山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2014年10月6日月曜日
下駄は履かなんだ
安倍首相が国会で「慰安婦誤報でいわれなき中傷が世界に広まった」旨の発言をした。
河野談話に採用もされなかった吉田証言の朝日誤報問題にかこつけて歴史を修正しようというものだ。
慰安婦・慰安所問題の実行主体が軍や政府であったことは公表されている資料等でも明らかであるにも拘わらず、そういう事実すらなかったかのようにマタマタこういう発言をすることこそが世界中で日本の評価を落としていることが首相には判っていない。私はナサケナイことだと思う。
ほんとうにこの国・日本と日本人が好きなら、過去の誤りを反省して未来を語るべきだと思う。
それを自虐史観などとレッテルを貼り攻撃することは常識人の容認すべきことではない。
戦後の日本は、朝鮮戦争勃発と東西冷戦のおかげで、敗戦までの反省・総括を曖昧にしたまま「経済第一主義」で突っ走ってきたが、ここにきてそのツケが回ってきているようだ。
実際、学校教育では現代史は教わってこなかった。
そんなことで、私のちっぽけな周辺では今、現代史の勉強がブームである。
・・・と、ここまで書いてきたが、実は私の言いたいことは竜頭蛇尾で、極めて卑近な問題である。
私には歳老いた義母がいるが、施設に外出許可をもらっては度々我が家で過ごしてもらっている。
その時のために、回想療法というほど大層なものではないが、そのようなことに役立つ本を用意したりしている。
そんなことで、先日は「大正昭和くらしの博物誌」という本を置いておいたら、珍しく興味を示してページをめくり、主として農具について私に語ったりしてくれた。
という中で草履(わらじ)を見つけて・・・・、「学校には草履(わらじ)で行った」「下駄は履かなんだ」「雨の日は下駄やった」と話し始めたが、妻にはその意味が解らないようだった。「何で普通の日には下駄を履かなかったの?」と。
答えは、草履(わらじ)はタダで作れるが、下駄は買わなければならないものだから、下駄は雨の日以外使用しなかったのだった。だから、普通は草履(わらじ)で通学して、学校についてから外の人に笑われないよう、持ってきた下駄と履き替えていたのだという。
そんなことは、何時か何処かのテレビで聴いたことがあるし何かの本で読んだことがある。しかし、自分の義母の口からそういう話を直接聞くと、現代史と言うか民衆史というか民俗学というようなものが「生きた話」として胸に突き刺さる。
こんなことは社会問題でも何でもないが、親がご存命の皆さんは、講座や図書館で現代史を学ぶもよろしいが、今のうちに親の前半生を聞いておくべきだと思う。
私にとっては、両親4人のうち3人を亡くし、義母の記憶も薄れてから気のついた痛恨の反省点である。
いま現在誰も疑わないような常識でも、四半世紀後の総理大臣や教科書がどういうか解らない国である。。
「日本人は明治維新後は全員が靴を履いていた」というような・・・・・。
些細なことでも記録に残すことが大切だと思う。
義母が下駄を抱えて草履(わらじ)で学校に行ったのは、昭和初期の奈良の国中(くんなか)のことである。
10月9日追記
下駄といえば、小さい頃は写真のような木製のサンダルをよく履いていました。
藁草履履いていました。子供の頃一時期履いていた記憶があります、藁草履とは言わず「あしなか」と言っていたと思いますが、いつも履いていたとの記憶はありませんが、その他に何を履いていたかは全く覚えていませんが、下駄は地形の関係で履いた記憶ありません。下駄は雨天時に履くものでおしゃれな履き物ではなかったのではと思います。
返信削除追伸御礼が遅くなりました、頂いた「むかご」むかごご飯を炊きましたとても旨かったです、報告です。
chinunoumiさんコメントありがとうございます。足半草履(あしなかぞうり)と言っていた地域は各地にあるようです。兵庫県では「アシナカ」と言っていたとあります。愛媛県では「トンボゾーリ」と書いてありますがchinunoumiさんが「あしなか」と言っていたのなら間違いなく「あしなか」でしょう。
返信削除「下駄はワンランク上の履物ということではなく、単に今で言えばレインシューズだった」とのご指摘ありがとうございます。義母の記憶ももう一度確かめてみます。
「むかご」ですが、この間の台風でものすごい量が落ちてしまいました。野趣を感じていただいてありがとうございます。
子供の頃、正月には、真新しい下駄を買い揃えて(男3人兄弟に)くれました。白い鼻緒の、歯の少し高い、応援団が履くような、確か「正ちゃん下駄」と呼んでいたような記憶があります。大みそかの晩、枕元に下駄を並べ、明日からのお正月の楽しいことを考えながら寝たものでした。
返信削除ひげ親父さん、同感です。それから、下駄ということで思い出すのは、日常の下駄というのは現代で言えば田舎の便所にあるようなあのサンダルですね。あのサンダルというか下駄を日常には使用していました。そういう意味では、その時代のテレビドラマの時代考証はどうなっているのでしょう。ほんとうに街中があのサンダル型の下駄を履いていましたよ。
返信削除chinunoumiさん、義母に再確認しましたところ、義母の感覚では「下駄は高価でおしゃれなもの」でした。だから、雨以外の日は草鞋で通学して学校に着いたら下駄に履き替えていたということです。
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