2015年3月6日金曜日

川口基督教会を訪ねて

  大阪の旧居留地を訪ねるイベントに参加した。
 漠とした知識はあったが、長期間大阪で働いていたにも拘らずゆっくりと足で歩いたのは初めての地だった。
 その訪問先のひとつが川口基督教会で、ステンドグラスとパイプオルガンと煉瓦造りの素晴らしい建物だった。
 阪神淡路大震災で甚大な被害を被ったが、保存運動が広がり再建された。といっても煉瓦の壁がところどころ波打っていたり凸凹になっていて、「よくぞご無事で」といった感じで残っている。
 ・・・が、感動したのはその建物だけではなかった。
 今回初めて知ったのだが、この教会では本気で原発反対の行動を地道に積み上げておられるのだった。
  牧師が不在で信徒の方がいろんな説明をしてくれたのだが、「原発反対の取り組みは牧師から必ず説明しておいてくれと言われました」との伝言付きで、3.11後東北の教会を支援する行動に立ち上がって見た惨状、そこから考えたことなどが話され、原発問題の小冊子をいただいた。
 要約など到底できないが、原発は基本的には科学技術の問題、経済の問題ではあるが、①神によって造られたいのちを脅かす、②神によって創造された自然を破壊する、③神によって与えられたくらしを奪うという点から、重大な問題がある・・と断じている。(冊子の中身はこんな簡単なものではなく、いろんな角度から原発問題やそこに関わる信仰の問題が著述されている)
 邪念のない宗教者の姿を壁の向こうに見る思いがした。
 なお、この教会は、日本聖公会に属し、カトリックでもプロテスタントでもない英国国教会が始まりだという。聖路加病院、立教大学、桃山学院、プール学院、聖バルナバ病院等の施設のバックボーンでもあるらしい。
 いただいた冊子の最後は『反省と課題』になっていて、その一部を圧縮して引用すると・・・、
 1950年代に、米国聖公会より提案を受け、立教大学が原子炉の提供を受けた当時、日本聖公会は積極的にその労をとりました。こうした歴史を振り返るとき、わたしたちも、原発の問題性に無頓着でありました。事故から三年が経過しましたが(フクシマの)被災地の復興はほとんど進んでおらず深刻です。それにも関わらず、政府は「原発は完全にコントロールされている」などと主張し、またオリンピック関連の膨大な予算と投入資源の陰で、震災からの復興と原発事故から人々のいのちを守る対策がおろそかにされています。イエス・キリストの教えに生きようとする者は、しっかりと事態の本質を見つめ、声を上げ、具体的な支援にも立ち上がって行かなければならないと実感いたします。・・・と結ばれていた。
 この教会とは初めての出会いであったが、話を聴いたり冊子を読んだりして親しみを覚えた出会いであった。
 キリスト教や仏教や宗派の別なく、真面目に社会を見つめそれに向きあう宗教者には畏敬の念を覚え身が引締まる。
 焦ることはない。こういう草の根の行動が合流する日が必ず来るに違いない。
 3月8日、各地で「さよなら原発」のアクションが取り組まれる。私は14時に扇町公園に行く。

2 件のコメント:

  1.  長谷やん、川口基督教会の記事、感心しながら読ませてもらいました。
     同じ宗教界であっても、社会的な活動に対する仏教寺院との違いを感じました。
     まず仏教寺院では、社会的な活動をする寺院は圧倒的に少数派です。
     北陸地方の寺院の住職が反原発の中心的メンバーであることはよく知られていますが、寺院としての組織的な活動ではなく、住職個人の活動のように思います。
     川口基督教会が信仰にもとづく活動として、信者も参加する教会の自主的な活動として根付いていることは驚きでした。
     同じ宗教者として、自らの日常を顧みて、忸怩たる思いを噛み締めています。

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  2.  和道おっさん、コメントありがとうございます。
     記事にも書きましたとおり、私が『聖公会』と出会ったのは初めてのことですから、ほんとうに上っ面だけの感想です。しかし、玄関に「原発問題についてのQ&A」という30数ページの冊子が置いてあるなど、その‟本気さ”には頭が下がりました。

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