4月9日、天気が良いうえに少し体が空いたので『豊田狐塚古墳現地説明会』に出かけた。
天理駅から徒歩30分、約2キロ、最後は山道というのも気持ちがよかった。
場所は天理市の中心ともいえる天理教本殿等がある平野の北東の丘陵地の先端。
この平野部は旧石器時代から現代まで連綿と続く集落で、『布留遺跡』の地とも呼ばれ、物部(もののべ)の本拠地。
その北部の古墳時代後期の大規模な群集墳である『石上(いそのかみ)豊田古墳群』の南西端。布留遺跡一帯を見渡す丘の上。
道路工事に先立って発掘された横穴式石室で、床面で長さ4.4m、幅2.2m、高さ約2.2m。3つの木棺があったはず。
出土遺物は盗掘を受けているものの、鏡、馬具、玉類、須恵器、土師器などなど。
須恵器や馬具の特徴から6世紀中葉~後葉と見られている。
約150~200基以上ある石上・豊田古墳群の中の円墳としては最大規模(直径約20メートル)で、石室も前方後円墳(石上大塚古墳・ウワナリ塚古墳など)や方墳(ハミ塚古墳)に次ぐ大きさで、平成26・27年に大型横穴式石室が発見された『豊田トンド山古墳』と並んで単独で高地に立地している。
以上のことから、前方後円墳や方墳に葬られた物部の首長を支えた有力者と思われる。
それは現地説明会でその地に立ってみて実感できる。
天皇陵クラスの古墳とは比較にならないが、まぎれもなくそこに古代人の生活があり政治があった。
なので、物部に関する本などを引っ張り出して見たが、歴史上捨て置かれたかのような物部のことはなかなか解らない。
そのため、これからしばらくは、頭の中を物部が占めそうだ。
狐塚古墳よ、なにか声を聞かせてくれ。
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