場違いな後姿はTVアナ |
「ちまき」というと京都八坂神社の祇園祭が有名であるが、祇園祭の「ちまき」の由来は、牛頭天王が蘇民将来の子孫に伝えた「茅の輪」の変形と言われている。
「ちまき」の聖性は汨羅(べきら)に投じた屈原(くつげん)の故事にもある。
だが、弘仁寺の「ちまき」は家内安全、開運招福という“ありきたり”の効能が述べられているだけで由来は示されていない。この何とも言えない“ええかげん”さも南都であろう。古からの習わしに文句があるかと言わんばかりである。
さらに、今朝方茹がきあがったばかり(乾燥などしていなかった??・・)という手作り感いっぱいの素朴さで・・・、祇園祭の各山鉾に見られるような洗練されたものでないのが、これも反対に初々しくてありがたい。
できたものから順番にみかん箱のような箱に入れて仏前に運び込み、祈祷(読経)を経て授与(販売)されていくさまも、まるで家内工業のようであった。もうちょっとカッコつけたらどう!と助言したくなった。
玄関に吊るした黄金ちまき |
念のため、この行事がどれ程有名なものであるかと言うと、上の写真のとおり、女性アナウンサー付きのNHKTVの取材クルーが歩き回っていることでも察しがつくが、この有名な『黄金ちまき会式』は、・・・、この写真のとおり参拝者がガラガラで、みんなのんびりと読経に参列したり、休憩所で「笹だんご」を食べたりしているのが、京都によくある人いっぱいのマス諸行事と比較して可笑しいぐらいである。
それでも午前中に実食できる「笹だんご」が売り切れてしまい、「今年は人が多いから・・」とお寺の法被を着たおじさんが呟いているのもまた可笑しかったし。
余談ながら、TVのインタビューが廻ってきたので妻が逃げ出したが、これも「鶴瓶の家族に乾杯」で逃げ回っているおばさんと重なって笑ってしまった。
私のインタビューが放送されたかどうかは知らないが、絵的にはここは「おばさん」でないと雰囲気が合わないだろうし、それよりも、この行事のあまりの規模の小ささに放映されなかったのではなかろうか。
このように、そっけないと言うか、親近感溢れると言うか微妙な行事であったが、妻は参道脇の山道で蕨をいっぱい摘んで満足していた。
私は総じて商売下手な南都の行事が好きである。
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