そんなこともあり、鶴岡八幡宮に続いて金刀比羅宮も神社本庁を離脱した。
これで結構有名な神社が相当数離脱していることになる。
神道は教義のない宗教と言われたりするが、本来非常に素朴な宗教であったはずだが、それをやたらに権威づけたのは明治から昭和前期までの皇国史観であった。
その夢をもう一度と策動しているのが神社本庁ではないだろうか。
古代史が好きな私は神社を避けて通れないし、素朴な宗教の儀式も嫌いではない。
だいたいが神や信仰を避けて日本文化特に歴史は語れないから、宗教は観念だ、非合理的だと勉強もしないのでは話が薄っぺらくなる。
そのため、遠くない式内社の夏越の祓式に参加したことも数回あったのだが、あるとき、神社本庁の推進する憲法改正の署名用紙が送られてきてからは、少し距離をとっている。
「本来の素直な神道に帰れ」が私の願いである。
今日は水無月の夏越の祓である。
昨日の記事のとおり、茅の輪はある。
夜にはシャワーの水でみそぎをする。(それはただの入浴だの声もあるが)
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