そこで「孫の凜ちゃんにはどこにお祖父ちゃんの面影があるかな?」と言ってみると妻や娘が「足の指の器用なところに面影がある」と返答があった。
いま夏真っ盛りだが、私の夏休みは海へ登校していたようなものだった。
堺の街はその昔、南海本線や国道旧26号線のすぐ西は海で、いくつかの海水浴場があった。
今から考えると毎日毎日海で何をしていたのだろうかと思うが、波打ち際では砂でお城を作り波と攻防戦をやっていた。海の中では適当に泳いだりしたが、主には貝を捕っていた。お目当ては「もち貝(鏡貝)」で、捕ったもち貝は帰ってから、家のコンロで醤油を垂らして美味しかった。
きちきちいっぱい背が届く沖まで行って20~30センチ足で底を掘る。だから外から見ると溺れているみたいにあっぷあっぷしている。そしてその穴を横へ横へ拡大していく。全神経を足の指に集中させてそれをする。
生きているもち貝は縦に立っている。寝ているのは死んでいる。立っているもち貝を潜って捕るのは素人で、我われは立っている貝を足の指先で感じたならば逃げないうちに、それを足の親指と人差し指の間に挟んでとりあげる。
きちきちいっぱいの深さで半ば立ち泳ぎでこれを仕上げるのはちょっとした技術であった。
そして祖父ちゃんは、そんな昔話をわが子たちだけでなく、孫の夏ちゃんや凜ちゃんにもした。
日常の動作にもいろいろ支障のある凜ちゃんだが、足の指で何かを挟んだりするのは難なくできる。いや上手い。それが祖父ちゃんの面影だと妻や娘は笑うのだった。
(写真はネットにあったもの)

足の指の器用なところと海水浴で一言。遥か昔に海水浴があった。出島漁港の堤防より南方に遠望すると、砂浜の景色の向こうには 湊・浜寺・羽衣・助松・脇の浜・二色の浜…と点在していた。一番近くの湊の海水浴には木造の飛び込み台(海面より5mの高さ)が設置されていた。必死で泳いでいってはしごを登っててっぺんに。汐風が坊主頭やカラスふんどしをすりぬけていった。飛び込もうと思っても怖い!両手を出して頭からエイヤッとかっこよく飛び込むのはお兄ちゃんだけ、意を決して足から飛び込むザッブ~ンと、海面は泡だらけとなる。この風景から足から飛び込む様を「ラムネ飛び」と言っていた。 足指の思い出は出島漁港の砂浜より海に入り足指をまさぐって貝堀りにチャレンジ、白い餅貝を探し当てるのである。浜に上がって火を起こし、貝焼きを食した。波頭の先を眺めると入道雲が淡路島の方向に湧き出ていた。
返信削除コメントありがとうございました。黒猫て言ってましたかね。
返信削除