再び休憩
山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2025年4月9日水曜日
花まつり
黒い目も青い目の人も甘茶かけ
仏生会なので東大寺の大仏殿に足を運んだ。甘茶がふるまわれ、花御堂のお釈迦様の誕生佛に甘茶をかけてきた。
当然ながら東大寺はインバウンドというか、要するに仏教徒ではないと思われる人々も多く賑わっていた。もちろん青い目の人も・・・。
世界中では同じルーツを持つ宗教の信徒どおしが戦争、つまりは人殺しをしあっている(自衛戦争の側もあることにはあるが)。
とはいうものの、侵略した国と自衛のために立ち上がった国を丸めて「戦争は止めよ」というのも正義に反しないか。私にも迷いはある。
奈良公園で、いかにもスラブ民族(ロシア人?)に近いような人々も楽しそうに鹿と戯れていた。その友人は「アーニャ」と呼んでいた。
世界中の人々が奈良公園に来ればよいのに。
それにしても、キリストの誕生日といわれるクリスマスにはあれほど大騒ぎをする日本人が、釈迦の誕生日といわれる花まつりには冷淡?なのは何でしょう。結局、声の大きな情報に流されるというのがこの国民の悲劇的な特徴だろうか。
2025年4月8日火曜日
短歌は変化中
2019年、一年の計に「短歌に挑戦」と心に決めてその6月、ビギナーズラックで「しんぶん赤旗」鈴木英子選に採ってもらったのが『こんな日に限ってどんより曇り空 腫瘍マーカーDの通知書」だったが、これは只々「D=癌の宣告」に「どんより」「ディの」のというDの韻律が、結果として韻を踏んでしかもその韻がテーマの重さと重なっていたことによるものだった。(ただし最終的には癌ではなかったが・・)すべては結果論。
つまり短歌についての私の理解(知識)は「五七五の短詩」以外のナニモノでもなく、また勉強もしないまま今日に至っていた中、先日、書店の書架に写真のような本を見つけたので、一度読んでみても悪くはなかろうと手を伸ばした。
編者の上野誠先生が奈良大学におられたとき公開授業に何度か出席させていただいたという近しい感情と、読者に媚びたようなハウツーものではなく本格的に短歌を論じている点や、考察がネット短歌にまで及んでいることに興味が湧いたからである。
実際、今の私は、師を見つけ、師事し、結社に入り、歌会に参加しようとは思っていない。歳は大ジジイだが若者のネット短歌の軽さがいいと感じている。そんな私だが、この本には引き込まれた。
もっと若い頃にこういう世界に近づいていたならばとは年寄りの愚痴でしかないが、結果、もっともっと知りたいことが山のように出てきたので、これでは退屈している暇もない。
以下に目次だけ記しておく。
・短歌の過去、現在、未来 ・歌を作る ・歌を歌う ・歌集を作る ・歌を批評する ・ネット空間の中の短歌 ・短歌の笑い ・教科書のなかの短歌 ・祭礼のなかの短歌 ・新聞、雑誌のなかの短歌 ・結社のなかの短歌 ・歌会の進め方 ・地域と短歌を結ぶ ・小説のなかの短歌 ・戦争と短歌 ・光源氏の女歌 ・近世社会のなかの短歌 ・能と短歌 ・中世社会のなかの短歌 ・仏教と短歌 ・古代社会のなかの短歌 ・対談、さまざまな短歌
2025年4月7日月曜日
めぐり逢い
直木孝次郎著『万葉集と古代史』という本を持っているが、いつ購入したのかは全く記憶にない。記憶の断片を拾い集めると上野誠先生の万葉集に関わる講義(奈良大学公開授業)を聞いていた頃だろうが、それは随分昔になる。当時とりあえず読んでは見たが私の興味とマッチせず、記憶に残らなかったのだろう。
その後ヒョンナめぐりあわせから古墳に興味が湧き、小笠原好彦先生の古代史の講座を学ぶようになったが、こちらも古墳時代が過ぎて藤原京、平城京と時代が移ってくると徐々に興味が低下していき、いろんな人名が輻輳して平板な理解で推移してきた。
そんな中、モノは試しと書架から引っ張り出して再び読み始めると、嘘のように大枠ながら理解が進み、というか、読んでいて面白くなってきた。嘘のような話だ。
日本書紀・続日本紀では淡々と描かれている政争が、渦中の人物の歌によって生き生きと、そして本音が垣間見えることでホンモノの歴史に出会えたような気になってきて興奮した。
常々妻は私に「読み終えた本は捨てなさい」と迫るのだが、本はこのように生き返ったりするのだから捨てられない。
乱視と左右の視力の大きな差によって読書が苦痛になりつつあるが、本がある限り老いても退屈を感じることがない。
なお今回の本が面白かったのは著者直木孝次郎先生の学識によるところが大きい。2019年2月に亡くなられたが、晩年は施設に入居されながら『朝日歌壇』に登場されていた。それを読んで知っていたというだけだが少しだけ身近な大先生だった。
2025年4月6日日曜日
われみても・・
そんな卯月を迎え暖かくなってきたことから春→田植え→住吉踊りを連想して生田花朝女の住吉踊りの掛け軸を引っ張り出してきた。
こういう作業をするとあっという間に一年が過ぎたこと、そしてなんやかんやと言いながらも一年を過ごせてきたことが実感できる。
一方悲しいのは己が記憶力で、1年経つと「えっとこの字は何と読むんやったかな」と毎年一度は悩み、確か伊勢物語(在原業平)住吉行幸、そして能・謡曲の高砂やったかいな?という思考を繰り返す。
その高砂。・・高砂の浦で神の憑代たる松の木の下で住吉の神と出会った一行は、高砂の浦から帆をあげて住吉に向ったところ、先に到着していた住吉の神が出現し、「われ見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松幾代経ぬらん」と昔、帝が詠まれた歌などを語ったのだった。
我々の結婚式で妻の父が朗々と高砂を謡ってくれたが、当時はその意味など知ろうともしない若輩だった。
そんなことを思いながらいま春を感じている。
わが家から遠くはない業平寺(不退寺)は業平椿やレンギョウが満開のことだろう。
この文章(歌)、孫の夏ちゃんファミリーに頼んで夏ちゃんの習字の先生に教えてもらったのが発端。
2025年4月5日土曜日
一生過ぎ易し
「朝は厚顔ありて夕には白骨となれる身なり」などというこの「御文」は浄土真宗各派の葬儀で読み上げられることがあるが、あまりにリアルに本質を語っているので、気の弱い私などは頭で理解しても「共感したくない」気分でいた。(それでも地球は回っている)
こういうところから、「親鸞の教えは道教である」とは福永光司氏の指摘だが、御文のリアリズムは中国大陸の思想・感性かもしれない。
さて、一度低下した体力を回復させるのは並大抵のことではないが、体調不良で倒れることは瞬時のことである。「夕には白骨」もそのとおり。そういう意味でこの御文を思い出した。
ということで・・・、せいぜい養生することにする。
親鸞から第8代の蓮如さんのことだが、その頃本願寺は99%消滅しかかっていたところ、蓮如は御文、つまり手紙、回覧板、SNSにあたる大広報作戦で蘇生させた中興の祖である。
私は「カール・マルクスはジャーナリストであった」と語っているのだが、その伝でいえば時代は異なるが「蓮如もまたジャーナリスト?」であったかも。
職場の大先輩で真宗のお坊さんであった方は「宗門の中では蓮如さんはあまり人気がない」とおっしゃっていたことがあるがどうしてだろう。深くは知らない。その方の個人の感想であったかもしれない。近江から北陸にかけては蓮如忌が大きな行事だという話もある。