辛夷(こぶし)の実が色づいて膨らんできた。
私が「いくらなんでもこの果実が拳(こぶし)には見えんよな」と言うと、「いや、掌(てのひら)側から見た拳に見える」し「名前の由来として納得している」と妻は言う。
なるほど、拳にした示指から小指の近位指節間関節(PIP)及び中手指節関節(MP)をデザインとして眺めるとそれらしくもある。
私は、あえて言えば「蕾の形が幼児の拳に似ている」との名前の由来説を支持しているが、より精確には、辛夷とは元々は木蓮を指していたから、木蓮の蕾は「団結がんばろう」に似た拳の林立をイメージさせないか。
また、果実はこのあと秋の深まりとともに「拳」を通り越していささか醜悪な形状になる。それが名前の由来なの?と私はわだかまっている。
広辞苑には解説がなかった。主婦と生活社の庭木事典は両論併記だった。そして、wikipediaは「果実の形状」派だった。
さて、読者の皆さまは蕾派?果実派?
紅辛夷の木を2本持っているが、蕾から開花の時期に毎年ヒヨドリに花弁を喰われている。
花弁みたいなものを食べずとも外に食べるものはいっぱいあるだろうにと思うが、余ほど美味しいのだろうか、此の頃は毎年やられている。
それでも逸早く春を告げる可愛い花木である。
その季節感が名曲「北国の春」をぐぐっと持ち上げている。
「北国の春」は老朗介護の音楽療法の代表曲というのが乏しい経験から導き出した私の実感である。
何故かモンゴルの大平原の中で「北国の春」の歌唱コンテストがあり、何百キロも離れた地から人々が集まるのだそうです。NHKBSでの放送が昔ありました。
返信削除!最初はベタな歌だと思っていたが歳をとってから馴染んできた歌です。
返信削除作詞家のいではくは故郷信州を思って作ったそうだが、千昌夫と重なって東北のイメージが定着した。
老朗介護の際は3番が「良い歌詞だ」と喜ばれたが、施設のスタッフは「そんな歌は知らない」とのリアクション。昭和50年代ってそんな昔のことらしい。
私は毎日のように、大阪府、市庁舎の最高幹部室、東京の経団連、内閣府、大手新聞社、TV局そしてワシントンのCIAに向かってコブシを上げています。
返信削除!スノウさん 確かにウンザリしているだけではダメですね。
返信削除確かにこの国は「面舵いっぱい」に進んでいるように見えますが、沖縄でも、官邸前でも、経団連前でも辛夷の花が咲いています。
しかも、今まで見たことのないような自主性と持続性が見られます。
私は、地殻変動の予兆を感じています。