2022年5月31日火曜日

おさがり 2

   2021年10月31日衆議院議員総選挙投票日にブログにあげたが、アウトドア用品メーカーのパタゴニアが新聞に全面広告を打った。さすが山男・山ガールだと私は感動した。

 なので、こういう企業はできるだけ応援したいと思ったが、あいにくわが家周辺にはパタゴニアの商品を置いている店がなく、そのまま時が過ぎていた。

 そして先日、孫の夏ちゃんがパタゴニアのキャップを被ってやってきたので「欲しい」というと、いとも簡単に「いいよ!」とプレゼントしてくれた。

   ということで、孫のおさがりを喜んで被っている次第。

 参議院議員選挙は目前だ。
 アウトドアに因んでいえば、戦争ほどひどい環境破壊はない。自然を愛する人々はその一点でも軍事費拡大軍備拡大に反対する政治を希求してほしい。

 パタゴニアを被る限りは去年の新聞広告を胸に「これからの政治」を展望したい。

2022年5月30日月曜日

おさがり 1

 心臓の持病とコロナの巣籠りによる体力の低下が著しい。
 それゆえだろう、さらにあちこちの検査結果が悪くなっている。こういうのを負のスパイラルというやつだろう。
 QOR(クオリティ オブ ライフ)(生活の質)などというのは遠い遠い先の、老人ホーム入居の頃の課題だと思っていたのが、現実のテーマになってきた。

 で、緊急家族会議(二人だけ)の結果、健康回復には自転車が良いということに一決し、善は急げと購入に出かけ、車輪の小さな電動アシストママチャリを購入した。
 なぜ車輪の小さな(24インチ)ママチャリになったかというと、購入したそのママチャリは妻が使用し、古ぼけた電動アシストママチャリが私に「おさがり」されたわけである。

 早速、今までなら自動車を使っていた買い物にサイクリングよろしくペアで出かけたが、電動アシストにもかかわらず早速膝の外側に痛みが走った。走るのは自転車だけでよいのに・・。
 それほどまでに体がナマっていたわけだ。

   ウォーキングなら暑すぎる日でも、これなら短時間、風を切って出かけることも可能だ。
 といって三日坊主になる心配もあるが、まあ「おさがり」だから、妻が最新の電動アシスト車で気分よく出かけるだけでも良しとしよう。

 火野正平氏ほどカッコ良くはないが、バッテリーにおんぶにだっこで喘いでいこう。

2022年5月29日日曜日

ホトトギス

   卯の花の下の道が落花した花びらで真っ白に彩色されて、そろそろではないかと待っていたら、5月29日の夜、ベランダのドアを開けたままポスティングの準備作業をしていたところ突然大きな声がした。

 「夏は来ぬ」にあやかった名前の夏ちゃんに敬意を表して挨拶に来てくれたのか、それとも「夏だ夏だ、熱中症に注意だ」と触れ回っているのか。いずれにしても大層な声である。

 ということで、記録のために書いておく。
 もちろん夜なので写真も採れず、ネットの写真を掲載させていただく。

 特許許可局 特許許可局

再び ジャーナリスト・マルクス

   内田樹著『常識的で何か問題でも?』朝日新書に『ジャーナリスト・マルクス』という小節があることは以前に書いた。
 
 そのことを再び俎上にあげたくなったのは、参議院選挙目前の現在、情報発信の大切さをもう一度噛み締めたいと思うからである。

 世の中は、普通に企業の経営戦略でも情報発信が決定的に重要だと位置づけられているが、ならば民主運動のアクティブな人々一人ひとりがジャーナリストになる気で「発信」することがそれこそ決定的に大切なことだと思う。

 確かに、個別にはあれこれ理由はあるものの、無理をしてでも頑張りたい踏ん張りどころの気がする。

 若い頃先輩から「機関紙中心の組合活動」と教えられたものだ。
 新聞づくりのような地道なムーブメントを忘れて、賢い大演説や大論文で社会が変わるなら楽でいい。そんなことはありえないだろう。

 いま「ジャーナリスト・マルクス」をキャッチコピーとして復権させたい気持ちでいる。

2022年5月28日土曜日

墨者のこと

   故半藤一利さんの妻で夏目漱石の孫の半藤末利子さんが先日「徹子の部屋」に登場されていて、半藤一利さんの最期の言葉が「墨子を読みなさい」だったと語っていた。
 「墨子は戦争反対を徹底して主張していた」からだという。

 そういえば半藤一利著『歴史と人生』にこうあった。
 墨子はあに侵略戦争のみならんや、骨の髄から戦争そのものを嫌った。いかなる戦争にも正義はない、と説きに説いた。戦争をなくそうと主張した。攻めるほうにも守るほうにも戦いをして何一つ利するものはない、害あるのみ、と説いた。ただいたずらに人々の生活が破壊され、大量の物質が消費され、何の罪もない人の生命が奪われるのみ。治国平天下、ヒューマニズム(兼愛)によって平和を維持して、人びとを安穏幸福たらしめよう、それこそが人間のなすべきところ、と墨子はひたすら奮闘努力しつづけたのである。・・と。

 さて墨者・墨家について「白川静の世界Ⅲ思想・歴史」では、彼らはもと百工とよばれた器物などの制作者で、「墨子」に機械や兵器の製作などの技術に関する内容が多いのは、墨子の学の成立した基盤がこのような製作者集団であったことを示す。(中略)墨子集団は非常に実践的性格を有していた・・と指摘されている。

 これを言いかえれば、目線があくまで庶民に向いており、技術の底の自然科学を信じていたと言えようか。例えば、建物を建てる場合、いくら夢のお告げだ、あるいは風水だと言っても、細い少ない柱で重い屋根は支えられないから、観念論は意味がない。

 確かに、魂を悪魔に売れば技術開発は非人道的な兵器や戦争に向かうが、一般的には技術の延長で自然や社会をありのままに見れば、為政者の嘘に騙されることはない。いや少ない。

 書店で墨子を手にとっては見たが、当座の我が生活と天秤にかけて高価なのでひっこめている。いつかは読むつもりだ。

2022年5月27日金曜日

コサックの英雄

   ソロキャンプが流行っている。そのため、アウトドア専門店どころか普通のホームセンター、果ては普通のショッピングモールでまでキャンプ道具が前面に陳列されている。

 その中に懐かしい『タラスブリバ』のロゴ(ブランド名)を見つけた。
 そのロゴは、今は『スポーツオーソリティー』のブランドになっているが、かつてはオニヅカ そしてアシックスのブランド名だった。そのブランド名の道具を私はいくつか持っていた。

 遠い記憶だが、椎名誠氏あたりの本ではなかったかと思うのだが、このロゴの道具を提げて今のウクライナ辺りを行ったとき、「このロゴの名前はよい」「誇るべき英雄の名前だ」「ただ少しだけスペルが変わると大バカ者になる」「そんな名の道具だったらこの地は歩けなかった」と言われたというような趣旨の話を読んだ記憶がある。大バカ者になるスペルは忘れた。よく似た名前の有名な大バカ者がいたということだったか‥ロシア文学者のご教示を乞う。

 タラスブリバ=隊長ブーリバはゴーゴリーが小説の題名にもした、コサックの連隊長で1630年代、対ポーランド反乱の時代のその地の英雄である。

 現代、世界中の耳目が注がれている地でもあるので、先日から黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』を読んでいる。そんな中でブランド名『タラスブリバ』を見つけたので少し嬉しくなったというだけの話である。

2022年5月26日木曜日

貝になりたい

   『私は貝になりたい』は、現TBSテレビで1958年に放送されたテレビドラマで。元陸軍中尉・加藤哲太郎の獄中手記「狂える戦犯死刑囚」の遺書部分をもとに創作されたもので、第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した全く凡人の理髪店主が、戦後C級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描いた重いドラマだった。
 どういうわけか私はこのドラマを見ており、幼いながらも戦争とはどんなものか、人生とは、死とはとどういうものかとトラウマになるくらい深刻に考えた作品だった。そのトラウマが蘇ってきそうなニュースがあった。

 それは、ウクライナ侵攻中に自転車に乗っていた民間人男性を殺害したとして、戦争犯罪として初めて起訴されたロシア兵に対し、ウクライナの首都キーウの裁判所は23日、終身刑を言い渡したというニュースだった。被告の21歳のロシア兵は上官の命令によって射殺したと述べていた。

 これと同じことは、否もっと組織的に大規模に、日本軍がしてきたことだった。それは膨大な証拠隠滅、焼却処分があったにもかかわらず、残った公文書である陣中日誌にも書かれているし、多くの軍隊経験者が「度胸をつけるため」と言われて命じられ実行したと証言している。

 もう一つ、アイヒマン裁判のことがある。元ナチ官僚アイヒマンは法廷で裁かれたのであるが、実はこの男は、非人間的な悪魔でもなんでもなく、極めて「つまらない男」であった。彼は終始一貫「自分は上からの命令に従っただけである。その命令を覆す権限は自分にはなかった」と繰り返した。それでもイエルサレムの法廷は、独裁体制の下でも個人の責任は問われるとして処刑を言い渡した。

 戦場の局面では討論も時間もない。それが戦争だろう。
 戦争になったら、私も「戦争犯罪人」になるかもしれない。
 幸いわが国には憲法9条がある。戦争に勝つための議論よりも、戦争にならないようにする議論の方が重要である。

2022年5月25日水曜日

国際化は止まらない。

   『池の水ぜんぶ抜く』というテレビ番組があるが、外来種の数は「多い」というよりも「圧倒的」な感じがする。 

 例えば食料資源のダメージが危惧されるようなことがない限り、眺めるしかないような無力感さえ覚える。

 それに、外来種だけが悪いのでなく、在来種の生きにくい環境破壊も一因ではないだろうか。

 新型コロナのパンデミックもそうだが、ほんとうに地球は狭くなった。国際化の流れは止まらない。

 家の近くで見たことのない蜂を見た。クマバチのような飛び方だが、ほとんど毛が無い。ハナアブのようだが触角がアブ(ハエ目)のそれではない。不思議だ。

 普通であればこれ以上は分からないのだが、ネット社会の情報量は大きい。
 ということで、台湾竹熊蜂(タイワンタケクマバチ)という外来種らしい。
 如何にも国を跨いで侵入してきた、まるで鎧をまとった軍人のような精悍さがある。

 国を超えた軍の侵略といえばロシアによるウクライナ侵略と重なって見える。
 Imagine there's no countries とジョン レノンが歌ってからどれぐらい経っただろう。

2022年5月24日火曜日

マスコミのマスク警察

   政府が屋外等でのマスク着用の緩和を打ち出したというニュースがある。それ自体には異論はないが、マスコミの報道姿勢には首をかしげることがある。

 第一は、このブログでも紹介したように、昨年夏にも熱中症予防のため密にならない屋外ではマスクの着用は不用、特に子供には熱中症のリスクになると、厚労省は大きく言っていた。それを、ほとんど報じなかったマスコミに反省はないのかと思う。

 第二は、マスクは一般に緩和だが、それでも電車内ではマスク着用、つまり、屋外以上に車内の感染リスクがあるというに述べていることだが、かねがね私などは、密を避けるという意味では電車の連結数の縮小やダイヤ縮小はよくないと主張してきたが、根拠もなく「電車のリスクは低い」と言って鉄道大企業の儲け主義を容認、放置してきたマスコミに反省はないのかとも思う。

 そして市民だが、同調圧力というか過剰反応というか、与えられた知識を咀嚼して自分で判断することを嫌がり、誰かに決めてもらい指図してもらいたい根性が垣間見られるのが愉快でない。

 ロシアのテレビがプーチン支持の集会の様子を映していたが、認知反応よりも感情反応が優先している日本国民は、プーチンのロシアと紙一重でないかと心配する。

 粛々とニュースを報じればよいものを何の合理性もなく現場近くの路上から報じる。あるいは話題の人物に「○○さん、○○のことはどうですか?」的な言いっぱなしのマイクを突き付ける「絵」を流す。すべて感情反応に訴えるいわば「やらせ」に通じていないか。

 熱中症に気をつけなければならない気候だが、こういうマスコミの姿勢に、背中に寒いものを感じるのはどうしてだろう。

2022年5月23日月曜日

河原鶸(カワラヒワ)

 カワラヒワ。窓の向こうにやってきたのでパチリ。
 しかし酷い曇天のため折角の衣装が目立たない。
 それでも、キリキリキリキリ ビューン と賑やかな声は変わらない。
 短く太い嘴はヒマワリの種など堅い殻を破って上手に食べる。
 それに写真ではシャッターチャンスが難しいのだが、翅を広げて飛んでいるのを下から見上げると翅の黄色い模様が透かし彫りに輝いて美しい。
 珍しい鳥ではないので無視されがちだが、正当に評価されてもよい美鳥だと思う。


2022年5月22日日曜日

父の日や

   母の日に比して影の薄いのが父の日で、娘ファミリーも母の日プレゼントのついでに「来月の父の日分」と言ってプレゼントを持ってきてくれた。もちろん、それで結構。それで十分嬉しい。 

 贈ってくれたのは四つ折りの折り畳み傘で、雨天にも使える日傘だった。

 気候変動で猛暑日が日常となった今日、非常に実用的な品物だが、自分の若い頃の記憶だと、男の人で日傘をさしているのはほんとうのお爺さんだけだったから、娘から見て私がそういう風に見えているのかと小さな動揺を胸の奥で感じた。いや、気候変動対応の最適アイテムだと素直に喜ぼう。

 父の日は、1909年にアメリカの教会で始まり、7年後には全米に拡がったらしい。さらには、私にとってはベトナム戦争の悪役のイメージが強いジョンソン大統領が1966年に大統領告示で定め、1972年からはアメリカの国民の祝日となっている。

 それに比べて日本では1981年からある種のキャンペーンが行われ、ただただ大型小売店の商魂によって普及?して今日がある。やっぱり影が薄いというか、安っぽい父の日という印象のままである。世代の相違かもしれないが。

   父の日や日傘贈らる歳となり

2022年5月21日土曜日

パルメット

   忍冬(にんどう)(スイカズラ)の白い花が金色に移り、花の舞台を次の植物にバトンタッチしつつある。

 忍冬というと飛鳥から平城(なら)の時代の仏たちを飾る『忍冬唐草紋(にんどうからくさもん)』が思い浮かぶが、遠く故地はギリシャ、ペルシャにしても、仏像と結びついたのはパキスタン北西部のガンダーラである。
 そんなもので、連想ゲーム的に中村哲医師もこんな紋様を目にしていただろうかと想像したりする。

 「弦や葉が正確には忍冬ではない」という説もあるが、「忍冬唐草紋」でいいのではないだろうか。

 なお「スイカズラ」とは、子どもたちがその花の蜜を吸って遊ぶところから「吸葛(スイカズラ)」というらしいが、実際にはそれほど甘くも感じなかった。

   旧暦ではまだ4月つまり卯月(うづき)で、卯の花の季節である。

 花木にはいろんな言い伝えがあり、妻は小さい頃に「空木(うつき)の箸は骨上げの時の箸」と聞いて印象が悪いらしいが、実際の花にそんな陰鬱なイメージはない。

 それどころか、万葉の昔から「打つ木(うつき)で地面を打ち邪悪な土地の悪霊を追い出す」風習もあったというから、めでたく神聖な木といってもよいぐらいだ。
 何よりも 〽卯の花の匂う垣根に のとおり、季節を代表する花木のひとつである。

2022年5月20日金曜日

落とし物

   買い物がてらの散歩コースは自転車走行可のためか、よく落とし物がある。
 それを、見つけた人が、探しに戻ってきた人用に街路樹の解りやすいところに掛けていてくれたりする。
 キーなんかはそれで助かることだろう。
 腕時計がそのように掛けられているときもあった。腕時計が安くなったということもあるかもしれないが、それにしても何となく”この街はいいなあ”という気がする。

 その道で、コロナ禍以降”落ちマスク”をよく見かけるようになった。そして、それを例によって街路樹に掛けてあることも・・・、でも、いくら何でもマスクは拾いに戻ってこないだろうと思いながら私は通り過ぎている。

 先日は、わが家の玄関先の道路中央にマスクが落ちていた。万が一取りに戻る人がいるかも・・と思ってしばらくそのままにしておいたが、そのうち、マスクなんか取りに戻る人もあるまいと思って、ゴミ袋に取り込んだ。ごみ収集日だったので程なく収集されていった。

 その日、妻がマスクを失くしたと言った。私がプレゼントした”オシャレマスク”である。マスクなんか普通には落とさないものだが、考えられるのはクルマから降りる際に荷物をあれこれ持ち降りるときの可能性大ということだった。

 わが家の家の前でクルマから降りる際??
 他人の落ちマスクなんかと全く観察もせずゴミ袋に入れたが、よくよく考えると、何ということはない妻のマスクだったに違いない。間違いない。
 それも、少し”よそゆき”のマスクである。

 そうして、あまりに残念がるので、同じものを再び購入して妻にプレゼントした。
 東大寺大仏殿内限定の品で、日本製ハンドメイドのちりめんマスク、模様は正倉院紋様の花喰い鳥だ。
 これできっと”疫”も落ち去ったことだろう。南無毘盧遮那仏さま、大難小難、大難小難。

2022年5月19日木曜日

   「ラジオで”首相と総理大臣の違い”を語っていたがよく解らなかった」と妻が言ってきたので、「”大臣”というのは君主の僕(しもべ)の意味が強いから、共和制の国も含めて国際的には各”相”のトップという”首相”が使われているのでないか」と答えたが、よく考えると”相”自身が”大臣”の意味だから的外れではないが正解でもないようだ。

 ”相”という字には「助ける」という意味があるということは、以前に半藤一利氏の『歴史と人生』(初出『歴史のくずかご』)を紹介した記事で書いたが、やはり”相”は”大臣”だから、私流の理屈を通せばアメリカ流の”長官”あたりが国際的なスタンダードかもしれない。
 ちなみに”総理大臣”は日本国憲法に書いてある文字で、いわば固有名詞のようなものであろう。

 ”相”について搔い摘んでみると、
 三省堂の大明解漢和辞典では、大臣だとか助ける、補佐役等の説明はあるが字源の言及はなく、
 新潮社の日本語漢字辞典では、「解字」をあげて、木+目として、見ることによって呪的な交渉に入ることから互いに助ける意となる。一説に、木に上ってみればよく見える意を表す。とある。

   そして、平凡社の白川静常用字解では、盛んに生い茂った木の姿を見ることは樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので「たすける」の意味となる。助けるというのは樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから「たがいにする。たがいに。あい」の意味となる。また「すがた。かたち」の意味にも用いる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振りの力があると考えられたのである。中略、万葉集にも「見れど飽かぬ」「見れど飽かぬかも」「~見ゆ」という形式の歌が多いがみな同じ魂振りの観念である。そのような思いで想うことを想という。

 ということで、青葉盛んな今、私はできる限り樹木を眺めるようにしている。
 楝の花が咲き始めた。

2022年5月18日水曜日

見えた!カジノの実体

   新型コロナウイルスに関する臨時特別給付金4630万円の誤送金を受けた(理由のない不当利得を手にした)山口県阿武町の24歳の男性の弁護士が16日に記者会見し、男性が「海外の複数のカジノサイトで全額使いきった」と話しており「現実的に返還が難しい」と話したと報じられている。

 真偽は判らないが、仮に相当部分が真実だとしたら、元本である4630万円を返す前に、カジノで利ザヤを稼いで儲けようとしたに違いない。
 そして、負けても負けても「次に一発当てたら取り返せて釣りがくる」と考えて地獄に落ちたに違いない。そういう想像(推定)は難しいことでなく、博奕であるカジノに関する常識である。

 真偽の2として、もし報道されているようなことが嘘だとしたら、カジノというのは、お金を隠す”言い訳”に最も手っ取り早い手段であることが再確認される。マネーロンダリング(汚れた金の資金洗浄や資金隠し)の一例だ。

 さて、大阪の維新の府市政はそういうカジノ(要するに賭場)を公然と開帳しようとしている。
 疫学的には、ベトナム戦争の頃米軍基地周辺で性病が多発した。同様に、カジノの周辺で犯罪や不幸が多発するのは火を見るよりも明らかだろう。
 カジノが博奕である以上、顧客全員が勝つことは絶対にありえないからだ。カモは日本国民だ。

 ギャンブル依存症、それに伴う家庭崩壊、失業、自殺、治安の悪化は昔から明らかだった。
 そも賭博の禁止は、持統3年(西暦689年)持統天皇による双六(すごろく)禁止令からの国是でないか。
 胡散臭い「カジノで儲かる論」は、横浜でも和歌山でも良識をもって否決されている。
 今こそ大阪の理性や常識が問われていないか。

桑の実

   散歩を兼ねて妻と買い物に行った帰り、ご近所の私より年上のご婦人と出会った。

 妻とご婦人が”おしゃべり”になったので、私はすぐ横の桑の実を口に放り込んで「お先に!」としたが、妻はなかなか帰ってこなかった。

 理由は、ご婦人が「ご主人がそこの実のようなものを食べておられたがそれは何ですか?」となって、ひとしきり桑の実の解説をしている途中で他の散歩途中の高齢のご夫妻も加わったらしい。

 そして、この散歩道では春秋に茱萸も採れること、もうすぐ山桃が実ることも話すと、「何処のどの木ですか?」となり、あちこち、木のある所まで移動して実地に案内したらしい。

 出身の環境次第でこんな話も「初めて知りました」と驚かれたそうだ。(皆さん自然の少ない都会育ち?)
 少なくとも山桃だと、シーズンには道路上一面に落ちていて100%(ほんとうに100%)目にされているはずだが、関心を払わないと見えていても見えないものだ。

 その方々は、茱萸も桑も山桃もご存知ではなかったが、ここのお家はお婆さんがなくなったとか、そこのお家は入所されたというような情報はいろいろご存知だったらしい。
 人間って面白い。

2022年5月17日火曜日

青蛙

   ”青蛙おのれもペンキぬりたてか”は芥川龍之介の句。

 わが家周辺ではこれから田植えが始まるところだ。
 田に水が入ると、夜間ベランダで洗濯物を干すときなどニュータウン外から見事な合唱が聞こえてくる。少し待ち遠しい。

 さて、我が家からクルマでほゞ一直線に20分で奈良公園に着く。
 そんなもので用事のついでに気安く某庭園に青蛙を尋ねたところ、池の周辺が工事中ということで今年は入れなくなっていた。
 ――が、毎年来ているということで、特別に通行止めのところを入らせてもらえた。

   モリアオガエルの卵胞、今年は5~6個も固まっていたが、樹上の高いところにはまだできていなかった。
 これからもっと増えるか、しかし、工事の音で敬遠されないかという心配もある。

 親は母蛙も父蛙もいた。工事の関係で近づけないしスマホしか持っていなかったので、親の写真はパッとしない。
 掲載の写真は父♂で小さい。

 毎年なら新聞にも載り、テレビでも紹介されるが、今年は工事のため一切なしにするらしい。なので、基本的には訪ねても見られない可能性が高い。

 昔に比べると春日大社周辺の幾つかの池で近年は見かけなくなった。
 SDGsではないが、環境は相当悪化している実感がある。


2022年5月16日月曜日

眠れない夜に

    フェイスブックで、ラジオ深夜便で流れる日野美歌さんの「明けの明星」の記事があったが、『ラジオ深夜便』は隠れたヒット番組、高視聴率番組である。

 ただ、一般に高齢者は眠りが浅くなるが、そういう一般論以上の理由はないかと少し心配もある。徹夜をしながら執筆したりしているのだとよいのだが。

 寝床に入ってからもなかなか眠りに入れない。途中でトイレに起きると後が眠れない。理由は「あれこれあれこれ」と要らぬ心配事などが過(よ)ぎるからである。
 俳優や芸能人の不幸が報じられたが、コロナ禍で触れ合いが極端に制限された影響もあるかもしれない。

 我が夫婦も以前から原因不明の体調不良が複合的に起こっている。
 ただ、足腰の不調で整形外科に行っても「特になし」、内科や循環器科に行っても「特になし」、結局心療内科で「これでも飲みなさい」とおまけのように貰った睡眠導入剤で体調が回復しつつある。

 俗にいう自律神経失調症みたいなものだと、回復してからは冷静に語ることができるが、不調の当時は「絶対に大きな病気に違いない」と信じ込んで、病名も投薬もない医師に憤慨する。

 ということで、文化としてラジオ深夜便を楽しむのは大いに好いことだが、その睡眠不足はどこかに皺寄せられているはず。
 ラジオ深夜便もよいが心療内科も悪くない。

2022年5月15日日曜日

ちひさきもの 4

   今日5月15日は沖縄の本土復帰(1972年)後50年の節目である。
 「ちひさきものはみなうつくし」がこの国の美意識でありその精神が伝統だとしたら、この小さな島に全国の米軍基地の7割を押しつけて知らぬ顔を決め込んでいる政権と、その与党に日本の文化や伝統を語る資格は全くない。

 50年の節目とあって先日来新聞テレビがいろんな特集を組んでいるが、たまたま視聴した『笑う沖縄百年の物語』(NHKの再放送)も実によかった。

   NHKのコピー(文句)を転載すると、🔳沖縄戦、米軍統治、基地問題と厳しい歴史をたどってきた沖縄で民衆の心を支えてきたのが「笑い」だ。
 沖縄の笑いには、権力者への風刺と沖縄への愛情があふれている。本職は医師でありながら「沖縄のチャップリン」と呼ばれた小那覇ブーテン、 「ワタブーショー」で大人気を博した照屋林助、 沖縄文化を堂々と打ち出した「笑築過激団」、 米軍基地を笑い飛ばす「お笑い米軍基地」など、沖縄の笑いの歴史を集大成したドキュメンタリー🔳となる。
 
 ネットを繰ったら下記のアドレスの『dailymotion』にその番組(たぶん)の動画があった。約1時間だが、時間が許せば視聴をお勧めする。

https://www.dailymotion.com/video/xnthxk

 番組中の「お笑い米軍基地」のひとつのコントは何故か少し控えめだった。
 私が以前に知っていたのは、『お爺さんが危篤で縁者が見守る中で遺言を言い始めたが、飛び立つ爆撃機の爆音にかき消され誰も何も聴き取れぬまま爆音が去ったときにはこと切れていた』というものだった。

 そういう桁違いのブラックジョークに、「あるある」という感覚で笑いで応じていた観客であるウチナンチュー(沖縄人)の底抜けの悲しさと逞しさに、私は笑いを忘れていた。

 人間は余程意識的に勉強しないことには、自身が生まれる前の出来事は歴史物語のように感じるものではないだろうか。それが離れた地のことならなおさらだ。
 私の場合は、就職して、わずか3~4歳年上の先輩が「焼夷弾の下を逃げまくった」と語るのをなかなか実感できなかったし、上司たちの戦場での体験談は全くの物語だった。

 だから現在、娘と話していて、「あなたが生まれる少し前まで沖縄は”日本”でなかった」「復帰直後の沖縄に行ったが、金網の外でも車を止めて基地を覗くことはできなかった」というのを、「へえ~」という風に(ええ大人である)娘は反応した。50年というのはそういうものである。そういう人々が人口の少なくない層を占めている。

 「語り継ぐ大切さ」をしばしばコメントにいただくが、いくら微力であっても語るのと語らないのでは決定的な違いがある。

2022年5月14日土曜日

婢(ひ)千人

   「婢千人を以って自ら侍らしむ」は魏志倭人伝の卑弥呼のところの叙述である。

 先日からBSーTBSで『関口宏の一番新しい古代史』という番組が始まった。入門編のようであまり期待もしていないが、吉村武彦氏、松岡正剛氏と共に進行されるので、おおむね好意的に視聴している。

 そこで、先の「婢千人を以って自ら侍らしむ」のところだが、「女性が千人も?」という関口氏の問いに吉村氏は、「千人もいればその食事だけでも大変で、千人は誇張だろう」と答えていた。それで終わりだった。

 さて、それでよいだろうか?。精確な数字ではなくてもそれは何らかの重要な事実を表現していないのだろうか。
 少なくとも、卑弥呼は女性の奴婢を大勢使用していたのはどういうことなのか。

 相当以前に『邪馬台国と鉄の道』の小路田泰直氏の講演を聞いた時、「半島の鉄の入手を考えるとき、(九州にしても畿内にしても)倭は、何を持って行って鉄と交易したのか?」と講師が語られて大いに刺激を受けたことがあるが、先日、小笠原好彦先生の『古代の絹生産と貢納』の講義でこの点を同様に指摘され、遠い記憶と結びついていく感じが嬉しかった。

 大勢の婢は、桑の栽培、養蚕、糸取り、機織に従事したのではないだろうか。
 そうして作られた錦、綾等の絹製品こそ、鉄の代価ではなかったか。
 倭人伝でも、卑弥呼は斑布を奉じている。
 それを、「千人は多すぎるから誇張だろう」で読み飛ばしていいはずがないが、ほとんどの関連する著作類ではほゞ読み飛ばされている。

 魏志の国つまり中国では政治のことが中心に史書が書かれているが、「政治は経済の上部構造」という厳粛な事実を踏まえて勉強を進める必要があると思う。こういうことを考えるのは楽しい「趣味の時間」である。

2022年5月13日金曜日

予知

   国鉄に「特急つばめ」というのがあった(九州では復刻されている)が、見た目でいうと燕の飛ぶ速度は特急にふさわしく早く見事である。
 そして燕は人家の玄関などに巣をつくるから馴染みも深い。
 燕が巣をつくる家は栄えると言われて喜ばれるが、毎年来ていた燕が巣作りに来ない年は不幸があるとも言われたりする。
 その「不幸の予知」が嫌だからと、慶応生まれの私の祖母などは燕の巣作りを嫌った。 

 「不幸の予知」というとその最たるものは人間ドッグではないだろうか。
 永久の命がない以上、やたらに病気を発見されて闘病生活に入るか、知らずに健康を信じて生きるか毎年迷っている。
 発見された時に「手遅れでした」と言われて悔いが残るかどうかだと思ってとりあえずは受けているが。

 病院通いを続けているが、昨年でいえば、X線、造影剤、MRI、CT、エコー、血液、尿、腫瘍マーカー、心電図などなどいろんな検査をした。確かに図や数値を示して説明されると解りやすいが、どうも医師の関心は生身の私よりもデータの方に向いているように思う。
 心電図なんかは、「全く問題ありません」と言われてその病院の帰りに不整脈を発症したのだから、数分/(何日×24時間×60分)のデータでしかないから、その瞬間は正常でしたという事でしかない。燕の予知の足下にも及ばない。

2022年5月12日木曜日

初夏の先触れ

 連休が明けて感染者数がどうなるのか未知数だが、翌週の奈良公園には修学旅行生が戻ってきていた。子どもたちの声の賑やかなのはよい。

 所用のため奈良公園を横切っただけのため、こんな動画しか残せなかった。声は夏鳥であるキビタキ(黄鶲)。姿は撮影直後に飛んで行ったので映っていない。

 ルリコガネ(瑠璃黄金虫)は2匹ほど私の近くに飛んできた。修学旅行生がおれば、集めて一講釈するのだが、そんなときに限って遠くにいた。


https://photos.app.goo.gl/oFSuXiAZEayBeGRB7













2022年5月11日水曜日

支援いろいろ

   友人の鉄ちゃんからストラップが送られてきた。
 四国の『ことでん』(高松琴平電鉄)が、ウクライナの鉄道従事者を支援するために、ウクライナの国旗色にラッピングした電車を走らせ、その電車をデザインしたステッカーを発売し、売り上げを全額ウクライナ大使館に寄付するので、早速購入したそうだ。
 そして、デザインを借用したストラップを作ったとして送られてきたものだ。

 「それは何ですか」というような会話が拡がればいい。
 微力であっても無力でない。いろいろな方法、けっこう。
 ただ、私もウクライナ国旗の2色を背景にピカソの白い鳩の缶バッチをサコッシュに毎日着けているが「それは何ですか」と聞かれたことはない。ううううう。

   さて、河島英五所縁の TenTen Cafe に褒章のようなものが飾られていた。店員に聞いても判らず、問い合わせてもらったら、「難民支援のチャリティーコンサートを開いて全額寄付したことへの褒章」ということだったが、私は知らなかったし、この情報が正確かどうかも分からない。
 まあ正確な情報はどうでもよい。
 世界には難民が溢れている。そして、私の感覚でいえば、白人のキリスト教徒以外の人々への支援は幾分冷たい気がする。特にニッポン。

 また、闘病していた友人からもメールをもらった。いくつかの手術を終えて身障者手帳1級の認定を受けたらしい。
 それでも憲法記念日には「憲法改悪反対」のスタンディング行動に参加したという。頭が下がる。
 闘病の結果顔が少々貧相になったので髭を伸ばし始めたとも。病気を言い訳にして後ろを向かないその根性も素晴らしい。

 毎日の新聞配達を始めた先輩もいる。
 コロナもあり、何となく閉塞感も感じないこともないが、そういう皆さんからパワーをもらっている。みなさん、ありがとう。

2022年5月10日火曜日

泡吹き虫の涙

   京都・愛宕山中腹の月輪寺(つきのわでら)の桜は春に葉から雫が垂れて落ちるので、時雨桜(しぐれざくら)というらしい。
 この桜は親鸞聖人が植えたと伝わり、法然上人との別れを惜しんで、桜を通して涙を流しているのだといわれる。

 同じ現象を南フランスでは「カッコウの唾(つばき)」といい、托卵のために飛び回るカッコウが撒き散らした唾だとファーブル先生が紹介している。
 「カッコウの唾」という見立ても悪くはないが、贔屓目もあり私は「時雨桜」に一票を投じたい。

 さらに創作を許してもらえれば、ウクライナの人々に対して樹木(シマトネリコ)も涙を流していると解したい。

   種明かしは「泡吹き虫」の泡とそれが滴り落ちたもので、無理やりに泡から泡吹き虫を引っ張り出したのが2枚目、3枚目の写真。緑のシートの1区画が5mm四方だから小さな幼虫?だ。幼虫といっても成虫と同じような形に見える。成虫かも知れないが浅学にして不知。

   せっかく樹木の涙と言ったので、ここは、泡吹き虫の排泄物(のメレンゲ)などと無粋な正論は吐かないでほしい。

 一寸の虫もウクライナを泣いている・・それでよい。

2022年5月9日月曜日

蛇足の蛇籠

  1【蛇籠】 昨日の記事の余録というか、蛇籠だけに蛇足であろう。
 写真の背景に写っているのが蛇籠(じゃかご)である。針金で作った籠(かご)に石を詰めたもので、中村ドクターたちはそれを積み重ねて護岸を造った。

 その護岸に成長の早い柳を植えていくと、針金が錆びて壊れる頃には柳の根がびっしり石を掴んで壊れない。
 そしてこの方法だと大層な重機や材料がなくても現地の人々によって後々補修できていく。中村さんたちはこうして大旱魃が続くアフガンの砂漠を畑に変え、人々を救ってきた。

 そこで蛇足である。 私は就職して直ぐに労災保険の適用という仕事についた。工場のことも建設現場のことも何も教えられないまま現場に投入された。
 そして早々に建設会社から出された書類に蛇籠の文字があった。そして、先輩たちに聞いてもそれがどういうものであるのかは誰も知らなかった。
 日本では高度成長と共に廃れていった旧来の工法であった。今なら直ぐにwikipediaで調べられるが、電卓もない時代だからむやみやたらに本に当たった。だから「蛇籠」の文字を見るとモーレツに懐かしく当時の悩んだ日々を思い出す。


 2【緑茶】中村さんの発言の中に「緑茶を消費する国は、モロッコとアフガニスタンと日本と、この三つです」というのがあったが、私には全く予想外の文章(知識)だった。

 念のためネットで調べてみたが、適切なデータや文章には辿り着けなかった。だから、「緑茶」をどう定義するかでこの話(文章)は変わりそうだ。

 ただ、このブログでは緑茶の消費量や嗜好について論文を書くつもりもないから、茶というと、世界中では圧倒的に紅茶やウーロン茶系のお茶が飲まれている中で、日本茶に近い緑茶をアフガニスタンやモロッコでは大いに好まれているらしいことは楽しい雑学だとして覚えておきたい。そして、そんな一つのハナシから、日本列島と共通するアフガニスタンについて語るのも楽しい。
 
 中村哲さん亡き後も、そんなことからでも茶飲み話からでもアフガニスタンへの関心が続いて欲しい。 

2022年5月8日日曜日

ゴーシュになる

   ウクライナのことを考えると、理屈では解っていても感情が追いつかない、ある種の無力感のようなものを拭うことができない。

 もちろん、ウクライナへの義勇軍などは思いもよらないが、心のホンの片隅に「もっとNATOが乗り出しても」・・などと思ってしまう(軍事同盟の解消を願いながら)。つまり、自分自身のロシア糾弾、ウクライナ支援の無力感がちょっと顔を見せる。
 どうしようもない不正義を目の当たりにして、安全地帯から言葉やカンパで支援するだけのもどかしさだ。

 頭の中では、シリアでも戦争状態はある。アフリカ諸国でも中東でも東南アジアでも酷い人権侵害はある。ウイグルやチベットの地だってそうだし、北朝鮮もそうだろう。
 ただ、ニュースがロシア程には報道され続けられないから、それらに係る支援行動等が全く不完全であっても実際に大きな無力感はない。そう考えると、広い見地から見るとそれらもけっこうエエカゲンなもので、世界中の人の命や人権に軽重があるわけもない。
 とは解っているのだが・・・。

 ということで、とんでもない不正義を日々目前にして、それでもなおかつ絶望せず、文字どおり「一隅を照らす」営みを淡々と歩んでこられた中村哲医師の言葉を再確認したくなった。そしてこの本を買って来た。

 232頁に及ぶ本の内容を紹介するスペースも能力もないが、少し私の気分に響いた部分を紹介する。
 🔳【中村】「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。・・・良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手をしているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。・・・よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、「こんな筈ではなかった」と思うことの方が普通です。・・・遭遇する全ての状況が――古くさい言い回しをすれば――天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。🔳

 先日、僧侶である友人が日本共産党の演説会?の応援に立って「雨ニモマケズ」を語ったと聞いた。
 そして、中村医師の後を継いだペシャワール会村上会長がこの本の中で、「雨ニモマケズに中村先生の思想を感じる」と述べておられる。村上会長は、「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」に共感すると述べられている。

 この本は、私の「大事な本」のひとつになった。

2022年5月7日土曜日

黒い蝶

   いろんな機器がブラックボックスと言われてから久しい。つまり、使い方は判っていてもメカの内容は判らない。使い方も、少しイレギュラーが起こると対処できない。

 そのとおり! 先日からスマホの調子が悪い。いろんなモードの切り替えが遅くスムースでない。特に、撮影モードにならない、遅い、思うように動かない。

 ということで掲載したアゲハだが、何枚か撮ろうとしたが結局これ1枚しか撮れなかった。

 撮ってみたいと思った理由は、どうもクロアゲハやカラスアゲハと違うぞと思ったからで、瞬間のことだが「何かが違う」とスマホを取り出した。ところが思うように動かない。
 腹が立つよりも「毎度のことが起こった」と自嘲するしかない。

 写真を見て思うのだが、尾状突起がないようだ、翅の基部に赤い紋がある、全体にただただ黒いで、ナガサキアゲハだと思うのだが如何だろう。

 黒い箱(ブラックボックス)で黒い蝶を撮ったが、トラブルに対処できず、時代に取り残されていく感が充満した。

2022年5月6日金曜日

天に唾した

   その昔、私が現職時代、私の職場で怪文書事件があり、その中の主要テーマではない部分で、労働組合や私、さらに友人が 名指しで貶(けな)されたことがあったが、結果的には、そんな怪文書に労働組合や私などが関わっていないことが証明されたというオチがついたということがあった。・・そのことをふと思い出した。ロシア外務省が発表した日本人63人の入国禁止リストを見たからである。

  名簿は次のようなものである。
 🔳首相、官房長官、外相、財務相、防衛相、法相、国家公安委員長、沖縄・北方担当相、国家安全保障局長、参院議長、衆院議長、自民党政調会長、自民党外交部会長、自民党国防部会長代理、日本・ウクライナ友好議員連盟会長、志位和夫共産党委員長、石井苗子日本維新の会参院議員、熊野正士公明党参院議員、森裕子立憲民主党参院議員、衆院沖縄・北方対策特別委員会委員長、同理事、同、同、同、同、同、同、同、参院沖縄・北方問題特別委員会委員長、同理事、同、同、同、同、同、同、北方領土問題対策協会理事長、 北方領土復帰期成同盟会長、千島歯舞諸島居住者連盟理事長、経済同友会代表幹事、副防衛相、防衛政務官、同、統合幕僚長、外務省外務報道官、産経新聞社社長、同専務取締役、同論説顧問、同外信部次長兼論説委員、読売新聞グループ本社社長、同本社主筆、二宮清純スポーツジャーナリスト、日本経済新聞社会長、同社長、編集局長、選択出版代表取締役、週刊文春編集長、袴田茂樹青山学院大名誉教授、神谷万丈防衛大教授、櫻田淳東洋学園大教授、鈴木一人東京大教授、岡部芳彦神戸学院大教授、中村逸郎筑波学院大教授🔳

 一見したところ、ほとんどが公職、国会の発言者、メディアでの執筆者という感じだ。
 その中で、首相以外の政党代表者は日本共産党委員長だけだというのには、私は面白く笑った。
 そうか、痛いところを論理的に突かれてロシアが一番嫌がっているのは日本共産党なんだ。昔の記憶と繋がった。

 ちなみに、志位和夫氏のツイッターを読むと、🔳《ロシア、日本人63人を入国禁止に 岸田首相や教授、メディア幹部ら ウクライナ情勢》 私もリストに入っているようだ。私が行ってきたロシア批判は国連憲章と国際法に基づく当然の批判だ。自らに都合が悪いものだからと入国禁止とは、国際的孤立を自ら深める愚かな行動だ。

 ロシア外務省声明を読むと、私は「我が国に対する西側の態度に完全に偏った日本の公的人物」として入国禁止の対象となったことになる。

 私のロシア批判は、あくまでも国連憲章と国際法に基づくものだ。それを「西側に偏った」と非難することは事実無根の中傷だ。自らを国際的孤立に導く愚かな決定だ。🔳

 いまだにロシアは社会主義国との誤解もあるかもしれないが、誤解も誤解、今のロシアは極端な新興財閥に担がれた独裁国家だ。
 もう一度言うが、日本における最も徹底したプーチンロシア批判者は政党でいえば日本共産党だとロシア外務省が表明した。これは面白い。

 さらにさらに、与党最大派閥の長にして最強?の軍拡論者である安倍晋三君は名簿に登載されていない。ロシア外務省、天に唾したか。
 「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」なるほど。

2022年5月5日木曜日

端午の節句

   『節(せち)は五月にしく月はなし。菖蒲・蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし』(枕草子39段)

 わが家では毎年、清少納言に倣い菖蒲湯後に菖蒲の鉢巻きをするのが「決まり」である。
 菖蒲は元来は前日に屋根に上げておくものだが、それは玄関にイケバナ風に活けることに変えている。

 菖蒲の鉢巻きをすると向こう1年間悪い頭痛に悩まされることはないというのだが、後日書いてみるが妻はけっこう頭痛に悩まされている。
 そういうときは、こんなまじないをホンキで怒ったりせず、この鉢巻きをしなかったならもっと酷い頭痛であっただろうと考えるのが「信仰」の正しい答えである。うふふ
 それに、仮に頭痛に悩まされたとしても、「菖蒲に対して、コラッ菖蒲メ」と怒る気にもならないから、こういう伝統行事は明らかな不都合がない限り大事にしたいと思っている。

 一説では、元々端午の節句は田植え前の早乙女の「五月忌」、田の神に対する早乙女の厄払いであったとある。つまり女の子の行事であった。それが平安時代頃から、菖蒲が尚武や勝負に通じるというので今に続く男の子の行事のようになったが、この方が縁起としては相当安っぽい。

 〽ちまき食べ食べ兄さんが のちまきの由来だが、中国は紀元前・戦国時代、楚の気骨ある政治家・屈原は諫言した故、陰謀により国を追われ、ついには汨羅(べきら)の河に身を投げた。後に民衆は命日の55日に米を詰めた竹筒を投じて霊に捧げたが、河に住む竜に食べられてしまうため、竜が嫌う葉で米を包み、五色の糸で縛ったものを流すようになったというのが「ちまき」の始まりという。
 この竜、行政の執行の途中で横取りをして私腹を肥やすDやPという会社を連想してしまうがそれはさておき、結局民衆は屈原を偲んだという歴史に思いをはせて今年もいただいた。

 端午の節句、なかなかに味わい深い。

2022年5月4日水曜日

ちひさきもの 3

   石見銀山・群言堂が発信する主張には共鳴するところが多く、妻は群言堂製の服などを昔からいくつか持っているが、先日、夏ちゃんのお母さんが、ちょっと可愛かったので!と言って、京都伊勢丹内の群言堂で見つけたという一輪挿しをプレゼントしてくれた。

 写真は、夏ちゃんが活けてくれたもので、プチ兜飾りとともに、その小ささが判ってもらえるだろう。

 神は細部に宿る という言葉もある。「ちひさきもの」への注目は、お茶席のしつらえ にも通じるものがあるように思う。

 ちひさきもの は総じて平和的だ!とは以前に書いた。Zマークの戦車のニュースなどを見ていると余計にそう思う。

   ちひさきもの のひとつに「ニワゼキショウ」がある。
 よく芝生に生えているのだが、普通には芝生に隠れていて全く目立たない。
 それが立夏前後の季節には「突然」花を咲かすもので、知らない人は「芝生が咲いた」と驚く。私も最初はそのように驚いた。
 この花、いたって普通にある花だが「どこかに自然の移ろい」がないかどうかと気をつけて歩いていないと小さすぎて解らない。この花を知っているかどうかは、自然に対する関心度合のバロメーターである。

 ちひさきもの の二つ目は「ちひさきウグイス」。こんな時に限ってカメラを持たず、スマホで撮影。スマホ画面ならゴマ粒よりも小さい。パソコン画面ならどうかな? 


https://photos.app.goo.gl/qRzmpxWpwH7KjGqH7

2022年5月3日火曜日

この世は不条理

   読書の場合、漠然と自分が考えていた事柄を、多くのデータをもって論理的に承認してくれたときにはある種の爽快感があるものだが、反対に、何となく自分が信じていた事柄を、違う段階から否定的に論破されるのも、自虐ではないが満足感に満たされる。

 内田樹・岩田健太郎著『リスクを生きる』朝日新聞出版・朝日新書を読んで、大いに後者の満足感を味わった。本の中での二人の会話をほんの一部だけを摘んでみると、

 アルベール・カミュの『ペスト』にはパヌルーという神父が出てくるらしい(私は読んでいないので知らないのだが)。神父は「疫病は神が下した懲罰である」と説く。信仰心が足りないからペストに罹る。そういう風に考えると一見ランダムに見えるペストの拡大にもある種の法則性があることになる。宗教も科学も、ランダムに見える事象の背後には美しくシンプルな数理的秩序が存在するという直感に基づいている。

 しかし、コロナウイルスや感染症対策に「条理」や「内的論理」などない。神の懲罰だとか宇宙の摂理ではない。『ファクターX』も結局何も証明されていない。「世界には法則がある」として解き明かすのも科学性だが、「世界はランダムで予測できない」というのも科学的見地だ。

 さて私は、いうなれば唯物弁証法の哲学の見地から「さらに原子核の中に何かが必ずあるはずだ」として中間子を予測した湯川秀樹氏のような姿勢に学びたいし、人類は徐々に次の段階の法則性を見つける連続の過程にあるのだろうという思索方法を癖にしてきたから、前述までの「コロナは不条理だ」論にはある種のショックを受けるが、「それでも人類は様々なパンデミックを経験してきた」「コロナが完全に解明されない段階でも感染症対策の経験と理論はある」という理論に大いに学ばなければならないと考えた。

 読書感想にも至らないが、非常に読みごたえがあったし、勉強になった。字数もそれほど膨大ではないので、よかったら一読をお勧めする。
 世の中ではシンプルなキャッチコピーがもてはやされている。テレビのコメンテーターなるものの多くもそうなっている。曰く、コロナはインフルエンザとあまり変わらない。ワクチンはデメリットの方が大きい。経済の落ち込みの方が重大事項だ、などなど。一つひとつの検討、反論も大事だが、嘘を見抜く常識力がさらに大事ではないだろうか。

2022年5月2日月曜日

明日は憲法記念日、そして刑法改正案について

   ロシアではウクライナ侵略とほぼ同時に情報統制を強める法律が成立した。こういうのを「
戦争のリアル」というのだろう。
軍事をめぐる報道や発信の内容を当局が虚偽と判断すれば、記者らに最大15年の禁錮刑を科す。

 メディアには「攻撃」「侵攻」などの表現を禁じ、「原発に放火したのは、ウクライナの工作員だ」と主張。こうした「公式見解」に疑義を呈する報道は「フェイクニュース」(偽情報)だとして犯罪にされる。
 外国人記者も対象となるので、日本をはじめ各国メディアもロシア国内の支局などからの報道を中断している。

 日本でも先の大戦時には大本営発表を流し続け、結局、アジアの人々を殺し、日本の兵隊を殺し、沖縄の住民や都市の空襲で庶民を殺し、ヒロシマ、ナガサキの人々を殺し、多くの後遺症を負わせたうえで破滅的な敗戦を招いた。
 それでもロシアの現実は別世界の「物語」だと言えるだろうか。

 ここ15年程の日本の国会と政権による「表現の自由」への制約に、私たちは相当「茹で蛙」にされつつないか。
 確かに、この国をウクライナにならないようにと願う気持ちは大事だが、よりリアルな課題はこの国をロシアのような国にしないことではないだろうか。

自民党憲法改正草案(2012年4月27日決定)
※アンダーライン部分を新たに挿入(改訂)
(表現の自由)
第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

※政権の悪政の強行に反対して集会やデモをしたら「公の秩序を害する」と認定され、そういう政党は非合法とされないか。笑うことなかれ、ロシアでは、そして70年ほど前の日本ではそれが「当たり前」とされていた。そんな心配を笑った後で怖くなる。

自衛隊が反戦デモ鎮圧訓練をしていることが国会で明らかになった。
維新の質問主意書に合わせて教科書の「従軍慰安婦」や「強制連行」の記述が訂正させられた。
慰安婦問題の授業が地方紙に掲載された教諭に対して維新の吉村知事がツイッターで非難を加えた。
慰安婦を含む研究を行った阪大大学院名誉教授に自民の杉田議員が「反日学者」と攻撃した。

いま国会では侮辱罪の厳罰化を含む刑法改正案が審議されている。表向きはネット上での執拗な中傷などと説明されているが、参考人の日弁連趙弁護士らは「表現の自由を損ねる危険があり、北海道のヤジ事件はその危険性を如実に示している」と。

事実、4月27日の衆議院法務委員会では、米山隆一議員が「たとえば、私が『総理は嘘つきで顔を見るのも嫌だ。早く辞めたらいいのに』と言った場合、これは“嘘つき”という侮辱的表現を含むものだと思いますが、この発言は侮辱罪に該当しますか? また、これを私ではなく私の妻(室井佑月)がコラムで書いた場合には該当しますか? また、新潟県魚沼市で精肉店を営んでいる私の母が、買いに来たお客さんにこの言葉を言った場合には侮辱罪に該当しますか? それぞれ法的根拠をもとに答えてください」と質問したのに対して、法務省の川原隆司刑事局長は「この場で、法務当局あるいは法務省として、その犯罪の成否についてお答えをすることは差し控えたい」と、つまり「総理は嘘つき」という言葉が「侮辱」として判断され、場合によっては懲役刑が科される可能性がある、と答弁した。

さらに、二之湯国家公安委員長は、「閣僚または国会議員を侮辱した者は逮捕される可能性はあるか」という質問に対し、「侮辱罪を犯した者が逮捕される可能性はまだ残っている」と、逮捕の可能性を否定しなかった。

いや、そればかりか、2019年に札幌市で街頭演説中の当時の安倍晋三首相に「安倍辞めろ」などとヤジを飛ばした市民が北海道警の警察官に排除された問題について、今年3月に北海道地裁は、道警が表現の自由を侵害したとしてその違法性を認め、道に対して計88万円の支払いを命じる判決を出している。道が高裁に控訴したとはいえ、本村伸子衆院議員が「北海道警の対応は適切だったのか」と問うと、二之湯国家公安委員長は「北海道警察の処置は正しかったと思っている」と答弁した。

さて、それでもロシアは別世界のことですか。「お花畑」は誰ですか。

2022年5月1日日曜日

五風十雨

   この季節、本来なら五風十雨と語りたいところだが、意に反して日替わりのお天気。
 卯月尽は谷間の晴天だった。 
 が、晴天にも拘らず、台風みたいな孫の夏ちゃんファミリーが来てくれた。
 となると、密を避ける意味もあり、BBQというのが我が家の定番で、例によって夏ちゃんがファイヤースターターで点火。
 そして今回は焼うどんを作ってくれた。 
 
 揚羽や豹紋、蜆など虫捕りも祖父ちゃんの出番はなく、身内ながら成長はあっぱれ。
 黄金週間は十分堪能した。

 それに、政府による旅行の誘いには応じてはいないが、けっこう美味しい国産の肉や魚介類を使ったから、少しは国内経済に貢献した。