元来アフガンの8割は農民、1割が遊牧民だったところ、地球温暖化によってヒンズークッシュ山脈の雪が減少し、世紀の大旱魃で人々は飢えていた。日本を含む米欧はこれに対して救援を行わず、オサマビンラディンをかくまっているとして、反対に経済制裁・食糧制裁と空爆を行った。その地で力を尽くして倒れたのが中村哲医師とペシャワール会の人々だった。
彼の地は、比較的よく似た文化で歴史を重ねてきた日本列島人には全く想像が及ばない多民族、多文化の地である。日本の戦国時代のイメージにも似ているところがある。女性の地位の問題など課題は大きいが、戦争によってはテロさえも克服はできないことを証明した。
アフガンの諸民族は大英帝国にもソ連・ロシアにも屈しなかったとりわけて誇り高い民族だ。日本を含む米欧は「人権」や「民主主義」という謳い文句で新政権樹立に影響力を与えたいようだが、リスペクトのない「ご指導」が上手くいくはずがない。今こそ「平和外交」の出番である。日本の政権交代で新しい国際秩序を立ててもらいたいものだ。
中村哲医師の訃報を受けて私は次のようにブログ記事を重ねた。それでもアフガンは懐が深く問題は深い。よって私の理解も非常に薄っぺらい。それでもよかったら私と一緒にもう一度過去のブログを読み返してみてほしい。テレビニュースを見ながら考え込むことも多い。(ブログの日時とタイトルは次のとおり)(表示できない場合はお尋ねください)
2021年2月18日 心はアフガンへ
2021年2月20日 スレイマン山脈
2021年2月21日 多様な世界
2021年2月22日 ダラエ・ヌール渓谷の夜
2021年2月23日 丸腰の安全保障
2021年2月24日 ふりだしに戻る
なお、TYさん、KSさん、お見舞いありがとうございます。
被介護の予行演習真っ盛り
隻眼と言うか眼は開いたまま
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