コロナ対策に専任(専念?)したいと言いながら国会も開かず、もちろん議論もしない菅首相の後継をめぐる自民党総裁選挙が、まるで競馬の予想かプロ野球の順位のようにマスコミを賑わしている。こうしてマスコミをジャックして宣伝しようとする政権与党の作戦・常套手段である。
情けないのは、こういった作戦にメディアは忖度と「特ダネ主義」で絡めとられていることだ。この候補者がこう言った、あの候補者はああ言った・・と。
大切なことは誰それのその発言は信用できるかどうかで、そこの検証こそがジャーナリズムの役目でないのか。
安倍、菅政権で蔓延したご飯論法は自民党全体を覆いつくした感がある。
ご飯論法とは、Q朝ごはんは食べましたか? Aいいえ食べていません。(パンは食べたけど)という議論のすり替えで、安倍晋三に至ってはサクラを見る会で公式行事の私物化、有権者への利益供与(早い話が買収)を追及されると、「有権者に参加を募ったが募集はしていない」と述べたのには、それが「うんざりさせる」作戦だとしてもうんざりしてしまった。
安倍首相・菅官房長官コンビは財務省の公文書を改竄し、学術会議会員任命文書を破棄・隠蔽したが、菅首相自身も著書『政治家の覚悟』を改訂する際に「公文書の管理の重要性」を綺麗に抹消した。
そこで、総裁選候補者だが、岸田氏は9月2日にモリトモについて、「国民が判断する話だ。国民が足りないと言っているので、さらなる説明をしなければならない課題だ。国民が納得するまで説明を続ける」と語ったが、安倍氏の反発を耳にした途端、9月6日には「再調査をするとか、そういうことを申し上げているものではない」と述べ、再調査は必要ないとの考えを強調した。
河野氏に至っては、写真のとおり世情が反原発の際には「反原発」を言ってスタンドプレイを行い、今般には自民党内の風を読んで「原発再稼働はある程度必要だ」という始末だ。
つまり、まったくもって信用ならぬこういう発言や政策?を、まるでそのように実行されるかのように朝な夕なに垂れ流すメディアに矜持はあるのかということだ。
その、結果論としての質の悪さは大阪維新と在版メディアではっきりしている。コロナでいえば、昨年中にワクチン接種が終わり、「大阪はようやってる」はずではなかったか。それこそテレビに出ることが仕事のような首長の下で、感染者数は実数で人口の多い東京を抜き、死亡者数は常に最多を更新している。それでも、「病床を増やす」「保健所の体制を拡充する」という、あまり実体のない“やるやる詐欺”に在阪テレビ局等は手を貸している。
メディアは、言葉(日本語)を貶めてはならない。信用ならない言動を垂れ流すのは共犯者になるということである。