2023年2月6日月曜日

寛容の着地点

   駅へ向かう遊歩道に新しく写真のようなステッカー?が地面に貼り付けられた。
 バイクは通行禁止だからこれは自転車運転者に向けて注意というか指導をしているものだろう。
 全くの想像だが、接触等の事故があったのかもしれない。あるいは「住民の声」??

 私はこの道を9割は歩行で、1割弱は自転車で通行しているが、私の経験の限りでは自転車が危ないと感じたことはない。
 反対に、生徒や学生が道幅いっぱいに広がって歩行している、しかも少なからずスマホ歩きをしているのには、「くるまは左ひとは右」と大声で指導したいときが多々ある。もちろん、私は常識ある大人であるからほんとうには声は出さない。

 つまり、私の感覚の限りでは、「自転車も通れるように気配りをして歩きなさい」と歩行者に向かって言いたいところだ(念のためいうが私は9割方歩行者なのだ)。

 ただ、わが家に近い歩道橋から下り坂になって十字路になるところは、どうしても自転車がスピードを出すので、ここにこそこんなステッカーが欲しいがここには貼られていない。そのことはさておき。

 長野県であった公園閉鎖問題を想起する。
 私は騒音対策を求めた人を単なるクレーマーだとは思わない。しかし、閉鎖しか答えはなかったのかという疑問は今もある。

 そういえば、街でも「集会所では飲酒をしないこと」という決まりができた。「酒なんか飲まなくても交流はできる」「あとで使う人の身(酒を嫌う人の身)にもなってみたら」という趣旨だったが、私は「もう少し寛容になれないものか」と反対した。コロナ下で議論は深まらず私は少数意見だった。

 あちこちの公園の立て看板には「ボール遊び禁止」「花火禁止」などの文字が並んでいる。
 わが街の公園にそれを立てようという議論があった際、私は「固いバットやボールは・・」と主張し、「大きな花火・・」とも主張し、そういう趣旨になった。
 「夏の夜に中学生が集まって花火を・・」という方もおられたが、私は「夏の世に中学生が集まって花火をしようというのは健全な思春期の表れだ」と屁理屈を開陳した。

 同調圧力、マスク警察ではないが、寛容の着地点は難しい。

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