とはいうものの、四季の移ろいは待遠しかった冬が来たようなワクワク感も伴っていて、庭に立火鉢を引っ張り出してきた。
蒼海鼠釉薬(あおなまこゆうやく)の、ある種典型的な信楽焼の立火鉢で、義母と手をあぶりながら日向ぼっこをした。
10月初めのことだが、テレビで、小じゃれたバーべキューサイトが9月末で閉じられたと報じていた。
それが世間というやつの常識なのだろうが、我が夫婦は「バカじゃないか」とテレビに向かって毒づいた。
暑い夏はクーラーの効いた屋内で食事をすればよく、炭火を囲むバーベキューは秋からだというのが我が家の常識だ。ヒトスジシマ蚊も来ないし。
どうしてこう「バーベキューは夏のもの」という没論理的な「非常識」が世の中を支配しているのだろう。
同調圧力というか、自分の頭で判断せずに大勢に従う空気は好きでない。
そんな話を夫婦でしていたら、妻の知人によると、我が家から遠くない新興住宅街〇〇台ではバーベキューが禁止というか自粛らしい。
大阪から結構離れた郊外に、ついに庭付きの一戸建てを建てた新しいファミリーが、夢のガーデンバーベキューをするのが近所迷惑だという人がいたからだという。ああ。
そういえば、都市部のマンションで「サンマを焼くのは自粛」という話は珍しくないようだし。
少し有名な話だが、日本人は子供に「他人(ひと)に迷惑をかけないように生きなさい」と指導するが、インド人は「人(ひと)は迷惑をかけあって暮らすものだから他人(ひと)の迷惑を許しなさい」と諭すというのを読んだことがある。
他人(ひと)に迷惑でないかと気づかいすることも大切だが、インドの俚諺(りげん・言い伝え)の寛容さこそ肝に銘じるべきでないかと、近頃のこの国の風潮を見ながら考える。
ガーデンバーベキュー自粛やなんて・・・・・・・・・、
この国はいつの間に、こんなに不寛容で窮屈で、異論を認めないような国になったのだろう。
その多くが、民主主義の衣を覆いながら推移していることに、私はしばし頭を抱えている。
誰か教えてくれませんか。
この記事の写真をスマホで義母に見せました。
返信削除妻が「この写真はアメリカでもイギリスでも世界中の人が見てるんやで」と言うと、義母は嬉しそうに大笑いしました。
なんか涙が出るほどほのぼのとします。
返信削除バーベキューもサンマを焼くのも禁止とは驚きです。先日電車内に乳母車を乗せると邪魔になると電鉄会社に苦情があった、公園で遊ぶ子供の声がうるさいと苦情があったと新聞に掲載されていました、同じ類いのことかと思います。
返信削除寛容な気持ちはどこえ行ったのでしょうか?何かとても淋しく、悲しい思いがします。
ひげ親父さん、ペコロスの母みたいですか? 親の介護は人生勉強の高等科だと思います。私があの歳になったらこういう風に介護されようか!ああいう風に介護されようか!と考えますね。
返信削除chinunoumiさん、ケースバイケース、程度問題で答えは簡単ではありません。
返信削除「私は困っている(迷惑と感じている)」と主張することもある意味大切なことでしょう。
しかし、chinunoumiさんがおっしゃる通り、主張の底辺には寛容の精神がなければなりませんよね。
自治会(町内会)などに行くと、あれもこれも禁止にすることが正しい街づくりであるかのような主張が往々にして多数になります。そういうことを強烈に主張される方もおられます。企業社会の中で、民主的な労働組合活動の経験もせずにリタイアされたような方にその特徴が見られます。難しいものです。