2013年2月9日土曜日

鏡に何を祈ったの

  知人のブログに奈良の「山の辺の道を黒塚古墳まで歩いた。」とあった。
  凡そその地は巨大な前方後円墳が誕生した地、つまり、大王(天皇)と国家が誕生した地と言われている。
  黒塚古墳は33面の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が埋納された状態で見つかったことであまりに有名である。

  その鏡の副葬だが、弥生時代の九州の墳墓や中国大陸の墳墓に全く副葬されていないわけではないがほとんどなかったものが、我が国の古墳時代(巨大な前方後円墳)の誕生とともに桁違いに爆発的に出現している。それまで近畿では全くなかったものである。
 これは、征服王朝説を唱えたいほどの大々大変化である。(唱えているわけではない。)

  それで、例によって、その鏡の副葬についてあれこれ空想の世界に遊んでみた。

  かつては、三角縁神獣鏡は邪馬台国の女王卑弥呼が魏から下賜され、それを卑弥呼なり卑弥呼の後継者が、各地の首長に服属の代償として分与(下賜)したもので、それほど尊い威信財であるから「あの世で困らないよう」副葬されたと書いてある書物が多かったように思う。
  日本書紀の記述から地方首長が服属する証に献上してきたものとの説も、結論は同様に、権威の象徴たる威信財と述べているものが多い。
 そういう説明を読んだとき、貧乏人の私は「遺産相続をせずに、本当にそんなもったいないこと(埋納)をしたのだろうか」と不思議であった。
 それには、古墳は単なる墓ではなく、葬送儀礼の会場、首長権継承儀礼の会場であったから、参列者に副葬を見せつけることに意味があったという説も読んだことがあったが、半信半疑の気持ちでいた。
 次に「武器庫(宝物庫)説」もあったが、発掘された状態からは一般論としては肯けなかった。
  それに対して、「道教では鏡は神仙界に昇る(昇仙)うえで必須の道具であった」から、黄泉の国でも首長たらんとする、神仙界へのパスポートだったという相当有力な主張もある。始皇帝陵もそのことを物語っていると言われると否定できない。
  さらには、道教に基づき不老長寿等現世利益を保証する鏡を供えて、亡くなって神に昇華した首長に、残された共同体の安寧を祈ったという説もある。これも有力だし猛き神を祀る神社への参拝を思うと感覚的にも理解できる。
  さらにさらに、「道教では鏡は魔除けの呪具」であるから死者が神仙界に昇り終えるまでに色々な妨害をなす悪霊を辟邪(へきじゃ)する機能を期待したとの説もある。これが現在一番多数説と言われている考えかもしれない。なるほどである。
  ところが、黒塚古墳では33面の三角縁神獣鏡が棺の外側に、鏡面を死者側に向けて並べられていたのである。
  これは、強大な呪術者でもあった棺内の大首長の霊に、「よみがえってくれるな!」とその荒ぶる霊力(荒御魂あらみたま)を封じ込めようとしたとしか考えられないと書かれている白石太一郎先生の説に私は今一番説得力を感じている。少なくとも黒塚古墳の三角縁神獣鏡に関しては・・・、鏡によって格が違い目的も異なっていたとして・・・・・?

  真実は解からない。証人は一人も残っていない。ひと口に古墳時代と言ってもその信仰にはバリエーションがあり、時代により変化がなかったと考える方がおかしいかもしれない。
  と、我が家のちっぽけな銅鏡を磨きながら早春の夜長を遊んだ。
 そして、天理参考館で三角縁神獣鏡に語りかけたが、仙人たちはただ微笑むだけだった。チャンチャン

4 件のコメント:

  1. ご高見ありがとうございます。散策した日は歩くことで精いっぱいで資料館にはよう立ち寄りませんでした。それでこのようにいろいろ調べ考察し想像力を駆使していただいて文にまとめられるなんてさすが!確か古墳は造営したあとそこで何か祭祀を行うなどということがなかったと何かで読んだような気がしますが。明治政府以降、父親の世代は古墳詣でをさせられた。砂利道を炎天下歩かされて辛かったという話を聞いたことがありました。格調高いブログを落としてしまいましたね。

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  2.  私はA先生の講演を聞けばそうだと思い、B先生の本を読めばなるほどと思う日和見主義者です。
     ただ極めて貴重であったはずの鏡をあんなに大量に埋めてしまうには、よっぽど強烈な願い=思想があったのでしょう。
     文化史的に言えば、日本列島の近畿地方に濃厚につながるそういう祖先の思いを想像するのは楽しい時間です。
     私のでたらめな空想に騙されずに、yukuriさんの空想をお聞かせください。

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  3. 思い出しました 十数年前 黒塚古墳の現地説明会に
    行ったことを
    電車を降りると駅前から長蛇の列 主人と延々と並びました
    途中何度も諦めかけました トイレを学校でお借りしたり
    皆さん大変でした 日が暮れライトアップされやっと番が
    回ってきました 鏡 鮮やかな朱の色 諦めなくて良かった
    寒い冬の一日 よくぞ頑張った 今でも不思議です!!

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  4.  へ~、現地説明会に行かれたのですね。すごい。
     その根性に脱帽。
     被葬者も喜んだことでしょう。
     え! 恥ずかしがっていた?
     なにしろ「よみがえるな」と思われていた(白石説)のですから、そうかもしれません。

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