2016年4月3日日曜日

史実と小説

  朝ドラ「あさが来た」が高視聴率のうちに完結した。
 「あさが来た」は連続テレビ小説だから史実をちょっとずつ摘み食いしながら面白おかしくストーリーを展開した。当然だ。
 だが、その影響力の大きさゆえ、司馬遼太郎の小説同様小説が史実であるかのような誤解を振りまいたことも指摘だけしておきたい。
 そのひとつが平塚らいてうで、らいてうあさの苦労も理解できない若造の様に描かれ、あさが大人の対応を見せて終わっていたが、歴史上の人物を登場させるには相応の記述が必要ではないだろうか。
 ということで、書架の奥から「平塚らいてう自伝 ・ 元始、女性は太陽であった」を引っ張り出した。
 そこでは、成瀬校長の学校経営の苦労を思いつつ、次の様に記されている。

 ・・・岩崎、三井、三菱、住友、渋沢、森村、それから関西で広岡、土倉などの財界の当主や、伊藤、大隈、近衛、西園寺などの政界の代表的人物が後援者ということで、なにかの時には学校へ見え、まれには話をきくこともありましたが、この人たちの話は、たいてい内容のないことをもっともらしく引き伸ばしたお座なりのものですから、感心したことなどなく、こういう種類の人たちを、とうていわたくしは偉い人とも、尊敬できる人とも思えませんでした。
 とくに大隈伯はいかにも傲慢な感じの爺さんで、横柄な口のきき方でした。その説くところの女子教育の必要も、女子自身を認めてのことではなく、日本が列強に伍して行くようになって女が相変わらずバカでは国の辱だとか、男子が進歩したのに、女子がそれにともなわないでは、内助はおろか、男子の足手まといになるだけで、けっきょく、それだけ日本の国力が減退することになるといったようなものなので呆れました。
 ほかに不愉快なことで印象に残っている人に、関西の銀行屋、加島屋の当主夫人で、女の実業家として当時知られていた広岡浅子という女傑がありました。学校の創立委員としてたいへん功績のあった人ということですが、熱心のあまりでしょうが、ガミガミ学生を叱りつけるばかりか、校長にまでビシビシ文句をつけたりします。ある日家政科の上級生に対して、実際生活に直接役に立たないような空理空論は三文の値打ちもない、あなた方はもっと実際的であれというようなことを自分の手腕に自信満々という態度で、押しつけがましく、いかにもせっかちそうにしゃべっているのを聞いてからは、いっそういやな人だと思うようになり、とても学校の、また女子教育の恩人として、尊敬したり、感謝したりするような気にはなれないのでした。・・・

  史実どおりにドラマを書け!とは言わないが、我が国の婦人運動、民主主義や平和の運動に果たした平塚らいてうに「安物の小娘」という印象を与えないで貰いたい。
 そして、視聴者たる我々も、ドラマと史実を峻別し、かつ歴史的背景、いうなれば歴史的制約も考えて近代史を見る必要があるように思う。
 そのとき広岡浅子も立派だったし、そのとき平塚らいてうはもっと立派だった。
 
 21世紀の現代に「女は子どもを2人以上産め」と言った校長がいる。「保育園に落ちた」と言ったら「産んだ者に責任がある」と言った政治家がいる。
 少なくとも女性は、こんな「美しい戦前を取り戻す」的な勢力を許さない!ということを「あさが来た」から読み取ってほしい。

 4月6日、東京新聞のコラムを画像として追記する。


2 件のコメント:

  1.  ほんの70年前まで女性には参政権がなかった。
     ほんの70年と言ったが、若い方々には時代小説のような感覚なのだろうな。
     ほんの40数年前の(結構しっかりした労働組合のあった)職場でも女性は業務プラスお茶くみやトイレ掃除が当たり前だった。
     ドラマの中の千代の言葉ではないが、先に立って努力してくれた人がいて今がある。
     こういう話は女性問題だけとは限らない。

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  2.  東京新聞の斎藤美奈子さんのコラムを画像として追記しました。

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