ニュースバリューとは一般に事件の重大性のようにとらえられているが、冷静に眺めていると「大衆受け」という要素が大きいように思う。
その上にメディアは、安倍派にしてもジャニーズ事務所にしても強い者には忖度してきたから、弱い者、少ない者の声は忘れられることが多い。
その一つが発達障害の少年などの放課後デイサービスでの虐待や事故で、この秋に代表者らが逮捕された吹田市の施設では、少年を殴ったり床に叩きつけたり、さらには自閉症の中一生の送迎に正しく対応せず川で溺死させたりしていた。
代表者らが特異であった例外的な事件と信じたいが、全国的には似た事故の件数は少なくない。
それを「なぜか」と考えると、ひとつには、今の社会にあって「公共」という概念が大きく後退しているのではないかということに辿り着く。
私設、私営が絶対だめだとは言わないが、根底に金儲けの思想をおいたのでは運営に魂が抜けてしまう。職員の労働条件も悪ければ質もなかなか良くならない。
老人施設や保育園あるいは障害者施設も同じようなことが言えないか。
なので、新年の抱負を考える時期になったが、日本に「公共」の精神を復活させる年にしたいと思う。
100人死んだら大事件だが1人だけが「理不尽に殺され」てもニュースバリューがない。ほんとうにそうなのか。
当人や家族にとって、事件の規模は関係なく悲しいだろうに。
というメディアの「非常識」も問うていきたいものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿