「〇〇となると春が来る」的な決まり言葉はいろいろあるが、大阪あたりで最もメジャーな決まり文句は「お水取りが終わると関西に春が来る」というものだろう。
事実、3月になると在阪テレビ局各局が夕方のニュースで、「古都奈良に春を呼ぶお水取りが・・」というワンフレーズを毎年繰り返す。
その東大寺二月堂のお水取り(修二会)の各種行法の中で一番絵になるのは「達陀(だったん)の行法」と言われている。
何しろ国宝だらけのお堂の周囲を松明が行き交うだけでも驚きだが、そう広くないお堂の中で松明を振りかざして飛び跳ねるのだから驚愕としか言いようがない。
その行法に使用された達陀帽(だったんぼう)を参詣者にかぶせて健康や来福を授ける「だったん帽いただかせ」という行事が修二会明けの15日に二月堂であった。
実はこの行事については「ひげ親父」さんが、去年「行ってみたい」と呟いておられたが、私は「初孫の行事にとっておいたら」と助言したのだった。
そして今年、私が一足先に、天下晴れて“夏ちゃん”を連れてこの行事に参加した。
「身体健康、無病息災、なんやらかんやら、むにゃむにゃむにゃ」と唱えて金襴の帽子を被せていただくのだが、多くの小さな子供はその何となく異様な雰囲気に泣いている。それがまたカメラマンの格好の的になっている。
そして我が夏ちゃんはというと一切泣くことなく、ただその変な帽子を力の限り払いのけたのだ。権威に迎合したりせず主体性のある子でなんとも頼もしい。
で、代わりに爺ちゃんが「いただいた。」
せっかく奈良近辺に住まいし、孫を授かったのであるからというレベルの『参加』の動機なのだが、1262年間続いた宗教行事の(松明の煙の先の)端っこに参加させていただいて喜んでいる。
昨日、16日ワイフと奈良某寺に写経に行った帰途、東大寺二月堂に寄りました。お水取りの期間も調べず暗剣殺に行くと「あとの祭り」。以前のブログに載せられていました「なんとか地蔵さん」も探しましたが見つからずじまいに終わり難波で途中下車し禿頭隠しの安い「丁稚帽」を買って帰りました。
返信削除それにしても「だったん帽」をいただかせているおじさんの姿なりがなんともユーモラスですね。カッターにネクタイの上から素襖と烏帽子、肩には輪袈裟、腕には数珠。神仏習合に民間習俗が混ざっておおらかな雰囲気が伝わってきます。
そもそも修二会が「大中臣祓」から始まるのですから、これはもう神仏習合そのものですね。東大寺は「神仏霊場巡り」の代表で「うちには神様も仏様もおられます。」と公言されています。
返信削除親鸞聖人の考え抜いた哲学も大好きですが、こういうおおらかな行事も大好きです。
この行事、まるで七五三のようで、ほぼ全員が写真を撮りますし、『おじさん』もそれを大前提にポーズをとっていました。
そう「爺ばか」だよ~とちょぴり羨んでいるのかな?権威に迎合しないで主体性のあるのは「爺(と呼ぶのには若すぎるが)」の影響ですね。
返信削除冷静に考えると小さい子が泣いたり取ろうとするのは当たり前のことなのですが、夏ちゃんだけは特別に見えてしまうのです。
返信削除和道おっさんに言わせるとそれは紛れもない(私が)病気だそうです。
スノウさん まんなおし地蔵尊の碑は二月堂北側の燈廊の上、手水舎の奥にあります。そして、これより北へ1丁です。またの機会に見てください。地蔵尊自体は少し愛想がありません。
返信削除長谷やんさんにコメントでせっかくご指名いただきましたので、私も一言コメントを。
返信削除そうなんです。爺ばか病という死ぬまで治らない病気なんです。何でもないことなのに、ちょっとでも我が孫が他所の子と違うところがあるともう駄目なんです。それが孫の特別な才能に見えてくるという特殊な老人病なのです。長谷やんさんより数年早く罹患した私は、次第に症状悪化しているようです。あとはIPS細胞の再生医療に頼るしかないと覚悟しています。
和道おっさん、コメントありがとうございます。おっさんを反面教師にまっとうな道を歩んで行きたいと思います。
返信削除長谷やんさん、「まんなおし地蔵尊さん」の場所、御教授有難うございました。次回は一人で行かしてもらいます。「オンカカビサンマエイソワカ」。
返信削除地蔵菩薩の御真言ですね。
返信削除