しかし考えれば、「寒の戻り」という言葉が堂々とあるように、季節は一直線には巡ってこないものなのだ。
お水取り(修二会)の中で唱えられる大咒願(祈願文)の最後は、 天下泰安 風雨順時 五穀成就 万民快楽 余分功徳 三有法界 其中衆生 等出苦患 成無上道 となっている。
季節が季節どおりに巡って来て、五穀が豊かに実り、国民が幸福になるように・・・だが、その風雨という言葉には恵みの雨だけではない「〇〇害」と呼ばれているような厳しい気象も折込済のような気がする。(私見)
つまり、人にとってつらい現実もまた自然であり、言葉を変えれば神仏なのではないだろうか。
そういう自然への畏敬こそが宗教であり、社会の潤滑剤だと私は勝手に思っている。
25日は療育園の終業式に当たる日だったのだろうか。孫の凜ちゃんには春休みも何もないのだが、この1年の作品集などを貰って帰ってきた。ゆっくりではあるが1年前に比べると確かに成長している。
私は末っ子だったから、60年ほど前に亡くなった祖母はよく「おとんぼ(末っ子)は親と暮らせる時間が短いから可哀相や」と言っていた。
その頃は「なんのこっちゃ」と思っていたが、自分が年寄りになり、ハンディのある孫を持って、できるだけ長生きをして助けてやりたいと思うと、ストレートではないが祖母の言っていた気持ちが解るような気になっている。
孫は長い間塩分や脂肪分などを相当制限されていたが、今はほとんど気にしなくてもよいようになった。
写真は解り辛いかもしれないが土筆を食べているところだ。土筆を幾つも幾つもムシャムシャと食べたので途中で止めさせたくらいだ。
もう充分75日は貯金した。(初物75日)
風雨順時、春には土筆が顔を出し、それを我らが美味しくいただく。
この先も幾らも風雨に会うだろうが、それもまた神仏であろう。そういう考えを私は唯物弁証法だと考えている。
祖父ちゃんもボーダーファッションを楽しむぞ。
つくし食うつくしのような児やグルメ
ひげ親父さんから一句いただきました。
祖父思い 土筆食う児の いじらしさ
【写真追加しました】
また天下泰平、風雨順時にして、五穀は豊かに実り、国民は幸福となり、さらに余分の功徳あれば、三界に廻向し、その中の衆生の等しく苦悩を脱して悟りの道を成就せんことを。
返信削除写真2枚追加しました。
返信削除この歳で土筆とは、さすが長谷やんの孫、そこで一句
返信削除「祖父思い 土筆食う児の いじらしさ」
こんにちはです。貴方様の投稿記事を引用させて頂いてもよろしいでしょうか?
返信削除先般NHK番組にてお水取り修二会に関し放映されておりました、その中で「風雨順時」の言葉を拝見し、是非ともこの言葉をFBの皆様にご紹介したく思いますので、よろしくお願いいたします。佐々木 仁司
佐々木仁司様、拙い文ですが公開している記事ですのでどうぞご自由にお使いください。わざわざお尋ねありがとうございました。
返信削除ありがとうございます。感謝いたします。
返信削除佐々木 仁司 拝