2月16日に「チキンラーメン」という記事を書いた。
夫婦で「初めて食べたのはいつ?」「どんな感じやった?」と話し合ったことを書いた。そして私の思い出を書いた。
そのとき記事には書かなかったが、妻が語ったのは「当時はチキンラーメンは贅沢品という感じやった」「父がポリ袋に入った”キズモン”を買って帰ってきて食べたのが初めてやった」というものだった。
私は「なるほど」と聞いていた。(輸送の途中で割れたものなどだろう)
で、朝ドラでは万平たちによる『本家まんぷくラーメン』との熾烈な戦いが熱を帯びていた。
「あっ そうか」とTVを観ていた妻が叫んだ。「初めてのチキンラーメンはきっとバッタモンやったんや!」(本家まんぷくラーメン?)
チキンラーメンの角が割れたキズモンなのではなく、バッタモンのニセチキンラーメンが初体験だったということらしい。ポリ袋に入っていたというのだから、今にして思えば間違いない。
哀しいかな、それでも美味しかったという記憶があるようだ。
小さい頃の記憶とはそういうものだ。
私もポールウインナーを時々買うが、息子や娘がわが家んでそれを見つけた時は不思議な顔をする。
「ウインナーソーセージと言うても、もっとええもんがあるやろう」と言いたげだが、これが食べたいのだ。
小学生のころ(山之口商店街の)お肉屋にお遣いに行くと必ずこれを1本別にくれたのだ。その嬉しかったこと。
妻のバッタモンのチキンラーメンと同じだ。
息子が小学生の頃、遠足は「一品弁当」という”きまり”だった。おにぎり以外のおかずは一品だけに限る!という”きまり”で、わが家では私が特大のおにぎりをひとつだけ作り、一品のおかずにポールウインナーを1本だけというのが定番だった。
で、先の”わが家で大人になった息子がそれを見つけた時”だが、「実はあのときのポールウインナーはそんなに好きではなかったんやで」とポツリと言った。
私は”小学生は大好きに違いない”と信じていたのだが、子どもは親にそれを言うのは可哀相だと思っていたらしい。
伊藤ハムのポールウインナーは年間1億本以上売れているが、その93%は関西向けで、関西以外では全くといっていいほど売れない不思議商品だという。93%の内の幾らかは私が買っている。
東(あずま)ではそう呼ばれてる桜餅私の辞書にそれはないけど
道明寺でない桜餅? しかも桜の葉さえない。 ここはどこ?
返信削除新しモン好きの義父は「こんな便利な物が出来た」と言って箱買いしてきたそうです。
返信削除ポールウインナーは今でも夫婦そろって食べています。魚肉ソーセージの味に飽きた舌にポールウインナーの味は画期的でした。
箱買いはチキンラーメンですね?
返信削除どうかたくさんお義父さんの話を聞いて書いてあげてください。
朝ドラはカップヌードルに向かうようです。それは革命的な新商品でした。