なことをした。」(鈴木鱸生著、竹之内響介編『向島墨堤夜話: ヨミガエル明治大正ノ下町』)

 伊藤圀夫は自分も加害者に成り得たという思いから後に芸名を「千田是也」(「千駄ヶ谷のKorean」の意味)と名乗った。当時早稲田大学に在学していた伊藤(千田)は自警団に絡まれ暴行された出来事を次のように証言した。「内苑と外苑をつないだ道路の方から、提灯が並んでこっちにやって来るのが見えた。あっ、不逞鮮人だと思い、その方向へ走っていった。不意に私は、腰のあたりを一発殴られてしまった。(中略)そのうち、例の提灯にも取りまかれ、『畜生、白状しろ!』とこづきまわされる。」「私はしきりに、日本人であることを訴え、早稲田の学生証を見せたが信じてくれない。興奮した彼らは、薪割りや木剣を振りかざし『あいうえおを言え!』『教育勅語を言え!』と矢継ぎ早に要求してくる。(中略)もうダメだと覚悟したとき、『なあんだ、伊藤さんのお坊っちゃまじゃないですか』という声がした。(中略)その一声で私は救われた。」(西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』)

 沖縄出身の歴史学者・比嘉春潮は、当時、淀橋(現・新宿区)に住んでいた。震災後、数日経った夜、自警団が自宅を訪問し、「朝鮮人だろう」「ちがう」「ことばが少しちがうぞ」「僕は沖縄の者だから君たちの東京弁とはちがうはずじゃないか」と押し問答になった。身の危険を感じ、淀橋署に奄美大島出身の巡査がいたことから、警察で白黒つけようと持ちかける。しかし、連れて行かれたのは近所の交番で、ここでも同じやりとりを繰り返しているうちに、日本刀を持った自警団の一人が「ええ、面倒くさい。やっちまえ」と怒鳴った。それでも何とか淀橋署に行くことになり、無事で済んだ。また、行方が分からなくなっていた甥の春汀は、「朝鮮人だ」と叫ぶ自警団にこん棒で殴られ、頭に包帯を巻き、血糊をこびりつかせた状態で飯田橋署に留置されていた。

 「後ですべてデマだとわかりましたが、そのどさくさでは確認のしようもなくて朝鮮人狩りが始まっていったのです。朝鮮人をひとり捕まえたと言って、音楽学校のそばにあった交番のあたりで男たちは手に手に棒切れを掴んでその朝鮮の男を叩き殺したのです。私はわけがわからないうえに恐怖で震えながらそれを見ていました。」(清川虹子、女優)

 「町で実際に朝鮮人が殺されているところを目撃したこともあった。歩きながら殺されていた。いきなり後ろから頭を割られ、それでも歩き続け、ついに倒れるとお腹や背中を金属の棒で突いているのである。こちらに力がないから止めることができず、もし止めていたら殺されていただろう。」(早川徳次、シャープ創業者)

 「旦那、朝鮮人はどうですぃ。俺ァ今日までに六人やりました。」「そいつは凄いな。」「何てっても身が護れねえ、天下晴れての人殺しだから、豪気なものでサァ。」(『横浜市震災誌』)

 墨田区の御蔵橋では、「五、六人の朝鮮人が後手に針金にて縛られて、(中略)通り掛りの者どもが我も我もと押し寄せ来たりて、『親の敵、子供の敵』等と言いて、持ちいる金棒にて所かまわず打ち下すので、頭、手、足砕け、四方に鮮血し、何時しか死して行く。」(西崎雅夫『関東大震災朝鮮人虐殺の記録: 東京地区別1100の証言』)

 被服廠跡(現・横網公園)では、「わずかの空き地で血だらけの朝鮮人の人を四人、十人ぐらいの人が針金で縛って連れてきて引き倒しました。で、焼けボックイ(棒杭)で押さえつけて、一升瓶の石油、僕は水と思ったけれど、ぶっかけたと思うと火をつけて、そうしたら本当にもう苦しがって。のたうつのを焼けボックイで押さえつけ、口々に『こいつらがこんなに俺たちの兄弟や親子を殺したのだ』と、目が血走っているのです。」(西崎雅夫『関東大震災朝鮮人虐殺の記録: 東京地区別1100の証言』)

 1980年代に荒川河川敷に朝鮮人虐殺被害者の遺骨を探し、10年にわたる調査で延べ150人の証言を聞書きした市民グループ「ほうせんか」編の『風よ鳳仙花の歌をはこべ』(1992年、教育史料出版会)には、軍隊による殺害行為として「四ツ木橋の下手の墨田区側の河原では、10人くらいずつ朝鮮人をしばって並べ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして、橋の下手のところに三カ所ぐらい大きな穴を掘って埋め、上から土をかけていた」[157]、「女も23人いた。女はひどい。話にならない。真っ裸にしてね。いたずらをしていた」と記述されている。

 ある一兵士の日記には次のようなことが書かれている。「93日 雨。午前1時頃、呼集にて、また東京に不逞鮮人がこの機に際し非常なる悪い行動をしつつあるので(井戸に毒薬投入、火災の先だって爆弾投下、強姦等やるので)、それを制動せしめるため、38騎銃携行、拳銃等も実弾携行し、乗馬でゆくもの徒歩でゆくもの、東京府下大島に行く。小松川方面より地方人も戦々兢々とて、眠りもとれず、各々の日本刀、竹やり等を以って、鮮人殺さんと血眼になって騒いでいる。軍隊が到着するや在郷軍人等非常なものだ。鮮人と見るやものも云わず、大道であろうが何処であろうが斬殺してしまうた。そして川に投げ込んでしまう。余等見たのばかりで、20人一かたまり、4人、8人、皆地方人に斬殺されてしまっていた。

 「四、五百坪の空地に、裸体に等しい約二百五十体の死骸が遺棄されていた」「目をそむけないではいられない無残なものばかりだった。(略)なんという残酷さ、あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」(田辺貞之助、フランス文学者)

 「とにかく鮮人に対して、あの時日本人の行ったことは、これは何とも弁解のしようのない野蛮至極のものであった。ああ云う場合、この国の人間には、野蛮人の血が流れているのではないかという気がする。」(広津和郎、小説家)

 「そうしてグルリと朝鮮人をとり囲むと何ひとついいわけを聞くまでもなく問答無用とばかりに手に手に握った竹やりやサーベルで朝鮮人のからだをこづきまわす。 それもひと思いにバッサリというのでなく、皆それぞれおっかなびっくりやるのでよけいに残酷だ。頭をこづくもの、服に竹やりを突きたてるもの、耳をそぎ落すもの………二百以上の木のすべての幹に血まみれの死体をつるす。………」(田畑潔の証言「真っ赤な川」)

 野上弥生子は日記に「鮮人を殺した血でおみくら橋の下の水が赤くなって、足さえ洗われなかったという話」を書いている。

 西崎雅夫が民衆から集めた証言によると「首・手首を切り落とす」「電柱に縛り付ける」「投石で虐殺」「火あぶり」などが行われている。

 西崎雅夫『八広に追悼碑ができるまで東京の朝鮮人虐殺の実態』によると、「神田で妊婦を刺したら『アボジ(お父さんの意味)』と叫んだ、と聞いた」(神田、羅祥允の証言)、「腹を割かれた妊婦の死体と、陰部へ竹の棒を刺された女性の死体があった」(大島、高梨輝憲の証言)、「知り合いの奥さんが雑木林で凌辱され虐殺された」(古川、後藤順一郎の証言)

 流言に惑わされた自警団は「朝鮮人が変装している」として警察官や軍人をも襲撃したことが吉村昭『関東大震災』(1973年、文藝春秋)に記録されている。

 江口渙は騎兵第13連隊の越中谷利一から直接聞いた話として、二子玉川近くの中州で三四百人の朝鮮人が騎兵第13連隊に夜襲を掛けられ包囲殲滅されたが、その際ピストルや日本刀で抵抗するものもいた。五六百人の朝鮮人が習志野捕虜収容所に連行され塹壕を掘らされ機関銃で一斉に射殺され埋められた。埼玉県妻沼の利根川河原で三百人の朝鮮人が地元住民に惨殺された。などの話を紹介している(関東大震災亀戸事件四十周年犠牲者追悼実行委員会 編『関東大震災と亀戸事件』1963)[176]。実際の妻沼事件の犠牲者は日本人1名であるなど、いずれも現実にあった事件としては確認できないが、朴慶植の『天皇制国家と在日朝鮮人』でも引用されている。

 島崎藤村は東京朝日新聞連載の震災小説(震災記とも呼ばれる)『子に送る手紙』(表題は『飯倉だより』)において、報道規制解除後の1022日に掲載された最終回にて曰く「怪しい敵の徘徊するものとあやしまられて、六本木の先あたりで刺された人のことを後になって聞けば、まがいもない同胞の青年であったというような時であった。某青年は声の低いためと、呼び留められても答えのはっきりしなかったためと、宵闇の町を急ぎ足に奔り過ぎようとしたためとで怪しまれ、血眼になって町々を警戒して居た人達に追跡せられて、そんな無残な最後を遂げたという。

 「彼らを奥の離れの部屋にかくまって、手当てをしてやってくれ。誰にも話してはならぬ」(荒川放水路工事責任者青山士、朝鮮人労働者5人を自宅に連れて帰り妻に要請する)

 「騒擾の原因は不逞日本人にあるは勿論にして、彼等は自ら悪事を為し、これを朝鮮人に転嫁し事ごとに朝鮮人だという」(神奈川警備隊司令官奥平俊蔵陸軍少将、自叙伝)

 「よし、君等が我輩の言ふ條理を解し得ないなら、今は是非もない、鮮人に手を下すなら下して見よ、憚りながら大川常吉が引き受ける、此の大川から先きに片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の續く限りは、一人だつて君達の手に渡さないぞ」(神奈川警察署鶴見分署長大川常吉、千の群衆に対峙して)

 🔳再録おわり

 こんなことをどうして再録したかというと、兵庫では某県会議員がフェイクにさらされ、それに踊らされた面々が自宅に押しかけ、結局議員が自殺するということがあった。
 こんな風に流言蜚語は現代にも起こっている。
 民族差別的なヘイトスピーチの声は小さくない。

 🔳 そんな中、先日、『イスラム教徒が大阪市内の神社に放火した上で「邪教だから」と供述したー』このように記された大阪府神社庁の文書がXで広がった。
 事件が起きたとされる神社の宮司は「6日夕に境内で複数の小学生がマッチで落ち葉などに火を付ける騒ぎがあった」と説明。小学生の中には外国籍と思われる児童もおり、こうしたことも含めて府神社庁に報告したが、「邪教だとか、そういう話は一切していない」とし、府神社庁に訂正を求めるとした。府神社庁の担当者は「宮司への聞き取りの段階で伝聞に相違があったかもしれない。もう一度事実を確認するなどして対応を検討したい」と話しているらしい。
 この報道(新聞記事)を見て、私は関東大震災の恐ろしい歴史を想起した。
 大阪府神社庁が意図的にデマを発信したとは思いたくない。
 それでも政党の一部には、外国人差別につながる主張が目立ってきている昨今だけに、軽率な発信にブレーキの利かなかった大阪府神社庁の精神的風土に弱点はなかったのかと思っている。

2025年6月21日土曜日

今日は夏至

    今日21日は夏至ということで思い出したことがある。
 小学生のとき「なぜ夏と冬が起こるのか」と先生が尋ねたので私は「地球は太陽の周りをまわっているが、それはまん丸ではなく楕円である。だから一番太陽に近づいた季節が夏で太陽から遠ざかった季節が冬である」と回答し、圧倒的なクラス仲間から「そうだ、そうだ」と賛同を得たが、「それなら日本の夏にオーストラリアはなぜ冬か」と返されて「・・・・?」となった。そのときのことを今も覚えている。

 地軸が23.4度傾いているため、夏は太陽の高度が上がり、地表の面積あたりに降る光の量が増え昼間の時間も長くなるというのが正解だ。
 「そしたらなぜ正午に一番暑くならずに午後の2時ごろに一番暑くなるのか」「なぜ6月の夏至が一番暑くならずに8月の夏休み頃に一番暑くなるのか」と質問すると、「空気全体が温まるまでの時間差だ」と聞いた。これも何となく解ったような解らないような勉強だった。
 気候、気圧配置の話が抜けるとこんな尻切れトンボになる。

 太陽黄経(春分を0度として1年を360度)が90度の時間(瞬間)を含む「日」というのが夏至の定義らしいが? 北回帰線上にいると正午に太陽が天頂を通過する。なお、1年で日の出の時刻が最も早い日および日の入りの時刻が最も遅い日それぞれと夏至の日は一致しない。日本では、日の出が最も早い日は夏至の1週間前ごろであり、日の入りが最も遅い日は夏至の1週間後ごろである。となると日の出は既に遅れ始めている・・・なぜか少し寂しい。

 Wikipediaの知識だが、ヨーロッパの国々では、夏至は性欲をかきたてる日とされており、スウェーデンの民俗学者によると、夏至を祝うミッドサマーの祝日から9ヶ月後に生まれる子供が多いという。ギリシャ北部では、未婚女性がイチジクの木の下に自分の持ち物を置くと、夏至の魔法により将来の夫の夢を見るという伝承がある。ポーランドではスラブ民族の祝日、「イワン・クパラの日」の夜には、人々が恋に落ちるという言い伝えがある。イギリスのストーンヘンジでの夏至祭りは、ドルイド教に由来し、男性神、女性神の出会いを祝う意味があると言われている。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」もこういった恋に狂乱する人々をテーマにしている・・とか。

2025年6月20日金曜日

アインシュタイン

    17日付朝日新聞『天声人語』がNO KINGSのことに触れ、「社会は必ず自由で民主的な方向に変わっていくと私たちは思いがちだ。しかし声をあげねば、あっけなく破綻する」と書いていた。異議はない。大事な観点だ。
 それはアメリカのトランプ周辺だけの問題ではない。現代人たる我々一人一人の課題でもある。
 16日の記事でニュース原稿のことを書いたが、原稿の執筆や編集に際してもそういう観点は大切だ。
 井上ひさしさんの言葉に「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」というのがある。それはこのブログでも度々書いてきた。
 経験豊かな高齢者ほど「経験主義」に捕われる。「今さら川柳なんて」と鼻で笑って自分は「お手並み拝見」となりがちだ。
 高齢者がいろいろ挑戦し大いに失敗することは良い事だ。失敗しない高齢者に後輩は続きがたいが、挑戦して失敗する高齢者の後ろでは笑いながら後輩が乗り越えていくだろう。
 井上ひさしさんの前述の言葉はNHK eテレの幼児向け番組でやっていて、孫の凜ちゃんも(十分には発声ができないが)何となく真似をしている。この番組の影響力はすごい。先日は科学館に行って、ポスターを見るなり「アインシュタイン」と言ったらしい。

2025年6月19日木曜日

SNSを馬鹿にしない

    共産党がSNSのフル活用を赤旗紙上で訴えている。
 
 具体的には候補者が発信するYouTubeのショート動画を「評価」して、各自のSNSで共有して拡散してほしいと訴えている。
 多くの支持者がこれを「判った、やってやろう」と思えば若い層の世論も変わると思うのだが、そうであれば私のフェイスブックあたりにも少しはその影が見える筈だが、残念ながら見えてこない。
 どうしたオールドマルキスト! 理屈を言う前にやってみなはれ!
 「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」という言葉もある。私はテーマを能動的に捉えよという意だと解してる。
 日本の政治も世界各国の問題も知っている。しかし私は何もしない・・・でよいだろうか。

2025年6月18日水曜日

40年ぶりの大改革

    G7の中でなぜ日本だけ賃金が低下しているのだろう。その結果国内の購買力が低下し経済成長も止まってしまったのだろう。
 単純化はできないが、労働法制の改悪と、それと一体となった労働組合組織率の低下、そして労働戦線の体制内的統一(連合)などに大いに問題があったと私は見ている。
 そのうちの労働法制に目を向けると、労働者派遣法が問題だった。派遣先の大きな会社が実質的に仕事の命令をしているのに雇用責任は派遣元でよいと・・・表向きは言っていないが・・・実際にはそれで不安定雇用が急拡大した。

 現在、東京では労働基準法の『改革』が議論されているが、例によってマスメディアは「政局」は報じるが、こういう地味な話は報じない。
 その労基法改革では、デロゲーション(逸脱)が幅広く導入されようとしている。
 企業別労働組合をすべて御用組合とは言わないが、労使の合意という形を整えれば「最低労働基準の底を破ってもよい」という話だ。
 御用組合どころか形式的に「過半数代表者」を選びさえすれば、労働の最低基準、最低保障からデロゲーションしてしまう。
 このほかにも、「労働者」という概念の判断基準も検討されている。
 先にも述べたが、パート労働だとか派遣労働という脱法行為を労働法制は追認してきた歴史がある。「そういう働かせ方は憲法の精神にも反する」とぴしゃりと是正させるのでなく「そういう労働、雇用が実際にあるからそれに見合った制度にしよう」という論は非常に危険だ。それは歴史が教えている。
 このほかにも労働時間、休日等々が検討されている。いわゆる過労死に繋がる長時間連続労働などは前進面が出てくるかもしれないが、そういう宣伝に迷うことも危険だ。
 この動きにどうか注目してほしい。

2025年6月17日火曜日

盗人カワラヒワ

    昨年咲いた矢車草(ヤグルマソウ)から自然に落ちた種で、今年はあちこちから芽を出したのを妻が集めてきて、今春はけっこう華やかにヤグルマソウのお花畑になった。
 「花の形が鯉のぼりの竿の先の矢車に似ているから・・」というのを再確認しようと検索してエエエエ仰天した#$%&#$%&!!
 私の検索した花は今日では「矢車菊(ヤグルマギク)」といい、ヤグルマソウという花は別にあることを初めて知った。何十年とヤグルマソウと信じて疑っていなかった。よって自今ヤグルマギクという。
 そのヤグルマギク、花期は済んだが、来年のために種を採ろうと少し汚いがそのままにしていた。
 そして一方、先日からわが家の前の電線にたくさんの河原鶸(カワラヒワ)が留まってヒリヒリヒリヒリ鳴いていて、そのうちに写真でも撮ろうかと思っていた。
 という何とも長閑な初夏の風景を楽しんでいたのだが、ナント・・・カワラヒワは集団で私が大事に育てていたヤグルマギクの種で饗宴をしていたのだった。
 つまり盗人だった。何が可愛いカワラヒワだ。少し凹んでいる。
 (写真はネットにあったnorichan.jpさんのもの・カワラヒワ)

2025年6月16日月曜日

似非(エセ)柳人

    タイトルの柳人とは俳人、歌人同様川柳を作る人のことである。
 近頃、二つの機関紙?というかニュース?というか・・の原稿集めを担当?している。 何となく担当みたいになっているだけだが、こんなことは「言われたからやる」「決まったからやる」ものでもないから別に不満もない。
 「みんなで呼びかけよう」「賛成賛成」となるのだが、思い通りにはうまくいかないのが原稿集め。
 まあ「指示待ち人間」などと言われたくないから放っておけないとこうなる。つまり勝手に原稿集めをしている‥それはそれでよい。

 二つのニュースの読者はほゞ重なっていて、みんな数十年の間、定型に似た?小難しい文書ばかり書いてきた公務の卒業生である。
 となると、反対に定型ではない自由な原稿は不得手だという声が上がったりする。あるいはどうも堅い話、もっと言えばお説教臭い文章になるという傾向も生まれる。つまり下手をするとせっかくのニュースがつまらなくなる。難しい。
 川柳界の重鎮・故近藤勝重氏は「5W1Hではない。6W1Hだ」「Wow!(ワオ!)という感動が大切だ」と書かれていたが、元公務の高齢者にはそれもまた難しそうだ。
 それでも何とか「読んでもらえる」紙面にならないものかと、何号か前から思いついて川柳を募集した。川柳には全くの門外漢であったが、短歌や俳句は難しそうだし、川柳ならサラリーマン川柳やシルバー川柳ぐらいは誰もが読んだことがあるだろうと、その程度のとっかかりだった。
 そして先日、ひとつのニュースを発行した。コンセプトは目前の参議院選挙で世の中を改善しようというもので、その中で私が投稿した川柳は、「タラバガニ食ってキーウにすんまへん」と「ユスリカのいのち輝く夢の洲」だった。
 タラバガニの川柳は、ロシアに経済制裁とか言いながら大量に輸入している日本を、ユスリカの川柳は、万博会場で大発生している現実と万博のメーンスローガンとのあまりの隔たりを突いたつもりである。

 そしてここからが今日の本題だが、発行したニュースを読んだ読者から、すぐに「掲載の川柳読みました。川柳っておもしろいです。短い言葉綴りの中から色んなものが出て来ます」「先ずトイレ リハビリ終えて またトイレ」 SOさん、ありがとう。僕だけやなかったわ(^o^)」という文とその方の川柳を添えてメールがあった。
 嬉しい、やっぱり編集方針に間違いはなかった。
 最後に、川柳ではないが15日朝のNHK短歌を見ていると、「どんな時に短歌ができるのですか」というアナウンサーに歌人曰く「締め切りが迫ったときです」というのがあった。
 そうだ、川柳だって勝手に湧いては来ない(来る人もいるだろうが)。締め切りと編集者への気遣いで出てくるものだと自分自身に言い聞かせた。
 こういうのは川柳を愚弄している似非柳人の戯言だろうが、それでも編集者の顔を立てて投稿してほしいものだ。
 高齢者の日々の生き方について書かれた文に、「請われれば一差し舞え」という箴言もあった。
 近藤勝重さんの本には「書く子は育つ!」とも・・・。

2025年6月15日日曜日

IMAGINE

13日の夜にイランを爆撃したイスラエルのネタニヤフ首相の演説をTVニュースで見たが、「この先制攻撃は聖書にも書かれている」という趣旨の発言にはいささか衝撃を受けた。
 テレビのニュースなので、旧約聖書のどの部分を指しているのかなどは解らないが、宗教の経典が大量殺人の「お墨付き」になっていることにやりきれなさを感じた。
 奇しくも、その夜10:30~11:30にNHK「時をかけるテレビ・・ジョンレノン、イマジンを語る」という番組があり、9.11直後のアメリカで「報復だ」という風潮に同調せず、イマジンを歌う若者が増えたという話があって、こちらには大いに共鳴した。



Imagine / John Lennon & Yoko Ono
         和訳 Akihiro Oba
 
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
 
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
 
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
 
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
 
 
想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...
 
想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ
 
想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...
 
僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

2025年6月14日土曜日

悪い想像

    13日未明、イスラエルがイランの核施設や指導者等を空爆した。
 私は「核抑止力論」は正しくないと考えているが、例えば金正恩などが「それ見ろ、イラク(フセイン)もイランも核兵器を完成できなかったからヤラレタんだ」と核を含む脅しあい、パワーバランスでしか国は守れないという反対の教訓?にするのではないかと心配する。
 金正恩の名前を挙げたが、日本の自公政権や維新などの「ゆ」党も全く同じである。そんな悪い想像をしてしまうが、狭い列島に原発を並べておいて「核抑止力」もないものだ。

 付記すれば、イランの最高司令官や複数の核科学者らも殺害されたというから、イスラエルの諜報活動、早い話がスパイ網とその科学技術は恐ろしい。
 その国をアメリカ・トランプは支持している。

 世界中で世界大戦後の正義の概念が塗り替えられようとしている。
 朝ドラ「あんぱん」ではないけれど、軍事態勢が出来上がってからでは個人の抵抗は困難で、多くの結末は死あるのみ。大切なのは軍事国家が完成する前にNOの声でストップすることだ。
 この世界情勢の中で、来月には参議院選挙がある。
 例によって、「軍拡反対はお花畑だ」的なキャンペーンが舞うだろうが、こんな時こそ理性的な判断とその発信が大事だと思う。
 アメリカについていくと「戦死を分担」させられる。

胡姫の舞

    過日、散歩道のスイカズラを見て、『忍冬(すいかずら)歴史は遥か胡姫の舞い』と一句詠んでみた。
 こころは、スイカズラといえば忍冬唐草紋(にんどうからくさもん)に連想が跳ぶが、それは古代ギリシャのパルメット紋に起源を持ち、遥かシルクロードを旅し、長安(西安)を経て奈良時代の日本に到着した。
 その蔓草(つるくさ)を踊子の円舞とみて、当時の唐などではシルクロードから伝わってきたものを胡と呼び、例えば、ペルシャの女性による舞を胡姫の舞として人気があったことなどを思ったからである。
 ちなみに胡人とはシルクロードに関わる多民族の総称らしいが、より具体的にはシルクロードの商人、ソグド人のことを指しているとの説に説得力を感じている。

 そこでその胡瓜(キュウリ)だが、原産地はインド・ネパールのヒマラヤ地方と言われているが、大きくは西方から中国に入ってきたのでやはり「胡の瓜」となる。
 食の好みは夫々だから正解も誤答もないが、私に言わせればスーパーに並んでいるものはキュウリの子どもで、ほんとうに熟してしまうと苦みが出るが、少しその手前の、いわば「大人のキュウリ」が私の好みである。
 そのために小さな家庭菜園を作り、新たに糠味噌を購入したりしているわけである。
 湯木貞一氏の著書では糠床について「カラシを入れておく」「昆布を入れたりはしない」とあるが、ずぼらな私は、出来合いの糠床で済ましている。
 「ぬか漬けの野菜は絶対に新鮮なものでないといけません」だけは及第点をいただける。
 以上のような新しい床ともう一つ「古漬をつくる糠味噌を作っておく」ともあるが、そこまではできていない。
 「昔は、転宅するとき、まず三宝荒神さんとぬか床を先に送り出したものだ」とあるほど大切にされていた。
 浅漬けの素なる調味料を否定する気はないが、このキュウリとナスの季節ぐらい、せめて出来合いであっても糠床を購入されることをお勧めする。

2025年6月13日金曜日

コメ騒動と米作文化

    11日のブログに「輸入米議論に欠けているもの」というのを書いた。
 テレビニュースなどが「備蓄米や輸入米がいよいよ店頭に出てきた」「何円だ」「コメが店頭に出てきて嬉しい」みたいな画面と音声を繰り返すのを見ていて、さらには「放出した備蓄米の穴埋めは輸入米の拡大でいいのではないか」というパフォーマンス大臣の発言まで肯定的に取り上げられ、事実として「内閣支持率が上がった」と報じられたのに大いに違和感というか、「そんなに単純に乗せられていいのだろうか」という気持ちから、問題のバックグランドである水田稲作と農村というものが果たしている気候温暖化対策効果に一言も触れないマスメディアはそれでよいのかという気持ちを込めて書いたところだ。
 このブログ記事を読んだKさんがフェイスブックで私の意見を一考に値するという趣旨で書いてくれたが、12日付け朝日新聞朝刊の山際寿一「科学 季評」で「米作 私たちを形づくる文化」というのが掲載され、私の視点もまんざら間違いではなかったように感じられ、少々孤独感がほぐされた感じがする。
 山際寿一氏の文章の一部をつまんで紹介する。
 🔳 有機農業の価値は環境のみならず人の心のつながりも強化してきたのだ。
 🔳 食糧自給率が極端に低い日本では、せめて主食のコメは有り余るほど生産して非常事態に備え、国際戦略の主力として活用すべきではないだろうか。
 🔳 コメという「商品」の生産・流通・消費の循環を図る上で重要なことがある。米作文化の継承だ。
 🔳 米作は地元の人々の力の源泉であり、その姿は総合的な景観と文化の複合により守られている。
 🔳 インドに発した仏教は「一切衆生悉有仏性」を説き、これが日本に渡り「山川草木悉皆成仏」となったという。
 🔳 この「コメ騒動」を契機に、私たちのこころのふるさとを形づくってきた米作とは何かを考え直すべきなのではないだろうか。
・・・農村であれ都市も漁村でも、そういう文化を重ねてきた日本人にしては、なんと底の浅い議論?に一喜一憂しているのかとテレビを見ていてため息をついている。

2025年6月12日木曜日

半白胡瓜

    箸休めとは失礼な白胡瓜

 写真は9日に撮影した今季第一号。黒イボ半白胡瓜。自根苗のため連作障害(厭地)を心配したが杞憂に終わり愉快愉快。(接木苗は売っていない)
 毎年わが家庭菜園ではこの半白胡瓜とイボイボの四葉(スーヨー)系胡瓜を植えている。
 苗屋には「めちゃ成り」とか言って「たくさんできる」「病気に強い」などという苗がたくさん出ているが、その種のものには手を出さないでいる。
 理由はただ一つ、素朴で美味しい胡瓜を食べたいがため。
 食べ方の第一はぬか漬け、次いでうざくといきたいが「う」(鰻)は高いので、アナゴでざくざく、後は鱧の皮、蛸、いろんな酢の物がよい。
 メーンディッシュとは言わないが、箸休めとは失礼に当たる。
 モンスーン地帯の暑気を払うには胡瓜がよい。

2025年6月11日水曜日

輸入米議論に欠けているもの

    「緊急」だとかいろいろ言い訳を言いながら、備蓄米を戻すことが出来なければ輸入米を増やして充てればいいではないかと例のパフォーマンス大臣。
 目先の選挙の話題にさえなれば、口先?八丁(舌先三寸)。
 こういう男に乗せられるとエライことになる気がするが、テレビや新聞を見ていると杞憂ではなさそうなのが怖い。

 口先大臣は環境大臣経験者でもあったはずだが、結局、客寄せパンダ以外の何者でもなかったことがはっきりした。
 ここで私が言いたいことは、コメのバックグラウンドである水田あるいは農村が環境に莫大な貢献をしているという認識が欠けているということ。マスコミも同様だが・・・
 日本人の主食のコメがなくなるのは重大なことではあるが、同様に地球温暖化は地球人共通の毒ガスのようなもの。
 稲作をつぶすことはこの国の環境を根本から破壊する・・と想像する知恵が大切ではないだろうか。。
 水田や農村のはたしている温暖化対策の効果は、ほんとうに試算すれば莫大な価額に相当する。
 そんな時代に、「古古古米も安くていい」とか「カリフォルニア米も結構いける」などとマイクの向こうで笑っているテレビ、そういうことを良しとしている姿勢のマスコミ。皆さん! 現代の地球人として忘れてはならないものを忘れていませんか。
 輸入米議論を聴いていて、稲作と田園、それに携わる農家を守る農政の大転換が必要だと思う毎日だ。

2025年6月10日火曜日

原発事故高裁判決

    6
月6日、東京高裁は、フクイチの原発事故について、東電旧経営陣の責任認めず 1審と逆の判断を下した。
1審の東京地裁は元会長ら4人の賠償責任を認め、国内の裁判で最高額とみられる、合わせて133210億円の賠償を命じ、双方が控訴していた。
原告の株主側は、国の機関が2002年に地震の予測についてまとめた「長期評価」に基づき巨大津波への対策をとるべきだったと主張した一方、旧経営陣側は「長期評価の信頼性は低く、巨大津波は予測できず、対策をしても事故は防げなかった」などとして責任はないと主張した。
判決は、『長期評価』は原発の事業者として尊重すべきものだが、地震学自体、未知の領域が多く、運転を停止させて津波対策を講じる根拠としては十分ではない。巨大津波を予測できる事情があったとは言えない」と指摘し、旧経営陣が巨大津波の対策を講じなかったことについて「当時の状況から、津波が襲来するという切迫感を抱かなかったのもやむをえない」として、1審の判決とは逆に旧経営陣の責任を認めず、株主側の訴えを退けた。
これは「大津波が来るような地震の具体的な危険性や切迫性がないと、原発事業者の役員は対策する必要はない」という内容で、原発事故の再発を招くおかしな判決だ。
事実、東京電力が津波対策について話し合った2008年は、柏崎刈羽原発が地震で止まっていて、切迫した状況だった。
現実に戻ると、14年以上続く避難生活で、コミュニティーも土地も、仕事も友人もすべてなくして、孤独でひとり寂しく住んでいる人もいる。ここに目を向けて考えるのが司法の役目ではないのか。
「長期評価」とは、過去の地震などを踏まえて地震の規模や発生確率を予測したもので、専門家でつくる政府の地震調査研究推進本部が公表している。
20027月には、三陸沖から房総沖にかけての地震の予測が公表され、過去400年の間に日本海溝沿いの領域でマグニチュード8クラスの津波を伴う大地震が3回発生しているとして、福島県沖を含む太平洋側の広い範囲で同様の地震が▽30年以内に▽20%程度の確率で発生すると推計した。
そのとき武藤元副社長は2008年、国の地震調査研究推進本部による「長期評価」に基づいて、福島第一原発に敷地の高さを超える最大15.7メートルの津波がくるという計算結果が出たという報告を部下から受け、改めて土木学会に検討を依頼する考えを示したので津波対策が保留された。
もし津波による浸水が本当に起きるかもしれないという危機感を持っていればもっとできることがあったし、海外の原発のように可動式の非常用発電機を置いておくなどしておけば事故にならなかった可能性もある。

さて、司法の場に倫理は無用なのか。長い現役の職場生活の中で実際に悩んだことも多いが、可能な限り被災者のために使える法律はないものかと条文や判例を探しまくったものである。そういう経験からすると、言って悪いが「でもしか裁判官」と見えてしまう。
ヨーロッパには「ノブレス・オブリージュ」という不文律がある。社会的地位にはそれに伴う高い義務があるというものだ。それを大企業の社会的責任と重ねるのに無理があるだろうか。
また私は、古都近くに住んでいるため、多くの宗教者の教えを聴く機会も多い。
例えば2014年発行された「奈良県宗教者フォーラム」編「修験道の真実と未来」の基調講演は「大自然に想定外などない」「政治家は・・自然のほんとうの怖さも知らないで簡単に手に負えるものと考えていたのではないか」と指摘している。
翻って、「「当時の状況から、津波が襲来するという切迫感を抱かなかったのもやむをえない」という判決文はどうだろう。
私はこのニュースを聴いて、非常に哀しい気持ちになった。

2025年6月9日月曜日

ニッポンジャーナリズムの病

    6月4日、学術会議解体法案の廃案を求め、2020年に任命拒否された当事者の加藤陽子東大教授、小沢隆一慈恵医大名誉教授らを先頭に、多くの日本を代表するような学者や市民が参院前で座り込みをしたが、「朝日」が短信扱いの記事を掲載したのみで、大手の新聞、テレビが全く報じなかった。
 トランプの大学自治やメディアへの介入は報じても、目の前の日本の事態には委縮している。なんと怖いことだろう。
 自公政権や維新は、国家予算が支払われている学術会議や国立大学は国の方針に従うのが当然だという詭弁を弄しているが、80年以上前のこの国で、学問や報道が国家に管理された結果が日本国民やアジアを中心とする他国の国民の悲惨な殺害(戦争)を生んだという歴史に封がされてよいのだろうか。
 そのメディア(特にテレビ)がニュースの時間を大きく費やして報じているのがコメ問題であるが、コメ不足の克服や減反の見直しには触れずに、備蓄米が店に並んだ、多くの市民が殺到した、食味はあまり変わらない、などという口先大臣の提灯持ちニュースでないか。
 放出した備蓄米の補充のときに銘柄米はどうなるのか、最終判断などと言って輸入米にシフトを切るのか、アメリカからの長距離輸送に伴う大量の殺菌剤や防カビ剤は・・・ほんとうにこの国のジャーナリズムは病んでいる。
 外国特派員協会が「しんぶん赤旗」に「報道の自由賞」を授与したのは的を射ている。

2025年6月8日日曜日

特別支援教育を大事にしてほしい

    いま参議院文教科学委員会では教員給与特別措置法(給特法)改正案が審議されているが、その改正案では、長時間労働が温存されるだけでなく、特別支援学校・学級の教員は特別支援調整額が引き下げられる内容となっている。
 学級担任手当などの一部引き上げや創設のために、少数派の特別支援教育を犠牲にしようとするもので、怒りを通り越して、文科省のその根性が悲しくなった。
 主務教諭という問題でいうと先行している東京都では、同僚性・共同性が壊れ「何でも言い合える雰囲気がなくなった」と指摘されている。
 社会全体の雰囲気が株式会社化する下で労働者は家畜ならぬ社畜と呼ばれて久しいが、今一度、労働者は商品ではない! 教育現場の競争主義は国を亡ぼす! という「青い」正論を大きな声で訴えたい。
 6月5日、共産党の吉良よし子議員は強く主張した。だが国会は「数」がものを言う。7月の参議院選挙が大切になっている。 
 ちなみに元職場の退職者が、大阪府内の某市立小学校で肢体不自由児介助員をしているが、最低賃金ぎりぎりの非正規不安定雇用だと嘆いている。ただ嘆いているだけではなく、自治労連の中の労働組合員として団体交渉にも参加していると退職者会の会報にしばしば投稿をしてくれている。

2025年6月7日土曜日

歴史を愛する共産副委員長

    参議院環境委員会で山下よしき議員(共産党副委員長)が「二上山(にじょうざん・ふたかみやま)に産業廃棄物の小山(盛り土)が出来つつあることについて環境省を質した。
 盛り土の崩壊・崩落や有害物質の浸出、地下水や河川の汚染など心配は当然だ。そして同時に、景観や歴史的価値が心配だ。

 昔から飛鳥や藤原京さらには平城京の西に佇む二上山は、異界あるいは浄土とも目されていた地であり、万葉集などでも多く詠われた。感心のある私には許せない出来事に思える。その一つを書いておく。
 主人公の一人は古代の中央集権国家を完成させた立役者の一人持統天皇である。
 壬申の乱を勝利した天武と持統であったが、天武の皇子は十人いた。長子は高市皇子だが母が地方豪族の出自のため皇位継承権はなかった。第二子が持統の子である草壁皇子、第三子がひとつ違いの大津皇子で母は持統の姉の大田皇女だった。そして本命草壁皇子が皇太子となった。
 問題は、懐風藻などによれば、草壁皇子は凡庸であったが、大津皇子は身体・風貌が逞しく文武両道に秀でていたということだった。
 朱鳥元年、天武天皇が亡くなって3週間後、大津皇子は謀反の罪で捕らえられ翌日死を賜った。
 事件に連座した者がその後出世していることなどから、持統による冤罪事件だと考えられている。
 そして大津皇子は二上山に葬られた。姉の大伯皇女は、うつそみの 人にある我や 明日よりは 二上山を 弟世と我が見む と詠った。
 後に折口信夫は「死者の書」で大津皇子の無念と当麻の風景を描いた。
 その地に産廃の小山など許されてよいものか。
 浅知恵では革新よりも保守を自称する者の方が歴史や伝統を大事にするかのような誤解があるが、古都の周辺で暮らしていると、自称保守が金のために歴史的価値を蹂躙し、革新の代表と目される共産党が徹底して歴史に心を寄せている。
 隣の京都府でも、仏教界が千年の愚策と断じている北陸新幹線地下トンネル案を欲に目がくらんだ自公の政治家が推進し、共産党は千年の古都破壊を許すなと闘っている。
 

 

2025年6月6日金曜日

文字読む鼬

    写真はズーっと昔に買ってきた土産物だがジョークで庭の片隅に打ち付けてある。それに野生動物は全国的にほとんど保護地域である。
 先日、この標識を読んで安心したのか、真昼間のわが庭に鼬(イタチ)が現れた。
 網戸越しに見つけたので、妻に小声で「イタチだイタチだ」と言ったところ、聞きつけたイタチと目が合って逃げられた。隣家の垂直の壁をよじ登っていった。
 手ではスマホのカメラを準備したのだが、撮れなかった。なので写真は標識のみ。
 イタチは、返って古い住宅地などにいるものだが、こんな新興住宅街のどんなところに住んでいるのだろう。
 写真を撮りそこなうまでジーっとにらめっこをしていたが、一言で言って実に可愛い。小さな高山のオコジョや北国のテンと遜色はない。
 ただ、糞をされると強烈に臭いので御免こうむりたいが、遊びに来るだけなら何度でも来てほしい。でも、夏野菜の下見だったらちょっと困る。

2025年6月5日木曜日

晴耕雨読

    ガザやヨルダン川西岸におけるイスラエルの蛮行やそれを支持するトランプ政権を見ていると、理解しがたいことがいろいろある。
 そこでだいぶ以前から内田樹著『私家版・ユダヤ文化論』を読み直しているが、第6回小林秀雄賞受賞作で養老孟司推薦という本ではあるが、なかなかしっくりとは頭に入ってこない。(再読中)
 そこで並行して松本佐保著『熱狂する「神の国」アメリカ――大統領とキリスト教』や橋爪大三郎×大澤真幸著『ふしぎなキリスト教』を読み直しているところだ。
 以前にテレビでイスラエルの現職大臣にインタビューしているのを見たとき、「どうしてイスラエルはパレスチナに侵攻するのか」というインタビューアーに対して、「この地は4000年前から我らの地だ」と答えているのを見て驚いたが、4000年前が正しいかどうかは別にして、旧約聖書に書かれている「出エジプト」や「カナンに入植」「エルサレム遷都」という紀元前1000年以上前の「約束?」が根拠だと思われた。
 これでは近代の国際法や民主主義、人権主義と嚙み合わないはずだ。
 せめて近代的な常識を見聞きしてきたであろうアメリカ国民が、こんな前時代的な「約束?」を超克されることを祈るばかりだ。
 国際情勢を見るとき、どうしてもユダヤ教・キリスト教の理解がいる。私のように縁遠い人間にはしんどいが仕方がない。

2025年6月4日水曜日

僕は よし坊

    また買うてしもた。 この種の本はもうええわ!と思っていたのだが、ラジオで著者が、「この時期に出したんは万博の便乗商法です」とあっけらかんと言うのでその根性に魅かれて手を出してしまった。著者は金水敏阪大名誉教授。
 ところが、パッと見には万城目学著のようにも見える「帯」はぎりぎりセーフ??
 内容は、上方の古典落語に出てくるような「船場(せんば)言葉」というよりも、漫才ブーム、お笑いブーム以降の関西弁に焦点が当たっているが、それはそれでよい。
 言語学的分析というよりも、会話は意味が正確に伝わることと同時に面白い方がよい的な大阪文化論でもある。

 私は東京や全国的規模の集まりの中であえて大阪弁を使う大阪人は嫌いであったが、若い頃5年間東京にいたがごく普通に最後まで大阪弁で暮らしていた。
 東京にも普通に大阪弁話者がいっぱいいた。
 周りからは何故東京弁にひれ伏さないのだ!という疑問があったのだろうが、ひれ伏す方がおかしいと感じていた。
 だからこれは言語学を超えた文化論でもある。

2025年6月3日火曜日

10%年金引き下げ法案

    コメ不足は重要な問題ではあるが、古米だ古古米だというパフォーマンス大臣の手柄話(ほんとうは何の手柄話でもないのだが)ばかりがニュースになる中で、非常に大事な「年金10%引き下げ法案」(修正案)が
、予定よりも2か月も遅れて5月16日に国会に提出されたかと思うと、5月30日には自公と立民の談合による修正で衆院本会議で可決された。
 立民の悪口は言いたくはないが、民主主義をナント心得ているのだと言いたくなる。
 私たちの要求は明快だ。物価が上がっても年金は上げないというマクロ経済スライドを速やかに終了せよ。物価スライドは制度の大常識だ。
 人間らしい生活を下支えする「最低年金」を導入せよ。
 それらの財政基盤のためには、厚生年金保険料の上限を現行の年収1000万円から医療保険並みの年収2000万円に引き上げ、短時間労働者への適用拡大を行え。
 参議院の審議がある。あきらめずに主張していきたい。
 黙っていては真綿で首を絞められる。 

2025年6月2日月曜日

6月朔日

    【1】 6月になった。7月の参議院選挙も目前に迫ってきた。
 落ち着いて社会の動向を見てみれば、自公政権や野党の顔をしたゆ党の政治の危険性は解ると思うが、どういうわけか近頃は「ゆっくりと考える」ということが馬鹿にされ(みんな忙しすぎて疲れているのか?)、短い感情的な表現に真実味があるかのような風潮があるのは心配だ。
 そんな中、6月1日の昼に大阪天王寺で共産党の街頭演説会があった。MIO側の通路、高架橋、ハルカス側のベランダと大観衆?だった。
 こういうのはみごとなオールドファッションかもしれないが、こういうものこそ基本のスタイルでいいのではないか。さて、どれくらいSNSで広がることやら・・・・大切なのはここだろう。

    【2】 何日間か散歩をしないうちに桑の実の季節が通り過ぎていったようだ。
 道路上には「来るのが遅いわい」とあざ笑うように実の痕が残っていたが、手の届きそうなところにはもう見当たらなかった。
 〽山の畑の桑の実を 小籠につんだは まぼろしか は、三木露風が大正10年に書いた「赤とんぼ」だが、小籠につんだのは露風の「思い出」だから赤とんぼの飛ぶ季節とは関係ない。
 しかし桑のことなど何も知らなかった私は、勝手に、桑の実は赤とんぼの飛ぶ秋に実るのかと誤解していた頃があった。
 もっとひどいことでは、若い頃、上越線で群馬に行ったとき、「群馬県にはイチジク畑が多いですね」と言って笑われた。もちろんそれは桑畑だった。

2025年6月1日日曜日

ウオッチドッグ・ジャーナリズム

    ウオッチドッグ・ジャーナリズムという聞きなれない言葉を知った。
 
 日本のメディアの印象では、犬や番犬というと、金持ちや権力者に尻尾を振るポチや、権力側が意図的に流す情報操作の手足を買って出る番犬というイメージがするが、ウオッチドッグ・ジャーナリズムとは、『調査報道で権力を監視する(市民の)番犬たるジャーナリズム』のことらしい。
 こんな言葉を知ったのは、記者会見などで時々お目にかかる、公益社団法人・日本外国特派員協会が、いわゆる裏金報道などを通じて「しんぶん赤旗」を2025年報道の自由賞・日本賞に選び、「民主主義におけるウオッチドッグ・ジャーナリズムの重要な役割を果たした」と称えたからだった。
 贔屓目ではなく、森友や桜を見る会以降も続いた赤旗のスクープは日本の民主主義の宝物だと言える。
 昨今、スマホには勝手にニュースの要約が届けられる。しかし少なくないフェイクニュースとも玉石混交だ。スマホのニュースで世界がわかったように考えるのも正しくない。
 だんだん文字を読むのが辛くはなってきているが、活字を手放すと長いものに誘導される。
 在日外国メディアのジャーナリスト並みの常識を踏み外していないかと常に反省しておきたい。
 写真は記事と直接関係はないが、真実の報道が夜明けを準備するという気持ちを込めて、わが街の夜明けを早朝散歩で撮ったもの。