「足を踏まれた者の痛みは踏まれた者にしかわからない」という論があるが、この論を一般化すると人々の連帯はありえないことになる。例えば原水爆禁止の運動は広島・長崎の被爆者しか行えないことになる。なので、この論は大いに問題がある。
だが一方、一面ではある種の重要な指摘事項でもあり、田中角栄元首相が「戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない」と残した名言の重みはいよいよ増している。
東大史料編纂所編『日本史の森をゆく』の中に次のような記述がある。
🔳 過去の出来事の語り手として、その場に立ち会った生存者以上に重要な存在はいない。もちろん、生存者の記憶の不確かさや、語られる時のバイアスに注意する必要があることはいうまでもない。だが、そうした要素も含め、今、目の前に生きている人の発するものすべての中に、その人がいなくなった後では二度と他者の得ることができないものがある。
・・・だが当事者が一人もいなくなった瞬間から、様々な言質が大手を振って歩きだす可能性は、大いに考えられる。🔳
歴史の修正のような大問題ではないが、先日の「災害に関するシンポジウム」の一部を聞いていて、ふとそんなちょっとした違和感を感じた。
講師が阪神淡路大震災を例にとって災害に強い政治課題を語る中で、いろいろな条件を説明しながらも、「自治体の要請がない段階での自衛隊の出動」や、はては理論上の問題として国会の議を経ない政令を法律とする「緊急事態条項」なども研究の対象だと語ったからである。
私の違和感は、それらは、確かに大災害に限っては有効な一手段かもしれないが、憲法のシビリアンコントロール、人権侵害、ファシズム阻止という重大問題を検討したようには聞こえなかったことである。
そこで冒頭の「世代」である。講師は准教授である。年齢は私の息子とほぼ同じである。
そういう世代が大学の先生で、さらに若い世代が指導を受けて学んでいるのだ。
阪神淡路大震災の折、私は大阪市内の中心で日々を過ごした。
ほとんどつながらない電話であったが、「行政電話」を使って兵庫とも連絡を取り、マニュアルも先例もない出来事が当日正午頃から頻発する事態に無我夢中で「答」を出して対応した。
消防も、電気も、ガスも、そして建設も、自治体も自治体などの労働組合も、関係する人々は誰もが「マニュアルがないから動けない」などとは言わずに対応した。
救援物資も直ぐに動き出した。
確かに情報、道路、その他多くの問題はあったが、官民を問わず日本人(労働者)は優秀だった。あえて言えば、その後の「公共」の衰退こそが気がかりだ。
講義は、極めて短い時間であったからでもあったのだろうが、そんな私が1.17で感じた肌感覚が講師の話からは伝わってこなかった。
思うに、『日本史の森をゆく』の指摘は「歴史の読み方」というような話ではなく、当事者つまり高齢者への指示事項である。
「ボーっと生きてんじゃあねーよ」とチコちゃんに叱られなくても、語り伝える義務が高齢者にはある。
当事者の経験は大学教授の勉強結果よりも大切なこともある。そんなことをふと考えた。
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