山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2014年1月30日木曜日
映画 小さいお家
映画『小さいお家』についての素晴らしい感想文が、和道おっさんのブログ『今を仏教で生きる』に書かれていた。
http://wadou.seesaa.net/article/386304029.html
http://wadou.seesaa.net/article/386390906.html
その感想文に触発されて、私の感想を呟く。
先ず「小さな恋愛事件」について、
第一に、映画の限りでは時子が板倉と不倫に至るまでの、平井夫婦の心の崩壊が判り辛かった。
第二に、時子の女学校の同級生松岡がタキを慰め解説するまで、タキが時子を想っていたことが私には判らなかった。
第三に、最後に板倉に抱きすくめられたときのタキの顔を見るまで、タキが板倉を想っていたことも判らなかった。
その判り難さのすべてが戦前という時代にあったとも思えないから、私のように鈍感な者にも判るように描いてほしかったが、2時間程度のフィルムに収めるのは無理な注文だろうか。。
つまり、タキが結局一度もお嫁に行かなかった深い悲しみというものが、深く重く伝わってはこなかった。
しかしながら、『時代の描写』というのはこの上ないほど素晴らしかった。
そして、全くもって現代人の代表たる甥の健史の「指摘」をあざ笑うように、「戦時」というものが静かに静かに「成長」していった事実の提起には大きな説得力があった。
奇しくも、成人の日にこのブログで書いた「安岡章太郎:僕の昭和史Ⅰ」
http://yamashirokihachi.blogspot.jp/2014/01/blog-post_13.html で感じたとおりであった。
山田洋次監督の訴えたかった主要なテーマがここにあったとは思わないが、結果的にはこの部分が出色の出来だった。
そして、そういう事実を現代と重ね合わせて考えることが、とても大事ではないかと思いながら映画館を後にした。
先に観ていた妻にそんなことを話すと、「女心がわかってないねえ」とため息をつかれた。
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この映画の私のブログ記事の紹介、有難うございました。
返信削除長谷やんの『小さな恋愛事件』についての3つの疑問、私も同様の感想を持ちました。
ただ、あの山田洋次監督のメガホンですから、何か深い意図があるのでは?という目線で、無理やりこじつけた結論があれでした。「見当違い」とか「深読み過ぎ」などの誹りが聞こえてくるようです。
正直に申しますと、和道おっさんの研ぎ澄まされた感受性に比べ自分の鈍感さにあきれました。
返信削除これは、和道おっさんにヨイショしているのでも何でもありません。
ただ、こんな感想文もありかな・・と思って恥ずかしながら書いてみた次第です。
私が「板倉はタキが好きだったのでは?」と言うと、妻は 「時子を想っていたのに決まっている」と言うのだが・・・、タキの部屋(遺品)には小さなお家の絵があった。
返信削除だとすると、誰も知らなかった秘密であるが、戦後、タキと板倉は会っていたことになる。
あ~あ、タキは何を深く悲しんでいたのだ。鈍感な私にはこの映画の仕掛けは難しすぎる。