2020年11月30日月曜日

古墳の終末

   11月28日29日と奈良県明日香村の中尾山古墳の一部発掘調査の現地説明会があった。27日の新聞に予告されていたので行こうか行くまいか相当悩んだが、これまでの経験ではけっこう密になりそうなので最終的には行くのを断念した。

 新聞で報じられている限りでは、既に研究者の間ではほぼ定説とされている事々がはっきりと確認されたという感じだった。

 それは、八角墳である、横口式石槨である、火葬墓である、水銀朱が塗られていたなどということで、「真の文武天皇陵であろう」とのほぼ定説がいよいよ固まったというものであった。

 壬申の乱の最終的な勝者であり、日本という国号や天皇という名称を本格的に名乗って唐にまで認めさせたのが持統天皇で、大津皇子粛清など剛腕をもって自分の子の草壁皇子を天皇に継がせたかったが即位前に死亡したため自分が天皇になり、その後草壁の子つまり持統の孫である軽皇子を即位させ、持統は太上天皇として時代を切り開いたが、その軽皇子が文武天皇である。

 文武は病に伏して天皇職を母の元明に譲り、元明天皇は藤原京から平城京へ遷都した。そういう意味で、古代史前半のフィナーレともいえるのが、文武天皇でありこの中尾山古墳である。

 次に八角墳ということでいえば、斉明天皇に代表される当時のイデオロギーは道教であったのは間違いない。そして、道教では宇宙やこの世界を八角形ととらえ、それらに君臨する天皇の墓が八角墳で、それはそれ以前の前方後円墳のように豪族には許されなかった形状だった。だが、平城京に代表されるその後のイデオロギーの本流は仏教のそれに代わり、故に、中尾山古墳は基本的に八角墳、もっといえば若干の例外はあるが古墳文化の終焉を教えている。

2 件のコメント:

  1. 1日付けの赤旗に中尾山古墳のことが載っていますね。しかし、さらっとした内容でこのブログ程掘り下げてませんでした。NHKニュースで見学会のことが写されていましたが嫁はんが「長谷川さん行ってはるんかな~」と画面を探してました。(笑)

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  2.  そういうコメントは外からもありました(笑)。しかし今回は、少し前の「うわなべ古墳」の現地説明会も参加を見合わせました。早くコロナが収束してほしい。
     なお、道教と八角形については明日アップします。

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