2011年12月22日木曜日

二つの餅つき大会

   日曜日とその前の日曜日に、老人福祉施設と町内会の二つの「お餅つき大会」に参加した。

 老人施設のお餅つきは、圧倒的には『見学』のようなものだが、実母が「お餅つきは見ているだけでも目出度いもんや」という言葉どおり、皆んな楽しそうに丸めたり応援の声を上げたりで盛り上がった。
 日頃ほとんど無表情の方が杵の動きに合わせて腕を動かしておられるのには驚いた。・・・古い古い思い出が引っ張り出されてきたのだろうか。それとも自分が搗いていると信じておられるのだろうか。
 やはり、餅つきは日本の正しい師走のしきたりであると、あらためて納得した。
 
 町内会の行事は主催者の一員だった。
 先ず、薪コンロを2台設置し、「蒸し係」に新聞紙と杉の端材と薪と斧を渡して臼の設置に向ったのだが、担当が「火が点かない」と言う。
 「着火材など邪道である」と私一人が「叱責」したが・・・・圧倒的多数の「大人」たちの多数意見に基づいて安直に着火材を使用して火を点けていた。ああ。

 子供たちは100名近く参加した。
 私の当初の予想では、斧を触りたい、コンロに薪を入れたい、いっぱい搗かせてほしい・・・と交通整理が大変だろうなあと思っていたが、ニュータウンの立派なお子達は・・・、斧を触る子はいない、火の側には近寄らない、誘っても搗こうとしない子が相当いて交通整理も必要ない、臼にこびりついたお餅の欠片(かけら)や餅米の欠片をあげても驚いて手を引っ込める、そしてお餅を貰って室内でビンゴゲームに興じている。
 ああ。「正しい日本の師走」は風前の灯である。

 世界中の大勢は、米や麦を粉にして→丸めて→蒸す文化であるが、日本から東南アジアにかけては蒸して→搗いて→丸めるのである。地球上では少数派である。つまり、これは実は世界遺産のようなものである。グローバリズムなどという言葉が好きな方々にはこの愛おしい感覚が解らないだろうなあ。

2 件のコメント:

  1. 朝の連ドラ「カーネーション」の子役の自然な演技にいつも驚かされている。河内では、こういうのを「達者やなー」と言います。私の住んでるマンションの子供たちも、みんな「お利口さん」ばかりで、昭和の悪ガキどもは見かけません。

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  2. 手の掛からない子供たちの前方には着火材の親が歩いていたのです。
     アメリカの都市は、城壁と警備員に守られた豊かな町とスラム街に分極化しているようですね。どちらもいびつですね。

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