2021年4月30日金曜日

愉快な公明党

   大阪府池田市の冨田市長(当選時は維新)の公私混同やパワハラ問題がテレビで報じられていた際、どうしてもテレビは「絵になる」報道の仕方をするので『サウナなどの持ち込み』の印象が強いが、私は公権力のポストに座った人間が職員に対して行ったパワハラをもっと重視すべきだと思う。

 私は現職時代、いわゆる過労自殺や業務に起因する精神障害をたくさん担当してきたが、パワハラが労働者の人格を破壊し果ては自殺念慮(ねんりょ)を引き起こす事案を少なからず見てきた。

 カタカナでパワハラなどと言うから理解を妨げている側面もあるが、パワハラとは優位の立場の者から弱い立場の者に対して行われる脅迫、威嚇、侮辱、などなどの人格攻撃であり、人権侵害である。

 池田市議会100条委員会が市職員796人に対して行ったアンケート調査では、パワハラを受けた、見た、聞いたという人が119人も存在した。

 こうして「不信任相当」「刑事告発相当」とする100条委員会調査報告書は公明党も含めて可決されていた。ところが、所属議員や秘書等の不正や犯罪のオンパレードの維新と共に公明党が不信任決議案に一転「反対」に回ったから、事実は三文小説以下に奇異である。

 不信任案採決前の質疑では「公人としての自覚があるなら、即刻辞職していただきたい」(公明会派代表荒木市議)と追及しながら不信任案に反対したのであるから、良識に基づいた市民社会ではこれを「非常識」と言う。

 こんな説明のつかない「非常識」は推測しかできないが、① 市長から議会解散で対抗すると脅されて、宗教行事たる座談会を重ねて洗脳的に選挙活動をすると思われる同党では対応が種々困難と判断した。② 住民投票時と同じ構図で、今年中に行われる衆議院選挙で維新から「公明落選運動的な対立候補を擁立するぞ」と脅されて手を打った。‥というところだろうか。

 新聞では、「緊急事態宣言下で人の流れを作ってしまう(解散・議員)選挙になっていいのか悩んだ」(公明多田市議)旨報じられているが、コロナ対策上非常に重要であった昨秋に大阪府下全域を巻き込んだ住民投票を維新と共に強行した公明党の「どの口が言うか」と開いた口が塞がらない。それが方便なら愉快すぎるぞ公明党。

 方便とは、仏法を説く際の仮の手段と解されているが、この党には、俗世で流布されている「嘘も方便」という言葉がぴったりする。支持者の中にあるであろう常識を信じたいところだ。

2021年4月29日木曜日

#メーデー2021

 コロナ禍のため市民が集会やデモ行進を自粛しているうちに、自公政権や大阪の維新府市政は、コロナ無策どころか火事場泥棒的に悪法を成立させ、「非常事態」という声で人権の侵害や弱者の見殺し策を進めている。

 広島県選管ではないが、黙っとれん!

 集会とデモはないけれど我われにはSNSがあるぞ。

 5月1日10時~12時 #メーデー2021 でツイッターデモに参加しよう!


鉄ちゃんの兆し Ⅱ

   4月20日に孫の凜ちゃんがプラレールで遊ぶ写真を載せたところ、某鉄ちゃんの父親から「これで頭を畳に擦りつけて輝く目でレールを眺めたら鉄ちゃん間違いなしです」とコメントをいただいた。

 わかるわかる・・、ファーブル昆虫記ではないが、その世界にはどっぷり浸からないとものは見えてこないものだ。

 鳥の目と虫の目という例えがあるが、だいたい頭を畳にこすりつけなくなってから、ヒトは夢を忘れてゆくのではないだろうか。

 他人の受け売りだが、西洋の絵画に鳥の目が多いのに対して日本画には虫の目が多いらしい。先人たちも土に顔をつけて小さき者たちの世界に潜り込んでいったのだろう。

 大人たちは頭が固いので、事実をありのままに見ることができません。サン・テグジュペリ

2021年4月28日水曜日

エビネの森

   山野草であり蘭の一種でもあるエビネが美しい。 そこだけ切り取って見ると深山幽谷の雰囲気もある。1年のほとんどを樹木の下でひっそりと佇んできて、この時期だけ見て見て!と言っているように感じる。

 何十年も前、転居前の家の頃、どなたかに頂いたものである。なぜそれが判るかというと、この種のものはあまり私の趣味にはないからで、母親が老人会の仲間から頂いたものだろうと思う。

 「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」とは真理だと思う。この日陰を好むエビネを見るとそんな落ち着いた思考になる。

 花や野菜を育てていると外出自粛もそれほど苦にならない。大都会の方々はインドアの趣味で「なんやら宣言」下を乗り切られるのだろうか。

 現職の頃は、アフターファイブのために通勤している感もあった。遠い懐かしい思い出話になってしまった。

2021年4月27日火曜日

実効再生産数

   しんぶん赤旗上に『感染症の数理モデル』などを著されている東大大学院稲葉寿教授のインタビュー記事が掲載されていた。
 私が教えられたことは、感染拡大の危険性を示す実効再生産数が昨年2月の感染初期では2.5(一人が平均2.5人に感染させ幾何級数的に拡大する)であったものが、現在では1に近くなっている。ここが1を切ると増加を抑えることができる。ただ3密回避などの行動変容だけでは限界があり、無症状者を含めた検査・隔離対策が重要だということだった。

 ただ、社会の問題としては数理だけでなく、大阪府のように医療崩壊になると、仮に実効再生産数が1を割って長期的には抑制傾向を示したとしても、危険度は下がらないから、いろんなデータ、側面を検討しなければならないような気がする。

 26日の朝日新聞は、25日の日曜日、緊急事態宣言を発していない奈良県の「信貴山のどか村」や「奈良公園」に大阪、京都、兵庫の車が押し寄せたと報じていたが、東洋経済オンラインの24日時点のデータを見てみると、大阪の実効再生産数は1.03、兵庫は1.15で、それが「奈良ならいいだろう」と押し掛けた奈良のそれが1.18だというから、結局は「なんとか宣言」だとかという漠然としたテレビ報道などで人は動いて、数理上は”より危険な奈良県”に出かけたようだ。(苦笑)

 ただ、県外就業率全国一位の奈良県であるから、どちらかというと大阪コロナを住所地奈良県でカウントしているようにも推定されるから、近畿圏の大阪周辺は”どっこいどっこい”かも知れないが、統計数字上は大阪よりも奈良や京都の方が危険だという現実がある。
 テレビのニュースに惑わされずに、自分自身でいろんなデータを当たってみることも大切な気がする。

 西浦教授の見解などを読むと、実効再生産数αといっても、一人の感染者がきれいにα人にうつしているわけでなく、少数の感染者が多人数にうつしていると指摘されているから、そういうリスク(人や場所)を避けるのが賢明なようだ。そういう地雷原がどこかは自分自身で考える必要がある。

2021年4月26日月曜日

撤退する勇気

   4月25日の朝日歌壇で妻が一席にあげたのは佐佐木幸綱選『感動や勇気与えるなど言いて上から目線のアスリートたち(江別市)成田 強』だった。

 確かに、オリンピック自体は別にしても、聖火リレーやアスリートの声はテレビでは聖域扱いされている。愛媛県知事は聖火リレーを無観客にすることを泣いてテレビカメラに向かっていた。

 国や府県や企業や・・などなど自分に近い選手を応援する気持ちが悪いわけでないし、もちろん名勝負に感動を覚えることがおかしなことではない。しかし、そういう市民の純情につけ込む政治という一面が色濃く含まれていることを忘れてはならない。それらの批判を許さない同調圧力は危険でもある。

 妻はそういう現状に常々抱いていた違和感を見事に謳いあげた短歌に拍手喝采を送ったわけである。もちろん選者佐佐木幸綱氏も素晴らしい。

 この短歌は、そういう分厚い同調圧力に異議申立てをしたものだ。非常に的を射ている。スポーツの価値を尊重しないことなど全くないが、スポーツの世界も政治同様タテマエとホンネが深刻に入り混じっている。アマチュアなかんずく学校の運動クラブからしてそうである。それを明日すっぱりとせよとは言わないが、神聖不可侵ではなく議論や批判の対象であることはみんなが認め合わなければならない。

 私は、オリパラにしても万博にしても、莫大な予算を費消する国家行事にメディアが協賛などの形で参加することは危険だと考えている。

 戦前、商業新聞は戦意高揚を謳えば謳うほど部数が伸びたわけで、戦意高揚という強力な同調圧力の片棒を担いだメディアには非常に大きな責任、戦争責任があった。

 そんなことを思うとき、朝日新聞が社説で「五輪のために人の生命・健康を犠牲にすることはできない。当然の理である」と公言したことは重い。

 スポーツと括って良いのかどうか知らないが、登山家は頂上を目前にしても犠牲者が出ると判断した場合は撤退する勇気を持てと言われている。真の勇者は精神主義や金儲けとは相いれない。

 そういう勇気をスポーツマンシップと呼ぶならば、この時期に五輪組織委員会が看護協会に「看護師5日以上を500人」動員を要請した感覚を、「これでいいのか」と発する勇気こそスポーツマンシップではないのか。

2021年4月25日日曜日

夜も眠れない

   テレビが「どこかで夏日になった」とか流していた。そんなもので我が家のサンシェードを取り替えることにした。

 古い弓なりになったサンシェードとその周辺の工作物を解体するのにほぼ一日を費やし、新たな目で次の構想を考えた。外壁そのものは触りたくない。しかしまともなヒサシはない。ガレージの屋根と微妙にぶつかる・・・、

 結局、突っ張り棒式のテントをメーンにすることにしたが、ヒサシ代わりのシャッターの戸袋とピッタリ合う商品はない。そこで少しだけ大きめの物を、寸法合わずは知った上で通販で購入した。

 つまり、横幅に見合うヒサシはないわけだから突っ張り棒はそのままでは機能しない。これをあまり無様な格好にならないようにどう取り付けるか。例によって複数のホームセンターを巡って構想を練る。お金を出せば簡単であるが、廉価で、強度を満たして、そこそこスマートな方法をいろいろ考えた。

 鉄パイプ、ステンレス物干しざお、大型突っ張り棒、・・・ガレージ側のサンシェードの取り付け方も含めて、1案、2案、3案・・・・、また別のホームセンターを覗いたり、発想を変えて百均を覗いたり・・・、

 そして睡眠中も、一晩中夢うつつの中で、あの部材なら高すぎる、大風のときの強度は心配、ちょっとスマートでないなどなどなど、悩んでいるのか楽しんでいるのか自分でもわからない夜を過ごした。

 結局、一番悩んだ部分は少し大きめのアルミ材にした。強度のためには部分部分で二重にした。金鋸で調整し、鉄鋼ドリルで穴を空け、超強ボンドや針金で加工した。

 それでもシャッター戸袋とぶつかるところが出てきたので、テントそのものを左右前後反対に組み立てなおした。ほとんどの工程を妻に手伝ってもらった。助手の妻がいなければ全く無理だったから、これは共同作品である。

 巣籠りで何もしないと鬱になるから、もう次の日曜大工を考えて夜も眠れない。

2021年4月24日土曜日

春はあけぼの、そして宵も

   一枚目の写真は「春はあけぼの」。ここ数日は天気が良いせいか昼は暑いが朝はけっこう温度が下がった。

 しかし、少し前までのブルブルという感じではなくひんやりとした心地よい寒さだ。

 そして日の出とともに、生き返るような熱が伝わってくる。この気分、清少納言さんも同じように感じたのだろうか。

   24日の夜、洗濯物を干しにベランダに出たら月が綺麗な笠を被っていた。月暈(つきがさ・げつうん)だ。ここはpm2.5などという野暮なことは言わず、吉兆だ、明日はきっと良いことがあるとしておこう。

 25日から三度の非常事態宣言ということで気は重くなる。為政者は科学的根拠もなく国民生活に不便を強要する。それは国民に思考停止を強いて為政者を免罪する。それ以上に自粛警察へと誘導する。

 しかしどう見ても自民、公明、維新には未来はない。怒りと共に季節のおおらかさに心を震わせながら・・・・

北面した天子

   小笠原好彦著『古代近江の三都』は読み切るのに時間がかかった。特に時間がかかった保良宮について印象を述べたい。

 保良宮は、天平宝字5年(761)10月中旬、淳仁天皇・孝謙上皇が平城宮から遷都し、天平宝字6年 5月23日に淳仁天皇・孝謙上皇が不和となり、平城京へ遷都するまで京(みやこ)であった。

 これについて続日本紀は平城宮の改作のためだったと記しているが、本質は、安禄山の乱という唐王朝の混乱に乗じて、藤原仲麻呂が渤海と連絡を密にして、新羅出兵を計画したものであったと考えられている。

 さて保良宮の位置であるが、考古学的見地から、石山寺の北の『田辺台地』に宮が、その北の石山国分台地に諸官衙が設けられ、その北の北大路の北側一帯に保良京が造営されていたとみなされると著者は述べておられる。

 限られた遺跡発掘の結果はそうなるという。京の北は琵琶湖、そしてその向こうは新羅や渤海である。戦というものはきわめて合理的思考で組み立てられるものだから、そういう面でも保良宮・保良京の復元案は首肯できるのだが、私がどうしても割り切れないのは、これでは天子が北面しているという一点である。ほんとうに「北面もあり」だったのだろうか。

 著者のこれまでの諸論では、藤原宮は京の真ん中に宮があり古く周礼(しゅらい)を踏襲したものだった。しかし、長安城は京の北辺に宮があり天子は南面した。遣唐使らは必ず「藤原京では時代遅れ、田舎者よと馬鹿にされる」と報告したであろう。故に平城京遷都がなった。

 また、恭仁京は唐の副都洛陽に倣った。さらに難波京も、この時期の京は全て?「天子南面」であった。そこで、百済や渤海の使者が保良京に来た場合、やはりこれでは蛮国だと笑われるのではないか。私の疑問は道半ばのままでいる。

2021年4月23日金曜日

ポスティング雑記帳

   寒いのも苦手だが、昨日今日の気候は心地よい気温をいっぺんに通り越してしまい、・・・だからといってポスティングは遅らせるわけにはいかないので出発したが、暑さと巣籠りロコモで参ってしまい、階段を上がって1枚だけというポスティング泣かせの建物には恨めしく2階を見上げた。

   記憶の底からは、昔は5階建ての団地の階段を上り下りしたこともあったなどとチラッと思い出したが、ここは無理をしてはイカン、約2時間歩きとおしておれば必ず終わりは来るとコツコツと回った。

 としていると、ちょうど広告チラシのポスティングのご婦人がスイスイと私を追い越していかれたので、元来イラチの私が追い越される時をついに迎えたのかと変な感慨がひとしおだった。

   そのご婦人、コースとりが私と違ったのかその後また出会ったので「さすがお若いだけあってお速い!」と声を掛けると、私のあいさつに「いえいえちょっと休憩しておりました」と嬉しそうに応答してくれた。きっと内職というかパートというか家計のために働いておられることだろう。ニュースを渡せばよかった。

   住民の皆さんにも、できるだけ挨拶をしてポスティングするようにしているが、昔のように候補者代わりの声掛けまではいかない。世代継承は喫緊の課題だという言葉をあちこちで何回も聞いたが妙薬はなさそうだ。

2021年4月22日木曜日

詐欺メールにご注意

 私はメールアドレスを公開しているから詐欺メールもどんどん来る。順番に受信拒否(迷惑メール)に登録するが、ちょっと違うアドレスから同じものが来る。次のものはアマゾンを名乗る一番低レベルのメールである。

 宛先がローマ字 様 

私たちお客さまのIDとパスワードで第三者がログインした形跡が見つかった

安全のためお客様のAmazonアカウントは現在セキュリティシステムによって一時的に停止されています。

以下へアクセスの上、アカウントのご利用確認にご協力をお願い致します。

ご回答をいただけない場合、アカウントのご利用制限が継続されることもございます。 

[提交查询内容]

 ご利用確認はこちら 

Amazon.co.jpのまたのご利用をお待ちしております。 

© 1996-2021, Amazon.com, Inc. or its affiliates

 一行目が日本語としてこなれてないのは御愛嬌にしても、何で途中で中国語簡体字が出てくるねんと騙される以前に笑ってしまう。よく似たものは楽天も各種カード会社バージョンもある。

 ただ、買い物をした直後の場合や、金額を記入して「こういう請求があったがよろしいか、心当たりのない場合は〇〇へ」、というのは、アドレスもそれらしいアドレスで、一瞬、もしかしてほんとうの問い合わせかもと心が迷うこともある。注意、注意。

 また私のアドレスを「表示のアドレス」のようにして悪いことを企んでいるものもある。皆様もご注意あれ。

2021年4月21日水曜日

カッパ合戦

   いつも何冊かの本を並行して読んでいる。一語一語確認しながら読む本もあるが、休憩時間の読み物のつもりで読む本もある。その後者の今の本が半藤一利著『歴史探偵 忘れ残りの記』で、その中に、休憩時間にふさわしい『隅田川カッパ合戦』という小節があった。

 東京は下町育ちの著者らしく、芥川龍之介の『河童』を読んだとき、これはカッパ合戦だと思ったというのであるが、上方の私としては初めて聞く話だった。

 隅田川は仙台堀あたりに棲んでいた河童どもが、八代将軍に命ぜられた伊達藩が両国橋を架けたことを自慢して増長したところ、水戸屋敷のあった源兵衛堀河童が「何だ!」と戦争になり、最後は両国橋を38度線にして終戦になったという。・・・そして、「ところで、今は河童=カッパ合戦とは思っていない。河童は暗すぎる」と結んでいた。

 本来ならここから『敗北の文学』に移るべきなのだろうが、休憩時間の読み物はそこまで深入りしていない。「戦争は決まって些細な原因から起こるものもので、河童は腹さえ減れば何でも食うから、資本家は戦地の食糧して石炭殻を送り大儲けするとかなり厳しい文明批評が記されている」と記するのみであった。

2021年4月20日火曜日

鉄ちゃんの兆し

   我が友人には鉄ちゃんが数人いる。私はそれほど関心はない方だが、中川家礼二を進行役にしたようなテレビの鉄ちゃん番組は楽しく観ている。

 写真は孫の凜ちゃん。体のこともありほとんどが自動車で、鉄旅などしたこともないのに楽しく遊んでくれるので、祖父ちゃんはトンネルを作ったり信号機を作ったり忙しいが喜んでいる。末は乗り鉄か撮り鉄か。

 鉄ちゃんつながりの思い出話をいうと、その昔、大阪市内は縦横に市電が走っていた。その中の一路線が桜川から南へ、堺の大浜までつながっていて、小学校の遠足か校外学習(電気科学館か)にそれを貸切で利用したことがあり、私は一番前で運転士の運転をあきず眺めていた。いわゆるかぶりつきである。

 そして帰路、運転席左横のドアから降車前に足を伸ばして、運転席下の警笛のペダルをぶわ~んと踏んで降りた。すると、あとにつづく児童が次々にぶわ~んと鳴らして降りたので、後で学校で問題になった。もちろん問い詰められた児童はみんな「長谷やんが鳴らしたから」と弁解した。

 私はというと、「ずーっと運転を観察していた。警笛の鳴らし方も解った。あのペダルが運転等に支障がなく危険でないことも分かってやった」というと、どういうわけか「マネする奴が出るからすんなよ」と、それ以上叱られなかった。

2021年4月19日月曜日

花楓(はなかえで)

   先日来、白川文字学の「相」のことが印象深く脳にインプットされている。曰く『「木」と「目」でできた文字で人は木を見ることによって木の生命力をもらうのだ』と。

 写真は「花の木(はなのき)」花楓(はなかえで)ともいう。カエデ科カエデ属。名前にも冠された「花」の時期は既に過ぎ、楓特有の竹トンボのプロペラというか翼というかができている。これから10月頃まで種子を育て上げて晩秋の風に乗せて種子をこのプロペラで飛ばそうというのだから、その準備のよさというか、長期的展望に私は確かな生命力をもらう。

   次の写真はベニシジミ。図鑑などでは「人家周辺で最も普通に見られるチョウのひとつ」と書かれていて可哀相な気がするが、なかなかどうして美しい。

 「冬は幼虫で越冬する」とも書かれているから、楓のプロペラ同様その成長戦略も長期戦である。

 春、年度初めというのに、私の周りは軒並み「書面総会」になっている。しかし、ただ耐えているだけでは能がない。楓がプロペラの根元で種子を育てるように、ベニシジミが幼虫で春に備えていたように、コロナ禍でもできる紙面交流などを広げ、その日にはもう一回りの羽化のようなことができるように準備しておかなければならない。


2021年4月18日日曜日

まだいたシロハラ

   4月中旬、冬鳥であるシロハラは撮り納めになることだろう。天気の良くない4月13日、逆光なので写りはよくない。しかしどうも飛び方がツグミのようでもヒヨドリのようでもなかったので追いかけて行って撮影した。
 それにしても、周辺ではウグイスが盛んに囀っているというのに、北帰行に遅れはせぬかと心配してやる。
 長い間探鳥会にも参加していないから正確ではないが、印象としては夏鳥も冬鳥も減っているように思えて仕方がない。

 先日テレビで古い映像?のようなものを見ていたら、僻村の老婆が昔の貧しい暮らしの思い出話をしていた。
 お弁当のおかずの話になって「こんなこと言っていいのかな」と言いながら、お弁当の御馳走は、ご飯の上に小鳥の丸焼きを乗せたものだったと恥ずかしそうに笑っていた。味がご飯の方に滲み込んでいたという。

 昔々の話である。鳥も虫も、こんなことでは絶滅しない。怖いのは環境破壊の方である。

 16日、夏野菜を少しだけ植えた。毎年よりも1~2週間早いが、今春の暖かさに誘われて植えてしまった。教条に拘泥せず臨機応変に正しく対応したのか、桜前線に惑わされてフライングをしたのか、答えはそのうちに明らかになる。

2021年4月17日土曜日

人口比でみるコロナ

   「新規感染者何人」というアナウンスはあるが、人口比の数字をあまり見ない。現状を正確に認識するためには人口比で見た「危険度」がどうしても必要だ。

 ただ一日の新規感染者数だけでは問題もあるが、少なくともここ数日はほゞ同様の傾向があるので、大まかな傾向を表していると考えて大きな誤りはないと考える。

 新規感染者数は4月16日の分である。16日午後8時現在という数字を朝日新聞から転記した。人口は2021年4月1日現在の人口である。

 表のとおり、首都圏を問題にしないほど大阪、兵庫の事態は重大であることが解る。先日ニュースで奈良県知事が「蔓延防止策はとらないのか」という質問に「感染源は大阪だから大阪で飲食をしないように言っている」と言ったが、些か傲慢な発言だが本質はそうだと思う。

 つまり、テレビにばかり出てパフォーマンスに余念がない一方、話題作りのために早々に非常事態宣言を解除し、一旦確保していた重症病床を縮小し、検査の拡充も医療機関援助も何もせず今に至った維新の大阪府市政の有害さが如実に表れている。

 市民に「自粛せよ」という前に己がテレビ局行脚を自粛せよ。予想屋の如く「近く満床になるだろう」などと語る前に、医療従事者確保のために予算を投入せよ。

薄めて6千億倍に増やす

   タイトルに書いたのでクイズにもならないが、妻に「汚染水を薄めて放出するというが、いったい何倍に薄めると言っていると思う?」と問うと、「千倍かな、いやもしかして1万倍?」と返ってきた。このタイトルを見る前に皆さんはどのような感じでおられただろう?  私も妻の答えとどっこいどっこいの感覚でいた。

   14日の記事で私は要旨「トリチウムをWHO飲料水基準の7分の1程度に薄めるから問題ない」というが、毒性×総量の話をしないのは論理のすり替えだと述べた。

 14日付け朝日新聞の報じた数字を用いると、タンク内の水の中のトリチウムの総量は約900兆ベクトルで、東京ドームにあたる125万トンに達している。

 これを無害に近い程度に薄めて海洋放出するというのだが、東電の素案では1500ベクトルに薄めるといい、WHOの飲料水基準10000ベクトルの7分の1の1400ベクトルにとも言っている。ここは1500ベクトルととりあえずしておこう。とすると単純にいって、900兆ベクトル125トンの汚染水を6千億倍に薄めたら、少なくとも現時点の処理水は「排出できる」が、その間に溜まった分はまた残る。とまれ、現時点分で語っても、東京ドーム6千億個分の汚染水を放出するというのである。「量は質に転化する」だろう。

さて、元に戻って、汚染水を6千億分の1に薄めるというのは汚染水を6千億倍の量に増やすということだ。6千億分の1に薄めた汚染水を6千億倍の量放出するのと、元の汚染水をそのまま放出するのは同じではないのか。違いは耳障りだけではないのか。太平洋は広いからそのうちにうやむやにできるということだけでないのか。

普通の感覚から付け加えると、ほんとうの初期は1500ベクトル以下に薄めて放出したとしても、すぐに「こんなスピードでは解消の目途が立たない」とか言って、WHOの飲料水基準10000ベクトルに引き上げようとするのは間違いない。長い間日本人をしていると自公政権のそんな本心ぐらいは読めるもんだ。

「近隣国だって同程度の原発冷却水を排出しているからいいだろう」というのは、幼児が叱られた時にいう「〇〇ちゃんもやってる」という水準のロジックだ。正しくは世界をリードして「これ以上地球を汚さないでおこう」と率先垂範すべきだろう。それに、基本が冷却水であるものと、デブリに直接触れた汚染水とではレベルもそして何よりも量も違う。なにせ東京ドーム6千億個分である。

再度いうが、地下水を土木技術で止めよ。汚染水は保管し、トリチウム除去の技術開発をさらに推し進めよ。トリチウム除去の技術開発は使用済核燃料の最終処分にもかかわる話のため、安価な海洋放出を妨げる技術開発はあえてサボタージュしている恐れがある。政府と原発ムラが呼吸を合わせてサボタージュをして、国民に放出しか、もうどうしようもないという洗脳を擦り込んでいるのではないか。 

最後に、SDGSは全地球人の課題だ。6には安全な水とトイレを世界中にとあり、14には海の豊かさを守ろうとある。それでも海洋放出だろうか。 

原点に戻って問うなら、東京電力の大消費地は首都圏である。原発が安全なら首都圏に造るのが最も合理的である。それと同じような嘘が「飲んでも安全」の主張にはある。きっとある。

2021年4月16日金曜日

熊蜂の飛行

   聴けば誰でも当てずっぽで題名があてられるクラシックの名曲にリムスキー=コルサコフの『熊蜂の飛行』がある。ロシア語の原題を正しく翻訳すれば『マルハナバチ』だが、日本でも普通に総称して『クマ(ン)バチ』だから文句はない。写真は正真正銘の『キムネクマバチ』だ。

 先の桜の花の周りも飛び回っていたが「鹿に紅葉」の如く「藤に熊蜂」は一番よく似合う。わが家でいえばもうすぐ「エゴノキ」が満開になると大勢やってくる。

 ♂は刺さないが、顔を正面から見ないと♀♂の違いが分からいから、何度も試しているが素手で捕まえたことはない。孫の夏ちゃんには「二つに一つやから捕まえてみて」と言われたが・・・。

 名曲どおりの攻撃的な羽音、ホバリングをしてジッと見据える大きな目、精悍である。誰でもオットーっとあとすさりをする。しかし可愛い。

2021年4月15日木曜日

イギリス型変異ウイルス

   コロナの情報は一口で言って玉石混交だ。金儲け(インバウンドや観光等)やオリンピックや大阪のトコーソー住民投票の思惑で情報は歪められ、例えば今日現在のPCR検査数を知ろうとしても情報に辿り着けない。

為政者たちの「やってる感」や太鼓持ちのような自称?コメンテーターが上っ面だけを云々するニュースが氾濫していて真実が見えにくくなっている。情報操作ということでいえば、厚労省が地方自治体に「PCR検査を拡大するな」と指示していたことが暴露されている。

この間のそのような状況を観察した結果、私は山中伸弥教授の提供されているデータ等が客観的で注目すべきだと思うようになっている。以下は、教授のイギリス型変異ウイルスの情報から摘んだ見解なので、読者諸氏は『山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信』を読んでもらいたい。

◆ イギリス型変異ウイルスは、感染力が従来のウイルスより70%程度強い可能性が高いと報告されている。実効再生産数(1人の感染者から何人に感染するか)は、従来のウイルスより0.52から0.74程度高い可能性が示唆されている。また致死率も同程度高い可能性が示唆されている。感染研が行った国内の解析においても、イギリス型変異ウイルスは従来のウイルスより感染力が30%程度高いこと、また感染者における0歳から17歳までの子供の割合が、従来ウイルスより2倍弱に増加していることが報告されている。

国内の解析では、首都圏で緊急事態宣言が続いていた本年21日から322日のデータで、この間の従来型ウイルスの実効再生産数は0.94と1を下回る一方で、同期間におけるイギリス型変異ウイルスは1.23と、感染拡大傾向が続いていた。イギリス型変異型ウイルスに対しては、2回目の緊急事態宣言下で行われた程度の対策では、不十分であることが危惧される。(要旨引用おわり)

以上の見解から、私は特に、心臓に重い疾患を持つ孫のリスクが高まっていることを心配する。故に、PCR検査も含め、大規模な検査によって状況を的確に把握して情報が公開されることを切に望む。政治に科学を!

2021年4月14日水曜日

何がアンダーコントロールですか

   奈良公園で今シーズン初めてルリセンチコガネを見た。奈良公園の膨大な鹿の糞は彼ら糞虫とバクテリアによって分解され、自然は循環している。うらやましい限りだ。トリチウムを無害化する糞虫や来たれ!

 菅(すが)自公政権はフク1の汚染水を海洋放出すると決定した。言い分は「トリチウムをWHO飲料水基準の7分の1程度に薄めるから問題ない」というのだが、この理屈が私にはわからない。

 例えばマグロの水銀でいうと、マグロは一応食べてもよい程度の汚染とされているが、厚労省は週に2回以内、合計で100g~200g以内にしろと述べている。つまり、低い毒性のものがある種の基準値以下であったとしても総量で大量に摂取してはならない。この理屈はよくわかる。

 政権は世界中の原発がその程度の汚染水を出しているのだからフク1だけがとやかく言われることはないというが、総量が桁外れである。

 論理の問題だが、希釈によって問題が解決するなら、太平洋にそのまま放出しても同程度には希釈されるだろう。つまり、毒性×総量の話をしなければならない。桁違いの総量を語らずにWHO基準の7分の1程度にまで希釈するからという論理のすり替えに乗ってはならないと思う。

 土木大国ニッポン。山側等に地中までの地下水遮断の地下大堤防を作るべきだろう。地下水を決定的に抑え込んだうえで循環する水で冷却し続けるべきだろう。並行してトリチウムの除去技術を開発すべきでないか。

2021年4月13日火曜日

市民と野党の共闘

   11日投開票の宝塚市長選挙で維新の候補を退け市民と野党の統一候補山崎晴恵さんが勝利した。結構接戦であったから単純に浮かれていてはいけないが、革新統一の力を再認識することはしすぎることはないと思う。

 首長選挙では非常にリアルな選択を求められている。特に「維新」や「減税」というようなポピュリズムが嘘まで交えて劇場型選挙戦を行い、当選後は「俺が世論だ」とばかりに立憲主義や人権まで踏みにじっている状況下では、よりましな保守的な層との連携もありうる。

 大阪の共産党が元自民党などの候補者を知事や市長選挙で支援する形で独自候補を降ろした際も、いろいろ「わからない」という意見も聞いたが、私などはリアリストであれと賛成した。

 市民と野党の共闘という意味では、嘘と隠蔽の縁故主義、民主主義の根幹たる報道規制等の自公政治が、見るも無残に日本という国を世界の三流国に凋落させたことは明らかだ。もう、「確かな野党」として「お灸をすえる」段階ではなく、政権交替がリアルで確かな選択である。

 立件民主党の小川淳也議員が「大切なことは互いにリスペクトして一致点で団結することだ」と述べていることは重要で、現政治の刷新を願う人々は心を合わせよう。

 宝塚市長選挙、おめでとう。そして、ありがとう。

2021年4月12日月曜日

庭の木を見る

   ニュース読者の先輩からお礼の葉書をいただいた。葉書には「桜の季節になると、いつも、来年も観られるかなと思います」とあった。

 確かに私も、ターミナル(終着駅)らしきあたりから逆算するとこの2シーズン(コロナ禍の2年)の浪費?は悔しい。それは子どもたちのかけがえのない2学年もそうだろうし介護やいろんな場面の日々もそうだろう。そういう意味で、オリンピックだ、トコーソーの住民投票だと言ってコロナ対策を空転させた政権等の罪は重い。

 一方、コロナだ非常事態だという人間界の喧騒をよそに、今年も満開になった桜や花々は偉い。写真はシラタマミズキ・オーレアという樹の控えめだが清々しい花を2階のベランダから撮ったものである。

 2018年5月1日のこのブログで要旨次のとおり私は書いている。『ネット通販でタキイ種苗のシラタマミズキのオーレアというのを買った。近所の研究所にミズキがありさわやかな印象があったところに「紅葉がきれい」という宣伝文句に心が動いたものだが、書いてあったとおりほんとうに30㎝の小さな苗木である。この木が庭の主木になる頃には私は老人ホームあたりに入っていないだろうか。紅葉が輝くミズキを夢見て肝心の自分の年齢を忘れていた』と。

 しかしおかげでもう私の背丈を超えている。数か月前に書いたところだが、大臣のことを指す〇〇相の相という漢字のことを思い出す。白川文字学では、『木と目を組み合わせた形。樹木の盛んな生命力はそれを見る人に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので「たすける」の意味になる』と。

 〇〇相は置いておいて、巣ごもりの日々だが樹木のおかげで生命力を戴いている感じがしている。花もいいが若葉もいい。木や花や野菜の手入れをしていると年単位で物事を考える場面が多い。それは今後ほゞ何回それができるかという思いとつながる。年単位で物事を考えると時間は惜しい。いろんなことを考えていろんなことに挑戦したいと思ってくる。

2021年4月11日日曜日

コロナ惨憺

   この間まで世界第2位の経済大国といわれていた国が、日本会議系右翼の自民党と公明党が連立した政権によって、よくぞここまでと言いたくなるほど凋落している。

 掲載したグラフはNIKKEIの『チャートで見るコロナワクチン、世界の接種状況』だが、上のグラフは人口100人あたり累計接種回数(4月9日更新)で、例えばイギリスの56.1人、アメリカの51.7人などに比べても日本は1.2人と桁がいくつも異なっている。


   次のグラフは100人あたりの接種完了人数だが、これも0.33人とお話にならない。

 そもそもPCR検査の人口比は最新のものが見つからないが、世界中の最低水準であることは明らかだ。

 某大臣は「民度が違う」と宣ったが、この政権の能力は世界最低水準に近い。これでオリンピックだというのだから開いた口が塞がらない。

 そういう下で、12日から高齢者向けの接種が始まると喧伝されているが、あくまでも最初のグループに「始まる」だけで高齢者全体にいつ行渡るかの確約はない。

 ここで問題になるのがワクチン接種の優先順位で、朝日新聞(4月9日)によると奈良県などは大阪と密接な都市部6市町に配るという。

 確かに各府県、各市町村はいわばトリアージのような選択が求められるのだが、大阪府吉村知事は機械的に人口比で配分するらしい。この話に、如何にも卑怯な男だと私は思った。ほんとうにトリアージのようなことを起こしてはならないのだが、厳にその必要がある場合には、リーダーは見識を示すべきで、それを市町村にスルーしたわけである。

 誰も選別、順序付けなどしたくはないが、それを逃げてどうすると私は思う。

 選別は嫌なことだが、例えば入居型の老人施設でいえば、あえて言えば私は後でもよいと思う。それよりも施設のスタッフを「高齢者扱い」と読んで、ここの接種を最優先するべきだと考える。県によっては「入所者優先」とした県もあるようだが、私は賛成でない。

 誰だってこんな役回りはしたくないだろうが、府知事たるものそれを逃げてどうする。

 こんな府政を「大阪モデル」などと言って持ち上げていたコメンテーターやアナウンサーは大阪の現状に対して少しは責任を感じるべきだろう。


 


2021年4月10日土曜日

長いは短い

   先日ミニコミ紙を発行した。わが家の分を持って帰って妻に手渡したところ、一番最初に俳句欄を読んで「維吾爾のルビが小さくて読めない」と言った。ルビはウイグルなのだがそれはこの記事の主題ではない。

   若い頃労働組合の機関紙学校で「長い記事は短い」「短い記事は長い」という鉄則?を聞かされた。短い記事は大勢の人が読んでくれるから(記事の長さ×人数)は長く、長い記事はあまり読まれないから(記事の長さ×人数)は結局短い、つまり影響力は小さいということだった。

   「簡潔明瞭」は耳に胼胝ができるくらい言われてきた。しかし実際は難しい。いつも反省し悩んでいる。さらにいえば、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」書こうという井上ひさしさんの名言もある。

 先日某紙の「読者の広場」の投稿欄に「ニュースを発行しているが読者の感想の第一番はニュースに添えた送付状の内容だ」とあった。「あった」というか投稿したのは私である。その経験からいうと、一番が送付状、二番が短い記事、そして・・・となる。理屈ではないリアルがそこにある。

 昨年来、非常事態だとかマンボウだとかで大阪市内で集合することが躊躇われる。ならばリモートで対応するのも避けられない。同時に、『新聞うずみ火』代表矢野宏氏の言ではないが「紙で出すことにこだわ」って努力する思いも理解できる。あれかこれかでなく、リモートにも紙にも強くなることだろう。コロナを理由に何もかも後ろ向きになるのが一番良くない。・・と、自身に言い聞かせている。

 直後に「拝受、ありがとう」とラインをくれた友人もいる。ありがたいことだ。読者の交流の場にもなればよい。夢は膨らむ。

2021年4月9日金曜日

鯉のぼり掲揚はじめ

   私は日本の庶民文化の中で最も誇れるものは鯉のぼりではないかと考えている。

 山車、神や仏の仮装あるいは人形、対極的に悪魔的なもののそれ、万国旗的な飾り、花火・行燈・各種競技、獅子舞、人形劇、龍踊り、盆踊り、幢等々、そのような発想のものは世界にはいろいろあるが、鯉のぼりの源流は中国文明の登龍門の故事であったとしても、それを鯉の形にして空に泳がせ子の成長を願う庶民文化は、発想の飛躍という意味で一頭地を抜いているように思う。

 ところが、都会の住宅事情や少子化のせいか、近頃は鯉のぼりが少なくなった。

 そして、川や公園や庭園等にロープを渡して多数の鯉を吊るす形の方が目立つようになった。各家庭の処分という側面も・・・。現代っ子が大きくなった時には鯉のぼりは渡したロープに吊るすものだというのが「常識」になってしまいそうだ。

 4月6日、孫二人が揃って鯉のぼりの「掲揚はじめ式」を挙行した。年中行事というものはコロナ禍の閉門蟄居状況でも生活にメリハリを与えてくれる。

2021年4月8日木曜日

仏滅

   少し前のことだが3月下旬に朝のテレビが「福岡5歳児餓死事件」で、母親とママ友が保護責任者遺棄致死で逮捕されたというニュースを報じた。
 母親がママ友に洗脳され、言われるがままに食事を与えなかったという。
 スタジオのアナウンサーやコメンテーターが「何でそんな不合理なことを信じたんや」と洗脳の怖ろしさを語り合った。

 理性的、論理的に考えない。不合理なこともあっさりと信じ込む風潮の怖ろしさを語っていた。その通りだと思った。
 ただ、そのニュースが終わった途端そのテレビが「星占い」「今日の運勢」に変わったので、テレビ局のあまりの支離滅裂さというか、タイミングの「良さ」にため息が出た。

 私は星占いも信心も否定しないが、実社会の論理的な枠内で信じるべきだと思っている。そういう意味で、原理主義、教条主義はよくない。
 ただし、現代社会の受験競争を勝ち抜いてきた理系の人がイコール論理的と言えない現実もある。オウム真理教がそうであった。
 そして数々の国会答弁などを見るにつけ、この国に現在一番欠けているのは常識力ではないかとさえ本気で思っている。

 不合理な迷信というと大安や赤口などの六曜がある。元々があまりに単純な迷信であるうえに、旧暦が新暦に変わり、その上に「友引は友人をあの世に引き込むから葬式はしない」などという語呂合わせのような解釈の方が優勢になっている。
 六曜は仏教とは無関係の思想なのに仏滅などは釈迦の入滅になぞられたりする。
 こんなバカバカしいことをブログに書きたくなったのは、4月8日お釈迦様の誕生日の花まつりが仏滅になっていたからだ。さて、貴方ならどうする。

2021年4月7日水曜日

ウルイ

   写真は植木鉢のオオバギボウシ。花の形が擬宝珠に似ているのでギボウシ。ただし花は夏。

 擬宝珠といえば大阪は高麗橋。ここは江戸時代の大阪の中心点で、橋は大阪には珍しい公儀橋、故に橋には擬宝珠が着いている。

 話しは戻って庭のギボウシ。この時期の新芽はウルイと呼ばれる山菜で、イオンにも並んでいる。ただし売られているのは長く白いから、ウドのように手をかけて栽培されているのだろう。

 わが家では、放っておいても増えるような強い草花なので、あんまり心配せずに若芽を摘んでいる。酢味噌が一番手っ取り早いがどんな料理にも合う。

 売り物のウルイのように白く長くはないけれど、この時期は青くても柔らかい。というか山菜特有の苦みは全くなく、庭で薹(とう)の立った冬野菜とバトンタッチで食べている。薹(とう)の立った冬野菜の方は黄色や白い花が満開で、野菜畑が今はお花畑になっている。

   コロナのせいで閉門蟄居の身であるが、草木を眺めているだけで一日が過ぎていく。

   おまけの写真は茗荷竹。普通には茗荷は蕾を食べるのだが、写真のこういう新芽も甘酢漬けで美味しい。

2021年4月6日火曜日

大阪府政停滞の原因は選挙制度にもあり

 在阪テレビ局のニュースやワイドショーは奇妙である。
   吉村 維新知事が「大阪の聖火リレーは中止すべきだ」と言ったと報じたが、それならなぜコロナ対策上大切なキーポイントであった時期にトコーソーなる住民投票騒ぎを推進した当時の松井・吉村維新を批判しなかったのか。

 テレビが輝かしく取り上げたイソジンの結果をなぜ実証しない。
 大阪のベンチャー企業「アンジェス」のワクチンが今ごろは実用化されていると太鼓を叩いていたのは誰だ。
 在阪テレビ局は大阪モデルなどというキャッチコピーを礼賛し維新の「やるやる詐欺」の片棒を担いだ共犯者でないのか。
 少し冷静に考えればこんなにもひどい政治がどうして大阪で許されているのだろう。

 そんな最中、大阪維新の会は、大阪府議会の議員定数について、現在の88から1割程度の8議席を削減する方向で検討していると報じられている。
 削減されるのは、定数2の大阪市住吉区、堺市堺区、堺市北区、泉大津市・高石市及び泉北郡、箕面市及び豊能郡、定数4の吹田市、高槻市及び三島郡、定数3の八尾市の8選挙区で、圧倒的に定数1あるいは2の小選挙区制である。

 過疎地域の声を反映させるための一定の選挙区制の有用性は認めるが、例えば定数1の選挙区の意見は1位の候補者(議員)の意見だけなのだろうか。そんなことはありえない。
 それよりも、そのように相対的少数意見を切り捨てた疑似多数が専横するデメリットの方が小選挙区制には大きいと私は考える。事実、こうして無能な大阪府市政が推進されている。

 維新が強行した保健所潰し病院潰しの弊害が明らかになったではないか。今度は府議会の徹底した小選挙区制だと。
 公務のスリム化、議会のスリム化という宣伝文句に乗せられた結果がコロナダントツワースト1である。小さな役所は高くつく! この現実を冷静に考え、効率主義なる呪文に囚われるのをそろそろやめませんか。
 
 維新の大阪府市政は5日から「飲食店見回り隊」を出すという。「ぜいたくは敵だ!」の国防婦人会の監視・密告社会を連想する。

2021年4月4日日曜日

竹川マスオさんを励ます

   京都府精華町で竹川ますおさんを励ます集いが開かれた。
 元高校の国語教師らしく? 教育大の恩師からメッセージが届けられ、教師時代の教え子も駆けつけられた。集まった方々は異口同音に人柄を褒め称えられたが、「それだけでは少数激戦を勝ち抜けない」というリアルな指摘もあった。ほんとうはここが肝心なのだろう。

 鏡開きも行われたが、あとで写真を見ると主人公たる右の竹川さんが後方に下がっていた。人がええにもほどがある。・・という人柄である。

   プチ菰樽は『極上 竹川誉』で、樽をひっくり返すとメッセージが垂れ下がった。屋内の座談会にはふさわしい可愛さだった。と勝手に誉めておく。

 久しぶりに、マスクをつけたままだったがキーボードの演奏で歌も唄った。長引く巣ごもりでみんな鬱々としていたから、これも新鮮だった。気分的には元気なよい集いだった。

 なお、竹川ますおさんは、共産党で現職の不動産会社の代表取締役社長というちょっと変わった肩書も面白い。それにしても、精華町町議会議員選挙は目前に迫っている。友人知人にどうかご紹介を!

リモート的お見舞い

   入院中の旧友から現況報告のラインがあった。入院の原因は整形外科的なものなので、ある意味心配の度合いは少ないが、他愛ない事故でも入院になるから年齢は軽視できない。「一寸先は闇」なる箴言が心に重々しい。

 コロナ禍であるから見舞いもできず、時々のラインのやりとりがお見舞い代わりだったが、今日の報告の添付写真がすばらしいのでこのブログを書く気になった。

 多言は不要だろう。面会制限の下でも窓の外でこんな見舞いをされたらリハビリにも力が入ることだろう。協力してくれた病院スタッフも素晴らしい。

 いい家族だなあと妻と頷きあった。

 困難な諸条件を理由に何もしないのでなく、これならできないかと工夫されたのがすばらしい。じいじ がんばれ!

2021年4月3日土曜日

4人以下の会食

   孫の夏ちゃんが春休みにも拘わらずコロナのおかげで巣篭り状態で可愛そうだったので、「コロナ対策に万全を期している」と宣伝している新規開業のラーメン店に4人以下で食べに行った。

 今さら珍しくはないが注文はタッチパネルで、妻がオタオタしている横から夏ちゃんがスイスイと対応した。

 行く途中で桜並木に寄り道した。すばらしい花吹雪だった。後で聞いたのだが妻が夏ちゃんに横の小川を指して「きっとお祖父ちゃんが”これをなんという?”というから花筏と答えるんやで」と言っていたらしい。実際には八割方言いそうになったが「また祖父ちゃんが・・」と言われそうなので言わなかった。

 4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デーで、連帯の意思を込めて青いものを身につけて出かけようという日だった。啓発週間は4月2日から8日まである。

 統計処理されていない事実を比較して何らかの傾向等を論じるのは正しくないが、今春の暖かさはどういうことだろう。1970年代に労働組合で「早朝職場大会」を何回か経験したが、時期はいつも4月上中旬でその頃桜の満開ということが多かった。職場大会の成功を花吹雪と併せて感動的に俳句に読んで労働組合機関紙に投稿された方も多かった。

 もっとこちらでは私が退職した年の3月31日には小雪が舞っていた。そんなもので、どうしても地球環境がおかしくなっていないかと感じている。

2021年4月2日金曜日

瓜田不納履 李下不正冠

   「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」これは18世紀のフランスの哲学者ヴォルテールの言葉らしいが私は好きである。それに私は石部金吉でもないしジョークも好きである。もっと言えば野暮は嫌いである。

 そんな私がどうしてこんな無粋な?テーマを選んだかというと、テレビに頻繁に登場する高須クリニックのCMに、いくら大金持ちのスポンサーだからといって、ジャーナリズムの端くれぐらいの矜持はないのかと思うからである。

 美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長は前代未聞の民主主義蹂躙のリコール不正事件の団体の会長である。本人は「貸した」と主張しているが不正事件の財源の提供者として疑われている。とはいえ首相ではないが高須克弥氏と高須クリニックは別人格かもしれない。しかし、そこを自重させるのがジャーナリズムの精神ではないのか。 

 子曰く「渇不飲盗泉水(渇しても盗泉の水を飲まず)」という言葉もある。盗泉とは名がそうであるだけだが孔子は嫌った。こんなコマーシャル如きに無粋な批判を書くのは恥ずかしい気もするが、権力者、大金持ちの声が大きく報じられ、市民の常識が無視される社会はやはり良くないと愚直に言い続ける必要があるように思ったからである。

 写真左側の人物が名古屋市長選挙に再出馬するという。

2021年4月1日木曜日

吾は國體なるぞ

   週刊文春のオンラインニュースによると、ある懲戒解雇事件について東京地裁は318日、「懲戒権の行使に客観的な合理性はなく、社会通念上相当性を欠く」と原告の訴えを認め、被告全面敗訴の判決を言い渡した。

 その被告とは、全国約8万の神社を束ねる総本山、宗教法人「神社本庁」で、裁判の最終準備書面では「(敗訴すれば)包括宗教団体としての組織維持ができなくなる。被告は、伊勢神宮や皇室と密接な関係があって、いわば『日本の国体』の根幹を護っている最後の砦である。(中略)決して裁判所が日本の国体破壊につながることに手を貸す事態があってはならないと信じる次第である」と主張したらしい。まるで戦前の軍部の亡霊を見ているような、背筋の寒くなる主張である。

 そもそもこの裁判は、神社本庁の元部長が内部告発を理由に178月に懲戒解雇されたもので、その内部告発というのは、「神社本庁が1510月に18400万円で売却した職員寮が即日転売され、後に3億円以上に値上がりした疑惑が発端で、元部長らは同様の案件が複数あり、売却先が同じ不動産業者で随意契約だったことを問題視。『不当に安く売却したのは背任行為に当たる』などとした文書を配布したことことだった。

 週刊文春によると、内部告発で「疑惑の張本人」と名指しされたのが、神道政治連盟の打田文博会長で、神政連は日本会議とともに、憲法改正を目指す安倍晋三前首相らの活動を支えてきた団体である。

その打田氏とともに神社本庁執行部を総長として率いるのが、田中恆清氏で、異例の総長4期目に突入し、内部では「打田田中体制」(同前)と評されているらしい。

 しかし、不動産取引疑惑以外にも不倫スキャンダルなどが相次ぎ、“こんぴらさん”こと「金刀比羅宮」(香川県)のように本庁から離脱する動きも出ている。

 文春は、神社本庁において象徴のトップである「統理」の多くは旧皇族らが務め、現統理の鷹司尚武氏も昭和天皇の孫にあたる。だが、その鷹司氏はカネや女性問題ばかりが報じられる田中氏ら執行部に対し、「顔も見たくない」と不信感を募らせてきたと述べている。

 こんな面々と金によって憲法改正運動なるものが仕組まれているのだ。それは神道が最も嫌う穢れではないか。地方の神社は、こんな不純な運動と手を切り、村の鎮守の神様として歩んで行ってもらいたいものだ。