写真のとおり、福娘のコーナーも押し合いへし合いがなく、「姪っ子も福娘をしたんだ
よ」「貴方にもきっと好いことがあるよ」などと、爺さんは若い福娘に語って会話をして年甲斐もなくうきうきした。お恥ずかしい。
これはわが家の「言い伝え」で、エエカッコをして沢山つける年はいいけれどそれを減らす年は縁起が悪いということで、私は「基本の吉兆+1」を守っている。
えべっさんは耳が遠いので、正面で詣ってから裏へ廻り、どんどんどんと壁を叩いて大声で名乗ってもう一度お詣りしないといけないというのは浪花あたりの古くからのしきたりだが、泣く子とコロナには勝てないということで、裏の壁(羽目板)代わりの「銅鑼」はまだ復活していないので、拳で壁を軽めに叩いて帰ってきた。銅鑼はないけれども、きちんと裏でもう一度お詣りする人はいっぱいいた。やはり大阪だ。
大声の名乗りも同趣旨の自粛らしいので、心の中で「夏ちゃん凜ちゃんをお守りください」と叫んできた。
岡本圭岳の句ではないけれど、 十日戎所詮われらは食ひ倒れ はお見事! 悪玉コレステロールめ、こっちにはえべっさんが付いとるぞ。
以前、亡くなった実母が老人ホームに入居していたとき私が福笹をもって行ったことがあったが、母が食堂で「商売繁盛で笹持ってこい」と唄って笹を振って賑やかに入居者が笑いあったことがあった。それだけでもえべっさんは福の神だった。
今回も10日に孫の凜ちゃんがわが家に来て、「商売繁盛で笹持ってこい」を祖父ちゃんと一緒に踊って大笑いをした。
奈良の南市のえべっさんや京都東山のえべっさんも裏や横手をドンドンドンと叩いていましたが今年は再開されていたのでしょうか? どなたかご存知でしたら教えてください。
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