2024年6月13日木曜日

石部正志「百舌鳥三陵への疑義」

   先日、文化財保存全国協議会の「石部正志さん追悼」の講座を受講した。講師は今尾文昭関大非常勤講師 、テーマは「石部正志著・百舌鳥三陵への疑義・に学ぶこと」であった。

 「百舌鳥三陵への疑義」は、「陵墓」への疑義を学界に堂々と問うことを考古学分野ではほゞなかった1968年に発表されたもので、 その内容をここに記すにはあまりにスペースが足らないが、百舌鳥・古市の巨大な古墳を検討すると、墳丘の企画、側面観の発達、使用尺、古墳の向き、大きさ、等から現状の宮内庁の治定は矛盾が多すぎると説明されている。

 今尾講師は、例えば4世紀末から5世紀初頭に始まった須恵器生産はそれまでの土師器とは大幅に異なる「産業革命」であったが、伝仁徳陵の埴輪が須恵器であるのに対して、その子の伝履中陵のそれが土師器であるという決定的な矛盾も指摘されている。(5世紀以降も煮沸用の土器は土師器であったものの)

 ただ、古事記、日本書紀や延喜式の史料と突合すれば「あっちを立てればこっちが立たず」で、講師は文献史料を疑う必要性を示唆された。(いわゆる天皇陵をしのぐ無名の豪族の墓とか? 後の史料で抹殺された大王(天皇)陵とか?)

 以上のような話は知らなかったものではなかったが、考古学の大先生の著作などを読むと、伝応神陵以降はほゞ現治定を肯定されていたので、「陵墓発掘」が叶わない下では、「そういうものか」と半分は自分自身を「納得」させていたものだったが、メラメラと真相探求の学習意欲が湧いてきた。
 5世紀の史料は馬鹿にできないと考えてきたので、何か振り出しに戻された気がする。

 石部説は、いきおい「河内王朝説」「王朝交代説」つまりは「万世一系の否定」に繋がるようだから、そういう面でも刺激的である。感覚的には乗っかりたい魅力があるにはあるが。
 こんな短い「感想」だが、このようにまとめるだけでも何日も文献を読み返して疲れたのでおしまい。

0 件のコメント:

コメントを投稿