2011年10月21日金曜日

猿頬貝を覚えてますか

 10月10日のブログの続きになるが、猿頬(サルボウ)貝について、親切な堺の同窓生から「たしかにサブロガイって言っていたよ」との証言をいただいた。

 小林利郷著「ちぬの海」(和泉史談会)でも、著者が昭和63年に当時81歳の泉大津漁協の寺島翁から「サブロウガイが・・・ぎょうさんいてた」と聴取っている。
 ただ、辞書的なものでは、国立国会図書館関西館で川名興編「日本貝類方言集」に「有明海ではサブローガイ」というのを見つけただけだった・・・。
 泉州弁の「サブロ貝」が辞書に出ていない理由をつらつら考えると、・・・・『「ざだら変換」という訛りは多くの場合、文字では「からだ」と書くのに「かだら」と発言する』(前のブログの同僚がそうだった)という性格のものなので、辞書をはじめ文字の世界では「サルボウ」だが発音では「サブロ」ということだったのではなかろうか。正確にはわからない。堺市立図書館からは回答がない

 さて、こんな貝の話なんか現在の臨海大工業地帯の堺市ではあまりにリアリティーに欠ける話かもしれないが、私たちが小学生の時、漁師の網元の子の船の陸揚げを手伝っていたときには、トロ箱いっぱいのサブロガイを褒美に貰って、家中いや町内中大騒ぎをして分けあったこともあったのだ。
 そして同窓生によると、昭和2~30年代の堺の浜側では「家の前でムシロを敷いてサブロガイの身をむく内職があった」し「サブロガイは豆腐や大根と炊いたら美味しかった」という補足的な記録もいただいた。

 ちなみに平成の現在、赤貝の缶詰、庶民的な鮨屋の「赤貝のにぎり」は通常「猿頬貝」であり、彼奴はネームバリューはないが奥ゆかしい実力派である。
 はたまた、赤貝を詐称する大ペテン師か・・・・。


  21日12時補記
 堺市立図書館から丁寧な回答があったが結論的には「堺における猿頬貝の呼称について」の文献や資料はないようだった。
 わずか50年ほど前の事実が確かめられない。
 過去(歴史)というものは、このように淡く消え去るモノなのだろうか。少し感慨深い。

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