時間前に到着して、トップグループで廻ったのでゆっくり見学もでき質問もできた。
南北に長い掘立柱の建物が南端をキチンと揃えて整然と6棟並んでいた。
考古学的には「役所や邸宅のバックヤード的な荷捌き広場と倉庫?」のようなものが推測されるという説明だったが、新聞で報道された奈良大学渡辺晃宏教授は「場所的には唐の長安城の国士監や平安京の大学寮の場所なので平城京の大学寮の一部でないか」と述べられている。
左京三条一坊というと、平城京の正門である朱雀門の東南約200mで、メーンストリート朱雀大路に面している(写真の奥の塀は朱雀大路の築地塀)。
ちなみに「長屋皇宮」といわれた長屋王の邸宅は左京三条二坊の一、二、七、八の坪である。
私如きの知識ではそれ以上の推測はできないが、今後の発掘で驚く結果が報告されるだろう。
「そこに埋まっているのは瓦でないですか」と質問すると「奈良時代の瓦です」と返ってきた。そこら辺の倉庫、作業場ではないと思う。
すぐ隣の『平城宮いざない館』で文化庁など主催の『ミニ発掘された日本列島2023』も開かれていて、これも結構面白かった。
埼玉(さきたま)の古墳から「子持勾玉」が出土していた。
ヤマトでいうと「子持勾玉」は大神神社周辺からの出土が有名で、天孫天皇族と一線を画していたような感じでいたので、これも今後いろいろ勉強してみたい。
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