どうと言うことのない季節の話題をひとつ。
野鳥が糞をしてくれたおかげで、いつもの遊歩道に茱萸(グミ)の木が増えてきた。
正規の植え込みの中から南京玉簾のように枝が飛び出している。
そのいくつかが、赤い実を膨らませてきた。
苗代を作る頃に熟すのでナワシログミと呼ばれている種類だろう。
ちょうど孫がやって来たので、「グミを採って食べよう!」と出発した。
この間(アキグミの頃)まで種を出さずに食べていたが、幼児の成長は著しい。
今回は祖父ちゃんに倣って上手に種だけを吐き出せるようになっている。種だけを上手く出せること自体も自分の成長が誇らしく楽しいようだ。
私としては、自生しているグミを少し採取して食べてみるということをひと通り教えるだけのつもりだったが、孫の夏ちゃんは「もっと食べる~」と言って終わらない。
放っておいたら石垣にも登ってグミを採っている。
こうして努力することを覚えたり体力もつくのだろうと、そっと見守るだけにした。
ただ、このままではグミの木が丸坊主になるまでいつまでも止めそうにないので、タンポポの綿毛吹きに誘導して今回のところのグミ食べは終了した。
こういう新興住宅地の遊歩道というのはおかしなもので、道端にグミがいっぱい実っているのに採る人がいないようだ。
だから我が家は楽しめているのだが、世は飽食の時代なのだろうか。
ただ、日本人という生き物は、生き物としては退化しつつあるのではないかと感じるところがある。
GWに夏ちゃんが来たので再び出かけたが、・・・・「おかしなもので採る人がいない」と言っていたが、9割方坊主になっていた。
返信削除それを押して奥の方まで採りに行くと、「待っていて」と言っておいた夏ちゃんもよじ登ってきて奥までやって来た。
そして、道に帰って来た時には私も夏ちゃんも全身予期せぬ「引っ付き虫(盗人萩)」だらけになっていた。夏ちゃんは耳学問でない現実世界を心の底から学んだようだ。
同じような孫を持つじいちゃんですが、長谷やんと私では孫に接する姿勢に大きな違いがあるようです。 孫にべったりの姿勢からなかなか抜け出せない私には、長谷やんの一歩はなれたところから孫の成長を考えて接する長谷やんの「大人の対応」がいつも参考になります。
返信削除年に数回しか会えない孫ですが、これからはできるだけ「大人の対応」を心がけたいと思います。
「大人の対応」なんて滅相もないと言ったところです。
返信削除私の方こそ和道おっさんに学ばせていただいております。
何しろ爺は日々初体験なもので・・・・・。