2011年1月31日月曜日

ようやく お目にかかった ビンズイ

 母の施設のカンファレンスがあった際、写真や本を持ち込むことでよい意味での刺激になっているのでは・・と言ったところ、施設側も大いに喜んでくれたので、学童保育の父母会を思い出しながら、折々に主に施設の庭で撮った鳥の写真をコメントをつけて持参している。
 何よりもここの施設は労働条件が比較的よいのだろう、職員の立ち居振る舞いに、忙しい中にも心のゆとりが見えて好ましい。
 持参した写真に職員のほうが先に喜んでくれ、廊下に張り出したりファイリングをして入所者に見せてくれている。
 妻は「お父さんは趣味を施設に持ち込んで喜んでいる」と笑っている。
 明日は近くの公園で撮ったビンズイを持参しようかと思っているが、少しマニアックな種類なのでコメントが難しい。

 セキレイ科タヒバリ類ビンズイ。夏は高地に避暑に行っていたが寒波とともに平地に降りてきた。今年はなかなか見かけなかったので“もう来ないのでは”と心配していた。写真よりも実際にはオリーブ色が綺麗です。

 

2011年1月30日日曜日

伎芸天さん お願いします

 久しぶりに半ば地元である秋篠寺を訪れました。
 昨今の平城遷都ブームから取り残された同寺は、閑静な冬空の下、ビロードの絨毯を敷き詰めたような苔庭がキラキラと輝いていました。
 国宝の本堂といい、あまりに有名な伎芸天の佇まいといい、過不足のない落ち着きが好ましい御寺です。
 顔の傾け具合、伏目の様子、腰のウエーブ等々を評して東洋のヴィーナスなどと多くの文人墨客の筆にのぼった伎芸天ですが、もっと素直に感動すればよいように思います。

 近頃有名になった近くのレストランで、娘とそのフィアンセから人生の決意を表明され、親としてはやれやれと安堵した記念日になりました。
 窓の外に粉雪が舞い、暖炉の炎が部屋を彩るというこんなシチュエーションの幸せを、親や祖父母の時代に思いを致せとは言わないまでも、閉塞状態の現代社会にあって、そこそこ感謝しつつ頑張って欲しいと・・どっぷりとそう思う、そんな親馬鹿になりました。
 しかし、聞けばフィアンセは相当な過重労働。子供らを不幸にさせないために、もの言わぬ高齢者などと隠居してはおられないと、じんわりと力が湧く思いです。
 

2011年1月28日金曜日

実を採る子だけが生き残る

 タイトルは「虫捕る子だけが生き残る(小学館101新書)」の盗作で、サブタイトルは「大正生まれの母が子供だった頃パート3」です。
 この間から義母に昔語りをしてもらってきたが、今回は、前回のオヤツの続きになった。
 裏山のあるような農家の娘の秋のオヤツは木の実尽くしのようで、天然のヤマモモ、グミ、ツルイチゴ、ヤマブドウ、アケビなどが豊富で、オヤツを買った覚えはないらしい。
カガミソ?

 そして、カガミソ、カキハジキ(カチハジキ?)、コシキ等がいっぱいだったというのだが、これらが一体どういうものかが解らない。
 いろんな本を出してきて尋ねたところ、カガミソが実はガマズミのことらしいことまでは解ったが、黒い実のカキハジキ(カチハジキ?)と、赤い実のコシキというのがどういうものかは結局解らずじまいとなった。
 奈良弁は、和歌山弁、泉南弁に似ているので、奈良~和歌山、泉南あたりでご存知のお方は御教示願います。
 それにしても、・・・・このように時代、時代は遠くなっていくものかということを、しみじみと思い知らされた。

2011年1月26日水曜日

エナガは柄長

 多くの場合野鳥の名前がカタカナだけで表記されているのには常々不満を抱いておりますが、エナガは柄(え)の長い柄杓(ひしゃく)のようなので柄長です。
 確かに柄(尾)が相当長くて一目でその名に納得です。
 ・・・・なんと覚えやすい。
 日本では2番目に小さな野鳥といわれています。
 柄(尾)以外は丸くて小さく、野鳥の中でもとりわけ可愛い者の一つです。
 実はそんなに珍しい鳥ではなく、シジュウカラ、ヤマガラ、コゲラ、メジロ、(偶にゴジュウカラ)などと一緒に集団で庭にやってきて、ひと時大騒ぎをして去っていきます。
 この集団は「カラの混群」といわれます。
 写真は、いつもと同様ピントは甘いですが、シャッターチャンスだけは気に入っています。

 普通の写真を追加します。

 

2011年1月25日火曜日

クイナ走り冬は来ぬ


 片思いのペンフレンドにやっと逢えたような気持ちです。
 活字ではズーっと昔からお付き合いをしていたし、♪夏は来ぬの歌でもお馴染みだったし、地名・駅名でも度々通過していたし、映画などでは夏の夜の背景に鳴声が聞こえていたし、でも、どういう訳か対面できていなかった彼女にやっと逢えたのです。 が、・・・今は真冬・・・ちょっとおかしい。
 と、調べてみたところ、多くの場合、水鶏(クイナ)とされているのは夏鳥のヒクイナのことで、そして、対面した彼女こそ冬鳥の水鶏(クイナ)に間違いなし。
 家から遠くない水上池の土手のツツジの植込みの下を走る、見たことのない鳥を見つけたときには我が目を疑ったくらいです。
 その後は、息を殺して枯草と同化して待つこと20分。少し幼い水鶏(クイナ)と無事ご対め~ん! 
 パチパチパチと拍手をお願いします。

2011年1月24日月曜日

なぜオンドルをやめてしまったの?

 比較的近所の上狛北遺跡現地説明会に行ってきました。
 恭仁京右京内の奈良時代の遺構・遺物が中心でしたが、私は古墳時代の住居跡の方に興味が湧きました。なぜならオンドルの跡があったからです。
 かねがね、古代国家の文化的先端集団であった渡来人がどうして素晴らしく合理的なオンドルをもってこなかったのか疑問であったからです。
 やっぱり、古くはオンドルがあったのです。・・とすると、さらに疑問ですが、このように合理的な文化(技術)を、いつの頃、なぜ、私たちの祖先は放棄したのでしょう。下って中世の日本は寒かったといわれているのに。それよりも兼好さんのように日本の夏の蒸し暑さのほうが堪らなかったのでしょうか。ご存知のお方に教えていただきたいと思っています。
 それにしても、京阪奈は遺跡だらけですね。
 今回の遺跡のすぐ北には、大量の三角縁神獣鏡で有名な椿井大塚山古墳があります。
 なお、見学中、私の隣におられたのは、近つ飛鳥博物館館長の白石先生でした。
 

2011年1月23日日曜日

若草山山焼きを再認識

奈良奉行

山法師

この中に種火

松明点火

いよいよ


山焼き

 30有余年遠景から眺めてきた山焼き。これまで何となく馬鹿にして若草山まで行ったことがなかったが、天気もよかったので散歩気分で行ってみたところ、結構おごそかな神事というか仏事というか(そんなことは神仏混淆の南都ではどうでもよいこと)も行われ、いやはやお見それしました。
 (春日大社、東大寺、興福寺、金峯山寺の神官や僧や山法師が祝詞や経を読み、楽人が奏し、山伏が法螺貝を吹き、ラッパ手が開会を告げ・・・・・・)



2011年1月21日金曜日

酸茎は古都の味

 酒席で酔っ払い同士が冬の漬物自慢をしたとき、広島菜や野沢菜を押しのけて“すぐき”を一番と決定したことがあるが、その理由は一番大きな声でしつこく主張したという単純な“酔っ払いの法則”に沿ったまでのこと。
 しかしこの“すぐき”・・。塩を振っただけの酸茎菜を天秤重石で嫌気状態にし40度という高温で乳酸菌発酵させるという他に類例のない文化財的漬物らしい。わが国唯一の自然漬物と書かれた本もある。
 近所に“洛北の寒さから逃れて転居してきた”方がおられ、洛北に帰られたときには必ず上賀茂神社参道で“すぐき”を購入され、「お好きだから」と毎回お裾分けしていただいているので、ますます好きになっている。
 この“すぐき”は、300余年前の文献にも登場している由緒正しい漬物でもあり、発祥の地である上賀茂神社も京都最古の神社の一つで勅祭・葵祭でも有名であるが、さらにその本家が奈良県葛城山麓の高鴨神社(上鴨社といわれる。中鴨社・下鴨社も近辺にある)であることを知る人は少ない。
 葛城山麓は明日香のように騒がれもせずひっそりしているが、“土蜘蛛塚”をはじめ古い神社や遺跡も多く、この地を歩くと“天孫・天皇族に滅ぼされた葛城王朝を支えた鴨族”という説に親近感を覚えてくる。(恭仁京、平安京で復活?)
 寒い冬の日、“すぐき”を食べながら古代の物語を思うのも楽しい。

2011年1月20日木曜日

本日のトリドリ

 正月飾り関係の“とんど”を庭のチムニーで私的に挙行し、注連縄の蜜柑は燃えないので木の枝にぶら下げておいたところ、早速一羽のヒヨドリが所有を宣言し、気の向いたときには突つき、満腹のときには近くの枝で見張りをし、メジロやシジュウカラなどが飛んでくると恫喝して追っ払う。

 このヒヨドリ、猫の額畑のレタスを丸坊主にし、サラダ水菜も相当かじって、なかなかの食通と見えたが、ルッコラだけは苦手らしくグルメとまでは言いがたい。
 この可愛くもあるが憎たらしく、なんとも中途半端なヒヨドリは写真を撮る気にもならない。

 代わりに、今日近所で撮ったのは、
 ツグミは、立ち姿に品がある。
 メジロは、どんな姿にも愛嬌がある。
 シロハラは、去年まではいなかった。落葉の山を力強く掘って虫を探しているようだ。有珍客自遠方来といったところで楽しんでいる。
 ヤマガラとシジュウカラは、高校生がツレだって遊んでいる感じ。
 カワラヒワは、くちばしが逞しい。

ツグミ

メジロ

シロハラ

シロハラ
ヤマガラ

シジュウカラ


カワラヒワ


 今朝、母のところに、施設の庭で昨日撮ったツグミの写真を持参したら、そこにいた職員全員が「見たことない」と驚いたので驚いた。
 おいおい、私は毎日1~2分庭を横切っているだけだが、本当にほぼ毎日見ているぞ。
 我が妻が最近まで「蝙蝠なんか見たことない」と言っていたのと同じで、目に入っているものでも関心を向けないことには「見たことない」・・となるというのをつくづく実感した。
 (もしかしたら政治や経済の情報も同じことかも・・)
 入所の先輩諸氏は、「昔は焼き鳥にされていた」という私の書いたコメントに反応してくれ、「伏見稲荷で売ってた」とか「可哀相やった」と楽しいおしゃべりがひと時盛り上がった。
 このごろは保育園の父母会をやっていたときのような気になっている。


2011年1月17日月曜日

雀の小便タンゴを突つくキツツキ

 今日も、ギーッ キキキキキと、コゲラ(キツツキ)の訪問があった。
 近頃は木にへばり付いた“雀の小便タンゴ(イラガの繭)”を突ついて、その蛹をメーンディッシュにしている。
 イラガは本邦最強の毛虫のため、コゲラのランチを観察しながら「ええぞ!コゲラ」と窓の内側からエールを送っている次第。
 蛹が羽化した後の繭の形はナルホド“雀の小便タンゴ”。
 こういう先人の命名、連想の豊かさには脱帽。
 といっても、もう子供らの世代には“小便タンゴ”は全くの死語で、長々と解説しないとわからない。

 この話、何回もしている。 同じことを繰り返すのは年のいった証拠か・・・と反省しつつも、今日もコゲラのランチに感動したのでブログに書いてみた。










2011年1月16日日曜日

カナディアンメープルはカエデじゃなかった

 11月に(ブログ掲載の)素晴らしい紅葉だったカナディアンメープルは、裸になっても冬空に存在感を示している。

 しかも、枝先にクリスマスツリーのようにぶら下がっているカナディアンメープルの実の殻も、つらつら眺めると何とも言えない愛嬌がある。

 きっとこの殻からあの竹とんぼに似たカエデ独特の種が飛んでいったのだろうと晩秋から探してみたが・・・・・、残念ながら今日まで見つけられないでいた。

 そこで改めて調べてみたところ、カエデ科とばかりに信じていたのが間違いで、これはカエデ科とは別種のマンサク科であることを初めて知った。エエーッ!

 明日は、入所者はもちろん職員にまで「庭の木はカナダのカエデです。」と訳知り顔で説明してきたのを訂正しなければならない。

 しかし、入所者にこの説明が理解されるかどうか・・・。

 エイ、“カナダのカエデのままでも誰も困るわけでもない” “紅葉の素晴らしい木を楓(カエデ)というのだ”・・と思ってみたりしている。

2011年1月15日土曜日

女正月

 「今日は女正月でおめでとう」と言って、施設の母と元気そうな何人かにホンの少しだけワインを注いだら、いっぺんに愉快になって歌い出す人もいて、隠れた飲酒(と幇助)がバレそうになった。
 持参した、近くの水上池で撮ったクイナの仲間のバン、オオバンの写真にも反応してくれた人も多く、「水上池は磐之媛命陵の隣」と説明すると、反応のない周囲の若い職員に対して先輩諸氏が「仁徳天皇妃や」「ヤキモチ焼いて飛びだしてん」などと説明。一瞬どこが認知症?というシーンが生まれておかしかった。
 
 追伸  水上池に行ったところ、何年か前にはいなかったコブ白鳥がいて感動したが、他の雁、鴨、鵜などの水鳥が人間を警戒して遠くにいるにもかかわらず、コブ白鳥だけは悠々と岸に近づいてきて、まるで餌を欲しがっている様だったのでがっかりした。

バン














コブハクチョウ
オオバン

2011年1月13日木曜日

母のオヤツは全て自足だった

 今夜、大正生まれの義母に、小さい頃の思い出話パートⅡを聞かせてもらった。

 ・・・・・・田植えのときはハレの日なんで“しんこ”を作ったな。
 米粉ともち粉を蒸して手の平で団子にし、村で共有していた“ねじり型”に入れて仕上げの蒸しをして・・それを砂糖醤油で食べたのが何んとも言えず美味しかったな。(写真は「聞き書き奈良の食事」)

 その外のオヤツといえば、蜂の子、イナゴ、泥鰌、田螺、ザリガニ、沢蟹―――オヤツをお金で買った記憶はないな。(考えようによっては豊かなオヤツかも・・?)

 そういう中で、オヤツではないけど「今日はご馳走!」といえば決まって鶏やった。鶏しかなかった。しかし、絞めているのを見てからは、とうとう何十年間も一切食べられなかったな。それを食べられるようになったのは孫(ウチの子)がケンタッキーフライドチキンを食べるのに付き合ってからや。今では“かしわ”は美味しいと思っている。孫のおかげやな。
 
 食べ物ではないけど、寒い冬には牛糞の山に手を突っ込んで暖をとったもんや。藁しか食べていない牛糞は汚いなどと思ったことがない。今から考えると全て自前で生活していたもんな。豊かではなかったかも知れんけど、と言って貧しいわけでもなかったかも(結構な田を持っていた農家の娘の遠い思い出)。・・・・・・
 
 今日の話はここまで。
 草食系の男女子諸君。この祖父母世代の逞しさを噛締めるべし。チャンチャン。

2011年1月10日月曜日

“えべっさん”に感謝感謝

 施設の生活は単調なので出来るだけ刺激を持ち込むように心がけており、今日は妻が妻の母のところに福笹を見せに行ったが周囲の多くが興味を示さず、「ハハハすべった」と言って帰ってきた。

 実母の方は今日は比較的体調がよく、大声で「商売繁盛で笹もってこい、商売繁盛で笹もってこい」と笹を振ったので、一緒に歌いだしたり手を叩いたりする人もいて部屋中が盛り上がった。この一瞬の笑い声だけでも“えべっさんのご利益ご利益”と何かじ~んと感謝した。

 「福笹を飾っておきたい」と言ったが「(施設の)イエス様に悪いやろ」と答えたら「それもそうやな」と納得した。

 帰る時、いつも無表情の方もにっこりと挨拶を返してくれた。

2011年1月9日日曜日

宵戎は大混雑

 4日のブログを書いた責任上、今宮戎(今日は宵戎)に詣でて来たが、不況に比例した大混雑。
 もちろん、その大混雑の中を、夫婦で、泳ぐように、笹をもらって、福娘に吉兆を付けてもらって、裏口をドンドン叩いて、しっかりとお願いしたのは言うまでもない。
 ミナミまで帰ってきたら丁度「宝恵駕」に遭遇したので、今回のブログは南地花街の綺麗どころでお楽しみを。
 それでは、お手を拝借、打ちましょ チョン チョン もひとつせ チョン チョン 祝うて三度 チョ チョン チョン。

















2011年1月6日木曜日

魔女の忍び泣く声は恐ろしい

 通勤の頃は朝の5時40分に家を出て駅まで20分程歩いていた。
 真冬の頃は真っ暗で空気はキンキンに冷えていた。
 そんな時、突如背中の後の方からヒュヒュヒュ~~ン ヒュヒュヒュ~~ンという不思議な音が聞こえてきたことが何回もあった。
 まだ鳥が飛ぶ時間でもなし、キンキンに冷え切った電線か、歩道橋の微かな振動か、そのたびに周囲を探索するも原因不明で、魔女の忍び泣きに似た怪奇現象は冷え切った真っ暗な空気以上に背中を凍らせた。
 こんな不思議な現象だから、必ず理科の本や文学の中に出ているはずだと2年間ほど探してみたが見当たらず、これは魔女の忍び泣きに違いないと確信し始めた頃、一瞬、真っ暗の空に真っ黒な水鳥らしいものがヒュンヒュンヒュンと超低空飛行をしているのを発見(幻覚?)した。夜間に餌場に行っていた帰り?と思われる。(それとも出勤??)
 誰ですか! 「鳥は鳥目だ」と言ったのは! ・・・・・ 真っ暗の中を確かに飛んでいましたぞ・・
 どなたか、こんな魔女の忍び泣きを聞いたお方はおられませんか。

 そんな風に魔女に間違われ、新型インフルエンザの運び人のレッテルを張られ、水鳥は悲しからずといったところですが、近くの永谷池のオシドリやカワセミは文句なしに「愛しからずや」といってよいでしょう。・・今日、電動アシスト自転車で行って撮ってきました。(左オシドリ 右カワセミ)



2011年1月4日火曜日

えべっさんはフレンドリー

 西宮戎(兵庫県)と今宮戎(大阪府)は親子というか兄弟というか非常に親しい間柄で・・・、同じ攝津の国の中で10数キロしか離れておらず、何れも正月の十日戎の賑わいは有名。
 ところが今宮戎(の十日戎)で育った浪速っ子は、西宮戎(の十日戎)に行くと「ええー。これが“戎宮総本社”のえべっさん?」と二つのことで驚きます。

 その一つは、十日戎と言えば「商売繁盛で笹持って来い。今年の恵方はここだっせ。」と、ケタタマシイほどに境内がウルサイ筈のものが、西宮戎ではただ普通の寺社のように吉兆(福笹)を売っているだけであることに拍子抜け。
 今宮戎では、膨大な量の笹が参拝者に配られ、文字どおりその笹を持って福娘や巫女のところで吉兆を付けてもらう(もちろん有料)のがスタンダード。これでこそ「商売繁盛で笹持って来い。」になるわけです。

 その二は、西宮戎には裏口がないので戸惑うこと戸惑うこと。
 今宮戎では「えべっさんは難聴」と固く信じられており、裏に回って裏口(今は大きな銅鑼のようなものがある)をドンドンドンと叩いて、「何処其処の〇〇でっせ。〇〇の願い事どうか頼みまっせ!」と大声で頼まないと全くご利益はないというのが常識。(正面の拝殿は遠すぎ、参拝客が多いのでえべっさんは各自の願い事を聞き取れない・・・故に、正面だけ詣ったのでは賽銭は無駄だ・・というわけ)
 まるで吉本新喜劇のようだが、浪速っ子はこの“えべっさんにハグをするような”スキンシップ溢れるお詣り方法が大好きなんです。これってケンミンショーになりません?

 さて、なんで十日戎のことを今日アップしたかと言うと、今日は奈良の南市の(5日戎の)宵戎であったため「奈良ではどうかな」と確かめに行った次第。答えは、奈良は概ね今宮戎派。
 ところが、境内で観察していたところ、17時に“5日戎開会の神事(宵宮祭)”が突然厳かに始まり、春日の神官、講の役員、そして膨れ上がった参拝者がお社に向かって粛々と・・・
 私はというと、突然の開会にタイミングを逸し、ただ一人境内のお社側に取り残され、神事の会場を突っ切って出て行くわけにも行かず、で、皆さんと対面したまま・・・大勢の「あのおっさんは誰やろう」という猜疑の眼を一身に浴びたまま・・・(背中にドット冷や汗・・・)
 こうなったら仕方がないので、まるで浅見光彦みたいなルポライターが取材しているかのような風をして・・・当然のような顔で大祓詞(おほはらへことば)を神官と一緒に“恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まお)した・・
 ああ、今年もこんなドジでトンチンカンな一年になるに違いない・・と、今日100%確信した。

旧遊里の奥にある

結構な賑わい

笹は本物だが買い求める




裏戸を叩く

突然始まった神事

裏戸でもう一度念を押す

2011年1月3日月曜日

珍客第1号はシロハラ

 滅多に暗い林からは出てこない大型ツグミ類のシロハラが我が家を訪問してくれた。
 今年の珍客第1号だ。
 これといった特徴はないが、「見たことのない鳥が来た!」と夫婦で大騒ぎ。
 京阪奈の中の狭い狭い範囲の自然を楽しんでいる我がブログにとって幸先のよい年始になった。

 ところが、折角だからと昨年遭遇したアカハラの写真を探しているうちに写真のCDを相当数壊してしまった。
 今年もパソコンには泣かされそうだ。
 そりゃ、意味も解らずいらいまくったらよくないことは解っているのだが、大阪人のイラチの習性は今更なおらない。
 今年もパソコンに向かって「まともな日本語で答えんか””」と一人で大声をあげながら暮らしていくに違いありません。誰かパソコンの師匠になってください。
 幸先がよかったのか悪かったのか。この珍客はどのような「年」を背負って飛んできたのでしょう。

2011年1月2日日曜日

お正月の想い出は無いと言う母

 お正月ということで義母の外泊許可を許していただいた。
 よい機会なので小さい頃の農家の想い出をいろいろ尋ねてみた。
 藁を編んで縄にし、綿の花で糸を紡ぎ、莚(むしろ)を作ったり、草履を作ったりしたことや、・・
 おやつの中で一番美味しかったのは自家製の端午の節句の粽(ちまき)で、それを醤油で食べたことなど、まるで宮本常一になって聞き入った。
 そして、田植え、草取り、薪取り、大豆・小豆の土寄せ、稲刈り、松茸山の番、茸取りと、大正生まれの農家の娘には手伝い以外の記憶がないようだった。
 そこで「縄の編み方を教えて」と言ったところ、「もう忘れた」と言いながらも手の方は無意識のうちに動き出し、これが要介護4???というような力のこもった俊敏な手さばきで・・・、それはもう紛れもない大正生まれの農家の娘の手であった。