CWニコルさんの話に確かこんなのがあった。
「あなたは一所懸命に森づくりをしているが、その森がほんとうの森らしくなったときには、あなたはもういないのでないか・・と尋ねられることが少なくないけれど、私は何百年か後の森を夢見ることができている」という主旨だったと思う。
昨日、タキイ種苗のネット通販を申し込んだ。
送られてくるのは来年の2月から5月頃で、約30センチの苗木であるから、その木が一人前の庭木になるのは何年先のことだろう。
成木を造園業者に植えてもらえばすぐにできあがるこの時代に我ながら気の長い買い物だと思っている。
そもそも、いつどんな病名を告知されても不思議でない年齢になっているから、広告文にあったような美しい姿を私は見られるだろうか。
しかしニコルさんではないが、来年はこれぐらいにならないだろうか、数年先にはこのようにならないだろうかと、毎年そこにまだ立っていない木の姿を夢みることができる。
負け惜しみみたいだが、そういうのもけっこう楽しい。
職業生活現役の頃は、常に期限と目標を気にして、3か月(四半期)乃至1か月ぐらいのテンポ、否、仕事によっては受付から完結までが数日というテンポの生活であったから、(私は結構そういうテンポが好きだったが)、現在の土いじりのテンポは嘘のようだ。
小さな家庭菜園にしても、連作障害のことがあるから、来年はあれを一旦休もうか、再来年には場所を替えてあれを植えようかと夫婦で話し合っているから、気の長い話である。
読書が過去(古人)との対話なら、土いじりは未来との対話だろう。その未来の半分は夢である。
注文したのはミズキです。何年も先の紅葉を夢の中で楽しんでいます。
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