4月25日付け朝日新聞夕刊に、邪馬台国かとの有力意見もある奈良の纏向遺跡中枢部大型建物跡近くの穴から、人為的に傷つけられた可能性のある蛙の骨が12匹分見つかったという記事が掲載されていた。
縄文から弥生時代の土器や銅鐸に蛙が少なからず表現されているが、これは大地の象徴として神聖視されていて神饌(神への供え物)だったのではないかという、辰巳和弘・元同志社大学教授(古代学)の言葉で記事はまとめられていた。
私は、別にそういうオーソドックスな意見にほとんど異論はないのだが、全く違う可能性というか推論が頭をよぎって胸が大いに騒いだ。
そこへ行く前に、そもそも新聞記事と辰巳教授見解に単純な疑問がある。
神饌というと、時代は下るが、米、酒、餅、海の幸、山の幸、菓子、花、縁起物、貴重なものなど神様をもてなすイメージがいろいろ浮かぶのだが、ほんとうに蛙が神饌だったのだろうか。私にはそうそう単純には納得できないがどうだろう。・・・次に本題だ。
そこで、昭和52年(1977)発刊の朝日新聞社刊『私のシルクロード』を書架の奥から引っ張り出してきた。
52・2・18と日付のある松本清張著『文明の東西交流』という発言集(論文)を読み返すためであった。
と、ここまで書くと、これまでの私のブログを読んでいただいた読者には、はは~ん、あれだな!と既に底がバレていることだろう。
松本清張氏がこのシルクロードに関する講演(の発言集)の中で語られた内容を私が独断と偏見で摘んでみると次のようになる。若干私見もある。
古事記などの神話の中には、遥か西域~メソポタミア~ヨーロッパの文化が混じっている。
種々みられる太陽信仰もその一つで、飛鳥の謎の石製品もゾロアスター教の拝火壇などではないか。
ゾロアスター教と道教は非常に似ており故に融合している。卑弥呼の鬼道はそういうものを含む古い道教だろう。
後には、仏教も中国経由で入って来たのだから、ゾロアスター教的な、中国でいう祆教的な要素が日本列島に入っていないはずがない。
密教の護摩や麻薬、そして多くの寺や神社の火の祭り、天皇家や貴族の血族主義、仏像彫刻、閻魔大王の審判と地獄極楽の思想、・・・・・それらの淵源はゾロアスター教にあるのではないか。
お察しのとおり、別掲の新聞記事から私の意識は松本清張の「火の回路」へと飛んでいったのだ。
もう一つ、実はこの読書の記憶こそが私の意識が飛んでいった直接の原因なのだが、それは、先日紹介した青木健著『ゾロアスター教』の次の箇所にある。私なりに要旨を摘むとこうである。
ザラスシュトラ(ゾロアスター)は次のように唱えた。この世は善と悪の闘争の舞台であり、人間はこの闘争に参加する義務があると。
そして師は、善なるものと悪なるものを、当時のイラン高原西部の習慣などを取り込んで明解に示した。神の啓示のようなものだから「何故!」というその理由など不要なのだろう。
例えば、犬は善なる創造物で、蛙は悪なる創造物だと。
このために、忠実なゾロアスター教徒は毎月蛙を殺す日を設け、熱心に蛙を探し出して叩き潰した。と。
こんな蛙の話は、この本を読むまでどこでも聞いたことがなかったし読んだこともなかった。
紀元前12世紀ごろからの、様々な世界宗教の源流と思われるゾロアスター教の教義にそういう教えがあったという。
世界は広く歴史は深い。知らなかった事柄は山のようにある。
とまれ、新聞記事では蛙の骨には人為的につけられた可能性のある傷が約3割の骨にあったという。
だとすると、それは神饌などではなく、悪なるものを退治した証し、善行の成果表明の可能性はないのだろうか。
卑弥呼の鬼道は基本的には古い道教であるが、その中には遥か西の方のゾロアスター教の呪術が溶け込んでいたはずだ。
桃を供えて邪気を払い、殺した蛙を開陳して「忠実な神の僕である自己証明」を行なったのでは・・・。
などと、いろんな可能性、仮説を頭の中でめぐらせるのは楽しくてしょうがない。
今の日本では蛙から「無事
帰る」などの文字遊びをして少なからず縁起の良い生き物とされているが、中国神話の嫦娥は月で罰せられてヒキガエルにされているのは、ゾロアスター教と無関係(ただ月の陰影を蛙にみただけ)だろうか。
まあ、「そんなあほな」とお笑いください。
でも、ほんとうに「お供え物」という解説に簡単に同意してよいのですか。