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泉南は、中世から紀州・根来寺の荘園等もありその影響なのか、それとも泉南訛りが紀州に伝播して進化したのか判らないが、泉南(岸和田)弁は和歌山弁とよく似た訛りである。
が、訛り(?)などと言うと低級なもののように思われるが、所詮は標準語なる人造語に対する「非標準」であり、東京に住んでいたとき、歴としたインテリである東京人の先輩は潮干狩りのことを「ひおしがり」と言って、私が指摘しても「しおひがり」とは発音できなかった。
このしとひの変換は全国に見られるが、大阪の七をひち、質屋をひちやと言って、看板にも大きく「ヒチ」と書いてある(あった)のに止めを刺す。
上方唄〔松づくし〕に「七本目には姫小松」とあり、これは「ひち」と読まなければ成り立たないし、もちろん七味唐辛子はひちみである。
よって、京阪電車に乗るたびに七条駅のふりがなが「しちじょう」であり、社内アナウンスも「しちじょう」であることに、「この関西弁の裏切り者め」と強烈な抵抗を覚えるのである。
南海電車は、関空開港までは「でんしゃりょう だせきしていの とっきゅうさだんで ごだいます」(全車両座席指定の特急サザンでございます)とアナウンスされていたと愉快に語り継がれている。(ほんまはそれほどでもなかったが)
そこで、私の育った堺旧市街は、そもそも大和川が1704年に付け替えられるまでは住吉と地続きの、それこそ摂津、和泉、河内の「堺」であったので、大阪弁と泉州弁の微妙な位置にあり、正直なところ「泉南(岸和田)弁や和歌山弁といっしょにせんといて」といった気分が支配的であるが、思い出してみると、堺や出島の港にたくさん上がっていた猿頬貝(さるぼうがい)(小ぶりの赤貝のような貝)のことを、サボロとかサブロガイと言っていたような記憶が(昔のことゆえ自信はないが)よみがえってきた。
固有名詞のことではあるが、記憶が正しければ、これは「かだら」と同じ文化圏の影響かもしれない。
昨日(10月29日)、吉野の桜の保勝会理事長である名士の講義を受けたが、なんとなく「ざだら変換」のような感じを受けた。
返信削除柳田國男の蝸牛考は、相当程度的を射ている感じがしてきた。