2012年10月26日金曜日

まんなをし

  先週の話で恐縮ながら、17日18日はほぼ1日中雨が続いた。
  直前の天気予報では17日の夜に降って翌朝には止んでいるはずだった。
  「夜だけやったんちゃうん」と妻は洗濯物を出したり入れたりしながら、雨の原因が天気予報にあると言わんばかりにテレビに向って怒っていた。
  満開の金木犀からの芳香も消されてしまっていた。

  娘婿は友人たちから気象協会公認レベルの雨男と言われているらしい。
  1年前の結婚式も、披露宴前のガーデンパーティーでシャンパンを開けた途端に台風から押し出されてきた大粒の雨が降ってきて、後で聞くと風船を飛ばす予定だったらしいが当然中止になった。

  こういうとき関西では「まんがわるい」と言う。
  「まん」は「間の転」(広辞苑)らしいが、「間が悪い」ではなく「運が悪い」「まわりあわせが・・」「ついてない」という感じで、伊丹十三監督作品の映画「あげまん」の題名は俗語と重ねて面白がりながらつけたのだろうが、元々はこの「間(まん)」である。

  世の中には原発であろうが経済であろうが外交であろうが全て思い通りに制御できると豪語する方々もおられるが、人生にしても、ささいな日常生活にしても、そして空模様にしても、ママにならないこと、「まんがわるいとき」は多々あるもので、それは今も昔も変らない。
  それを「色即是空」「諸行無常」とは達観できないのが衆生の凡夫である。
  で、先人はどうしたかというと・・・・・、

  東大寺二月堂北東の隅(例のお水取りの時に「おタイマツ」が登ってくる階段(回廊)の突き当たり)に、結構大きな自然石の道標に「まんなおし地蔵尊 是より(合字)一丁」と書いてあるが、あんまり読んでいる人は見かけない。(上の写真)
  そこから北へ山の中を歩いて行くと、行き止まりに近いあたりに右の写真のお地蔵さんが現れる。石柱にも判りやすく「まんなをし地蔵尊」とある。
  顔(右の方の黒い石)は、欠けたのか風化したのか判らないが・・どういうまんのわるいことがあったか知らないが、・・原型はなく、稚拙な線刻になっている。
  要するに古くから「まんのわるいことが続いたから、まんを直して」と庶民が切にお願いをしにきたお地蔵様なのだろう。
  (なお、大仏殿裏から二月堂に向う「写生小道?」にも道標がある。)
  一般に東大寺というと国家のお寺で学問のお寺と言われているが、こんな俗っぽい信仰も併せ呑んできて1300年の歴史があるに違いない。
  私は一般に「ご利益がある」とか「罰があたる」という宗教はあまり好きでないが、こういうアッケラカンとした先人の願いが形に残っているのは微笑ましい。
  鰯の頭も信心から。近頃まんがわるいとお嘆きの諸兄はこのブログの写真に向って手を合わせておくと「まんがなおる」こと疑いなし。

2 件のコメント:

  1. 「まん」の語源はおっしゃる通り「間」でしょう。ただし、ワイ等の河内弁では「運が悪い」というより「まん悪い時に来たな」というように使い「都合が悪い」というような意味合いです。「まんなおし」の様な使い方では「ゲンなおし」が近いようです。この「ゲン」は「験」(経験、何々した結果、)で、「ゲンくそ(糞)わるいな、ゲン直しやっ!」とかなり汚くなります。

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  2. !言葉全般に言えることかも知れませんが、とりわけ方言に近い言葉は、人それぞれで感じるところに微妙な感触の違いがあるものです。
     「まん」も「タイミングが悪い」から「運が悪い」まで差がありますが、総じて「験が悪い」よりは『軽いレベル』のような印象が私にはあります。
     「まんなおし」はお地蔵さんが叶えてくれそうですが、「げんなおし」はお不動さんあたりにスガラナケレバならない感じだと妻は言います。
     なお「大阪ことば事典」では、「験」は〔縁起〕の倒語の〔ぎえん〕を約めたもの・・とありました。

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