2021年12月31日金曜日

歴史が証明する

   一年の政治の感想めいたことを一言でピックアップするのは難しいけれど、あえて言えば「歴史が証明する」にさせていただく。
 総選挙の野党共闘に対する反共攻撃のことである。

 野党共闘は自民党の幹事長や有力議員を落選させるなど大きな効果を発揮した。それを自民党の議員が振り返ってみて「厳しい選挙であった。敵失による辛勝だった」と述べた。「敵失」というのは連合吉野会長の反共、反野党共闘「口撃」で、それに動揺した野党共闘側の一部の日和見だった。

 「口撃」の中身は古臭い印象操作であった。地方自治体の野党共闘選挙で昔から「〇〇が勝ったら県庁に赤旗が立つ」と「口撃」されたものと同程度のものだった。

 1981年のフランスの大統領選挙を思い出す。左派統一候補のミッテランに対して右派はテレビ討論で執拗に「共産党と組むとソ連になる」的な「口撃」を繰り返し、私はミッテランがどう説明するのかとテレビを観ているとミッテランは「おお、その話は聞き飽きた」と切って捨てた。

 論争としてそれが良い態度なのかどうかは知らないが、クリスチャン(カトリック)とコムニストが「神を信じる者も信じない者も」と統一戦線を組んだフランスのレジスタンス以来の歴史の厚さに、当時の私は感動さえ覚えた。

 日本における企業内労働組合や労務部の代弁者たる御用組合について今さら指摘する必要はないが、いや、やはり繰り返し語るべきなのかもしれない。
 私は大阪総評の実質的な最後の大会で、執行部提案の「エセ労働戦線統一、総評解体」に反対する共同修正案の提案者であった。そして、壇上から「この方針の誤りは歴史が証明するだろう」と締めくくった。

 2021年総選挙では残念ながら、歴史は私の指摘が正しかったことを証明した。
 それでも、リアルパワーは市民と野党の共闘にある。2022年には参議院議員選挙がある。確信は揺るがない。
 ミニコミ紙を早く出したいが体調不完全なのが悔しい。
 ブログをお読みいただきありがとうございます。来年も力を合わせてよい年にしてまいりましょう。

 □ 歳越すやキャッチコピーはカラ元気

それでも地球は廻る

   ドイツではメルケル政権からショルツ新政権に代わったが、本日2021年12月31日、原発3基が稼働を停止する。(写真は東電福島原発メルトダウン事故)

 メルケル前首相は2011年3月11日の福島原発事故を受け、即時に原発17基のうちの老朽化した7基の運転を停止し、同年6月に原発撤退を法制化し、これまでに11基が停止されていたが、本日3基が停止され、残る3基も2022年中には停止される。

 ヨーロッパでは、フランスが小型原発を評価するとしたことや、チェコなどでも老朽化した原発が稼働しているというような諸問題は残しながらも、ベルギーやスペインでも全面停止に向けて検討が進んでいる。

 歴史は螺旋状に進歩するなどという言葉があったが、国内の選挙結果で思うように政権交代に近づかなかったことなどから、歴史の本流を見失ってはならないだろう。

 我がなき後に洪水よ来たれ!というような利己主義が永遠に続くはずがない。ドイツの選択は理性の勝利を表している。

 2022年、逡巡している暇はないし悲観する必要もない。今年も拙いブログをお読みいただきありがとうございました。

2021年12月30日木曜日

去年今年

   高浜虚子の有名な句に、 去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの というのがある。物理的にいえば新年などといっても一続きの時間だとの指摘は味もそっけもないが、そういう本質をあえて俳句にしたのも偉い。

 近頃は、例えばブラックフライデーなどなどデパートやスーパーとテレビラジオが年中?行事を煽る傾向があって面白くないが、さはさりながら、旧習は馬鹿なことだと思いを致さないのもいただけない。

 極論を言うと、歌や舞などの文化の淵源には神事があったし、文学を読み解くうえでもその種の教養は必要である。故に、年中行事にしても、歴史とその古さゆえの非合理的な側面を咀嚼して理解しつつ、大事にしたいと私は思っている。

 1年に1回の作業をルーティンワークと言ってよいのかどうかわからないが、今年も祝箸の箸紙(箸袋)を作成した。古い大阪の形で「下から上に入れる」形である。今般の文字は「吉祥」にした。めでたいこと、幸先の善いことの兆しあり という気持ちで文字を選んだ。

 そういう作業を通じて、1年を振り返り、新年にはさらに努力しようと決意すると言ったら「ええかっこ」だろうか。

2021年12月29日水曜日

定数削減は高くつく

   小選挙区制が議会制民主主義にとって障害物となっていることはこれまでに述べた。

 マスコミを利用して嘘八百に近いキャッチコピーで支持を集めてきた維新の会が2月の大阪府議会で議員定数を88から79に1割削減する条例改正案を強行しようとしている。

 1人区は現行の31から36に、全体の7割が1人区という小選挙区制の弊害を拡大するものだ。選挙区による選挙権の格差は現行の2.15倍から2.19倍に拡大する。

 以前に書いたが、〇〇区の意見が一人(1政党)の意見であるというのは虚構である。であれば、現行の定数88のままでも合区をして31選挙区にすれば、一票の格差は1.95倍に縮小できる。当面の共産党の対案である。

 民主主義を馬鹿にする維新が、例の何かの一つ覚えの「身を切る・・」と言って定数削減を図るのは、維新の党利党略以外の何ものでもない。

 莫大な政党助成金にはだんまりを決め込んでの維新の党略を許すなら、戦後民主主義を9議席のために売り渡すことになる。

 大阪府議会定数削減案に反対してほしい。

2021年12月28日火曜日

朝日の異議ありに異議あり

   小選挙区制が民主主義の大原則に照らして致命的な欠陥を持っていることは昨日書いた。
 ところで、朝日新聞の24日の「オピニオン&フォーラム」は「異議あり」というタイトルまでつけて、「比例復活当選への批判が相次いだ」という論調で主張を展開し、多かれ少なかれ他のメディアも少し面白おかしく同様の論を展開している。それって、ほんとうにそれでいいのだろうか。

 テレビでいえば、総選挙の前の自民党総裁選は多くの時間を割いて報じたが、比較すれば明らかに総選挙そのものの報道は少なかった。
 少ない報道の中身でいえば、新聞も含め、競馬のレース予想よろしくの報道は多かったが、安倍・菅政権の総括、残された宿題に関わる報道はスルーした。

 その延長線上のゲーム感覚で、小選挙区という本番で負けた候補者が「裏口入学」するかの「ゾンビ復活」という、なんとも情緒的な論に思えて仕方がない。

 いうまでもないが、国会の審議の中心は委員会審議となる。すべての事項を本会議で行うというのは全く非現実的であろう。となると、政党が議席を争って多くの委員会に精通した委員を送り込むという政党政治が基本となることはいうまでもない。
 
 民主主義を議会制度の原則と考えるならば、小選挙区制よりも比例代表制の方が国民の総意を反映しやすいわけだから、「ゾンビ復活」などと茶化すのでなく、本質的な議論を提起すべきだろう。

2021年12月27日月曜日

小選挙区が政治を劣化させた

   細田博之衆院議長は1220日自民党の会合で、15都県の衆院小選挙区定数を「10増10減」とする「1票の格差」是正策について、「数式によって地方(の分)を減らし、都会を増やすだけが能ではない」と批判したが、2016年法改正に基づく施策について、公正中立な立場で議会運営に当たらなければいけない議長が異論を唱えるのは異常なことである。

 司法の場で度々「違憲状態」が指摘されたため、国勢調査の結果にあわせて定数を変えていく仕組みをつくったのは自民党であるが、山口県のように党内で重要な県?が減らされるとなると異を唱えるのは身勝手極まりない。

 そもそも小選挙区制には国勢調査(人口の変動)の度に定数や区割りを変更しなければならないという基本的な欠陥があることを直視すべきである。

 連邦制の国家や合衆国のような場合を少し横に置けば、国会議員選挙の原則の基本を小選挙区制にする必要はどこにもない。否、害ばかりといえよう。

 いみじくも細田議長は「人口比で国会議論が進められるなら人口の少ない地方(田舎)の意見は多数の都会の意見によって無視される」という趣旨の発言を行い、少なくない世論がそれを首肯している傾向があるが、国会の議論が公平民主的に進められるかどうかは社会の民主主義(民度)と各政党の見識の問題である。それを選挙制度の問題としてとらえるのは問題のすり替えである。

 この国には、都会と田舎以外に、もっと激しい違いが各部署にある。女性の雇用と賃金の状況を見れば、都会と田舎の定数以前に男女で平等な定数であるべきだという主張もある。
 使用者責任の存する使用者と労働者の立場の違いを国会に反映させるなら、その人口比を定数に反映させるべきだと考えてもおかしくない。商い人と消費者、産業ごとの利害等々、それらを選挙制度、定数で解決できるはずがない。だとすると、都会と田舎だけがどうして選挙権で1対0,5や0,6で構わないと言えようか。

 元に戻って、国会は国民の多様な意見を実態に即して反映させ、違いを超えた一致点を合意すべく議論することこそが最重要課題、使命である。
 その基礎となる選挙区を小選挙区にして、その選挙区の代表意見は比較多数の個人や政党の意見と同じと言い切ることこそ虚構である。その選挙区にも多様な意見があり、他の選挙区にも同様に多様な意見があり、国民の中にも無視しえない多数の意見があるのが現実であるにもかかわらず、それぞれの選挙区で比較多数で無かった意見はいわゆる「死票」となることこそ最も決定的な小選挙区制の致命的欠陥である。

 2021年の衆議院選挙大阪府の小選挙区の結果を見よう。定数19の内、維新が15、公明が4,あと自民も共産も立民も国民もれいわも0であるが、これが大阪府の意見の実像でないことは明らかでないか。事実、二度にわたるいわゆる都構想は住民投票で否決されたことをなんと見る。

 香港の選挙を非民主的だと批判するなら、現実に起こっているこの大矛盾を放置しておいてよいはずがない。
 安倍内閣後の政治を語るには紙数が足らないが、この国の政治の劣化を招いた原因の重要な一端が小選挙区制にあるのは明らかではないだろうか。

2021年12月26日日曜日

まもなく寅年

   2021年・令和3年もあと1週間を切った。
 来年は寅年である。外国人の目途がはっきりしない阪神タイガースはどうなるのだろう。

 さて、一足早く孫の凜ちゃんが虎になったが、写真というのは怖いものでこの写真を見ると凜ちゃんが虎の帽子を機嫌よく被っているように見えるだろうが、実は凜ちゃんは異常にこだわりが強くて帽子、手袋、マフラー、マスクなどを受け付けない。

 だからこの写真は、被せてから凜ちゃんが投げ捨てるまでの一瞬の姿である。

 で、今日このブログで言いたいことは、テレビのニュースも、新聞の写真だってこれに近いということで、そういう誤解というか、意図的な意識の誘導は怖いことだということだ。

 大阪府は読売新聞大阪本社と包括連携協定を締結する。締結式は27日だ。これは非常に良くないことだと私は考える。

 オリパラのオフィシャルパートナー要はスポンサーになったマスメディアがオリパラを基本のところで批判できなかった事実を私たちは忘れるべきでない。

 ただし、凜ちゃんのこの写真には全く他意はない。

2021年12月25日土曜日

使用価値と交換価値

   「使用価値」は実感できるが「価値」は五感では捉えることができない。
 写真は、お餅つきの際に妻の実家で昔から使ってきた年代ものの「薪(まき)カマド」である。リングの金具は私が後で噛ませた。

 妻の実家のお餅つきでも、譲り受けてからはわが家でも、さらには自治会のお餅つき大会や老人ホームのお餅つき大会でも使われてきた。
 義母の晩年には老人ホームのお餅つき大会で、「おばあちゃんのカマドを使っているよ」というと、懐かしそうに嬉しそうに喜んでくれた。
 作業メンバーもみんな揃って「年代ものですね」「そういえば昔見たことがあるね」「味があるね」などと感心した声が多かった。

 歴史つまりは思い出がいっぱい詰まった薪カマドで、そういう意味では「使用価値」はとても大きいものだ。
 難点は、ごらんのとおり煙突という発想がないからどうも燃焼効率が悪く、上手に使用するには技術が必要なことである。
 そこで、今後のために、もう少し効率の良いカマドに買い替えることにし、『昔の暮らしの道具』として然るべき「資料館等」に寄贈すべく電話をした。
 その結果は、保管スペースもこれあり・・と、どこも断られた。

 そうか、思い出というスパイスまで効いた使用価値だけで寄贈を考えたが、客観的な交換価値はなかったのだ。
 何かいっぺんに体から力が抜けていく感じがした。

2021年12月23日木曜日

住吉踊り 4

   12月13日のブログのコメントでスノウさんから、生田花朝女の大和絵の画賛が、能・謡曲の高砂に出てくる有名な歌『われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松幾世経ぬらん』であることを教えてもらった。
 その歌はさらに元をたどると平安初期の『伊勢物語』にあることはそれ以前に書いた。

 さて伊勢物語というと、主人公「昔男」は在原業平と言われており、薬子(くすこ)の変によって嵯峨天皇に敗れた平城(へいぜい)上皇の孫で六歌仙の一人でもある。
 平安京から旧都平城京(へいじょうきょう)への遷都を試みた平城上皇は平城京の東北に住いし「萱の御所」と呼ばれたが、孫の業平はそこを不退転法輪寺と号したお寺にした。略して不退寺で俗に業平寺という。

 業平と伊勢物語については、平群の十三峠に関わって以前にこのブログで「井筒」に触れたことがあったが、このブログで再会するとは思っていなかった。そもそも「業平寺」はわが家からそんなに遠くない。何度かは参拝したこともある。

 そんなもので、「何かの縁」というほど大袈裟なものではないが、今般車を走らせた。
 「業平寺(不退寺)」は以前に比べて寂れた感じがした。
 受付からの連絡を受けて老僧が本堂を開けてくれた。
 こんな冬にお参りに来る人は私以外見当たらなかった。
 名だたるプレイボーイのお寺というよりも、老僧がただ仏をお守りしている静かな古刹であった。老僧は別に解説するわけでもなく、穏やかな時間をいただいた。

 元に戻って、住吉の松は高砂の松とペアの、相生の松、夫婦(めおと)松である。そして能、謡曲「高砂」の大主題はこの「松」である。林望氏は「本曲には私どもの「民族の記憶」が豊かに息づいていて、それがこの曲を、能を代表する祝言曲たらしめている」とのべ、「松は、すなわち神の憑代(よりしろ)にほかならないのである」と指摘している。異議はない。
 まもなくお正月だが、わが家では玄関に夫婦松を並べるのが決まりとなっている。クリスマスが済めばお正月の準備をする。

2021年12月21日火曜日

健気なハナ〇〇

   「こんな寒波の中でも働いている健気なミツバチがいた」と言って妻が捕まえて持って帰ってきた。

 しかし残念ながらこれはミツバチではない。
 もしかしたらクマバチを小さくしたハナバチかもしれないが、シルエットからするとハチ目ではなく、アブつまりハエ目と思われた。

 スマホで撮った写真を拡大したら、触角はないし、ギョロギョロ目玉はハエのそれである。
 せっかく「健気なミツバチ」と思っていたのが妻はがっかりしているが、一見したところではハナバチそっくりさんだからまあまあ仕方がない。

 それに、ハチでなくハエでがっかりすることはない。ハエ目といってもアブであるし立派なハナアブである。ハナアブだって冬空に健気でないか。

2021年12月20日月曜日

ファイヤースターター

   子どもなどがゲーム機器に依存しないために大切なことは、(使用)時間制限を強いるということよりも、子どもたちにリアルな楽しみを教えてやることだと思う。
 孫の夏ちゃんにはそういうつもりで接しているが、言うは易く行うは難しで、そんなに簡単なものではない。

 さて冬のリアルといえば焚き火と焼き芋だろうと”昔子ども”は考えた。そしてせっかくなら火打石で着火させようと考えてネットを繰ったら、近頃のソロキャンプブームのせいか、コンパクトなファイヤースターターというのが超廉価で出てきた。原理は火打石と全く同じである。

   火打石よりは少しだけ人工的な気もするが、スイッチ一つで熱が得られる現代社会の水準よりは相当自然に近い。これなら自分の力で火を得たという気分は十分するだろう。プロメテウスがいなくても・・・。

 しかし夏ちゃんが来た時に全く着火できないとがっかりさせるので、とりあえず夫婦でテストを行った。
 廉価なだけあって?説明書(トリセツ)は一切ない。結局、見様見真似というか「こうだろう」という勘でやってみて、「火花が飛んだ」「着いた、着いた」と年寄り二人で喜んだ。孫よりも年寄りの玩具になりそうだ。

 後先が反対だが、テストが終わってからネットで勉強したところでは、①ロッドというマグネシウム合金の棒のコーティングの塗料を先ず剥がすこと、②ストライカーという金属の先端のギザギザでマグネシウムの粉を火床の上に削り落とすこと、③その後打つというよりもストライカーでロッドを削るように擦って火花を飛ばすこと、がポイントらしい。

 それにしても、ライターやマッチなしで火を熾すだけで、どうしてこんなに楽しいのだろう。もちろん着火剤も使わない。古い外用のタオルの切口から糸くずを取り出したのが正解だった。
 上の写真の真ん中の棒は、伸縮性の火吹き竹だが親切なものである。

2021年12月19日日曜日

60分で聴く人新世の資本論

FBの友人の信田宣司氏からこのラジオを教えていただいた。
NHKのカルチャーラジオの日曜カルチャー12月12日放送分の「らじる☆らじる」
『人間を考える~現代を見つめる~』
大阪市立大学大学院准教授 斎藤幸平氏
本を読むよりも1000分の1以下の労力で学べる。
これを聞き逃す手はない。60分。

 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=1940_01




2021年12月18日土曜日

冬が来た

  冬が来た
        高村光太郎

きつぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹(いてふ)の木も箒(ほうき)になった
 
きりきりともみ込むような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
冬よ
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食(ゑじき)だ
 
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のやうな冬が来た





  

2021年12月16日木曜日

クオータ制のこと

   12日にクオータ制を推進する会(Qの会、代表赤松良子元文相)がオンライン集会を開き、各党がビデオメッセージを寄せ、共産党小池書記局長は「国連などの国際的な目標を踏まえ、日本でも30年に政策意思決定の構成を男女半々にする目標を掲げ、政治分野でクオータ制導入を進めるべきだ」と主張したことが報じられていた。

 日本では10月の総選挙を受け、女性議員の比率が10.1%から9.7%に後退し、世界的にも最悪の後進国となっているから、この主張は遠い世界の課題ではなく、目前の重要な課題だろう。

 しかし私自身、世界中のクオータ制の内容はほとんど知らず、主にその目標が「選挙制度」と考えるなら、現下の小選挙区制が、例えばAという自治体の意見が、実際には多様であるにもかかわらず比較多数一人(一党)の意見とされ、そういう小選挙区代表が集合した議会が全く多様な民意を取捨した、現実と甚だしく乖離した構成となっている大問題とどのように整合していくのか十分理解が進んでいない。

 ただ共産党の小池書記局長が「候補者男女半々の実現と、30年までに当選者の女性比率50%の目標実現をめざし頑張りたい」と表明したことは大賛成である。
 クオータ制の勉強もしなければ。

2021年12月15日水曜日

古代の乗用車

 平城京を北に向かうと木津川にぶつかる。古代の「幹線道路」にあたるのは川=船運であって平城京の重要な陸揚げ拠点が木津であった。それを裏付けるように、以前に、木津の近くのR163のバイパス工事現場で当時の大八車?の轍が発見されてそれを現地説明会で間近に見ることができた。
 そのときに、このように大八車=車輪があったのに、平安京では牛車が活躍したが平城京ではそう言う話を聞かないことが不思議であった。ただし、それ以上勉強もせずその疑問は忘れていた。

 昨日、小笠原好彦教授による古代史講座で長屋王の変を学んでいるときにその意味が判ったようで自分自身で納得したことがある。
 さて、古代史を忠実に再現するイラストレーターに早川和子氏がいる。多くの文献を踏まえて正確に描こうと努力されている方である。

   長屋王は、謀反人とされながらも勅(みことのり)して「罪人に准(なずら)ふと雖(いへど)も、その葬(はぶり)を醜(いや)しくすること莫(なか)れ」とされ、生馬山(いこまやま)の平群(へぐり)に葬られたのだが、そこへ向け棺が長屋王宅を出発する早川氏のイラストが目についた。

 つまり、平安より前の古代においては、牛車は乗用車ではなく霊柩車のイメージが強すぎたのだろう。
 それは、葬送の歌、死を悲しむ歌を挽歌(ばんか)(挽(ひ)く歌)ということと通じている。
 現代の乗用車でも、リア(後ろ)の扉を左右対称の観音開きにしていないのは同様の連想があるからではないだろうか。

 古代の謀反、その中の長屋王の変などを学びながらも、講義の主要ではない変な個所が印象深かった。

2021年12月14日火曜日

夏か冬か

   冬隣という季語は知っているが、こんな情景を何と呼べばよいのだろう。
 写真の上方はツルムラサキで季語は秋というのが多いが夏とされている文もある。
 俄かファーマーの実感としては文句なしの「夏野菜」である。

 そして下方の野菜は結球前の白菜をはじめとする「冬野菜」である。
 夏野菜は最終コーナーだろうが、このように冬野菜と並立して面白い畑になっている。
 畑の一角では春のウスイエンドウがけっこう大きくなっている(ウスイエンドウは霜や雪対策上冬季に大きくしない方が良いのだが)。
 そういえば玄関横のグリーンカーテンの西洋朝顔も、今でも順番に花を咲かせている。

 こういうのを「季節がない」と悲しむべきか、自然界の現実には夏野菜や冬野菜などという人間の勝手なレッテルは似合わないと悟るべきか。

 今は現実の季節(気候)に急かされるように夏野菜を食べている。ツルムラサキは冬の鍋料理に入れている。これも考え出したら少し可笑しい。

2021年12月13日月曜日

住吉踊り 3

   12月4日5日に生田花朝女の『住吉踊り』の大和絵を購入したことを書いた。
 ところが悲しいかな『国語乙』欠点の身には画賛が読めず、息子にSOSを出して息子の知り合いの先生に読んでもらった。
 その結果、それは住吉に因んで伊勢物語の117段住吉行幸の有名な歌であることが解った。
 【われ見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 幾世経ぬらむ】
 そして実際の文字は【吾見天も 久しくなりぬ 春三よし乃 幾しの 姫まつ 幾世 経ぬら無】らしいことを息子と一緒に読んだ。
 現代語訳では「私が前回に見てからもずいぶん久しい時が経ったものだが、この住吉の岸辺に生えた姫松はいったいどれくらい長い世(何世代)を生き抜いてきたのだろうか。(このあと神が返歌するが省略)

   変体仮名、くずし字をどう読むかというのは難しい。『くずし字辞典』は持っていたが、漢和(字)辞典のような法則性もなく、その辞典ではたどり着けなかった。
 それならと、これを機会に少しはイメージを近づけられるよう、どちらかというと変体漢文を読むための『古文書・古記録訓読法』という本も買って来た。

 そうして、後付けながらも画賛の歌の文字を拾うことができた。
 歌の現代文は書店で伊勢物語を立ち読みしたからよくわかった。

 今さら古文の読み方を勉強しても・・という気はないことはないが、歳をとってから新しい勉強の分野を広げるのも楽しい。焦らずじっくりと勉強してみたい。
 このブログ、碩学の方が読んだならレベルの低さに吹き出されるに違いない。

2021年12月12日日曜日

クリスマスプレゼント

   孫の夏ちゃんのクリスマスプレゼントのために、夏ちゃんと一緒にショッピングモールへ出かけた。
 世の中はボーナス直後ということもあるのだろうか、たくさんの人出で賑わっていて、私も妻も人に酔ってしまった。自分の生活のリズムと世間様との乖離を感じた。

 だいたいが何の段差もないフロアで屡々靴がつんのめった。気持ちのようには足が上がっていない。情けない。

 草餅を一つだけ買って妻と半分ずつ食べた。私はけっこう「マスク嫌い」だが、マスクを意識しないまま草餅を食べようとして、マスクに餡子がべったりついた。注意力散漫も度が過ぎている。

 こういうのが「老化」という奴なのだろう。堂々とした一人前の爺さんになってきた。

2021年12月11日土曜日

一病息災

   私の現状は少し息が上がりやすいということはあるものの、徐脈や頻脈の発作がないときにはまあまあ普通の日常生活を送っている。
 発作が怖くて遠出ができないくらいである。

 そんなもので、このブログを読んだ先輩が見舞いの電話をくれた時に私が元気な声で出たものだから、「想定外」で驚かれた。驚かせてすみません。

 別の古い友人は主治医が「手術不成功」と説明したことについて、「手遅れだったのか」とメールで尋ねてきてくれた。でも「手遅れか」との問いを本人にするか? 正直というか単刀直入もちょっと困る。

 少し良い話は、12月1日に心臓弁の手術をした後輩が10日に退院したとメールをくれた。
 一病息災はけっこう的を射た教訓だろうから、良い方良い方に解釈しよう。

 写真はただの綿虫。
 季節を感じるし、自然の逞しさも感じる。

2021年12月9日木曜日

あわてんぼうの

   〽あわてんぼうのサンタクロース という歌があるが、孫の凜ちゃんが「やってきて」くれたり、孫の夏ちゃんが飼っているヤドカリの成長記録をスマホに送ってきてくれたりするのは何よりも祖父ちゃんの療養によい。

 入院したりするとアッという間に体力が落ち、少し坂道を歩いただけで足に身が入っている。
 気力だけではどうにもならないことは多いが、気力を失わない方が失うよりも良いに決まっているだろう。

 ただ、遠出は怖いので主にテレワークで日々を過ごしている。

 さて、〽あわてんぼうのサンタよろしく凜ちゃんが来てくれたのは風邪のためである。
 おおむね体の弱い児たちばかりの療育園だから、少し気候が変化するとたちまち病気をうつし合うことになる。だから来てくれるのは嬉しいことだが悲しいことでもある。サンタさんにはプレゼントはよいから病気を持ち帰ってほしいものだ。

2021年12月8日水曜日

鬼手仏心

 7日、しんぶん赤旗の「読者の文芸」の「川柳」に採ってもらって掲載された。

  「鬼手仏心」壁紙にする手術の日

 選者たむらあきこ氏には唯一(評)までいただいたから、今週の特選扱いだと自惚れたが、「この句はチョット補足してやらないと判り辛い」とサポートしてくれたのかもしれない。

 たむらあきこ氏(評) 「鬼手仏心」、医者が手で行うことは残酷に見えて慈悲心があるの意。この言葉(の色紙)をスマホの壁紙にして、すべてを委ね作者は手術に臨む。

 たむらあきこさん、過分な(評)をありがとうございました。

 壁紙とはスマホのいろいろな画面の背景写真のことをいい、子や孫やペットなどを壁紙にする人も少なくない。スマホを操作するときにパッと目に入ってくるので、プロマイドのようでもあり、「お守り」のようにも思える。

   「鬼手仏心」は(評)のとおり、ここでは別掲の色紙を壁紙にして、外見は「鬼手」のような手荒な手術にしても、その心は「仏心」のように患者を思って優しく進めてね!という私の気持ちの代弁。そのスマホを「お守り」にして手術のための入院をしたということ。

 2021年新春、心ひそかに「今年中には短歌と俳句と川柳でそれぞれ採ってもらえること」を目標にしたが、2021年も残り3週間ほどで一応最低限の目標を達成した。
 それにしても、目標達成の記念碑が「手術」で、それも「不成功」だったから、喜んでよいのかどうか。

 さて、少なくない新聞等がこぞって毎週のように短詩を掲載する、つまりプロでない「普通の国民」が普通に短詩をせっせと作る国は世界中広しといえども外にないという文を読んだことがある。
 ならばと、国語が欠点であった昔を忘れ、その列島の住民の長所に乗っかってみた次第。世界の中の「少数派」というところがいい。

 それに、先日亡くなったノーベル賞受賞科学者・益川敏英氏は、研究と同時に平和運動、労働組合運動でも東奔西走され、そういう「二足のわらじがはけなきゃ一人前じゃねえ」とおっしゃっていたのが胸の奥に刺さっている。。
 古いCMの駄洒落に「ラベルが違うよ」というのがあったが、ラベル(ほんとうはレベル)は及びもしないが二足のわらじ(草鞋)を履けるよう努力だけはしてやろうと思っている。結果は問わないで・・・。

 人間、特に男は歳をとるとヘンコツになると言われたりするが、ヘンコツな爺さんほど厄介なものはない。自省、自省、自省。
 古人は「軽ろみ」も教えてくれている。できれば一瞬でよいから「軽ろみ」の境地で短詩に臨みたいものだ。来年は「軽ろみ」に挑戦だ。

2021年12月7日火曜日

榧の実

   縄文時代というと「ギャートルズ」ではないが、非定住の狩猟・採集生活という誤解があったが、近年の考古学は、ムラを形成して栗の木などを植栽していた、つまりは初期の農業も始まっていたことを証明している。

 アメリカ先住民の物語では、狩猟・採集生活では、老人などが老いると集団に迷惑がかからないよう身を引いて、いわば自死していた。時代は異なるが楢山節考を想起されよ。

 そのことに関連して、考古学者小林達雄氏が要旨次のように述べられている。
 ■ 定住的なムラを営むようになると、若夫婦が食べ物や道具の材料をとりに出ている間老人は留守番をしていれば済むようになり、幼い孫の面倒をみていろいろなことを教えるようになった。祖父母から孫世代への知識の伝達、この循環が上手くいくようになると文化が発達した。■(文化庁編「日本発掘!)

アフリカのことわざに「老人が一人亡くなるのは図書館がひとつなくなるのと一緒だ」というのがあったが、なるほど!である。そして思うに、「経済成長無くして幸福なし」と考える?この国ではそういう文化が衰退しつつあるのではないだろうか。

 ・・・というようなことを、縄文人も食したであろう榧の実を食べながら考えた。

2021年12月6日月曜日

茱萸の花 満開

   植物にとって冬というのは、一見したところ枯れているか冬眠しているように見えるが、少し目を凝らして見ると、どっこい、せっせと生きているものも多い。

 写真は「夏茱萸(ぐみ)」の花で、来春から初夏に向けて実をつける準備に余念がない。

 野鳥が啄ばんで糞をして、あちこちに茱萸が広がっている。その逞しさ、そして寒い冬に春夏の準備をしている努力?を思うと自然に元気が貰える。

 「相」という字は木を目で見て元気を得るという字らしい。だから「助ける」の意味があると本で読んだ。

 〽 おい 巻き毛の茱萸よ 白い花よ
   おい 茱萸よ 何故に うなだれる

2021年12月5日日曜日

住吉踊り 2

   11月30日の『霜月尽』に書いたとおり、私は心臓のアブレーション手術の入院を前にして、何が何でも元気に生還してやるぞ!という気持ちを込めて、自分自身の退院祝いを事前に通販に申し込んでおいた。

 それが、大正15年帝展で初の女性で特選をとったという生田花朝による『住吉踊り』という画である(もちろん特選の作品ではない)。

 昨日書いたとおり、題材は私にとって身近な住吉大社の神事(風俗・お祭り)である。
 花朝は大阪の人で天神祭りなど大阪の行事も多く描いている。
 それ以上の意味はないが、何となく生き生きとしたテーマでもあるし、退院祝いにふさわしくないかと考えた次第。

 歳をとって気難しい老人にはなりたくない。請われれば「かっぽれ」の一つでも踊って見せるぐらいの気力が・・・と、この画を見ながら力を貯めている。

2021年12月4日土曜日

住吉踊り

   俗に「堺住吉・・」とモノに書かれたり唄われたりするが、普通にいえば「住吉堺・・」だろう。
 ただ摂津の国の最南端が住吉郷でその端(堺)が堺だから、大和川が付け替えられる以前の住吉と堺は混然一体の感があったように思う。(摂津の南が和泉)

 その堺に住吉大社の頓宮(御旅所)があり、私は小さい頃その近くに住んでいたから、初詣は阪堺電車で住吉大社(住よっさん)に行くのが定番だったし、住よっさんが堺へ旅に来られる夏の住吉祭は必ず行っていた。
 ただ、御田植神事(植女例式)には行ったことはなく、長じて京都ゑびす神社で付けてもらった縁起物の「人気大寄せ」(写真)で、原形といえる住吉踊りの縁起物を懐かしむだけだった。

 御田植神事では、基本は、大きな傘を持った音頭取りに合わせて植女が踊るのだが、亡くなった義母に教えてもらった義母の生家(半ば山村)の盆踊りもそうであったから、私はこの大きな傘は神の依代だと思っている。

 摂津の国一之宮住吉大社は古事記に登場する最古級の由緒ある神社で、神仏習合以後は神宮寺もあり、中世には神宮寺の願人坊主が全国に布教に歩いたが、その折に、布教のパフォーマンスとして披露し門付け芸にまで進化したのが住吉踊りという。

 生國魂神社で毎年行われる上方落語協会の彦八まつりでも住吉踊りが披露されるが、住吉踊りは更にかっぽれなどの寄席芸に「成長」し、反対にいえば、寄席の踊りや各地の盆踊りなどの音頭の原点の一つが住吉踊りになる。

 にもかかわらず、住吉踊りを深く知らないまま歳をとり、偉そうな顔で大阪人を称してきたことを深く反省している。

2021年12月3日金曜日

古事記は偽書か

   昨日は「古事記の中の歌を稗田阿礼は太安麻侶にどう歌って見せたのだろう」というようなことについて書いたが、『白鳥になった皇子』は、「おわりに」と「補論」が40頁もあって、「古事記偽書説」との論争が書かれていて、私としては本の最終コーナーで、ある意味本文以上に大いにワクワクした。

 その40頁の紹介を逐一できないが、「古事記は太安麻侶の後裔で平安初期の人である多朝臣人長が撰録した」という大和岩雄氏の主張なども紹介の上で、例えば「飛鳥清原大宮御大八洲天皇」というような表記の時代区分などについて詳細に直木先生が論じられているのには頷くばかりだった。

 もとより、古事記に書かれている内容は歴史の事実、真実ではないが、だからといって「神から天皇につながる物語なんて」と言って見向きもしないのが進歩的でも何でもない。

 古事記が編纂された時代の為政者がその内容を「良」としたことは歴史の真実なのだから。

2021年12月2日木曜日

一冊は直木孝次郎

 入院の一冊は直木孝次郎

 11月中旬のアブレーション(手術)の日程はその1か月以上前に決まったから、入院中に何を読もうかということを楽しみに書店をウインドショッピングし、結局、直木孝次郎著『白鳥になった皇子』を購入して入院した。
   その内容は少し私自身の予想に反していて『古事記』の現代語訳?だったが、古事記に出てくる歌を丁寧に現代語訳されているのが新鮮だった。

 ただ、病院のベッド上では読む気力も長続きせず、最初の入院では読み切れなかったが、幸か不幸か(不幸なのだけれど)直ぐに再入院し、お蔭?で読み終えることができた。

 先に述べたとおり、古事記の各種の物語は別にして、例えば有名なヤマトタケルの「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あをかき) 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし 」などの歌々が詩的に訳されていた。・・だが、そのいくつかはいわゆる五七調ではなく、この歌を稗田阿礼はどのように太安麻侶に伝えた(歌って見せた)のだろうか。

 「母は昔パパだった」で有名な大野晋先生なら歌ってくれただろうか。
 テレビで雲貴高原の少数民族の歌垣のようなものを聞いたことがあるが、そのイメージを 適当に書くと、〽今日はよくいらっしゃった あなた方は友人だ 私たちは料理を作って歓迎する ・・・」というような挨拶から歌が始まっていたが、古事記の時代はあんなイメージで「歌が生きていた??」に違いない。

 千田稔先生が「古事記は口誦しないと・・」と指摘されていたようにも思うが、東アジアに息づく歌う文化に新しい興味と疑問がふつふつと湧いてきた。

2021年12月1日水曜日

木守柿

 11月中旬に心臓のアブレーションというカテーテル手術を行い、退院後すぐに再入院をした。師曰く「失敗ではないが成功しなかった」らしい。
 再入院の際は息もあがって胸のレントゲンのために立ち上がることもできず、全集中で立ち上がるからその一瞬に撮ってほしいと頼んだが、その一瞬立ち上がるために私が発した雄たけびが院内に響き渡ったらしい(妻の証言)。

   というようなこともあったが、執行猶予というか保釈というか、「何かあったら遠慮なく救急車で来い」という前提で退院し、わが家の木守柿と再会できた。
 「柿の実は全部採ったらあかん。ひとつは鴉のために。あとの二つは旅人のために」という木守柿だが、吾もまた人生の旅人だと実感した。

 そんなもので、大阪市内などへの外出は少し困難だがテレワークは可能なので、OB会会報正月号原稿は少し早い目に欲しいと頼み回ったが、入院前に頂いていた原稿の外に入院中には原稿がパソコンには届いていなかった。弱った体からさらに力が抜けていったが、人生は思い通りにはいかないものだ。

 秋は「実りの秋」である。果物以外にもいろんな木の実が熟れて「野鳥も肥える秋」だからか、初秋には相当喰われたわが家の柿も、今は更にこのように目立つ状態にもかかわらず無傷でいる。
 「それでも地球は廻る」ではないが、風雨順時、秋の実りは美しい。