そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせてさんまを食ふはその男がふる里のならひなり
1991年にオレンジの自由化が始まり、ミカン農家は壊滅しないかと心配したが、補助金や転作あるいは品質改良で、どっこい蜜柑は今も残っている。もちろん周囲には、ミカン農家の屍累々ではあるが。
そこには何よりも、オレンジはオレンジで蜜柑ではないということがあったのではないかと私は思う。
イメージを語れば、テーブルの真ん中に蜜柑が積まれていて、それぞれが手にとって皮をむきながら食べるイメージはオレンジでは似合わないように思う。
さて、このことはこのブログで度々書いてきたところだが、テレビの中でタレントたちが何でもかんでも「あま~い」と叫んでいるのには閉口する。
その影響かどうかは知らないけれど、私の感覚では多くの蜜柑が酸っぱくなくなっている。それにはオレンジ自由化の間違った対抗策という面もあったのではないかと思ったりする。要するに、柑橘類本来の強みを弱点だと勘違いした人間がいたのではないか。
そんなもので近頃は出来るだけ酸っぱそうな蜜柑を探すのだが、外からではそれは判らない。
孫の夏ちゃんではないが、花柚子を剥いて食べるしかないかも。もちろん、花柚子は堅い皮の部分を削ったりしてお料理に使うものだが、夏ちゃんを真似て蜜柑みたいに食べるのも結構いける。
今年に逝ったOさんからはコロナ前には彼の故郷の蜜柑をよく戴いた。「もう手入れしてないから酸っぱいぞ」と言って、重いのをわざわざ大阪市内まで持ってきてくれ、その機会に一杯やったものだ。
返信削除確かに平均よりは酸っぱかったが、孫の夏ちゃんはその蜜柑が好きだった。思い出話だ。