2023年9月9日土曜日

歴史への誠実さ

 
   戦前の皇国史観(国粋主義)の第一人者であった平泉澄(ひらいずみきよし)教授に学生が「卒業論文のテーマを農民の歴史にしたい」と相談したところ、平泉が「豚に歴史がありますか」「豚に歴史がないように農民に歴史などあるはずがない」と一喝したと言う話はあまりに有名な伝説と言われている。

 これは単に農民を馬鹿にしたというのでなく、国民の歴史などというものには意味がない。支配者の「文字に残した」歴史だけが歴史として意味があるのだという彼の信念によったものだった。時代はそういう時代だった。
 先日書いた松野官房長官の「朝鮮人虐殺の記録はない」発言を聞いて、この国はとうに「戦前」に辿り着いていると愕然とした。
 
 敗戦時GHQの命令で皇国史観に繋がる大学や神社が追放されようとしたとき、あえて火中の栗を拾った国文学、宗教学、民俗学者である折口信夫(おりくちしのぶ)(掲載の似顔絵)がいた。余談ながら大阪は木津の生まれの歌人でもある。それはさておき・・
 つまり彼は、いやしくも神道や天皇を語る場合に避けて通れない、民族派の人々にとっては「大恩人」である筈の学者である。

 先日の関東大震災の記事の折、流言蜚語による朝鮮人、中国人の大虐殺があったが、関西の未開放部落の人や聴覚障碍者も同じく虐殺されたことを書いたが、方言という意味では、沖縄や秋田や三重の人も同じように虐殺された人もいたと言われている(毎日新聞9月1日:記者の目)。

 さて折口だが、そのとき折口は南方へ学術調査に行っていて、4日の正午に横浜に着き、東京下谷の自宅へ向かって歩いていた。
 折口は自宅は東京だが生粋の大阪人である。その上に少々「おねえ言葉」だったと言われている。
 それゆえに自身も何度も自警団に尋問もされ、その過程で朝鮮人大虐殺を直視したのだった。

 折口はその経験を「砂けぶり」という詩に詠ったが、その初出では、・・・おん身らは、誰を殺したと思ふ  陛下のみ名においてー。  おそろしい呪文だ。  陛下万歳 ばあんざあい   と・・・
 「陛下の赤子である日本国民ともあろうものが・・というように表現されてはいるが、他の部分では「朝鮮人になっちまひたい 気がします」とも詠んでいる。

 私は思う。保守だとか右派だとかを自称するならば、最低限この大先輩、大恩人の「告発」を真摯に受け止めよと。
 そういう意味でいえば、官房長官や小池東京都知事は、見解の相違ではなく、歴史に対して不誠実、人格に大問題がありはしないか。

 折口信夫のことについては多数の著作があるが、私は新潮選書:上野誠著『魂の古代学』が好きだ。

 ちなみに、折口信夫は釈迢空(しゃくちょうくう)という号を持つ歌人であり、年に一度短歌界で最高の業績を上げた歌集には「迢空賞」が贈られている。

 〔余談〕「潮干狩り」を「しおひがり」と言う関西人の皆さん。江戸っ子はこれを「ひおしがり」と呼ぶから、貴男は異邦人として虐殺されていたかもしれない。これは余談。

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