写真家・入江泰吉旧居が一般公開されたと、過日、新聞に載っていた。
吉城園、依水園から戒壇院、戒壇堂に向かう道沿いにある、あの家の前を通って年々寂れていくのを見るのは少々辛かったから一般公開は文句なしに賛成である。
書斎、アトリエ、茶室、客間等々は一昔前の上品なお家(うち)で、志賀直哉邸のような凝った部屋はない。
裏には吉城川が流れていて、庭から降りられるようになっていた。
「プライベートビーチのようなものですね」と、常連のような先客が私に言った。
「戦後」と呼ばれていた時代に、206世東大寺別当・上司海雲、画家・杉本健吉、志賀直哉、白洲正子らが集ったときのまま時間が止まっているように感じた。この落ち着いた雰囲気は何だろう。
離れは暗室で、DPEをしたあたりはただの台所の流し台のようでもあるが、ここから、数々の大和の仏像や風景が誕生したのかと思うと想像の翼は広がる。
その足で東大寺に向かった。実際に見てみたかったのは「油まき事件」の実際。
南大門、大仏殿にもそれは明らかだったが、奈良在住の作家・寮 美千子氏が「悪気ではなく香油を撒いて祈る信仰ではないか」と問題提起されていることは傾聴に値する。
信仰なら許されるというものではないが、多角的に検討して原因を究明しなければ問題は解決に向かわないだろう。
メディアの報道は「悪質ないたずら」と一本調子に思え、もしかしたら大きな誤捜査にむかっているかもしれない。
寮氏は発見された後すぐに駆けつけてみると「アロマオイルの匂いがした」と言っていたので、私も南大門のその痕を指でさすったり鼻をつけて嗅いでみた。
そうすると、ほんとうに素晴らしい香水の匂いがした。
「やっぱりそうなんだ」と思いかけたとき、私の周りがマドモアゼルばかりになっていて、「ソワ ソワ ソワ~ン」というようなフランス語が充満しているのに気付いて一人で苦笑した。
「シャネルの5番」かどうかは全く知らないが、それはパリの香りであった。
日本以外の多くの国々では仏像に日々金箔を貼ったりしますから、そういう国の篤い信徒が全く悪気がなく香油を撒いて祈ったかも知れません。そうだとしたら、外国のメディアや日本旅行のガイドブックに丁寧に説明することが大事でしょう。
返信削除東大寺は、「油を撒かないでください」等の表示も一切なく、「撒かれちゃいましたね」というかのようにおおらかに見えました。