近頃では少し小洒落た盆菓子も登場しているが、やはり盆菓子の主流は蓮や茄子などを模ったちょっと毒々しいあれであろう。
申し訳ないが、お下がりをいただく気にもならないので購入していない。
ただ、私は、昔から「うちわ」だけは好きだったので、お盆の準備用品の中にそれを見つけたときは少しわくわくしてして購入しておいた。
決して上品とはいえないが下品でなく、美味くもないが不味くもなく、歯ごたえ・食べごたえはまったくないが、懐かしいお盆の味の一つである。(要するに上等でない最中(もなか)の皮だけを食べた感じ)
お盆の前にファミリーが揃ったが、子供たちは「そんな安物の菓子をなんで食べなあかん」と馬鹿にして食べなかったが、孫と義母は喜んだ。
孫には、その大きさといい見事な薄味の薄さ加減といいピッタリで、柄を抜いて手に持ってかじる様は何よりの爺婆孝行をしてくれた。
また義母は何が気に入ったのか幾つも食べ、お盆が本格的に始まる本日現在、結局1枚だけになってしまったがそれもよし。
親鸞はお盆の行事など説かなかったが、凡人は、少しばかり教えられた習わしをなぞることで、世俗を超えた精神生活を豊かにすることが出来ると思う。
今夕は玄関でオガラを焚くことにしている。
仏教の教えからのお盆の意味はそこそこ理解していましたが最近、日本人の習俗からのお盆行事を知ることが出来ました。5~6世紀頃からお正月は亡くなって33年以上たった霊(和御霊・ニギミタマ=神様)を家にお迎えしお給仕し一緒に楽しく過ごす行事。お盆は亡くなって33年経たない霊(荒御霊・アラミタマ=仏様)を家にお迎えしお給仕し一緒に食事をして過ごす行事で「結構なお盆でおめでとう御座います」と挨拶を交わしたそうです。ただし、亡くなって1年経たない人がいる家には「新盆でおさみしゅうございますね」と付け加えたそうです。お正月とお盆をワンセットで神様と仏様の先祖と家で楽しく過ごす行事として神仏習合の平和な日本人の心意気が感じられます。
返信削除それをブチ壊したのが明治政府で「廃仏キ釈」で国家神道でもって天皇を現人神に祭り上げ富国強兵で日清、日露、から第二次世界大戦まで日本を破滅に導いた戦争政策を続けた源流が「明治維新」であるなら・・・現今、文化を目の敵にし音楽、文楽、大衆芸能をつぶす「橋下」率いる名も同じ「維新」勢力にダブッテきます。
!スノウさん いつも楽しいコメントをありがとうございます。
返信削除先日重大事故を起した「陸援隊」というブラック企業がありましたが、私はこういう「維新」だとか「陸援隊」というネーミングをつけようとする発想自体
に、精神の貧困や下品さを感じてしまいます。
スノウさんご指摘のとおり、橋下氏は、大阪国際平和センターの内容を「一度ゼロ」にして「自虐史観の克服」なる、学説としては淘汰された特異な皇国史観を「両論併記」するとしています。
これから全国で「記紀編纂1300年」の行事がいろいろ企画されますが、八百万の国津神を貶めた国家神道の再来はご免です。
昨今は、パック詰めされた「お盆のお供え」(と呼んでいました)しか見かけません、子供の頃は、祖母に連れられ大和川まで行き、蓮の葉にお供えの歌詞を載せ橋の上から流しました。
返信削除!ひげ親父さんの流したお供えが大浜に打ち寄せられていたのですね。
返信削除もしかしたら、こういう諸々の『ゴミのようなもの』が大阪湾を豊かにして魚介類を育んでいたのでしょうか?
ところで「うちわ」はお好きでしたか?
爪楊枝にさしたあれですね、上顎にくっ付く感触を想い出しました。
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