2月18日の記事で「民俗学者の神崎宣武先生は洗濯板を江戸の初めごろから使用していたと講義されたが、調べてみると明治の初期に移入されたものだった」と私が書いたところ、「それは何を調べた結論なのか」と友人から質問を受けた。
実際、こういう採るに足らないようなものごとは、いざ調べようとしてもそういう書物になかなか巡りあわないもので、その時も、私の手持ちの本では見つけられなかった。
ただ、こういう「昔の道具」のようなものは小学校の重要な教材でもあるので、Web(インターネットの世界)上に参考になる記事が多いもので、そこにはいくつもの真面目な文章があり、かつ「明治に移入された」と書かれてあった。それを私は「信頼できる」と判断して書いた次第である。
だが、こうしていざ質問されたからには念には念を入れたいと思って、京都府立山城郷土資料館に行ってきた。
丁度、「暮らしの道具いまむかし」という企画展中でもあったので、洗濯板(写真)もその説明書きもあったが、私が知りたい「この国で何時頃から使われ始めたか」は書かれていなかった。
なので、学芸員に出て来てもらって質問したところ「明治の初期に移入されたことは間違いない」「神崎先生の説は知らないが江戸初期からあったと言うのは間違いだろう」ということだった。
そうして、さらについでに2軒の図書館を巡ったら、ここも洗濯板の解説や絵や写真はあるものの、「何時から?」という、ほんとうに私が聞きたいことにはなかなかたどり着けなかったが、少し諦めかけた頃、河出書房新社版『民具の事典』というのに、はっきりと、「明治時代、洋式化とともに移入された。それ以前は、溝のない板や石の上で手で揉んだり足で踏んだり洗濯棒で叩いて洗った」と書いてあった。
考えてみると、江戸時代には生活風景を反映した絵や文章も多数あるから、その上で「明治に・・」と書いてあることは信用できる説だろうし、江戸のそういう絵や文章の中に洗濯板があったならこんな文章にはならないと思う。よって答えは明治からで問題なかろう。(Webには1797年にヨーロッパで発明され1880~1890年(明治13~23年)頃日本に移入との記事もある)
なら、宮崎県日南海岸の天然記念物「鬼の洗濯板」は幕末以前は何と呼ばれていたのだろう。
誰かご存知の方は教えてください。
それに、資料館で撮影して帰宅してから思ったのだが、展示の洗濯板、・・・普通は上下反対ではないでしょうか。これでは石鹸液がこぼれてしまわないですか?
起源やいつ頃から日本で使われていたかは知りませんが母親が使っていた頃の記憶は、大きめの金盥の端っこに洗濯板を斜めに据えて、ゴシゴシとやっていましたね。板の向きは仰るように逆さまです。
返信削除尚、西洋ではこの洗濯板を金属製にしたウオッシュ・ボードと呼ばれる楽器があり、指にはめたピックでジャカジャカとかき鳴らし演奏します。デキシーランド・ジャズ等の音楽に登場します。
1 洗濯板そのものは私も妻も知っていましたが、板の向きまでの記憶はありませんでした。義母に聞くのはもうできません。考え込んで生活のリズムを狂わせてしまいます。
返信削除2 楽器のことはそういえばそんな・・ということで、豊かな情報で話が広がります。ありがとうございました。
デキシーといえば、私と同じ地区に「園田憲一とデキシーキングス」の園田憲一が生まれ育ったところがあります。二十数年前に私の小学校の百周年記念の卒業生として、「園田憲一とデキシーキングス」が来て演奏をしてくれました。もの凄い迫力の演奏を聞かせて頂きました。今は園田憲一さんの娘さんが引き継いでやっていると聞いたことはありますが、テレビもラジオも出なくなりました。
返信削除デキシーランドジャズとカントリーの違いも精確には判らない私ですが、読むだけで楽しくなるコメントをありがとうございます。
返信削除バラやん、生で聴けたなんて、それはすごいですね!薗田憲一といえば日本のデキシーの大御所でした。「聖者の行進」や「世界は夜明けを待っている」等行進曲にもよく用いられたのがデキシーです。
返信削除ひげ親父さんの薗田憲一が正しい名前です。なんか違うと思っていましたが、園田の草冠が抜けていました。我家から500メートルも離れていないところに、ひげ親父さんも知っている日本の有名人が育ったことに親近感を感じます。音楽には音痴な私ですが、薗田憲一のデキシーは本場のアメリカも真っ青な素晴らしい行進曲でした。
返信削除史料館のケースの中の展示はU字型にされていました。私の写真は、体験コーナーの展示だったので触った方が適当に置いたようです。やはり基本的にはU字型で使用するのですね。
返信削除「山型ですすぐ」との説もありますが、すすぐときには洗濯板など使わずたらいの中で揉むのではないかと私は思いますが・・・・・。