2022年3月31日木曜日

パンデミック

   孫の夏ちゃんは小学校の高学年になる。
 春休み、お母さんの仕事の日はわが家でイクジイ・イクバアとなる。凜ちゃんのイクジイ・イクバアと併せると、妻は相当なハードワークになっている。
 そんなもので先日の夏ちゃんのイクジイの日の昼食は外食にした。

 行先をジビエなども有名な「食堂」にしたところ、この記事のタイトルである「パンデミック」に気づかされた。コロナのことではない。

 豚コレラである。これが世界中で大流行している。養豚場は大丈夫だが、イノシシには豚コレラの緊急事態宣言が伝わらない。ということで、トバッチリの鹿も含めてジビエはお預けとなったが、手作りソーセージを美味しく戴いた。

 夏ちゃんには進級祝いのバッジをあげた。夏ちゃんの顏の缶バッジで、もちろん祖父ちゃんのお手製だ。
 「欲しい?」と聞くと「いらん」と返ってきたが、きっちりカバンに入れて持って帰ったから内心は嬉しかったのだろう。春休みはまだ続く。

2022年3月30日水曜日

経済制裁はロシアの急所

   ロシアのプーチンの脅しに腰を抜かして、あるいはシメタ!と喜んで・・敵基地先制攻撃だとか核兵器の共有だとか言い出した人々がいるが、それよりも実は経済制裁というのが一見甘く見えて実は非常に効果的なのではないだろうか。

 中国の習近平氏などは「経済制裁は廻りまわって市民が困るだけだ」というようなことを言うが、それは、プーチン政権を温存したい人々にとって実は一番の急所であるという認識の裏返しの屁理屈だろう。

 ロシア市民を思うなら、中国国家を代表してプーチンは退陣せよと言えばよいだけのことである。

 この先、きっと日本国内からも、ロシア市民が困るだけだとか、日本の企業、産業も困るというようなことを言いだす人士が出てくるだろう。そして実際、日本経済も世界経済も一定の打撃を被ることはあるに違いない。

 だが、東京国公のFBでは、ロシアとの貿易の断絶が、直ちに日本経済に打撃を与えるとみるのは早計だと思われている。

 日露の貿易関係でのロシアのシェアーは、輸出で0.88%、輸入で1.6%。液化天然ガスでも7.8%。

 問題は世界的にエネルギーを含む材料が逼迫する中でのウクライナ侵略で、それに拍車がかかり、加えて円安進行で、輸入原材料の確保の困難や価格の高騰はあるだろうが、それこそ中東で軍隊による殺戮を行っていない先進国として、全方位外交で乗り切るのがよい。

 そういう国家戦略を考えず、目先の選挙対策としてどの層にいくらバラまけば(性格としては買収?)選挙に有利かなどと言うことに終始している自公政権こそ、国民に困難をつけまわしている。

2022年3月29日火曜日

カラスの勝手

   烏合の衆という言葉がある(後漢書)が、誰がどんな観察結果から導いた言葉だろうか。私の観察からすると彼らカラスの集団は決して烏合の衆ではない。ゴミステーションにネットからはみ出したゴミがあると、独り占めせずに仲間に教えてやっている。その友情というか連帯感は人間以上の精神のように見える。事実、鳥の中では際立って賢い鳥でもある。

 その「餌があるぞー」の鳴き声を室内で聞くと私は外へ跳んで行ってカラスを追っ払う。今のところ私が勝っているが、カラスは敵対者の顏を覚えるというから、復讐には注意しなければならない。

 昔、東京のど真ん中の飯田橋で子育て中のカラスが下を通る人間を無差別攻撃したことがあり、私も頭上すれすれに威嚇されたことがあった。

 そんな凶暴さにプラスして、悪声といい、雑食性といい、その黒い色といい、田畑の果物や野菜などを荒らすことなどもあり、カラスは一般的には好かれないし、さらには不吉な鳥と言われたりする。

 そのカラスがわが家の近くの電柱に巣を作ってこの間から子育てをしているようだ。実害はないようなので自治体も注意を標記しているだけだ。

 その電柱の下は歩道だし、片面は各家庭の裏(擁壁)になっており人間の出入りはなく、さらに一区画は空き地である。そして真下のお宅は数か月前にご夫婦が順に亡くなられ空き家となっている。そんなことから、私は「よくもこの電柱を選んだものだ」と感心したし、なにか亡くなられたことを知った上での所業のようにも思えて、やっぱり何か不吉な鳥のように覚えた。

 その不吉なイメージも持つ(三本足の)カラスが天皇家の最重要行事に用いられる幡などに多用されているのもおかしい。

2022年3月28日月曜日

桜の国の9条

   ウクライナの事態を見て「それ見ろ、9条では平和は守れない」「核を持ってこそ平和になる」と言い出した人々がいるが、ウクライナ憲法に「9条」はない。
 反語的に言えばロシア憲法に「9条」があれば侵略は起こらなかっただろう。

 もとより日本国憲法9条とは文字のことではなく、9条の精神に則った平和外交のことである。さらに、世界がそのように成熟する以前に他国から不当な武力介入があれば、海上保安庁や警察力で防衛することは大方の賛同を得られる常識ではないだろうかと私は考える。

   元に戻って「ロシアに9条があったならば・・」というのは、世界に民主主義が拡がればということと同義であり、この国が民主主義のお手本になり、世界の人々が日本のようになりたいと思う国にすることだろう。

 反対に、首相の街頭演説にヤジを飛ばしただけで排除されるようでは、プーチンの強権政治を批判できない。その元首相がプーチンに「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と公式発言を重ねたのは、今になって思うと単なる低レベルのお追従以上に同調しあっていたようだ。シンゾーのことである。

 桜の花が開花した。
 この花はその散る様から人権や命を軽んじる全体主義の宣伝に利用された歴史があるが、美しい桜自体に罪はない。
 桜の国の9条を今こそ自信をもって広げるときだと私は思う。
 目前の参議院選挙で岸田自民党総裁は憲法改悪を公言した。軽んじてはいけない。
 ロシアに9条を、世界中に9条を!

2022年3月27日日曜日

祝卒園

   凜ちゃんの療育園の卒園式だった。コロナ禍の卒園式だった。園から配付されていたキッドで朝に検査をし、皆の結果が陰性と出ているのをスマホで撮影してそれを園の玄関で提示して初めて登園できたらしい。家族は2名以内だから祖父母は論外にしても、親子3人も15分ごとに個別で卒園式が行われたというから大変な世の中になったものだ。

 余談だが、カメラ機能のあるスマホを持っていないことはないという大前提だろう。

   しかし祖父ちゃんにとってはこれはよかった。先生方の感想や幼児の発表会的なものがあったら祖父ちゃんは泣いてしまっただろうから。

   先生方の話や文章では、凜ちゃんは陽気で明るいというのが特徴だ。いろんな特徴のある子どもたちだが、そういう風に誉められるのが一番うれしい。

 その後わが家で卒園祝賀パーティーを開いたが、もちろんオープニングセレモニーは『想い出のアルバム』の合唱だ。
 卒園メダルの代わりに卒園記念バッジも贈呈した。

   パーティーは、父母と祖母(つまり妻)に対する謝意のパーティーだ。この3人がよく頑張った。4月からは養護学校とサポートというかリハビリのような学童保育生活が始まる。

   凜ちゃんは握りずしは何でも好きだが特に”鉄火巻き”が大好きで、祖母(妻)よりもたくさん食べた。

 〽もうすぐ あなたは いちねんせい

2022年3月26日土曜日

核抑止力は地球の終わりまで効かない

   ロシアのウクライナ侵略に乗じて火事場泥棒を働く者がいる。
 「議論すべきだ」論も含めて核シェアリングを言い出した者がいる。
 安倍元首相や維新の松井代表らだ。
 アメリカの核兵器を日本に配備しておいて、日米共同で運用しようという。

 その発言の元を推測すれば、「ウクライナが核兵器を持っておればロシアに侵略されなかっただろうに」「ウクライナは核兵器を持っていなかったからロシアに侵略されたのだ」ということだろう。
 だとしたら聞きたいが、ウクライナを支援しているアメリカ、イギリス、フランス、NATOが核兵器を持っているのにロシアは何故侵略を継続しているのか。

 私は以前の記事で「核抑止力論が成立する前提は狂人(国家)であることだ」「それは地獄の入口のチキンレースだ」と述べたが・・・、声を大にして言いたいが、ロシアの西側諸国を敵にまわしたウクライナ侵略は『核抑止力論は成り立たない』ことを天下に教えた。『核抑止力論は成り立たない』。

 世界の軍事力比較はいろんな計算方法があって単純ではないが、一般に認められている数字では順に、アメリカ、ロシア、中国、インド、フランス、日本で日本の軍事力は世界第6位らしい。他の要素を重く見た統計でも10位以内は間違いなさそうだ。片やウクライナは、22位、25位、34位などの数字が打たれている。
 そしてこれらの統計が全てであれば、ベトナム戦争も、中東戦争も、アフガニスタンも、歴史上ありえないことになる。維新創設者の橋下徹氏の「ウクライナは早期に降伏すべきだ」というのも、そういう民衆の力が見えていない。

 経済制裁や、集会やデモ行進をあざ笑う橋下氏らに欠如しているのはそういう哲学の貧困だと思う。

2022年3月25日金曜日

ハートは嗤う

   定期的に循環器内科にかかっているが、通院を重ねていると病状にも慣れてきて、深刻でない動悸、息切れ、頻脈と、深刻な心房細動の不整脈との見極めがつくようになり、前者の症状には驚かなくなってきた。

 医師に言わせると症状に慣れるのも「それもよくない」らしいが、まあ「ハート(心臓)が少し暴れておるな」と感じながら付きあっている。

 そういう状況なので、先日の受診では「心房細動は少し治まってきているので今の投薬を続けながら健康管理をしていこう」ということになった。

 ところが、病院を出てすぐ隣のスーパーで買い物をしていたら、嫌な感じの方の不整脈が発生してきた。直ぐに車で帰宅したが、明らかに心房細動の不整脈で苦しく、そのまま3時間ほど寝込んだら落ち着いた。

 なんとなくハート(心臓)をコントロールできているような発言を医師にしているのを聞いたハートが、嗤って怒って仕返しをしたようだ。

 それにしてもだ、ここ数週間なかった心房細動だ、病院の受診直後の帰宅時に発症するなんて、できすぎたお話だ。

 昨年から急速にガタが来ている。一病息災というがいっぺんに増えすぎて持て余している。体中が嗤っていやがる。

2022年3月24日木曜日

抑止力論

   戦争が始まったら「ウクライナは核兵器を持っていなかったから攻められたんだ」とアメリカとの核兵器の共有を言い出した日本の人がいる。
 東電の電力需給が逼迫したら「原発再稼働」を言い出した人がいる。前述の人と相当重複する。
 そういう人を一般に火事場泥棒と言うが、冷静な議論ができない人でもある。

 議論ということでいえば、ウクライナとロシアの外交がどうであったのかは、終戦後大いに検討すればいい。ただ、現に侵略戦争が行なわれている真っ只中に「核のない外交は無力だ」とかなんとか、そもそも多角的に検討しなければならない課題を物知り顔で単純「明解」に言い切る人間は信用しない方がよい。

 目の前で起こっていることは、ロシア軍はウクライナ国内でウクライナ市民を殺しており、ウクライナはロシア国内に侵入していないしロシア市民を殺していないという厳然たる事実である。この一点でもプーチンは非難されなければならない。ロシアは即時撤退し砲撃を止めよ。

 核抑止力論でいえばその論理が成立するためには、当事者がチキンレースに打ち勝つ狂人である必要がある。
 「地球を破滅させるほどの決断はしないだろう」と考えられる理性的な人物(国家)が見かけのチキンレースを仕掛けてもほんとうには誰も怖がらない。
 「ほんとうに使うかもしれない」と思われる狂人がその言葉を発したときのみ、その発言は抑止力になる。そんな危うい抑止力論は冷静に考えて是認できないのは当たり前である。

 軍事力で平和を実現しようという思想は典型的には中世の思想である。それでは生産的でないと知恵を絞り、近代の世界大戦を経て今があるのだが、核兵器禁止条約に核保有国が躊躇しているようにまだまだ不十分な段階にある。
 だから、中世に戻ろうというのか、本気で核兵器禁止条約を成立させ、軍事同盟の解消を目指すのかは、明らかだろう。

 正直に言うと、あの軍事大国ロシアがこれほど苦戦するとは、特殊な専門家を除いては誰も思っていなかったのではないだろうか。
 日本はウクライナに非軍事的な支援をするとともに、世界中にプーチンは止めよとの声を広げ、経済制裁を徹底することが大切だろう。

2022年3月23日水曜日

〽いつのことだか思い出してごらん

   保育園の定番の卒業ソング「思い出のアルバム」の季節 がやってきた。
 ところが我が孫の療育園は昨週からまたしても休園になった。
 卒園式の形も白紙になった。「思い出のアルバム」どころでないようだ。
 コロナ禍の影響は誰もが受けているが、うちの孫のように、人生の節目が跳んでしまう人(子)も少なくないことだろう。
 高齢者施設の面会制限なども同様だ。

 卒園式は縮小されたとしても、私は孫の父母のために卒園パーティーを開いて「思い出のアルバム」を歌ってやるつもりだ。

2022年3月22日火曜日

提起された

   昨日の記事で谷口真由美氏の人権に関する講演を聞いたことを書いたが、その中で、巷間よく言われる「自分がされて嫌なことは(他)人にしたらいかん」というフレーズは不十分で好くないという問題提起があったが、私には提起された真意が解らなかった。

 それは実際の小学校の先生の児童に対する教育内容であったらしいから、私などは解りやすい例えのように思えた。

 谷口氏の回答は「自分が嫌と思うかどうかには相当な差があるが、人権を尊重しなければならないというのはある種の理論であって情緒の問題ではない」というものだった。これは非常に納得のいく答えに思えた。

 ジェンダーでいえば、多様な性の問題はとりあえず横に置いておいて、相対的に優位な位置にあった男性が「これぐらいの話は気にすることがないやろ」「私ならそれぐらいのことは嫌ではないし」と女性に言ったとしても、それで問題がないと認定されることはないということで、情に訴えて教えようとする小学校の先生の努力は多としつつも、大切な観点が欠落しているということだった。

 もうリタイアした身であるから、今ごろ気がついても遅いが、職業生活の折々には多くの人権研修も受けてきたが、いろんな局面で的確に対処できていたとはいえなかったなあと反省したところだ。

 というように、男女平等は情緒の問題ではなく理論である。
 よって、努力目標だとか方針だとか四の五の言わず、客観的事実で話を進める。

 まず、世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数では日本は156か国中120位でG7中では断トツの最下位だ。特に政治分野では147位であるから、その原因が政治にあることは明らかだ。

 では次に、政府の男女共同参画基本計画で各政党は国政選挙の候補者の女性の比率を当面35%と決めていたが、2021年衆議院選挙の各党の候補者中の女性の比率は次のとおりだ。
自民9.8%  公明7.5%  維新14.6%  国民29.6%  立民18.3%  N国33.3%  れいわ23.8%  社民60%  共産35.4%
 政府計画をクリアしたのは社民と共産のみ。

 誰もがこういう事実を冷静に見つめてこなかったから、現実の日本の後進性を産んだのだろう。

2022年3月21日月曜日

噤んだらあかん

   冬鳥のツグミの名前の由来の一つに、「春になって、冬の間あんなに鳴いていたツグミの声がしなくなったのは、きっと口を噤んだからだろう」と推定して「口を噤む鳥=ツグミ」となったという説がある。

 この説は非常に示唆に富んでいる。人間はけっこう狭い社会内の情報を信じて、さらに広い情報や理屈を想像するのは難しいもののようである。

 冬鳥であるツグミが北へ帰るのはしようがないが、留鳥ならぬ人間が、「私一人ぐらい語らなくても」「それは誰かがもう言っているから」と語ったり書いたりしないと、「メジャーな情報に批判するコメントはないんだ、少ないんだ」となってしまうのが怖い現実だ。いいね!をポチッも良いけれど、もう少し普通の紳士淑女が書いたり語ったりした方が良いように思う。

 17日の木曜日にプロパガンダのことを書いたが、テレビを観ていると、ロシアでのプーチン支持派の大集会が映っていた。それはトランプ支持派の集会と同じく、大いに盛り上がっている様子だった。印象的には、北朝鮮の動員された演技風のものよりも、信じて熱狂している風だった。情報操作、情報統制というものはある意味外形的強制よりも怖いかもしれない。その果て、信じて人を殺すことだろうと想像した。

 先日、谷口真由美氏のジェンダーに関わる講演を聞いたが、医大の入学試験で男に下駄をはかせた(女を不当に落とした)事件について、先生のチームは事前に掴んでいたと言う話を聞いた。つまり、各種の有名模擬試験の結果の男女比と実際の合格率は当然に似ているにもかかわらず、医大(医学部)についてだけは不自然に相違していたということだった。

 眼光紙背に徹すという言葉があるが、目前の現象だけでなく紙背を想像、解明する眼の大切さを考えさせられた。
 維新の大阪府政はコロナでの人口比死亡率が跳びぬけて高い。病床使用率もそうである。ところが在阪テレビ局は頻繁に知事を登場させ、やっているふりを応援した。医大入試の女性差別同様、これはおかしいというべきジャーナリズムが見えない。そのうちにテレビ電波の届く他府県では「大阪の知事はよくやっているのにうちの府県は・・」と維新政治の待望論まで生んでいる。

 一種のプロパガンダである。怖ろしいことだ。

2022年3月20日日曜日

取り越し苦労 2

   3月18日(金曜日)に「取り越し苦労かもしれないが、今のロシアを社会主義、共産主義国と勘違いしているむきがないか」という記事を書いたが、やはり、苫小牧市の市長が「共産党政権の侵攻に、やばい、怖いなという印象を受けた」と語ったことが報じられた。

 そもそもプーチン与党は「統一ロシア」という思想的には寄せ集めの政党で、Wikipediaに「日本の自由民主党と友党関係にある」と書かれているようなどちらかというと保守的な立ち位置にある。
 さらには、オリガルヒと呼ばれるアメリカ以上にひどい財閥(独占企業)に支えられていることは13日に書いた。

 またロシア共産党という政党も別にあるが、前身であるソ連共産党時代から、国内的には人権抑圧の政治を行い、対外的にはチェコスロバキアやアフガニスタンへの侵略を行い、政党レベルではその種の蛮行を徹底的に批判した日本共産党への分裂等の干渉を行ってきたわけで、社会主義、共産主義とは無縁な政党であった。

 しかし、昨年の総選挙時にもあったように、日本の政権与党側の反共イメージ戦略はフェイクも含めて相当な効果を発揮するから、こんな取り越し苦労も書いたり語ったりする必要があると思っている。機会をとらえて注意喚起を口にしてほしい。

2022年3月19日土曜日

春愁

   沈丁花の薫が立ち込めると春愁という季語が思い浮かぶ。職業生活の大部分にまとわりついた「年度末」「年度替わり」のシーンと重なるからだろう。今は、年度どころか曜日さえも「今日は何曜日だったかな」という生活を送っているのに。
 春分の日あたりに休日出勤をして仕事の帳尻合わせに苦心している後輩たちは今もいるのだろうか。
 そう、この季節は物憂いかった。

 18日の金曜日はOB会会報原稿の締め切り日だった。体調不良などにも拘らず書いてくれたものを含むいくつもの原稿が送られてきた。ほんとうに頭が下がる。
   期日いっぱいに駆け込んでメールで送られてくる原稿があるのでパソコンを開けてその前で待っていた。
 そして待っているついでに新しい缶バッジを作った。
 スローガン(文字)は無しでピカソの鳩をアレンジした。我ながら気に入った。
 ペイント3Dを久しぶりに使ったので、それも使用方法など確認もせず勘を頼りに進めたので大分手間取った。手間取った時間が惜しいというほどには原稿は届かず、嬉しいやら悲しいやら。

2022年3月18日金曜日

ロシアのオリガルヒ

 私の取り越し苦労かもしれないが、今のロシアを社会主義国、共産主義国と勘違いしているむきがあるような気がしている。もちろん答は否である。
独裁主義の資本主義国、官僚主義的な資本主義国、非民主的な資本主義国というのが適切だろう。

   FBの井上 伸さんの指摘が非常に明快なので紹介すると、
 🔳 ソ連崩壊で国営企業を手に入れ、財力でプーチンを支えるオリガルヒと呼ばれるロシアの富裕層。
 世界トップ500人に入っている富裕層は、ロシアが21人でその富は17.5%。アメリカが81人で12.8%GDP比)。1人あたりだとアメリカの5倍もの富をロシアの富裕層は独占。ロシアにおける富の集中は異常なレベルです。🔳

 3月10日の『気候戦争よいう斎藤幸平氏』という記事に書いたように、少なくともウクライナ侵略の発端はオリガルヒ達の「絶望感」に端を発している。つまり大国主義に裏打ちされた帝国主義的侵略戦争だ。

 参議院選挙が目前だ。16日の朝日新聞「素粒子」は年金世帯に一律10万円という施策について「公金で買収か」と指摘しているがそのとおりだろう。
 そういう情勢を考えれば、まったくの的外れであるロシアを例に出した反共攻撃が少なからず影響を与えると考える必要がある。

 とまれ、アメリカ上院の予算委員長は自らを社会主義者だと名乗っているぞ。まあ他所の国のことだけど、昨年の総選挙前後の反共攻撃の影響を見ても、あまり軽視はしない方がよい。

2022年3月17日木曜日

プロパガンダ

   プロパガンダとは政治宣伝などと訳されたりするが、政治的課題を宣伝することは何ら悪いわけではないから、より正しいイメージとして「胡散臭い政治宣伝」と訳すのがよい。

 安倍元首相が憲法に関して「自衛隊員の子が憲法違反の自衛隊員の子と言われていじめられたから9条を改正する」と述べてメディアが一斉に「総理総裁がこう述べた」と報じたが、「そういういじめの事実はいつどこであったのか」との野党の質問に答えられなかった。安倍元首相等のこういうのがプロパガンダの一つだと言えよう。情報操作だ。

 さて、ロシア時間14日午後9時の国営テレビの看板ニュース番組中、職員のマリーナ・オプシャニコワさんが「戦争をやめて」「プロパガンダを信じないで」「ここ(国営放送)ではあなたに嘘をついている」と書いた紙を手に訴えた。拘束されるのを予想していた彼女は事前にSNSで「放送局社員として、これまでプロパガンダの流布に加担し、野党弾圧に加担してきた自分を恥じている」と述べた。

 そして日本のメディアはそれを一様に「勇気ある行動」と伝えたが、ならば、「ウクライナは降伏せよ」と言い放つようなコメンテーターを何故登場させ続けるのだろう。そのコメンテーターが創設した政党・維新のマスコミ戦略にどれほど媚びへつらい続けるのだろう。

   ウクライナからのニュースでは、Zの印のロシア軍戦車のすぐ横をウクライナ人のデモ隊が歩き、人々はウクライナ国旗を体に巻いたりしていた。日本のメディアは、この勇気を「歩くだけではクソの役にもたたん」と冷笑するようなコメンテーター?の立場に立つのでなく自身の鑑にしてほしい。日本のマスコミの政権への忖度(迎合)はウクライナ問題以外にも蔓延しているぞ。

 それにしても、ウクライナ問題はマスコミだけでなく一人ひとりの庶民にも問題提起をしている。例えば、ウクライナでは実際にウクライナの軍隊がロシア軍と対峙している。その場面だけを切り取れば殺し合いをしていることになる。この話は今に始まった事でなくベトナム戦争でもそうだった。私は戦争には反対だ。NO WARだ。しかし、現に銃をとっているウクライナの人々に「銃を捨てよ」とはよう言えない。

 私ならどうするか。一人ひとりに突きつけられるテーマである。少なくともマリーナ・オプシャニコワさんに恥じない行動はとりたいと思う。

2022年3月16日水曜日

火の行法

   映画『ボヘミアン・ラプソディ』主人公クィーンのフレディの家族は拝火教(ゾロアスター教)徒だった。その宗教は歴史書の奥に途絶えた宗教だとばかり思っていた私はタイムスリップができたように感動して映画を見た。

 西アジアがイスラーム世界となる前、紀元前3300年~紀元後650年頃を考えると、特に224年に成立したサーサーン朝ペルシャ帝国の国教は拝火教だった。それは仏教以前キリスト教以前の世界宗教の大本だったし、仏教にもキリスト教にも大きな影響を与えた宗教だった。

 しかも勢いはペルシャに止まらず、東の大国「唐」にも及び、松本清張氏によれば直接あるいは仏教の中に包含されて間接的に日本にも及んでいたとされている。

 先日、東大寺二月堂のいわゆるお水取りのお松明を夏ちゃんファミリーと見に行った。事前のお坊さんの説明で「これは法要であるからお松明が終了しても拍手などはしないでください」とあったが、それでもお松明が揺らされてゴーッと(音はしないがしたように)火の粉が瀧のように降り落ちると、誰もが声をそろえて「おおーっ」と感嘆符のような声を漏らすのだった。

 夏ちゃんは作文に書いて提出したというから、同じように「おおーっ」と感動したようだ。

 そもそも二月堂周辺は、建物も国宝や重文が多く、その中の仏像や宝物でいえば外の県の国宝や重文の合計をはるかに超えるほどのことである。

 その中で、屋根付きの回廊を天井まで炎が届くお松明がゆっくりと登ってくる。そして二月堂の舞台に到着すると廊下や庇に火を撒き散らし、さらに周辺に火の粉の瀧をつくるのである。また別に堂内でも松明は打ち振られ、あえて真っ赤に焼けた鉄の粉を撒いたりする。仏教の中に護摩焚き法要など火の作法はいろいろあるが、桁が違うというかレベルが数段違う火の行法だと思う。

 「これは拝火教だ」と思わない方がおかしい。日本列島はユーラシア大陸の辺境である。中心地周辺で誕生し反映した文化や文物が中心地では跡形もなく消滅したのが辺境に残るという鋭い指摘がある。

 福永光司さんの本に「神道や仏教の中にも道教がある」と述べたところ、神道の偉い人からえらく叱られたという話しがあったが、現代の神道や仏教の方々が何となくその説を嫌がる気持ちもわからないではない。しかし冷静に考えて、唐の長安で繁栄していた道教や拝火教が一切日本に入ってこなかったと考える方がおかしい。

 西アジアからユーラシアの土地と歴史を旅してきて、辿り着いた火の行法だと眺める方が私はありがたい気がするのだが。

2022年3月15日火曜日

お水取りが済むと

   先日「お水取りが済むと古都に春がやってくる」と書いたが、ほんとうにそれを実感している。というのも、13日の日曜日に蝶がひらひらと飛んできたからだ。

 何年か前ブログに書いたが、立てた翅が銀色の珍しい蝶を見つけ、いろいろ図鑑で調べても解らず、もしかしたら大発見かも!と思いつつ、最後に生物の谷先生にメールで尋ねて「ウラギンシジミ」を知ったことがある。

 そして今回、写真の蝶を発見だ。これも子ども用の昆虫図鑑では解らない。今度こそもしかしたら新種の発見か! ついこの間まで寒風だったから・・・。もしかして北方の蝶が迷って南下してきたのかも。

 今度はありったけの昆虫の本を引っ張り出したりネットを駆使して調べてみた。そしたらなんと、この蝶は以前私の中でひとり大騒ぎをした「ウラギンシジミ(裏銀小灰蝶)」だった。
 前回は翅の裏の銀色の鮮やかさに見入ったのだが、今回は翅の表だけを見てひとり大騒ぎをしたわけだ。一瞬ウラギンかもと思ったが、見慣れぬ表の模様ばかりに目が行った。前回は翅を立てたままだった。そして今回は広げたままだった。

 蝶の名前一つでも思い込みはよくない。ましてや社会の出来事は、・・これはちょっとした反省事項。

2022年3月14日月曜日

無力ではない

 今日のテーマは「微力ではあるが無力ではない」である。
   というのも、ニュースの度に報じられるプーチンの悪行に憤激しながら、これと言った特効薬が見つからず、その間にウクライナ市民が死んだりしていっているのを見ると、11年前の津波で人々が死んでいくのを文字どおりライブで見ていたときのように、自分自身の無力さを感じるからである。

 しかし、少し俯瞰して見てみると、ミャンマーでも、ホンコンやウイグルの地でも、中東やアフリカでも数々の非道な行いは止んでおらず、だからといって直接的に私ができることはほとんどなく、被害者の支援や、理性に基づく人権や民主主義の主張や連帯の意思表示を行うぐらいでいる。
 確かになまっちょろいことに見えるが、ウクライナ侵略に関していえば、基本的にはロシアの市民による民主主義の運動こそが決定的な力であり、そこに連帯・支援するのが王道であろう。

 そんな基本姿勢を「何の役にも立たない」とかと誹謗して、「だから核を共有すべし」などとはしゃぐ人士がいるが、冷静に考えれば、それはキムジョンウンの主張と変わらず、世界中の国が核兵器をもって脅し合うバランスこそが平和の実現ということになる。
 溢れるニュースで人々の気持ちがうんざりしているときに、こういうはしゃぎ方をするポピュリストほど怖いものはないと心得るべきだろう。

 もう少し話を広げるならば、安倍政権、菅政権の議会制民主主義無視の強権政治は酷かった。だからといって暴力的に解決できる問題でもなく事実そのようにリベラル陣営は対処した。そして政治の決戦場であった総選挙では、右翼側からの反共宣伝が巧妙に行われ、残念ながら野党統一候補の実務も直前までまとまらず、あれほどの非人道的な政治が継続されるところとなっている。だからといって落胆しているわけにはいかない。歴史は単純には進まないものだ。

 そこで元に戻って、私たちはウクライナに銃をもって馳せ参じることはしないが、ロシアの非道をSNSなどで告発することができる。そういう運動を連帯することができる。自分自身の非力さを嘆く暇があったらそういう文章を発信したり友人知人に語ることができる。
 コロナ禍を理由にただただ首をすくめていてはならない。当然のことだ。

 百均の「缶バッジキット58mm」というので幾つかのバージョンの缶バッジを作った。今は写真のバージョンのをサコッシュに付けている。

2022年3月13日日曜日

お松明(たいまつ)

   コンサートのように語るのはよくないかもしれないが、東大寺二月堂の修二会はクライマックス(12日夜の籠松明13日1時半からのお水取り)を迎えている。

 しかし、コロナ禍のため12日夜は周辺は立入禁止になっているし、他の日も参拝等が制限されている。

 昔、子どもが小さい頃は何回か行ったが、その頃は知る人ぞ知る古都の伝統行事のようであった。雪景色の中の「お松明」はすばらしく綺麗だった。・・が、その後旅行会社がツアーを組んだり宣伝したりして、大混雑の観光行事のようになり、長らく行っていなかった。

 そんな中、夏ちゃんファミリーが「一緒に行こう」と誘ってくれたので、コロナ禍を幸いに‥と言うと顰蹙を買うが、先日、何十年ぶりかで「お松明」を見に行った。

 修二会ではいろんな行事が進められるわけだが、その中の一つに「大咒願(しゅがん)」という、二月堂本尊の十一面観世音菩薩に修二会と祈願の趣旨を述べる(唱える)くだりがある。その大咒願(祈願文)の最後は、 天下泰安 風雨順時 五穀成就 万民快楽 余分功徳 三有法界 其中衆生 等出苦患 成無上道 となっている。抽象的なスローガンにすぎないかもしれないが、ウクライナの人々を思うとき、観音さん!ほんとうに天下泰安頼みます!と心の底から祈ってきた。

 同時に修二会は「十一面悔過(じゅういちめんけか)法」というのが正式名称で、自分自身の日々の反省が主題であるから、ウクライナなどの問題について、私自身何ができたか、この先何をするのかの反省・自問を「お松明」の灰を浴びながら考えた。

 閑話休題、 小さい頃連れて行った子どもとその子(つまり孫)に連れられて行ったというのが客観的に見てなんとなくおかしい。もひとつおかしいのは、奈良の知事はヘンコツで感染者数は多いけれど「大阪でうつっているんだ」「奈良の店は元々夜は早く閉めている」と言って一切の宣言・制限を行っていない。ということで、「お松明」のあと食事と少々のビールをいただいて帰ってきた。奈良観光の問題点は「お客がお金を落とさない」と常々ぼやかれているが、確かに二月堂周辺に人は多かったが、ターミナル周辺の店は知らん顔をしてシャッターを閉めていた。この欲の無さも奈良らしくていい。

 お水取りが済むと古都に春がやってくる。

2022年3月12日土曜日

語り継ぐこと

   11年前の3月11日を振り返る。フクシマ第1原発のメルトダウンがあった。世界中が驚いたはずだと思ったがそうではなかった。プーチンはウクライナの原子力発電所を攻撃し、電源を喪失させた。復旧させたという報道もあるが。

 ところで私だけかもしれないが「自分の生活圏」のイメージというのはけっこう狭い気がする。私は京都府の南端に住んでいる。生活圏は奈良市だし元々は大阪の南部、泉州地方の堺で育っている。

 だから日本海側というと、年に数回のリクリエーションの旅行先であって生活圏というイメージはない。おまけに”そこは近畿圏外の福井県”である。

 なので無知も伴う感覚では、福井県の原発を少し遠いところに感じていた。もちろん近畿の人でも北寄りの人にはそんなバイアスはないだろうが。

 そこで毎年この時期に自分自身に言い聞かせるように確認することは、「大阪府民でも北摂や北河内など北寄りの人は、福井県知事の居る福井市よりも原発に近いところもあるぞ」ということだ。京都、滋賀、兵庫の北寄りは言うまでもない。

 筆頭の地元代表は一般的にはその福井県知事となる。さらに地元の高浜町の助役には莫大なマネーが届いていた。こんな原発を「地元が心配していないのだから安全だ」と理解するのはおかしい。

 大論文を1本書くよりも、こんな気持ちをその都度振り返って語り継ぐこその方が大事でないか。

2022年3月11日金曜日

牽牛子(けんごし)は朝顔

   牽牛子塚古墳の牽牛とは朝顔のことだから、昔からこれが八角墳であることは広く知られていたようで、現代人が発掘して「八角墳だ」と騒いでいるのを古代人らは雲の上から笑っていることだろう。

 発掘された平成22年(2010年)に騒いだうちの一人は私で、現地説明会の長い長い行列を思い出す。

 その牽牛子塚古墳が築造時のとおりに復元され、この3月6日から一般公開されている報道があった。もちろん行ってみたいが、密を避けて少し落ち着いてからと思っているうちに花粉の季節になり、絶対にモーレツな花粉を浴びることは必至だから今は我慢している。

 牽牛子塚古墳は斉明天皇陵というのが大方の見解である。それがこのように発掘されたのは、真の継体天皇陵と同じく、宮内庁が別の越智岡上陵(車木ケンノウ古墳)を斉明天皇陵と治定しているからである。

 しかしながら日本書紀によると、斉明天皇は天智6年(667年)に亡くなり葬られたが、古墳の分析で非常に論理的に主張をされている白石太一郎先生によると、石棺系横口式石槨の型式編年から、さらに唐尺でなく高麗尺を用いていることなどから、牽牛子塚古墳は7世紀第3四半期まで遡らないことは確実と述べられている。つまり、古墳は書紀よりも30~40年ほど新しすぎる、と。

 ところで、書紀、文武3年(699年)には、越智(おち)と山科の二の山稜を修造(営造)したとある。もしこの「修造」が大規模なものであり、斉明陵については元の岩屋山古墳から移設されたとすれば、パズルはパチッと当てはまる。

 飛鳥の現在は古代の風景が残っている。というか、その後の木々が歴史を覆い隠して守っている。あちこちの竹やぶの下に日本書紀が埋まっている。日本書紀には少なからず意図的な改ざんがあるが、全部まとめて捨て去るのは惜しい。花粉の季節が済めば牽牛子塚古墳を訪れたいと思っている。

 

2022年3月10日木曜日

気候戦争という斎藤幸平氏

   『気候戦争としてウクライナ侵略を読み解く』という斎藤幸平氏のAERAオンラインの限定記事が「一読すべし」と友人から送信されてきた。これまで考えの及ばなかった視点だと思うので、参考のため骨子を紹介するが、正確には次のアドレスで全文を読んでいただきたい。以下は時間がなかったので殴り書きのようなものである。

https://dot.asahi.com/aera/2022030800057.html

■ ロシアによるウクライナ侵攻をめぐって様々な原因がメディアで取りざたされているが、気候変動に絡む事情が日本のメディアでは見落とされている。
 ロシア帝国再建という帝国的野望やましてや錯乱した独裁者の暴走とみなすのは不適切だ。
 愚かな帝国主義的侵略であると同時に「気候戦争」としての側面がある。
 欧米や中国は、自分たちが独自に制定する基準のもとで、他国の規格外の賞品を排除しつつ「環境に優しい」自国の新商品を他国に売りつけようと争っている。それが脱化石燃料による経済成長を目指す「緑の資本主義」の中核をなす(この新たなルール作りの蚊帳の外に日本がいるせいで、日本の政治もメディアも関心が極めて低い)。
 今後、化石燃料の需要は伸び悩み、リチウムが「21世紀の石油」となる。当然、そうした転換は、これまでの化石燃料の輸出で金もうけをし、諸外国への影響を保持してきた国にとっては大きな損失となる。
 ロシア経済は、化石燃料の上に成り立っているから、そうなれば致命的なダメージを被る。それは、オリガルヒと呼ばれる新興財閥の超富裕層たちに支えられたプーチン自身の権力体制に対する」死刑宣告になるだろう。
 気温が上がればロシアは恩恵を被るとの楽観的予測は一面的である。国土の65%を永久凍土が占めるため、地盤沈下によってビル、道路、空港、パイプラインにすでに大きなダメージが出ており、凍土の中に閉じ込められていたウイルスの拡散、山火事、洪水、そして干ばつによる小麦の生産量減少も生まれている。
 要するに、ロシアも気候危機への対応を迫られている。しかし化石燃料を手放すと経済が落ちる。脱炭素を遅らせればロシアそのものが瓦解する。ここに深刻なジレンマがある。
 中国は脱炭素化の技術力を身につけたが、ロシアにはその力はない。とすれば、原発に向かう道しかない。
 先に述べた干ばつを考えると、ロシアにとってウクライナ産の穀物が重要になる。
 さらにウクライナは、半導体に必要な、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン、などの主要産出国であり、「東欧のシリコンバレー」と呼ばれるほど科学技術の水準が高い。
 食糧、資源、IT、・・・アメリカや中国も含め、これからの世界の火種は気候危機のもとでの覇権争いになる。そういう視点でロシアのウクライナ侵略を見ることが大切だ。

2022年3月9日水曜日

佐紀の人

   昨日の記事で高松塚古墳の被葬者について、私は石川麻呂説も捨てがたいが忍壁皇子説が有力なように感じるという考えを述べた。

 ただ、石川麻呂説を発表されている研究者の一人である白石太一郎先生の石槨や土器の編年研究は緻密かつ論理的で、私は常に尊敬の念をもって理解している。

   そこで、細かい話は全て飛ばして有名な終末期古墳の編年に関する白石先生の意見を紹介すると、キトラ古墳→マルコ山古墳→石のカラト古墳→高松塚古墳となり、それぞれ説得力もある。で、話はそのうちの石のカラト古墳に行く。

 石のカラト古墳については度々書いたが、私が少し気合を入れて散歩したときの散歩コースにある上円下方墳である。広~くいえば佐紀盾列古墳群の北辺と言えなくもないと私は勝手に思っているが、それは少数意見である。

 平城京遷都・奈良時代直前の貴族ではないかとの説が有力だが、今のところ被葬者は絞られていない。

 昨日の高松塚に関わって妻と話し合った折、もっと年代の確かな確定はできないものかとなったが、1970年代に炭素14・年代測定法が確立されて研究が格段に進歩したように、50年もしたら炭素以外のものから物理学的な方法で測定できる時代が来るだろうと私は答えた。でも50年後ならその成果を私は見ることはできないだろう。それだけ、ああでもないこうでもないと楽しめる期間が長いということになる。

 毎夕食時にロシアの面白くないニュースが入ってくるだけに、夕食後に、こんな古代史を読んだり語ったり、そしてこんな雑文を書いてみたりするのは楽しい。コロナのパンデミックもこれあり、私はこうしてメンタルヘルスのバランスをとっている。

2022年3月8日火曜日

飛鳥美人

   先日来朝日新聞が「国宝壁画発見50年」として高松塚古墳を連載で大きく取り上げている。

 壁画は1972年3月26日に発表され、29日にはカラー写真が特報され、当時は考古学に興味もなかったがそれでも私は「俄古代史ファン」になったことを思い出す。

 その後、ひょんなことで発掘の主人公網干教授と同じ街に住み、折々に関係するお話などを聴くチャンスを得た。

 そんなもので、息子が大学受験を考える際には「実学なるものより、役に立ちそうもない学問の方が面白くないか」とアドバイスをし、結果として息子は史学を選択したが、親のアドバイスとして適切であったかどうかはわからない。

 さて、高松塚古墳というと被葬者は誰かというのが一つの大きなテーマとして残っている。
 被葬者の有力候補と、死亡年、年齢・・主な研究者名は次のとおりである。
 天武天皇 686年 65歳・・吉永登
 蚊屋皇子   ??年 ??歳・・有坂隆道
 百済王善光693年 ??歳・・今井啓一 司馬遼太郎 千田稔
 高市皇子 696年 43歳・・原田大六 大浜厳比古
 弓削皇子 699年 ??歳・・梅原猛 菅谷文則
 忍壁皇子 705年 ??歳・・直木孝次郎 王仲殊 猪熊兼勝 小笠原好彦
 紀麻呂  705年 47歳・・岸俊男
 葛野王  705年 ??歳・・和田萃
 石川麻呂 717年 78歳・・岡本健一 秋山日出雄 勝部明雄 白石太一郎 

 以上の諸説の中で私は、石川麻呂説と忍壁皇子説を有力と考え、未だに意見をまとめ切れていない。

 左大臣正二位石川麻呂は、平城京遷都にあたり藤原不比等によって旧都藤原京の留守番役にされて亡くなり、正一位を追贈されている。壁画の衣服や蓋(きぬがさ)等と矛盾はない。物部の氏の上として不比等に当てつけるように氏の総力を挙げて豪華に飾ったという説には魅力がある。また、養老令(の儀制令)では蓋(きぬがさ)について、皇太子は紫の表、蘇方の裏、錦を覆い。親王は紫の大きゆはた。一位は緑とあり、壁画の蓋(きぬがさ)の緑の総(ふさ)と合致する。

 忍壁皇子説は、石川麻呂が正一位追贈の官僚(左大臣)であってもそこまではできないだろう皇子クラスの豪華さであり、その土地、飛鳥は蘇我氏の本拠地、隣接する檜前(ひのくま)は東漢(やまとのあたい)の地であったが、後に天武陵が築造されたように天皇家の土地と言え、物部氏が築造できる場所でない。
 また土地は他の幾つかの古墳同様藤原京の中心線の南にあり平城京遷都(710年)以前に築造されている。海獣葡萄鏡は704年に帰国した遣唐使により持ち帰られたと思われる。壁画の着衣等を見ると、下着は「ひらき」で親王以下の官人は着用を禁止されていたが大宝令(701年)で復活しているのでこれ以降。衿は左前であるが、養老3年(719年)に右前に定められているからこれ以前。これら、図像、副葬品、土器から、結局704年から710年の間に築造されたもので、遺骨からは壮年以上と考えられるので、忍壁皇子となる。(総(ふさ)の緑だけが引っかかるが)

【注】忍壁皇子は天武天皇の皇子。壬申の乱では草壁皇子とともに名が挙げられている。持統天皇時代は不遇をかこっていたが、文武天皇4年(700年)6月に藤原不比等らと大宝律令の選定を命じられ翌大宝元年(701年)8月に完成させた。大宝2年(702年)12月に持統上皇が崩御すると、若い文武天皇の補佐を目的に、大宝3年(703年)正月に知太政官事に就任して太政官の統括者となる。天武天皇の最年長の皇子であったことから、最有力の皇族として重んぜられた。慶雲2年(705年)57日薨去。

プーチンが核に言及してウクライナ侵略を推進している時期にこんな夢の世界の思考に時間を費やしていてよいのかという自責の念もあるがお許し願いたい。

2022年3月7日月曜日

大鷭(オオバン)

   オオバンはツル目クイナ科オオバン属に分類されている。カモ類と一緒に泳いでいるが「属」はけっこう遠い。

 私の行動範囲の大阪、京都、奈良では絶滅危惧種や準絶滅危惧種らしいが、確かに何十年も前には「珍しい鳥を見つけた」と興奮したものだが、しかし近年はよく見かけるようになった。大阪の市内中心部の大川、天満橋横の八軒屋浜でも見た。

 温暖化が言われている下で、どちらかというと北側の鳥なのに増えている理由は不明である。「事実は小説よりも奇なり」とはバイロンの言葉らしいが、我が世代は「私の秘密」で教えてもらった。
 答は「権威ある?文章であっても鵜呑みにせず、自分の目で確かめることが大切」。私の実感ではオオバンは増えている。

   カモ類の中には美しい水鳥も多い中で、この人相(鳥相)は相当奇抜に思われる。額から嘴まで顔の正面が真っ白い。英語の慣用句には as bald as a coot 「オオバンのようなハゲ」というのもあるそうだ。

 なお、顔の白いところが白でなくが赤ならオオバンでなくバンである。

2022年3月6日日曜日

回想と渋滞情報

   五木寛之氏は著書『捨てない生きかた』の中で『人生後半期は記憶という自分が生きてきた証(あかし)、またその時代を呼び出す「豊かな回想のとき」だ』と述べておられるが、私が小さいころ住んでいた堺という街は、中世の「黄金の日々」から後も、文化の薫立つ都会であった。

 時代がまだ「戦後」と呼ばれていた頃は「堺駅」(元龍神駅)のすぐ西側に海が迫っており、東洋一の水族館のあった大浜は今のディズニーランドのような行楽地であった。

 その後豊かな海はコンビナートに代わり、私自身堺を転出し「故郷は遠きにありて思ふもの」の境地でいる。

 それでも、百舌鳥古墳群のことや打ち刃物やくるみ餅などなどの話題がテレビであると、懐かしく見てしまう。郷愁というか、こういう感情は理屈ではないところがある。

 自動車を運転される方はお分かりだろうが、ラジオは頻繁に道路情報、渋滞情報を流してくれる。そしてシバシバ「4号湾岸線大浜付近渋滞」の注意がアナウンスされる。

 私はというと、暮らしていた頃は4号湾岸線も阪神高速堺線もなかったのだが、そして泉州の大幹線・国道26号線も今とは異なっていたのだが、ただただ「大浜」という地名だけに反応し郷愁がよみがえってくる。

 一般に、世の中は効率化だとかで学校が統廃合されたり地名が変更されたりすることがままあるが、それは人生の豊かな回想をやせ衰えさせることにならないか。ラジオでは渋滞の名所・大浜だが、私によみがえるのは殷賑極める水族館と海水浴場だ。

 戦後の豊かさを支えたインフラが経年劣化し更新が待ったなしになっている。環境にツケを回してきた気候、エネルギー、さらにはアジアの非核・平和共存外交も放置できない。そういう時代に、旧態依然とした万博というイベントで「高度成長時代の夢」を見て、さらにIRという賭博を奨励する。あるいは不当・不法なロシアの侵略行為に悪乗りして核兵器の共有を語るというような地方自治行政でよいのか。

 「昔はよかった」というだけの年寄をかばうつもりはないが、口先では目新しい「ことば」を打ち出しはするが、結局は弱肉強食の古い経済を称揚し、空虚なトリクルダウンを説く維新のような発想こそ思考停止だと思う。

2022年3月5日土曜日

実録「コロナ戦争」前半

   国の政治でも、企業の経営でも、労働運動でも、もちろんアカデミックな研究でも、「調査なくして方針なし」は大原則だ。私は若い頃、法政大学田沼肇教授からそう教えられたし、そういう姿勢を大事にしてきた。

だから2020年新年、新型コロナ肺炎が報じられ始めた頃、政府が「PCR検査(つまり調査)は拡大しない」と言ったときには信じられなかったし、さらには「医療崩壊を防ぐため37.5度以上の熱が4日以上続かない限り受診するな」という方針が報じられ、テレビや新聞がそれへ右へならえをしてキャンペーンを始めたときには耳を疑った。

 なので、それまであまり見なかったテレビの情報番組(ワイドショー)を見てみると、それに輪をかけたようなコメンテーターや司会者の「解説」が溢れる中で、テレビ朝日の「モーニングショー」に元国立感染症研究所・現白鴎大学の岡田晴恵教授が政権に近い何人かの権威ある先生方の名前を出して「お願いですから方針を変えてください」と本気で訴えられているのを目にして注目しだした。

 その後「コロナはインフルエンザのようなもの」とか「ヒトからヒトには感染しない」とかいろんな妄言が飛び交う中で、著名人の死亡などが報じられると、今度は「専門家会議」の重要なメンバーである日本医師会釜萢副会長がテレビで「われわれは37.5度以上の熱が4日も続けば必ず受診するように言ってきたが、それがそれまでは受診しないようにと誤解して報道された」と言い放った。若い娘ではないが私は「ウッソー!」と叫びたかった。

 冒頭の「調査なくして方針なし」には反するが、私は釜萢副会長という人は信用ならぬ人、そして岡田晴恵という人の言には変な忖度がなさそうだと私は確信した。

 その後は週刊誌や、その意向を大いに反映したいわゆるネトウヨによって、ネット社会で岡田教授の誹謗中傷が目につくようになり、それを反面教師として私は岡田教授の主張に注目して今日まで来た。

 では、そのように見えた局面局面で、どういう人々がどういう風に動いたのか。そのようになった構造的な問題はどこにあるのか。『秘闘ー—私の「コロナ戦争」全記録』新潮社で著者は専門家や政治家をビシビシ実名で評している。この本は、感染症に注目する人も、政治の未来に注目する人も、必ず購入して座右に置いておかれるべき本だと思う。

 まだ購入されておられない方は書店または通信販売にアタックされたい。

 いっぱい紹介したい内容があるが、紹介し始めると本になってしまいそうなので内容紹介はしない。読んだうえで一人ひとりが考えるべき課題だろう。

2022年3月4日金曜日

大門ワールド

 京都民報(2月27日)の大門みきしさんの『いきいきエッセイ』には大門ワールドが輝いていた。

 🔳 私の孫のねおくんは、小学2年生の男の子です。重度の難聴で、ろう学校に通っています。明るく元気でボウリングが大好きです。手話が早くて、なかなかついていけないのですが、今のところスキンシップで通じ合っています。
 先日、久々に休みをもらい、ろう学校まで、ねおくんを迎えに行きました。すると通学路をねおくんと同じくらいの男の子が、重そうなランドセルを背負い、しくしく泣きながら一人で歩いてきます。先生に叱られたのか、友達とけんかしたのか。それとも他の小学校の子にいじめられたのか。近づいて手話で「どうしたの?(立てた人差し指を左右に振る)」と聞くと、小走りに逃げて行きました。怪しいおじさんと思われたらしい。
 谷川俊太郎さんの絵本『ともだち』を思い出しました。「ともだちって、かぜがうつっても、へいきだって、いってくれるひと。いっしょに、かえりたくなるひと。みんなが、いっちゃったあとも、まっててくれるひと」
 以前、ろう学校の女の先生が、安倍政権の新由主義教育改革によって、特別支援教育にも自助、競争の流れが強くなったとおっしゃっていました。それが学校生活に余裕を失わせ、障害のある子どもたちにまで分断をうんでいなければいいが。どの子も大事に育ててほしい。
 そんなことを考えていると、「G,G-!」と、ねおくんが私を見つけて走ってきました。この子に幸あれと願いながら、しっかりと抱きとめました。🔳


2022年3月3日木曜日

流し雛

   昨日の記事で、雛祭りの由来はいろいろあるが有力なひとつは「流し雛」だろうと述べた。
 そして、「祖父ちゃんは人形(ひとがた)を作るぞ」と書いた。
 その3月2日、凜ちゃんの療育園がコロナリスクで当分「学校閉鎖」となったので、急遽凜ちゃんのイクジイの日となった。

 そこで、凜ちゃんにふさわしい人形(ひとがた)を作って、凜ちゃんに「フーフーして」と息を吹きかけさせたところ、何かの遊びと思った凜ちゃんは言われた通り「フーフー」としてくれた。

 これで人形(ひとがた)が凜ちゃんの病気や厄災を背負って身代わりになってくれると古人は考えたわけだが、それを目を三角にして「そんなことはない」「古い迷信だ」と解説しても面白くない。

 3月3日は元々イクジイの日であったから、「ジイチャン、タキビ」との凜ちゃんの要望に応えて焚き火をして、この人形(ひとがた)を焚き上げようと妻も言っている。

 3月3日はちらし寿司(大阪では「ばら寿司」)作りで忙しくなる。
 世界情勢とは噛み合わないが、こういう年中行事を一つひとつこなしながらこの国の文化や伝統を考えるのは楽しい。
 夏ちゃんには雛人形のハンカチをプレゼントした。ありがとうとのショートメールがあった。

2022年3月2日水曜日

桃始めて笑う

   タイトルの「桃始めて笑う」は「七十二候」「啓蟄」の「次候」。旧暦では桃が咲き始めるというのだが日本ではちょっとだけ早すぎるから、やはり中国大陸の季節感だろう。

 3月3日は「上巳(じょうし)の節句」でひな祭り。サトーハチローが間違ったので男雛のことを「お内裏さま」と歌詞にしたのを後生に笑われているが、あまりに影響力が大きいので「男雛をお内裏様という」とそのうちに国語辞典に載るかもしれない。
 あえて言えば「帝(みかど)」だろうか。

 「左右」の並び方(並べ方)もよく問題になるが、お雛様側から見て左近の桜・右近の橘で左側が上位であるから、ジェンダーのことを論ずるのでなければ、歴史を踏まえると左側(向かって右)が男雛だと思う。(京都の左京区、右京区は御所から南面しての左右の位置)

 ずーっと以前、娘が生まれたときに義父母から七段飾りの立派な雛人形をいただいたが、六畳の間を占拠してしまうので公共の施設に貰ってもらった。その後は立雛の掛け軸にしていたが、ちょっと寂しいので今年、写真のとおり二代目の雛人形を加えることにした。

 雛人形の前に物差しを置いてみたが、左右で15センチもない。そして凜ちゃんが投げ捨てても壊れなさそうな丈夫そうなプチ雛人形にした。これなら仕舞っておくにも場所をとらない。

 雛祭りの起源には様々なものがあり、それが合流して今があると思うのだが、源氏物語にもある流し雛が大きな源流のひとつだろう。つまり災厄除去の素朴な祈りに違いない。
 で、祖父ちゃんはこれから人形(ひとがた)を製作して、その人形(ひとがた)を焚き上げて孫たちの無病息災を祈ることにしよう。祖父ちゃんは忙しい。病気など言い訳にしておれない。

2022年3月1日火曜日

体が緑の

   孫の夏ちゃんからショートメールが来た。夏ちゃんのスマホには子どもの危険防止のためラインや画像送信機能がないからショートメールだ。

 「体が緑、尻尾が黒、はらが白、この鳥なあに?」と聞いてきた。

 添付の写真をお母さんのラインに送って「この鳥ならメジロだよ」と書いたら「そうそう、これこれ」と返ってきた。

 冬休みなど我が家でダラダラしているとき、「ゲームはええかげんにしな」などと言うと「くそ爺い」などと悪態をついたりするし、宿題も難しくなって私に聞いたりしなくなったが、鳥とちょっとしたアウトドアのことではまだ祖父ちゃんは一目置かれているようだ。
 妻は、嬉しいことやろうと言ってくれている。

 「おしん」ではないが昔の子どもには生活力があった。学校では教えられないそういうことが大切だと思い夏ちゃんに伝承しようとしているのだが、先日は薪割の斧で指を少し切ってしまった。
 妻は私に「あれぐらいの怪我の経験はええことや」と言ってくれたが、(夏ちゃんの)お母さんの心の底はどうだろうか。少し心配している。