2020年7月31日金曜日

お化け胡瓜の夏料理

   夏を代表する料理はいろいろあり、先日の土用の丑の日には宣伝広告に踊らされてプチ贅沢をしたが、私は素朴な胡瓜煮も大好きだ。
 太った胡瓜を皮を剥いで干し海老と昆布で煮て餡をかけて冷蔵庫で冷やしたもの。
 食欲不振など別世界になる。

 ただ、この料理はスーパーで売っている胡瓜ではダメで、家庭菜園で供給過剰のため採り遅れて太ったお化け胡瓜でないと上手くない。

 基本は冬瓜のレシピで、小さい頃は何か頼りなくて好きでもない料理だったが、人生の経験を重ねるごとに好きになった。

 また胡瓜の料理?というと、よく漬かった胡瓜の糠漬けをトーストの上に敷き詰めて朝食にしている。朝から「今日も一日がんばろう」という気にさせてくれる。
 塩分の摂りすぎが心配だが、夏は血管が緩んで(降圧剤の服用もあり)血圧も安定気味なので気にせず食べている。
 
   先日の土用の丑の日といえば関西のテレビはどこも京都神光院の「きゅうり封じ(きゅうり加持)」をローカルニュースで報じていた。
 夏の疫鬼を封じ込めた胡瓜は食べずに土に戻すらしいが、何よりも胡瓜には疫鬼を封じ込める力があるらしい。身代わり力といおうか・・。
 一説によると胡瓜の断面が仏教法具の法輪に似ているためというのを読んだことがあるが、この法輪説が納得できるためにはスーパーの胡瓜ではなく、太いお化け胡瓜でなければならない。

2020年7月30日木曜日

南方から来た人と文化

 23日に『餅つきの歴史を考える』というタイトルで、「餅つきは実は弥生時代にはもう始まっていたのではないか」という大胆な推論を書いてみた。
 その根拠のキモは「日本列島(主に西部)の文化の基底は照葉樹林文化である」という所にある。
 図式的に言えば、日本列島の文化の入口は3つある。大陸・朝鮮半島から主に北九州に来た文化、シベリア・樺太・北海道からの文化、そして南方から島伝いに入ってきた文化で、私の推論はこの南方からの文化を重視したものであった。(大陸沿岸を北上して朝鮮半島南端からも含む)
 確かに水田稲作はおよそ3000年前に朝鮮半島南部から北九州に伝えられたというのが定説だが、それ(弥生)以前にタロイモや雑穀の照葉樹林文化が入っていて、その文化はモチモチ好きであった。故に、脱穀に用いられた竪杵と臼で、弥生時代には蒸した米を餅に搗いたこともあったに違いない・・というものだった。

   しかし、弥生以前に、例えば長江下流を出発したボートピープル?が徐々にでもあっても日本列島まで到着できただろうかという素朴な疑問があるが、昨年夏に国立科学博物館が主導した台湾→与那国島の、30000年前の古代葦船による再現航海の成功を思い起こすべきだろう。

 それよりも、さらにはるか以前に、アフリカを出発してアジアを東進してきたホモサピエンスの一群が、東南アジア諸島、オーストラリア、ニュージーランド、さらにはポリネシア、ハワイ島にまで海上を移動できていた事実を直視すべきだと私は考える。

 DNAから見た最新の研究では、日本人は従来言われてきた比較的単純な二重構造や三重構造というよりも、様々な経路で大陸からやって来た多様なグループ(ミトコンドリアDNAハプログループ)の混在だと言われている。
 
 時代は全く異なってイメージの話だが、古いテレビの番組で戦前の長崎が紹介されていて、「(戦前)東京には行ったことはないが、お盆とお正月前には上海に買い物に行っていた」と古老が語っていたのが印象的だった。
 現代の感覚で世界を見たり、古代や弥生時代さらには縄文以前をただただ半ば野蛮で技術や知識の低い社会と思い込むのはよくないように思う。

2020年7月29日水曜日

解除

   7月28日朝、東大寺大仏殿で解除会(けじょえ)の法要があったが、朝はイクジイであったので参加できず、昼前にお詣りして茅の輪をくぐってきた。


 茅の輪というと六月晦(みそか)の「夏越(なごし)の祓(はらえ)」や「水無月祓(みなつきはらえ)」でないのかという疑問があるかもしれないが、明治政府が無茶苦茶にする前の日本は神仏習合が当たり前で、これは神事、あれは仏事というようには分かれていなかった。

 東大寺のHPによると、延喜元年(901)三月に東大寺別当律師道義が秋の始めに毎年流行する疫病を防ぐために、奈良の諸大寺に呼びかけて、同年六月二十八日より始めた法会で、七大寺の僧二百四、五十人、楽人六十余人を講堂に集めて行われたと伝えられている。

 当初は観音の画像を新写して除疫を祈願し、解除と大書した御幣を二本作って講堂の前庭に立てたといわれ、応仁・文明の乱以後一時中絶したものの、江戸時代に再興され、今日では毎年七月二十八日、大仏殿で盧舎那仏(大仏さま)を本尊として勤められている。

 このように疫病を防ぐというドンピシャの法要にも拘らず、皮肉にも今年はその疫病のため、写真のとおり大仏殿は静かなものだった。
 ご婦人に「どのようにくぐるものですか」と尋ねられたので、「いくつかの神社では8の字に廻りますが、過去の解除会ではお坊さんはそんなことはしていなかったですよ」「でも今日は無茶苦茶空いてますから8の字で廻りましょか」と一緒に廻った。

 島田裕巳氏の本に『神社で柏手を打つな!』という本があり、「明治に定められた二礼二拍手一礼には祈念するという部分がない」と指摘している。
 だいたいここはお寺だし、8の字でも1の字でもよいから合掌する気持ちが大事だろう。
 もちろんコロナの終息を心から祈ってきたが、コロナの下で利権をほしいままにしたり、データの独占を謀ったり、惨事便乗で人権制限を狙う企みに抗議し暴くことをしないと、さらには悲しんでいる人々の現実を見て見ぬふりをして過ごすのは、それは人の道でも仏の道でもないと大仏様に叱られるだろう。

2020年7月28日火曜日

恋は盲目

   雨がやんでタマムシも喜んで葉陰から飛び出してきた。
 輝く翅に水玉までつけてキラキラしている。

 私はカメラでこの小さな虫を追いかけるのだが、飛んでいるところはなかなかピントが合わない。(近頃の言葉ではフォーカスというが私はピントと言いなれている)

 ところでタマムシが飛んでいる目的はただ一つ、交尾をして卵を産み付けるだけだ。故に彼らは必死である。

   と見ていると、街路樹の向こうの屋根にカラスがやってきた。
 まさか!と思っていたが、恋に夢中のタマムシが飛び出した途端、見事に空中でくわえて近くの屋根に飛んで行った。

 タマムシの立派な”構造色”もなんの役にも立たなかった。
 こんな綺麗な昆虫を食うなんて・・と腹の底で怒ったが、カラスにはカラスの言い分もあろう。
 タマムシも注意が欠けていた。恋は盲目※とは人間だけのことではないようだ。

 ※ タイトルにしても本文にしても視力に障害のある方にとっては不愉快な差別用語に当たらないかと悩んだが、シェークスピアの翻訳などですでに人口に膾炙している用語だと判断した。文章は全体の文意で評価するのが基本だと考えている。

2020年7月27日月曜日

久しぶりの完徹

   18日に「オーヘン」というタイトルで、孫に見る大阪弁の変化について書いた折、mykazekさんからコメントで『複数の日本語』という本を勧められた。
 工藤真由美、八亀裕美著『複数の日本語 方言からはじめる言語学』(講談社選書メチエ)だ。

 早速購入しようと近くの書店の在庫状況を確認したところ在庫がなかったので、AMAZONや楽天を探したが、定価1500円が2500円という中古本が1冊ヒットしただけで、その後多くの中古本通販も検索したがどこも欠品、在庫なしだった。
 そんなもので最終的には遠くない図書館で借り出した。そして図書館の戸棚の近くにあった小林隆著『方言が明かす日本語の歴史』(岩波書店)も一緒に借り読み始めた。
 
 この(複数の・・)本は「あとがき」によると、「美しい日本語、正しい文法」を裏切る「スティグマ※を負った日本語変種、多様な文法」の反国語的な活力を取り出してみようとしたものらしい。※は(イエスが磔刑となった際についた傷。 奴隷や犯罪者の徴、烙印、刻印)(一般と異なるとされる事から差別や偏見の対象として使われる属性、及びにそれに伴う負のイメージ
 当然豊富な事実を積み上げて、日本語が単一的ではなく、雑種的でもあり、常に変化してきたし今も変化していることを刺激的に提起してくれていた。

 そんなもので「眠れないからラジオ深夜便」ではなく、久々に完全徹夜で本を読んだ。それほど面白かった。2冊とも面白かった。完徹だけでは読み終えず、24時間ほど日本語ばかりを考えた。
 どこが面白かったかは皆さんが読んで味わってもらうとして、「ら抜き言葉」「れ足す言葉」も乱れなどではないのかもしれないと考え直すほど、目から鱗のオンパレードであった。

 若い頃東京で「メジロはウグイス色やってる」と言って先輩諸氏に嘲われたことを今でも覚えているが、私はこういうしゃべり方を今でもする。妻も「どこも変でない」と言う。?????
 「変化」でいえば孫を引き合いに出すまでもなく、娘が小さかった頃から、「上(うえ)らへん」とか「右(みぎ)らへん」と言うのを不愉快に聞いていたが、今では私は使わないがそう言われても許容できるようになっている。
 「方言が・・」の本も勝るとも劣らないくらいに面白かった。

 学問の世界も政治の世界も、およそ定説などと言われているものは疑ってみるものだ。

 【おまけ】 26日19時20分からNHKラジオ日曜名作座『妹背山女庭訓魂結び』の大阪弁が酷かった。西田敏行、竹下景子という名優を使っても大阪弁の指導がなってなければ興醒めだ。NHKはEテレやBSやラジオは頑張っていると思っていたのに残念だ。メディアは言葉(方言を含む)をもっと大事にしなければ・・・。

2020年7月26日日曜日

政局音痴

 著名な憲法学者で神戸学院大学上脇 博之教授のFBの内容が参考になったので転載する。
 私たちはいわゆる政局などに一喜一憂せず大道を歩むべきは当然だが、コロナ禍の下で顔を合わせて議論する機会も減り、なにか「コロナが落ち着いたら(それから)頑張ろう」的な、いわば「政局音痴」に沈んでいないかと自分自身反省させられた。


 また内田樹先生が全国革新懇ニュースで「最悪の事態は想定したくない」という日本人の “呪術的信仰” を論じているのも、安倍政権の批判と同時に自分の胸に手を当てて妙に納得させられた。

 内田先生曰く、『日本人には「最悪の事態に備える」という発想そのものが希薄です。
 これは教育のせいなのか、民族の文化なのか、よくわかりません。
 とにかく「最悪の事態を想定すると、最悪の事態を招き寄せる」という呪術的信仰が間違いなくあります。ですからうっかり「最悪の事態に備えて・・」と口にすると、「縁起でもない」と制される。場合によっては「それは敗北主義だ」「悲観論だ」と罵られさえする。
 そして、実際に日本人は最悪の事態を想定すると一気に悲観論に落ち込んで、頭が働かなくなるようです。それよりは「すべてがうまくいったバラ色の未来」と想像して多幸感に浸っている方がましだということになる。
 そして、危機的状況に際会して、腰を抜かす。それを繰り返してきました。この病的傾向はよほど「これではダメだ」と自覚しない限り治らないと思います

 以上の文は主に政治の劣化と新自由主義批判の文脈で語られているのだが、民主運動の内部にも、元気のよい言葉を多用して何か展望を開いたかのような気分になり、「最悪の事態の議論」を「確信を欠いている」と捨てている部分がないだろうか。
 上脇先生のFBは「最悪の事態に備える」喫緊の重要性を語っておられる。心したい。
 以下に上脇先生のFBを引用する。

(1)衆議院の総選挙はいつになるのでしょうか?
 前回は2017年10月でした。衆議院議員の任期は4年なので、来年2021年10月までには総選挙が行われることは確実です。
(2)安倍自民党総裁の任期は同年9月だし、任期中の明文改憲を目指しているので、それが一応本気であるとすれば、とりあえず総選挙は任期満了ではないと予想できます。
(3)来年は、6月または7月には東京都議会選挙が行われる予定なので(前回は2017年7月初め)、連立を組んでいる公明党に配慮して、この時期とその前後各3か月余りの期間は、総選挙はないでしょう。
(4)参議院は明文改憲に必要な「3分の2」を充足していないので、安倍首相は、衆議院総選挙で「3分の2」を超え、「これが民意」だと強弁して参議院での「3分の2」獲得工作を目指すしかないでしょう。
 そのうえ、日本国憲法の改憲は国会だけでは実現できず、国民投票で過半数の賛成を得ないといけませんが、国民投票には国会の発議から最低でも60日の期間が必要ですし、発議前の国会審議の日数も確保しないといけないので、安倍内閣が改憲に向けて衆議院を解散するのは、来年では遅すぎます(総選挙で与党が圧勝し安倍総裁4選があれば別)。
 それどころか、今年中でも、遅すぎるかもしれません。警戒した今年の通常国会冒頭解散も行われませんでした。
(5)もっとも、安倍総裁の任期中の「明文改憲の実現」ではなく、「国会発議」であれば、今年中の衆議院解散・総選挙であれば間に合うとの計算も「一応」成り立つかもしれません。
 そうであれば、総選挙は「今秋」ではないかと予想するしかありません。
 「GOTOトラベルキャンペーン」の実施は新型コロナ収束後のはずでしたが、それが前倒しされたのは総選挙対策なのでしょう。
(6)2年に1回開催される公明党の党大会は、前回が2018年年9月末であり、それが公式発表されたのは同年8月初めだったようですし、先月下旬に共同通信の配信記事では今年の党大会は「9月27日」で日程調整中と報じられました。
 そうであれば、総選挙はその前ではなく、その後の10月中に総選挙になるのかもしれません。
 今年の通常国会冒頭解散がなかったし、東京オリンピックが延期になったので、私は10月上旬までには総選挙が行われるかもしれないと予想しましたが、
 公明党の党大会が早まらず9月の下旬だとなると、早くても10月下旬ということになりそうです。
(7)とはいえ、新型コロナは収束しそうにありません。また、豪雨の被害状況は甚大ですし、これからは台風の襲来もあります。安倍内閣は非情とはいえ、計算通り衆議院を解散総選挙に持ち込めるのか・・・。
(8)衆議院の解散を判断するのは安倍内閣ですから、私たち主権者は、とりあえず、今年10月の総選挙に備えるしかないでしょう。
(引用おわり)

 大阪でいえば維新は11月1日にいわゆる都構想の住民投票を実施するといい、解散総選挙の場合は日程を合わせると公言している。
 だとすると、例えばミニコミ紙を2号は出すとしたら、最低10月頭と8月になる。8月に出すなら十分な議論と実務を今すぐにでも早急にしておく必要がある。
 そのミニコミ紙を通じての外の多角的な発信も計画を立てるに早すぎることはない。

 「安倍晋三が国会から逃げまくっていてだらしない」などと評論家まがいのおしゃべりをしている間に安倍の取り巻きはウルトラCを検討していないか。
 例えば「コロナを乗り切る消費税引き下げの是非を問う」的な解散と、中国の悪口で勝てると考えているかも。
 あんな無責任で嘘つきの東京都知事が圧勝する世の現実を軽視してはならない。(これは言霊信仰ではないつもり)

 正直なところ上脇先生の論を云々する知識は私にはない。
 もしかしたら自民党内の権力争いと選挙の見通しがらみで安倍政権は解散もできずにレームダック(死に体)になるかもしれない。あるいは「禅譲劇」があるかもしれない。しかしそこに日程を合わせるのは「悪い正常性バイアス」だろう。 
 
 カール・マルクスの肩書を一つだけ述べよと言われれば、ジャーナリストと呼ぶのがよいとこの頃思っている。
 安倍政権のマスコミと電通など広告に対する布石は恐ろしい程効いている。
 対して、日本の民主運動もしんぶん赤旗を核としたジャーナリズムの側面が強い。
 そしてその周辺に創造的で多層なジャーナリズム(批評等の活動)を展開することで運動の未来が広がると私は信じている。

2020年7月25日土曜日

ご婦人に尋ねられた

   スーパーで鰹のたたきを買い、続けて当然のように妻が茗荷を買っていた際、ご年配のご婦人が「それはどのようにして食べるものですか」と横から尋ねてこられた。
 また家で採れた茗荷をご近所にお配りした際も「どのように食べたらよいのか」と尋ねられたと妻が言っていた。

 我が家では夏料理の必須アイテムだが、考えれば平均的日本人にとってはこの程度に、茗荷はあってもなかっても夏を生きてゆけるというポジションのようである。
 実際にはこんなに実力と存在価値があるのに正当に知られていない茗荷のことを思うと、何とはなく口惜しい気がする。

 「胡椒が同じ重さの金と取引された」とは有名な歴史的逸話(らしい)で、その種の西洋の香辛料も私は嫌いではないが、日本のワサビ、シソ、そしてミョウガのもつ爽やかさは西洋的香辛料の追随を許さない。
 食の愛国者は「よくぞ日本人に生まれけり」などとほざきたくなる。

 写真は庭の一隅の茗荷の花で、これはいくら採っても親茗荷には影響がない。
 茗荷はいわば雑草並みに強いから、そしてどうしてかやぶ蚊が発生するのでこれまでも幾らも抜いて捨ててきたが、残しておいた一つまみの「畑?」がこうなっている。

 先日友人たちに説明抜きで茗荷を配ったが、どのようにして食してくれただろうか。
 小さい頃慶応生まれの祖母は私に「物忘れするから子供は食べたらあかん」と言っていた。
 歳をとると、もう忘れてしまいたい失敗や腹の立つ社会のあれこれが多すぎるから、健全な精神のバランスのためには茗荷は欠かせない。
 いやいやいや、ここで忘れたら悪い奴らの思う壺ということもいっぱいある。

2020年7月24日金曜日

メジロの幼鳥

   やけに騒がしいなと思うと、メジロの親が子どもの雛を特訓中だった。
 近頃わが家はメジロ保育園の園庭になっているようだ。

 本能とはいえ親は大変でエライ。
 子どもはそんなことは全く理解できず、親を鬱陶しいと思うだけである。(メジロの話ではない)
 
   そんな子どもたちに親たちはどのように自分が蓄えてきた知恵をメッセージとして伝えていくべきか。これは言葉では易しいが実践は難しい。
   民主運動のベテランたちは心しなければ・・・。

 正論を語って論破しても何も残らないことが多い。
 社会批判の論を考えるのと同等以上に思考の時間と知恵を「そのメッセージの伝え方」を考えることに傾注する必要がありはしないか。
 これは自分自身の大いなる自己批判である。

2020年7月23日木曜日

餅つきの歴史を考える

 711日に『月と兎とカン・ハンナさん』を書いて、① 竪杵(たてきね)と臼(うす)で搗(つ)いているのが薬草ではなく餅だという共通認識、つまり餅つきが庶民に広まったのは吾妻鑑あたりからすると鎌倉時代ではないか、② 単独の兎が月に居るという共通認識が広まったのは、平安末期に編まれた『今昔物語集』が一定程度庶民に広がった室町時代ぐらいではないか、というような「勘」の下に文章を書いたが、その後「その文章は正しかっただろうか」と鬱々として考え続けてきた。結構多くの本を読み返しながら考えた。
 その結果、鎌倉や平安というよりも、もっと遡ってもいいような気になりつつある。それは『今昔物語集』の方(兎の方の話)ではなく、特に『餅つき』の歴史をもっともっと遡ってもいいのではないかという考えによる。その理由を書いてみたい。

   1 日本列島の文化の基層は「照葉樹林文化」と名付けられていて、ヒマラヤ山地の中腹あたりから東へ、ネパール、ブータン、アッサムの一部を通って、東南アジア北部山地、雲南・貴州高地、長江流域の江南あたりと共通する文化的特質が強く指摘されている。
 その一つが食の好みで、中国北方(中原)やインド以西と明らかに異なっていて、いわゆるモチモチ、ネバネバ食を忌避しないか若しくは好む特徴がある。

   2 稲作以前に焼き畑農業があった(地域によっては今もある)が、「照葉樹林文化圏」の畑では雑穀の中でもモチモチ種が好まれ、サトイモ(タロイモ)も同様の傾向がある。そしてイモ類を主食とする太平洋の島々では、ハレの日には加熱したイモ類を杵と臼で搗いて餅状にして食べる文化がある。日本文化の基層にも同様のことがあったとみるのが妥当ではないか。

   3 現在普通に食べている米(稲)が比較的モチモチしたジャポニカ種で、インド以西のインディカ種と食感が大きく異なることは常識に属している。その好みの理由の一つは前述したとおりの、先行した焼き畑農業の時代からのモチモチ嗜好があったためではないか。

 4 稲作は、つまり弥生時代は紀元前3世紀頃(もっと以前からという説もある)から始まったとされているが、炊事用と思われる土器は鍋というよりも多くは蒸し器(甑(こしき))であり、稲(米)や、雑穀でも例えば糯粟(もちあわ)は、蒸しあげて、おこわのようにして食べられていたらしい。おこわと餅は兄弟のようなものではないか。

   5 写真1は神戸市出土の桜ヶ丘5号銅鐸の絵で弥生中期(紀元前1世紀?)とされている。写真23は奈良の唐古・鍵遺跡出土の竪杵と臼でこれも弥生中期とされている。
 私の個人的な感想を言えば弥生の出土品の中には「これは昭和30年頃までうちの家で使っていました」と言っても不思議でないほどのものが少なくない。弥生の技術や文化を馬鹿にしてはいけない。
 そこで、一般には脱穀・精米に使っていたといわれる竪杵と臼なのだが、イモをつぶしたり、蒸した米を搗いて餅に加工しなかったと誰が断言できるだろう。ここが今日の私の記事の最大テーマである。

   6 餅は山城国風土記や豊後国風土記にも出てくるから、少し大胆に想像すれば弥生時代から搗かれていたのではないだろうか。文献史料の乏しいのはしようがない。それよりも、現代の感覚でコメは普通は炊いていた、ハレの日だけ餅を搗いたというような固定観念で考えない方がよくないか。

 ※ 冒頭の照葉樹林文化については著名な博物学者(一般には植物学者)中尾佐助氏の文に学んだことが多いが、7月19日朝日朝刊の鷲田清一『折々の言葉1879』は中尾佐助氏の言葉であった。・・・民族学者の梅棹忠夫は先輩の植物学者中尾に議論をふっかけるといつもこう返されたという・・・「君、それ自分で見たのか」
 ヒトの本ばっかり読んでこんなブログ記事を書いて恥ずかしいが、文化のルーツを考えるのは非常に楽しい。

2020年7月22日水曜日

ネコビエのお守り

   7月8日に私がアマビエのキーホルダーを作ったことを書いたが、SNS仲間の猫持さんが、ネコ寺として有名な(私は知らなかった)山口県の雲林寺に新しく設置された「ネコビエ」を、手作りのお守り(ストラップ)に作ったとして送ってきてくれた。
 職場で「皆さんのご無事を祈って・・・」などと言いながら配って好評だったらしい。

 8日の記事にも書いたが、「世俗のことは妖怪に頼らずに世俗の人間が対処。解決しなければならない」のは当然すぎるほど当然だが、こういう遊び心は大好きである。

 さてホンモノの疫病のことだが、結局初動対応の際に、春節インバウンドの儲けを失いたくない、習近平訪日やオリンピックを中止したくない、都知事選挙前の印象を悪くしたくない、それにデータを感染研で独占したい等々の不純な動機で検査自身を極端に絞ったため、以降のいわゆる感染者数、陽性者数が実際にどれくらいの統計的有意性があるのかが分からなくなっている。
 安倍政権には科学に対する真摯さがない。

 お守り的ユーモアとは別に、こんな無責任な政権に国を預けていてはいけない。
 国交省のGoToトラベルキャンペーンを見ると、浴場や食堂は人数制限や時間制限をしろ、ブッフェ方式では個人がとるな、大宴会はするな、高齢者は団体旅行をするな、あげくは大声を出すななどなどなど、何がトラベルだ。結局、何かあったら「注意を守らなかった個人が悪い」という責任逃れが見え見えだ。

 かねがね私は主張しているが、国交大臣が真っ先に行うべきは車両の増結と増便で電車の密を避けることではないか。1ミリもその努力が行なわれていない。
 猫持さんも、学生の通学が再開されてから通勤ラッシュもひどいと言われている。
 公明党の国交大臣は安倍のパシリでしかない。日蓮上人は嘆いているぞ。

2020年7月21日火曜日

ほぼマスク

   コロナウイルスも怖いが熱中症は負けず劣らず怖ろしいものである。
 風のある屋外でも小さな子供にマスクを着けさせている親を見ると本当に怖い。
 熱中症の知識があるのだろうか。
 右下のリーフレットのとおり、厚労省も屋外では「マスクをはずしましょう」と言っているのに。

 そこで夏用の冷感マスクはないものかと思ってネットで購入して届いたのがポリウレタンマスク。要するにスポンジの薄いもの。
 装着感は快適この上ない。スースー息ができるし、蒸れることもない。
 しかし、マスクがこんなに快適でいいのだろうか。

 カネテツに「ほぼカニ」という蒲鉾製品があるが、その伝でいくと「ほぼマスク」ではないだろうか(ほぼカニの握りずしがあるくらいだからほぼマスクでもマッいいか)。
 識者の論文などを見ると、他人と目の前で話すことのない屋外でマスクを着ける効果はない(マスクを着けても着けなくても感染の可能性は極めて低い)。クラスターとして発生しているような三密の環境下でもマスクの効果はほとんどない(高度な医療用マスクを完全に装着していない限り普通のマスクを着けていても感染リスクは極めて高い)。

   だとしたら、不織布マスクも手作りマスクもポリウレタンマスクも五十歩百歩かもしれない。咳エチケットという意味では相当落ちるようには思うが。
 では効果はないのかというと、自粛警察もどきの「目」に対して「マスクしているもんね」という「見せマスク効果」は大いにある(詐欺の見せ金?)。

 で、わが家ではこれを「ほぼマスク」「見せマスク」と呼んで使用している。
 よってこのマスク、熱中症のリスクについては心配外だと思う。そこが最大の利点である。

 なお、マスクについては神戸大学病院岩田健太郎先生の見解を一読されるようお勧めする。(勝手に検索してね)

2020年7月20日月曜日

昆虫天国

電灯に止まった電気トンボ
   大人たちはコロナ騒ぎで右往左往だが、子どもたちにとっては「プレ夏休み」の雰囲気である。
 19日の日曜日は天気も回復したこともあり、近所から、ビニールプールではしゃぐ大きな声が聞こえ、夕刻には何処からかBBQのよい匂いが漂ってきた。

クロアゲハ
   わが家も例外でなく、孫の凜ちゃんがビニールプールで遊んだ後、孫の夏ちゃんがやってきた。

   ただ、夏ちゃんはすぐにゲーム機をピコピコし始めたので「虫捕りに行こう」と祖父ちゃんは誘い出した。
 嫌々屋外に出てきた夏ちゃんだが、電気トンボ、クロアゲハ、そしてタマムシをゲットした後は大いに喜んで、部屋の中でそれらの昆虫を体中に止まらせて帰るまで遊んでくれた。祖父ちゃんは大満足。

ブローチよりもタマムシ
   ところが、小さな凜ちゃんは、アニメの昆虫は好きなのにホンモノの昆虫には興味を示さず少しばかり残念。

   今日の昆虫は揃って美しい。
 こんな素晴らしい昆虫が身近にいるのにバーチャルのゲームが楽しいらしい不思議。
   でも一番喜んでいるのは祖父ちゃんのようだった。
 次の仕事はセミ捕りだ。
 祖父ちゃんの夏は忙しい。
 

2020年7月19日日曜日

胃カメラのベテラン

 人間ドッグに行ったことを15日にアップした。
 無料もしくは低額の特別健診でなくわざわざ人間ドッグに行った理由はただ一つ、我が自治体の特別健診には胃カメラがなくバリウムを飲むX線検査であるからだ。
 あのバリウムを飲んでから正常に戻るまでの鬱陶しさが嫌だし、胃カメラの方が検査の精度が高そうだからである。

こんなんやったという友人もいた
   昨年もそうしたが今年も「鼻から」を選択した。
 私はけっこう我慢強い方だから、OB仲間で「エズいて七転八倒した」と言ったようなこともなかったが、検査中、違和感がなかったといえばウソになる。
 ただひたすら、今はまだ入口かな、だいぶ奥に行ったようだ、などと目をつぶったまま想像していた。
 そして、日本の技術革新なら、もっともっと細い管にならないものか、錠剤程度のカプセルカメラを遠隔操作して最後はゴホンと吐き出せないものかなどと考えていた。

 そういう私に対して妻は胃の内視鏡手術も経験していて、胃カメラはもうベテランの域に達していて「検査中ズーッと画面を観察していた」とケロッと話した。それに比べれば私は胃カメラ青二才である。

 この先、歳をとると病気は避けられないだろうが、だんだん治療そのものが辛くなって来ないだろうか。
 雨天の上にコロナ騒ぎの病院内であったので、少し神経症気味に鬱になった。

 神経症・心配性がらみで付記すると、政府や大都市の知事さん方は相変わらずクラスター関係者中心のPCR検査で済まそうとしている。
 クラスター外に無症状者が相当数存在すると誰もが認めているのにである。
 その無症状者がウイルスを撒き散らせば、既往症のある人や高齢者にうつして、うつされた人が重症になったりする可能性がある。
 PCR検査をしないままGoToキャンペーンをして、GoToでなくても間もなくお盆の帰省が想定される。
 心配性だったと笑い話になればよいのだが、お盆明けの8月下旬に地獄の釜の中を覗き見ることがなければよいが。
 マイカーを利用したとしてもサービスエリアのトイレは避けられないだろうから・・・、この国は何処に向かって突入していくのだろう。

 検査数が増えれば感染者数が増えて、検査数が減れば感染者数が減る。こんな感染者数なる「統計」を基にメディアも何もかもが動いている。こんなのは統計でもない。
 調査なくして方針なし。調査事実という土台がない。
 この国は幼児化、退行していないか。

2020年7月18日土曜日

オーヘン

   「来ない」というときの表現を「正しい?大阪弁」では「ケーヘン(ケエヘン)」と言う。私もそう言う。
 私が愛用している昭和59年発行の牧村史陽編『大阪ことば事典』でも「ケェヘン」である。
 「大阪と言っても広うござんす」で、そもそも摂津、河内(北河内、中河内、南河内)、泉州があって言葉もけっこう異なるが、まあここは船場言葉あたりのこととしておこう。

 ところが近頃、テレビの中の多くのヨシモト芸人が大阪を舞台にしたと思われる会話の中で「コーヘン」と言うので、「そこはケーヘンやろ」と私はテレビのこっちで一人ツッコんでいる。
 関西弁の勉強や研究をしたわけではないが、若い頃労働組合の近畿レベルの役員をしていた時の各地の仲間と語ったときの記憶からいえば、「コーヘン」は兵庫、「キーヒン」が京都、奈良は「キヤヒン」のような感じでいる。(だから神戸が舞台なら何の問題もないのだ)

 真田信治著『方言の日本地図』(講談社+α新書)で少し見てみると、かつて元禄期では「コヌ」が代表的で、文化文政期には「ヌ」が「ン」に変わって「コン」が多くなったらしい。
 一方、元禄期には強調した場合「キワセヌ」とも言い、それが「キワセン」に変化し、幕末あたりでは「ワ」が「ヤ」に、「セン」が「ヘン」に変わった。「セ」が「ヘ」に変わるのは『サ行子音の弱化』と呼ばれる大阪方言の特徴。
 例えば、「ナサル」が「ナハル」に、「ソシテ」が「ホシテ」に、「しまショ」が「しまヒョ」になる。この流れにおいて「キヤセン」から「キヤヘン」が出てきて、キヤヘン→キエヘン→ケーヘンとなったと言われている。

 そしてこの本では、私が推理した「神戸、阪神間の言葉がテレビで広まった」というよりも、標準語形「コナイ」の干渉を受けて若い世代に「コーヘン」が使われ始めていると論じている。
 別掲の表では、「ケーヘン」が主流ではあるが、明らかに若い層では「コーヘン」が増えている。

 以上が「前説(まえせつ)」で、小学3年生の孫娘にそれを聞くと、やっぱり「コーヘン」と言う。
 奈良北西部と言われるニュータウン内にある学校だから「奈良府民」と言われるほど大阪の影響が強いところだ。兵庫には接していない。きっと、学校の標準の方言が「コーヘン」なのだろう。
 そこで孫娘は祖父ちゃんの「ケーヘン」を乗り越えて「コーヘン」になってしまった。いくら祖父ちゃんが『大阪ことば事典』を突き付けても駄目である。

 言語は大いに変化するものだとは多くの言語学者が指摘している。
 その中には「言語の経済化」といって「複雑な発音はできるだけ簡単になろうとする」のが常でもあるらしい。「見られる」→「見れる」的なラ抜き言葉もそれなのだろう。好き嫌いは別にして。(私は好きではない)
 それでも、庭に出た孫に「蚊がおるで」と注意すると、「オーヘン」と返って来たのには驚いた。「オレヘン」「オラヘン」の「レ」や「ラ」が省略されたらしい。
 聞くと、学校の標準(語)だという。
 これぐらいで驚いていたのでは生きていけないが、古典を語るべき上方落語の若手にはしっかりと時代時代の上方言葉を守ってほしい。
 差別ではないが、漫才師には期待していない。コーヘンでもオーヘンでも見レルでも何でもよい。

 私の脳の中は死語辞典でいっぱいだ。
 こんなことにこだわるから若い者に煙たがられるのだ。でもね。

2020年7月17日金曜日

堺市戦災慰霊堂

 7月12日に『堺川尻の慰霊堂』をこのブログに書いて、消えかかっている記憶をとりあえず文章にしたところ、宿院町東の調御寺(ぢょうごじ)の加藤弁英師から「図書館に昭和45年の住宅地図がありました」と親切な郵送があった。


 12日のブログでは、宿院町西4丁あたりと書いたが、地図では西3丁が正しいようだ。しっかりと『堺市戦災慰霊堂』と記されている。
 私の記憶では、総代のようにお世話していただいていたのは大西さんと言ったように覚えているので、南西に4軒隣の『大西』さんの可能性が高い。
 さらにお手伝いしていただいていた方で名前の記憶があるのは『西垣』さんで、23番地と記されているところにおられた。これは間違いない。

 昭和54年に発行された山中金治著『堺旧市雑史録』の「川尻の今昔」記載のとおり、昭和45年の住宅地図には明確に記されているから、昭和46年に建立された大仙公園内の平和塔内に移されたのだとしたら、取り壊される最後の姿を示した住宅地図だと思う。
 「平和塔」建立関係の史料があれば、この「慰霊堂」が何年にどういう経過で建立され、どのように慰霊の行事などが続けられてきたのかもわかるかもしれない。
 
 堺の郷土史、現代史に興味のある方々には、ちっぽけなことかもしれないがこんな歴史のヒトコマも知っておいて欲しい。

2020年7月16日木曜日

タマムシ初見

 7月16日梅雨の晴れ間、待ってましたとタマムシの結婚シーズン到来。
 今年のタマムシ初見。
 家の前のケヤキの街路樹。


アマビエの妖怪学

   日刊新聞赤旗の『学問・文化』欄は楽しい。
 14日のそれは、日本の妖怪研究で初めて博士号を取得した兵庫県立歴史博物館学芸員の香川雅信氏の『妖怪学』だった。

 妖怪が神仏からの警告などさまざまな意味を伝える一種の「記号」であったのが、「ただの物」になったのは、徳川吉宗(在職1716~45)の殖産興業政策の結果だという指摘など、浅学の私には刺激的な理論だった。

 そして「妖怪はいないけど、いることにして楽しもう」という発想が生まれ、外在的には存在しないが「見えてしまう私」の中に居場所を見つけたという解説には、なるほどと頷くだけだ。

 「私は本当の私ではないのだ」と果てることのない自分探しを続ける人、実在しないものにあこがれて、現実から目をそらそうとする人・・・現代人は非合理の世界にけっこう依存しているのかも知れない。
 赤旗の日刊紙、月額税込み3497円、毎日を刺激的に生きたいと願う人々にはお勧めだ。
 

2020年7月15日水曜日

病院経営危機

 医療崩壊は医療現場の経営危機からも起きている。
 看護師などの夏のボーナスを前年より引き下げた医療機関が、約3割にのぼっているらしい。
 医労連(日本医療労働組合連合会)によると、全国338の医療機関のうち、およそ3割にあたる115の医療機関が、看護師などの、この夏のボーナスを前年夏より引き下げたという。
 新聞テレビでも報じられた東京女子医科大学病院は、全職員の夏のボーナスを全額カットするとしていて、退職を希望している看護師は400人以上にのぼるという。

 私はと言うと、5月の連休直後に予約済みであった人間ドッグがコロナで延期され、昨日ようやく受診してきた。当自治体内では一番大きな総合病院だ。
 しかしそこは、見事にガラガラだった。ええ~ッ!という感じだった。
 想像するに、健診だけでなく多くのオペなどが「間引き」されているようだったし、例えば2週間に1回通院していたケースが1月に1回になったり、患者の方も受診を避けたりしている結果だろう。
 病院の方も、例えば私宛の人間ドッグで「咳のある場合はお断り」と注意が送られてきた。
 ということで、一般庶民の私にも医療機関経営危機がひしひしと感じられた一日だった。

 別件だが、障害のある孫のリハビリテーション(理学療法PT、作業療法OT、言語聴覚療法STなど)の病院も診療が縮小され、孫は他府県の病院へ変わることになった。私事ではあるが結構な大事件だ。
 一番基本の診療を受けていた大学病院は、一時受診停止になっていて、薬も「来院するな」ということで、薬剤は処方箋がファックスで送られてきて薬局で対応している。
 今年の孫は緊急入院のような事態が生じていないのでどうにか推移しているが、ギリギリ綱渡りのような状況だ。

 私も被害者だ被害者だなどと言いたくはないが、テレビで報じられている世間は他人事(ひとごと)ではないということを痛感している。(腹の底ではけっこう泣いて怒っている)

 このように、多くの医療機関が新型コロナウイルスの影響で経営が悪化している。それは医療崩壊前夜の様相を示している。
 それに対して政府は、医療体制は逼迫していないとして、Go Toキャンペーンに1.7兆円、さらにはF35戦闘機105機に2.5兆円費消するという。
 予算の使い道が根本的に間違っている。よくない。よくない。

   大砲よりバターの標語のリアリティ

2020年7月14日火曜日

白い山男

   某月某日、たまたま夫婦が同じTシャツを着た。
 息子ファミリーからプレゼントされていたTシャツだ。
 この歳になってペアルックもないだろうから適宜着ていたのだが、この日はたまたま一緒になって、そんな姿で買い物にも出かけた。

 知っている人は知っているが知らない人は何か・・と思うデザインだが、畦地梅太郎の有名な版画「白い山男」である。
 昔は燕岳(ツバクロダケ)の山の上の燕山荘あたりでしか買うことができなかったが、今はmont-bellで売っている。

 結果としてペアルックになったが、こういう時は照れたら台無しである。
 「いい歳をしてペアルックの年寄りがいたわ」と人が笑ったら、うっとおしい世間に笑いを届けたんだと思えばよいだろう。

 ステイホームというよりも「引きこもり」の感じになりつつあるが、Tシャツぐらいは遊ぼうと思う。

   コロナとの共存社会と山男

2020年7月13日月曜日

ころたん

   今シーズンは家庭菜園に、試しに『ネットメロンころたん』も植えておいた。
 下(土)に這わすと手入れがしんどいので、胡瓜と同じように上(支柱)に伸ばしている。
 名前のとおり小ぶりのメロンだが、中が緑色で、マッカというよりもやはりメロンと名乗って良いように思う。
 孫たちも喜んでくれたから植えた甲斐があった。
 私は写真のような風情を楽しんでいる。(写真のは緑色で小さいが、熟すともう少し大きくて黄色になってくる)

 孫の夏ちゃんがやってきて、菜園周辺で7月4日に書いた「電撃殺虫ラケット」を使用した。
 「ヤッター!」という達成感があると夏ちゃんも誉めてくれた。
 バチッ☆バチッ☆バチッ☆

 豪雨で家を失ったり家族を亡くした方もおられるというのに、呑気な記事で申し訳ない。

2020年7月12日日曜日

堺川尻の慰霊堂

2018610日に『継承する義務』とのタイトルで要旨次のとおり書いた。
   ▮ 去る者は日々に疎くなっていく。そういうテーマの場合、「語り継ぐことが大切だ」という言葉をしばしば聴くことがあるが、といっているうちに記憶が霞んでいく。
 私は戦後の堺の街で育ったが、成人前後から故郷を離れたので思い出も徐々に遠ざかっている。戦争遺跡の話である。
 何回かブログに書いたことがあるが、大空襲では堺の環濠(土居川)が死体で埋まったという。
 私は空襲それ自身は知らないが、戦後すぐに宿院町西の土居川河川敷(川尻)あたりに慰霊堂が建てられて供養が行われていたことは覚えている。
 私は母に連れられて御詠歌の席に連なったことが度々あった。
 しかし、堺の歴史、郷土史の類にはそのことが全く出てこない。
 そして私も、その慰霊堂がどこにあったかの記憶もあいまいになりつつある 

 例えば、大阪歴史教育者協議会堺支部発行の『歴史たんけん堺』には、堺市戦災殉難之地記念碑(戎島町3丁)が大空襲被災40周年に建てられ1985年以降毎年「‥祈念する集い」がもたれていることや、戦災無縁地蔵尊(住吉橋町1丁)が1954年に祀られるようになったことはあるが、どちらの場所も年代も私の記憶の慰霊堂ではない。

 東京大学史料編纂所編『日本史の森をゆく』中公新書の中で小宮木代良氏が『歴史資料と言説』という章で次のように述べている。
 ▮ 過去の出来事(事件)について、その「事実」に関しての共通認識といえるものが、その社会内で存続しうる条件は、事件後70年目あたりを境目に大きく変化するのではないか ▮

 そして私の経験も70年を超えようとしている。
 そんな「もうだめだろうな」といった気持ちでいたとき、読み飛ばしていた本の中に貴重な証言を見つけた。
 本は昭和54年(1979)発行の山中金治著『堺旧市雑史録』の「川尻の今昔」という章に次のとおりあった。
 ▮ 太平洋戦争の戦火は…川尻一帯は勿論のこと、阪堺線の龍神駅ガード下などでは、焼夷弾の直撃による火災によって、逃げ場を失った住民が無慮数百名、あまりにも酷い最後であって、その姓別すらも分らぬ多数の人々が立ったままの姿で最期を遂げていたのであった。
 尚又、旭川や内川などにもこれ又逃げ場を失って飛び込んだ数知れぬ人々が、火災による熱気によって湯の如くなった川底に死んでいった光景は、思い出せば身の毛も寒々する戦災の悲惨事であった。
 …そしてこの川尻の一角に、戦災のために尊い命を亡くした多くの人々の霊を慰めるお堂が建立なって、毎年79日の命日には残された住民達によって、温い施行が行なわれてきたが、現今その意義深いお堂は取壊されて、近頃開発された大仙公園内にある市の慰霊塔※の中に移されてしまったが、しかし川尻における戦災の焼死者の霊はあくまで川尻に止まるものであり、この地において慰霊の行事のあることが望ましいとの声は、私達の胸に強く響いてやまない ▮ ※大仙公園内の平和塔は昭和46年(1971)建立。

 この「現今取壊された慰霊堂」が私の記憶の慰霊堂で、今で言えば、堺市堺区宿院町西4丁の川沿い辺りであった。昭和20年~30年代、そういう慰霊堂が存在してお詣りがされていたのだ。(私のぼんやりした記憶では昭和33年(1958)頃???にお詣りした記憶がある。「移されてしまった」とするなら昭和46年(1971)頃に取り壊された?)

 総代のように世話をしてくれていた方の名前も忘れた。ブログのどこかに書いた気がするが…、その方と一緒に世話をしてくれていたのは西垣さんだった。
 ほとんど他人の文章のコピーだが、とりあえず文字に残せてホッとしている。

   「継承」は誰もが言うが難しい

2020年7月11日土曜日

月の兎とカン・ハンナさん

 75NHKEテレ)日曜朝の短歌(題はうさぎ)で、才能豊かなカン・ハンナさんが「月で兎が餅つきをしていると見ているのは日本と韓国だけ」と発言されたことに興味を覚えていろんな本を読み返してみた。

天寿国繍帳
   日本の法話や童話では、紀元前3世紀頃に南インドで成立したジャータカ物語の「老人(実は帝釈天)のために自ら火の中に飛び込んで食料となったウサギを帝釈天が哀れんで月にまつった」という話(今昔物語にもある)がルーツとされている。
 ならばアジアの仏教国に共通しているのでは?

 と考えたが、ところが、仏教の故郷インドでは「月にはワニがいる」と見ているし、アジアの多くの仏教国でもミャンマーやタイのごく一部を除いては「月に兎」は見ていない。(モンゴルは犬、ベトナムは木の下で休む男、インドネシアは編み物をする女、中国の一部は蟹)
 故に「ジャータカ物語、今昔物語(巻五第十三話「三の獣、菩薩ノ道ヲ行ジ、兎、身ヲ焼ケル語」)起源説」は後付けのように思われる。

 で、中国の中原だが、道教の神仙思想の「嫦娥の伝説」のとおり、月の主人公は蟇蛙(嫦娥)で、付き添う兎がついているのは餅ではなく薬草である。
 だいたい中国北方にルーツを持つ華人は餅などネバネバした食料を好まないし粉食であった。

 一方、長江流域を故地とする雲南あたりの多くの中国内の少数民族や東南アジアの民族にはもち米、餅つき、ネバネバ発酵食が広がっており、弓状にそこに連なっている日本では餅と餅つきはハレの食物と行事になった。餅と餅つきは核家族化と餅つき機、そしてパックのお餅の普及以前には広く庶民の常識のものであった。

   以上を振り返ると、元々法隆寺にあった天寿国繍帳の月の兎のとおり、日本でも奈良時代頃までは中国発祥の思想のとおり月で兎は薬草をついていた。
 写真は平城宮大極殿に展示されたレプリカを撮影したものだが、先年の大嘗祭で天皇の高御座の前に飾られた日月幡も、日には三本足のカラスが、そして月には蟇蛙と兎と木が描かれ、その兎はやはり薬草をついている。

 それが、些か専門的な薬草つきではなく、もっと庶民に共通して理解できる餅つきだと「世論?」が変化したのではないだろうか。それは古くても室町時代だろうか。

 さらに振り返ると韓国だが、韓国にも餅つきがあるから別々に同じような文化の推移があったのか、それとももっと近世あたりに日韓の文化の交流があったのだろうか。
 (生活の場における餅と餅つきそのものをハレのものとする意識は日本の方が高かったように思うのだが)
 (韓国にはもち米でない餅や搗かない餅も多々ある)
 (ネットで得た知識だが韓国の場合は少なからず臼を使わずに板の上で餅をつく)

 家にある本をいろいろ読み返したがそれ以上のことは解らない。
 少なくとも、カン・ハンナさんの言うように、現代社会の庶民が月を見て「兎が餅をついている」と言葉を発するのは日本と韓国だけらしい。これは事実だろう。
 短歌や俳句に見るカン・ハンナさんの知識や感性はすばらしい。
 日本語の知性も怪しい政治家などとは比ぶべくもない。

   熱中症も怖いがマスク警察が

2020年7月10日金曜日

七夕過ぎる

   荒海や佐渡によこたふ天の川
   芭蕉がこの句を作ったのは元禄二年(1689)陰暦7月6日だから七夕を踏まえての句であることは明らかだ。
 その当時は天の川もはっきりと見えたことだろう。(今でも越後では綺麗だろうか)
 (当地では)近頃は天気が良くても天の川がほとんど見えない。

 なので、手持ちの本からスキャンした。
 天頂近く右側の一等星がこと座のベガで織姫。
 左下、南東側の一等星がわし座のアルタイルで彦星。
 念のため、左上の一等星ははくちょう座のデネブ。
 鬱々とする話題ばかりの此の頃、ゆっくりと星空でも眺めてみたいものだ。

   さて、豪雨や洪水のニュースに流されているうちに(太陽暦の)七夕が過ぎてしまった。
 昔から七夕の頃にはよく雨が降ったものと見えて、物語は発展した。
 雨が降れば天の川が増水し織女は牽牛のもとへ行くことができない。
 しかし良くしたもので「月の船」が川を渡してくれるに違いない。が、つれなく船には乗せてもらえない。
 悲しんでいるとカササギの群れが飛んできて翼を広げて橋を作り織女は向こう岸に着けるのだ。なんとなく良くできた話になっている。

 この話で私が一番感心したのは、七夕の夜には「月の船」が来るところだ。
 解説は不要だろう。七日だから月の船・上弦の月だということだ。
 とするとやはりこの話(七夕)は太陰暦でなければならない。太陽暦だと月の船かどうかは定かでない。
 月の船は星の船ともいわれるが、上弦の月はナポリのゴンドラに似た船。そのとおり。
 えっ、あれは月の盃ですか。

   予報図を凝視しながらニュース聞く

2020年7月9日木曜日

電気トンボ


   トンボは世界に約6000種いるらしい。そのうち日本には206種記録されていて、ドイツの81種などと比べるとなかなかのトンボ大国らしい。(トンボのすべて・井上清 谷幸三共著トンボ出版)

 文化でいうと日本の古称(別名)秋津洲(アキツシマ)は「トンボの国」という意味だし、記紀の神武天皇の歌などのため敗戦までは軍艦の名前になったり、「大和」の枕詞として謳歌されていた。

 もっと素直には、水田稲作と結んで豊作を予祝する虫と考えられたり、後に武士にはその一直線に飛ぶ様から矢筋のコントロールと潔さをイメージして武具の装飾に好まれ、「勝つ虫」との呼び名までいただいた。
 さらにはお盆の頃に目立つからだろうが、トンボは神様や仏様の使い、先祖の精霊の化身とも考えられ、「トンボを捕まえると目がつぶれる」などの伝承が全国各地にある。

 が、昆虫少年にとってはそんな禁忌など知ったことでなく、夏休みにはギンヤンマなどを執拗に追いかけたものである。
 そんなもので、76日に書いたコシアキトンボなど昔昆虫少年からコメントでもあるかと期待したが完全にスルーされ、誰か「私も電気トンボって言うてた」と言ってくれないかと思いながら再びこんな雑文を書いている。

 写真はわが庭でようやくキャッチできたもので、腰の黄色がほんとうに電灯が光っているように鮮やかだった。

   電気トンボ注意報のように飛び

 あの目立つ黄色は気候変動の注意報かも。

2020年7月8日水曜日

アマビエの祟り

 建設工事に伴う発掘調査で、平城京左京三条二坊が長屋王の邸宅跡と判ったが、考古学者をはじめとする多くの識者の反対の声にも拘わらず工事は強行されて『奈良そごう』が建設された。
 巷では「長屋王の祟りがあるぞ」と噂されたが、その後『奈良そごう』は倒産撤退し、次いで入居した『イトーヨーカドー』も撤退し、現在の『商業施設』も一言で言って寂れつつある。奈良周辺では『長屋王の祟り』という言葉を知らないものはない。

   さて、弘化3年(1846)江戸後期に出現して疫病の予言と対策を語ったとされる妖怪『アマビエ』がコロナ禍で一躍復権したが、資本主義という奴は『生き馬の目を抜く』というべきか、各地から、菓子やなんかに商標登録の出願があったというから、商売人としては当然かと半ば感心しつつも「それにしてもなあ」という気にもなっている。

 特に、例の『株式会社電通』がカタカナの「アマビエ」という文字を[画像] (標準文字)として出願したというのだから、些か不愉快になっている。そして「邪な会社には必ずアマビエの祟りがあるぞ」と私は半ば呪詛している。

 私財をなげうって平城宮趾を守った先人のような奇特な人士は居ないのか!
 そう思って検索をしたところ、丹波市の版画家渡辺トモコ氏が版画のアマビエをホームページで無料公開されているのを知った。世間は捨てたものでない。
 で早速、お守りのキーホルダーに使わせていただいた。
 透明ケースは百均で売っている。
 ベストに着けて歩いている。

 しかしね、世俗のことは妖怪に頼らずに世俗の人間が対処。解決しなければならない。
 ネットにはしっかりと国土交通省の人吉市市房ダムのデータが公表されているが、予報されていた大雨に対する事前放流がされていない。そしてピークと併せて大量放出したのだから、下流の洪水、人命の問題はダムによる人災と言っても間違いない。その遠因は成果主義※だと私は考えている。
 アマビエは肥後の国に現れたが、愚かな人間はいまだに自然の驚異を侮っている。


   アマビエは庶民のものぞと泣いている

 ※ ダムをつくる時には大義名分がいるから「農業用水の安定確保」だとか「工業用水の安定確保」さらには「発電のための安定供給」というような約束をする。だからダム管理者は下手に事前放流して水が減って後日水不足が生じたら判断ミスの責任を追及される。そもそも農業用水の利用者や工業用水の利用者との事前協議もいる。それが怖いからなかなか事前放流をしない。そして、ダムがもたなくなった頃放流したなら、悪いのは皆「想定外」の豪雨なのだから責任は免除される?。もちろん豪雨の上に人為的なダム放流が重なるのだから下流には洪水が発生して人命も失われたりする。ここ数年、こういうパターンの災害が発生していると私は考えている。ダム管理者の判断を左右する遠因を私は成果主義だと考えている。

2020年7月7日火曜日

七夕の贈り物


 FBにあげた文をそのまま転載する。FBに「いいね!」やコメントをいただいた皆さん、ありがとうございます。

   七夕の日の読者の文芸・俳句・三宅やよい選に採っていただいた。
   菜園の胡瓜(きゅうり)に確かな種のあり
 ウリ科の西瓜にしてもメロンにしても、およそ実というものには種(たね)がある。
 ところがスーパーの胡瓜にはそれがない。
 「だからよい」という意見もあろうが、私にはその不自然さが不満の種。
 ヒトは「収穫時を失した」と嘲うかもしれないが、確かな種のある胡瓜の糠漬けを食べると自然界のエネルギーを取り込んだ気になり、ちょっと菜園自慢をしたくなる。
 ほんの数本の苗ながら、食べるのが追い付かない。
 種類は四葉(スーヨー)系と半白系、どちらもスーパーものにはない鋭いイボ(棘)がある。その野性味も魅力的だ。

超過死亡者数について

 日本のコロナの感染者数が信用ならず、実態よりも少なく報じられているということは内外の常識である。
 近頃は「クラスターつぶしという日本モデルで対応したので仕方がない」という論調が出ているが、安倍官邸の習近平訪日実現や官邸プラス東京都政のオリンピック中止阻止という政治の思惑からPCR検査抑制を行った結果であることは明々白々だ。
 傍証みたいな話だが、これはNHKでも取り上げられたことだが、コロナの当初テレビによく登場していた大谷義夫医師が「コロナ対策のためにはPCR検査を幅広く実施して市中感染の状況を把握することが大切だ」と発言したところ「大谷は反日だ」「中国の回し者だ」というような攻撃が直接間接に「仕掛けられ」、先生はその後テレビ出演を辞退されているそうだ。こういうことを含めトータルな「安倍政治」は酷いものである。

 ではコロナの死亡者数はどうか。
 常識的に言って「基の検査をしていないのだからこれも同様の怪しさ」がある。
 発表された人口動態調査では、昨年まではほゞ同じような死亡者数であったものが、今年の4月の数字では統計的に異常な数値を示している。
 あえて言えば、今年はインフルエンザの大流行もなく、自殺者数も少ないというから、普通に考えれば例年の4月よりも死亡者数は若干少なくならなければならない。
 にもかかわらず、例えば東京都の場合、4月の死者数は1万107人。過去4年間の平均死者数は9052人で、超過死亡は1056人。11.7%も増えている。都発表の4月のコロナによる死者数は104人に過ぎない。1056人は確実におかしい。

 医療ガバナンス研究所理事長・上昌広氏は、「感染症は、超過死亡をベースに検証するというのが、世界の医学界のコンセンサスです。日本の場合は、超過死亡ではなく、コロナと診断された死亡者の少なさを強調し、『PCR検査を抑えて成功した』『日本モデル』などと語られ、突っ込んだ検証、反省が行われていません。第2波、第3波でしっぺ返しを食らうことになるでしょう」(日刊ゲンダイDIGITAL)と述べている。
 早い話が他の病名で処理されたコロナウイルスによる死亡者がかなり隠されている。
 その周囲に、コロナ騒動で適切な医療が受けられずに死亡した人が相当いたと考えるのが常識的な結論だ。

   では、それは東京都だけの問題だろうか。
 超過死亡を人口10万人あたりに換算してみると、実は東京都よりも大阪府の方が怪しいことを数字は示した。

 思い起こすと日本医師会がPCR検査を拒否された件数で大阪府がワースト1と発表したことがあったが、表の数字はそのことを如実に証明しているように見える。
 この表は、4月の死亡者数と、6月14日時点のコロナの累計死亡者数であるから、4月の実態はこれ以上にひどいはずである。
 超過死亡、要するに4月のおかしな死亡者数が大阪府の人口10万人当たり9.70人で、東京都の7.57人を上回っている。
 千葉、埼玉のことは知らないが、在阪テレビ局が大阪府とりわけ吉村知事を目に余るほど持ち上げているが、「実はおかしくないか」と分析するのがジャーナリズムではないのか。

 大阪モデルだとか日本モデルという言葉には何か詐欺商法みたいな臭いがする。

   幼児がすっぱいすももが好きという

2020年7月6日月曜日

すもももももももものうち

 昨日は奈良の難解地名の「京終(きょうばて)」のことを書いたが、その遠くない場所に杏町がある。「からももちょう」と読む。古都は楽しい。町名の話はこれで終わり。

   杏(カラモモ・あんず)に似たものにスモモ(プラム)があるが、近所にその木を植えておられる家があり、写真のとおりヒヨドリ等が突つきにやってくる。
 それだけなら何ということはないのだが、最近はカラスが毎日のようにやってきて朝からうるさい上に、それをくわえてきて、どういうわけかわが家の家の前で食事をして食べ滓を散らかす。中にはわが家のベランダで宴会をする奴もいる。

   それでも観察していると、家族だろうか、特に喧嘩もせず一緒に食べたりしていて、「あれは親子だな」などと妻と語っている。
 ゴミステーションを荒らさない限りは大目に見ておこう。

 すぐ近くに梅の木を植えている家もあり、梅の実が落ちているが、賢いカラスはよく似ていても梅の実には見向きもしない。

写真はネットのもの
   それはそうと、昨日7月5日クマゼミが初めて鳴いた。いや正確には初めて聞いた。
 そして先日来コシアキトンボ(腰空蜻蛉)が庭を旋回している。普通は「空き」というように腰が白いのだが、これは鮮やかな黄色で、それを2階のベランダから見下ろしているとその美しさにワクワクする。(♀と幼い♂は黄色)
 ただ、確認のため調べた結果コシアキトンボという名を知ったのだが、私はずーっと「電気トンボ」と呼んでいた。

   梅雨曇り電気とんぼ燈ともし頃

2020年7月5日日曜日

北京終

 絵心のある先輩のFBに奈良市にあるレトロなJR京終駅のスケッチがあり、「京終(きょうばて)という名が不思議だ」と書かれていたので、要旨次のとおりコメントを書き込んだ。

   ▮ざっくりとした話をすると、近鉄西大寺から奈良に向かう途中に復元された平城宮大極殿や朱雀門が見えるが、ここが平城京の北の端で東西の中心だ。
 南は九条大路(一部十条の説も)、東西は各四坊大路という条坊制で、二条から五条の東に五六七坊の外京がついていて、興福寺や元興寺はここにある。(現在奈良公園があり県庁や近鉄奈良駅やJR奈良駅もある辺りは外京だ)
 京終(きょうばて)の町や京終駅はこの外京の南限の外のあえて言えば六条東六坊(実際にはない)あたりにある。
 六条は東四坊大路が東端なので京の外だし、外京からいってもの南限の五条の外、あるいはぎりぎりのあたりが京終という地名のところだ。で、文字どおり平城京の東(一部南)の果て(終:ばて)になるのもガッテンしていただけるだろう▮

   さて、平城京が唐の長安をモデルにしたものであったことには異論がないが、その時代、文化の先進地域であった中国大陸は、今や世界の民主主義の破壊者になっている。北京政府による香港、ウイグル自治区、チベット自治区などの人権侵害の暴力的支配である。
 言論の自由、表現の自由、集会結社の自由を制限する暴挙は許せない。

 もし、文化の国際裁判所があるならば、中国政府に「共産党」や「共産主義」の文字の使用の差し止めを求めたい。
 あんな自由や民主主義、民族独立などを圧殺する思想や政治は共産主義とは無縁のものである。日本共産党は中国政府に強く抗議している。人権を守れ、国際法を守れ。香港新法を撤回せよ。

 いわゆるマルクス主義に出会った入口は人それぞれであるが、私は若きマルクスが論陣を張った森林伐採法批判に関するヒューマニズム、そして「生産手段の社会化を通じて人間が解放される」という哲学に共鳴した。
 その延長線上には現中国政府と中国共産党の政治はありえない。故に絶対に許せない気持ちでいる。

 香港の新法では、北京政府に抵抗する言辞は外国人であっても処罰の対象だというから外国の報道機関も管制されることになる。「香港は終わった」と言っただけでも危ないようだ。

 そこで私は考えた。北京終(きたきょうばて)の人が入国時あたりに筆談で住所を聞かれたら何とする。即逮捕は免れないかもしれない。と・・
 何しろ「北京(ぺきん)は終わった」というスローガンを発したのだから。
 というジョークを考えたが、ちと不謹慎かもしれない。
 重ねて言うが、中国政府・中国共産党の人権抑圧は本来の共産主義とは無縁のものである。
 
   梅雨空は香港島の涙雨

2020年7月4日土曜日

電撃ラケット カ・イ・カ・ン

   29日に書いたとおり緊急事態宣言も開けたということで、子供たちが保留していた『母の日と父の日』を兼ねて海水浴場へ連れて行ってくれたが、そのときプレゼントだと言ってコンパクト扇風機2台を夫婦にくれた。
 先日、首掛け式の扇風機を書いたが、それを購入するとき「もしかしたら子供たちがくれるのと違うのやろか」と言っていたのがその通りになった。
 私が孫の夏ちゃんの持っているのを「いいなあ」と誉めていたから、この品物選びはきっと夏ちゃんのアイデアだろう。

   アイデア商品つながりでいうと、先日ホームセンターで「電撃殺虫ラケット」を買ってきた。
 我が家には少なくとも週に1回は体の弱い孫の凜ちゃんがやってくるので蚊は避けたい。
 だが殺虫剤系統のものはあまり使いたくない。
 そんなもので去年は「フマキラー凍殺ジェット」というー85℃で凍死させるというのを買って使ってみたが、結構使いづらくなかなか効果は見えなかった。

 だから今回のこのラケットもそんなに期待はしていなかったが、つい先日、蚊が一匹侵入してきた。
 そして一振りすると、バチッ☆と、文字どおり電撃した。すばらしい。戦いに勝利した実感がある。
 別の日菜園で振り回したら、バチッ☆バチッ☆バチッ☆。薬師丸ひろ子みたいにカ・イ・カ・ンと叫びたくなった。

 写真は再現のいわばヤラセだが、特撮ヒーローみたいな高揚を覚え、久しぶりにわが家のヒット商品に認定した。なお、私は、問答無用の集蛾灯(誘蛾灯)みたいなものは使わないという節度を持っている。

 高層住宅で蚊も上がってこない住環境の方は置いといて、少し田舎の自然と共存されている方には心からお勧めする。
 えっ、電撃では共存にはならないですか。
  
   蚊遣り器を跨いで仏堂の涼し