阪神淡路大震災の折、私は大阪市内の馬場町のバス停を降りて驚いた。 周囲のビル群の中で、私の出勤すべきビルだけが桁違いに窓ガラスが割れていたのだ。
その理由が、古い建築で「がっしりした」建物のため、柔構造でなかったためだということは後に知った。
その理由が、古い建築で「がっしりした」建物のため、柔構造でなかったためだということは後に知った。
神戸周辺の、いわゆる近代建築に大きな被害があったのも同じ理由だろう。考えさせられる。
先日、興福寺五重塔の特別拝観に行ってきた。
いうまでもないが、鉄骨やコンクリートとは無縁の木造建築で、釘も使われていない。
土台の石の上に固定されずに柱が立てられていて(ひょいと乗せられている感じで)、塔の四隅も同じで、全体が四隅ではなく、その一本の心柱で支えられている。
これが普通のお寺の本堂のようなものなら何となく納得もできるのだが、あの高さである。
究極の柔構造だとほんとうに感心した。
拝観の周りのみんなは安置されている仏像に感心されていたが、私は心柱の土台を覗き込んで圧倒されていた。
牽強付会ではないが、歳をとると頭は固くなる。待て待て、柔構造こそが強いのだと反省しながら帰ってきた。
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