令和6年元日に能登で大地震が発生した。そのことに関連して1月13日に『上時国家文書』を書き25日に『能登の時国家』を書いた。また、時国家文書に関わり深い網野善彦氏については2月1日の『飛礫(つぶて)の神性』で少しだけ触れた。
私が網野史学とも称される網野善彦氏の多くの著作に触れたいきさつは特にはない。書店で面白そうなタイトルだと思ったぐらいが始まりで、目から鱗の問題提起や新説が次々に私を虜にしていった。
そういう乱読の中で知ったことのひとつが能登の時国家で、平家物語のいう壇ノ浦の合戦後配流された平の時忠の子時国を家祖とする家に残された数々の文書が網野善彦氏らによって明らかにされた。
その結果、近世以前の社会が士農工商という社会であったとかという「常識」が、大いに見直さなければならないという網野史学を大いに補強する事実が発掘されてきた。
例えば、「常識」からいうと、能登という土地の少ない貧しい農村の庄屋程度の時国家だが、実際は北前船の大船を何艘も持ち、松前はおろか樺太とまで交易し、「下人」(農奴)と考えられてきたその船頭は自らの判断で千両にも及ぶ商いを行い、親戚筋の頭振(水吞)が何百両も融通したりしている。
網野史学は、時国家は「豪農」というよりも「多角的企業家」であり、百姓=農民、水吞=貧農・小作人という教科書の定説は誤っていると断じている。
こういう教科書的定説が次々に改められる問題提起を読み進むのはワクワクするほど面白い。
写真の網野善彦著『古文書返却の旅』(中公新書)を読み返しながらもうなずいてばかりだ。
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