山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2023年6月30日金曜日
厚切りラムもも
2023年6月29日木曜日
ほととぎす
2023年6月28日水曜日
睡魔下る
2023年6月27日火曜日
鳥の巣
2023年6月26日月曜日
パイプラインの提案
2023年6月25日日曜日
計算機
2023年6月24日土曜日
米連邦取引委員会、アマゾンを提訴
2023年6月23日金曜日
シモツケ
2023年6月22日木曜日
上岡龍太郎の先見性
2023年6月21日水曜日
夏至
2023年6月20日火曜日
迷惑メール
2023年6月19日月曜日
掉尾を飾る
2023年6月18日日曜日
鼻の穴潜り再開そして鹿
2023年6月17日土曜日
「ちぬの海」の由来
大阪湾の古称が何故「茅渟(ちぬ)の海」というかについては、6月9日の「羽衣の松つづき」のコメント欄に古事記の神武東征伝に「兄イツセが血まみれの傷口を大阪湾で洗ったから血沼(ちぬ)の海と言うようになった」という記事があることを書いた。
記録としては日本書紀の「実際の初代天皇といわれている崇神天皇」の条に、三輪山の大物主大神を祀るために、大神の子孫である」オオタタネコを茅渟縣(ちぬのあがた)陶邑(すえむら)に迎えに行ったことが書かれている。
記紀は物語の性格もあるので記述の内容を即史実とは見なせないが、記紀が書かれた、天武―元明―元正の時代に「茅渟の海」「茅渟の縣」と呼ばれていたことは史実であろう。8世紀の初めにはそう呼ばれていた。
古事記神武東征伝にはそのほかに、「珍彦(ちぬひこ)」という神が瀬戸内海を水先案内したとあり、その功により神武から大和国の「国造(くにのみやつこ)」に任ぜられたといい、その神の名をとって「ちぬの海」といわれたのだろうという説もある。
そのほか、万葉集、巻の11にも「珍海(ちぬのうみ」が出てくる。
さらに諸説を見て見ると、「茅」は「チガヤ」、「淳」は「濃い・豊か」でチガヤのよく茂った地というのもあるが、十分に文字(漢字・万葉仮名)が使いこなせていない時代に当てはめるのは無理があるように思う。
黒鯛(くろだい)のことを「ちぬ」というから、よく採れた黒鯛から「黒鯛(ちぬ)の海となったのだろう」という説もあるが、弥生時代の池上・曽根遺跡や四ツ池遺跡から出土した魚の骨では黒鯛は非常に少なく、この説もあまり採用し難い。
茅渟の縣陶邑(ちぬのあがたすえむら)(堺市東部・和泉市・大阪狭山市あたり)に戻ると、この地は最新の工業団地?で、その担い手は渡来人だったと考えられている。そこで私は、朝鮮語やもっともっと古層かもしれないタミル語(大野晋説)のチヌを検索してみたが容易にはヒットしなかった。
かくして私も「ちぬの海」の名前の由来には辿り着けていない。
参考になる事柄など教えていただければ幸いである。
2023年6月16日金曜日
蛙化現象とイジワル爺さん
2023年6月15日木曜日
少子化は上手くいかない
岸田内閣は13日に「こども未来戦略方針」を発表した。児童手当を拡充する、就労していなくても保育園に入れるようにする。育児休業給付金を引きあげ、育児時短給付金を創設するなど年に3、5兆円規模の政策を実現するが、財源は年末までに考えるというものである。
これを見て私は、「こども戦略」ではなく「選挙戦略」のように感じた。財源も決まってないのに「あれもやります」「これもやります」と宣伝する。特に公明党の支持者に対しては制度問題でなく判り易い金額がよいと言ったところだろうか。
この政策が全く意味がないとは言わないが、大きな2点、触れられていないのが大問題のように感じる。
その一つは、現状認識であえて触れられていない非正規雇用の問題だ。児童手当が少ないから子どもが少ないわけではなかろう。景気に左右されたり、いつ突然職を失うかわからない低賃金で不安定な派遣などの非正規雇用を制限し人生の未来に希望がもてる雇用を確保するという視点が欠けている。ここの是正失くして少子化対策は失敗し続けるだろう。
二つ目は財源だが、増税はしないが「支援金(仮称)」という保険料を徴収するらしい。税金であろうと保険料であろうと「公租公課」であることは同じだ。
軍事費を5年かけて1、6倍、43兆円規模にし、さらに2倍を目指すことを止めなければ、「児童手当は増やすが医療と介護は減らす」という悪魔の選択となるしかない。
解散総選挙が迫っているが、こんなインチキ戦略とその宣伝戦略を許してはならないと思う。
2023年6月14日水曜日
邪鬼を踏んづける
2023年6月13日火曜日
牧野博士を真似る
2023年6月12日月曜日
統一協会問題の闇
2023年6月11日日曜日
ミュージシャンになる
2023年6月10日土曜日
マイナ「見直し」への道
2023年6月9日金曜日
羽衣の松 つづき
2023年6月8日木曜日
羽衣(ハゴロモ)
2023年6月7日水曜日
改めないのが過ち
孔子先生の、『過則勿憚改』(過ちては改むるに憚ること勿れ)(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)というのも「人間は往々にして間違うものだ」というのを前提にしているようで的を射ている。
2023年6月6日火曜日
6月の庭木
2023年6月5日月曜日
卯の花くたし
2023年6月4日日曜日
上岡龍太郎さん
昨日のブログ記事のコメント欄に「誰か上岡龍太郎さんのことを書いてくれないかなあ」と書いたが、Facebookにいろいろな投稿があった、そのうちの印象に残ったものを記録しながら少し書いておく。
1 中村 正男さんの投稿 ·
上岡龍太郎さんの訃報に
上岡龍太郎さんの訃報に接し、1979年2月、黒田了一知事が革新府政3期目に挑戦した際、府立体育会館を超満員にして開いた「黒田知事をはげます府民のつどいで、小山乃里子さんとともに司会を買って出ていただいた姿を思い出しています▼このつどいで上岡さんがおっしゃった言葉。「わたしも、こういう仕事をしておりますので、本来ですと、これはぶっちゃけた話ですが、旗色というのはあまり鮮明にせん方が得なんです。いわば自分の思想はおしかくしまして、左の方もこんにちは、右の方もこんにちは、ほんとうはこういうとくほうが得なんです。そやけど、そうやってええことと悪いことちゅうのは、わきまえなくてはいけないと思うんです」▼上岡さんが載った「明るい革新府政」(明るい会機関紙)がいまも残ります。桂米朝、ミヤコ蝶々、笑福亭松鶴、市川房枝、青島幸男――。錚々たるメンバーとともに▼ユーモアも、気骨も、上方を代表する芸人でした。
・・・この現場、府立体育館に私もいた。そして上岡龍太郎さんの根性にいたく感動した。そのことを書きたかったが中村さんの投稿が的確なので紹介して私の感想に替える。
「政治家とか言う連中は何の為に存在するのか分ってない奴が多すぎる。政治家で強いモンの味方する奴なんか最低ですよ、強い奴はほっといても生きていけるんやから。そうじゃなく、弱いモンの味方せえよ。そやなかったらお前らの存在意義は何なんや?ちゅう話でね。」
反骨の芸人だった。それもそのはず、彼の父親は、"いごっそう弁護士為さん"と呼ばれて民衆に慕われた小林為太郎弁護士、我が自由法曹団京都支部の創立者のひとりだ。
ちなみに僕のオヤジは幼い頃の龍太郎少年の子守りをしたそうだ。僕自身はお二人ともお会いした事はないけど、不思議なご縁を感じる。
上岡龍太郎さんは、父親の小林為太郎弁護士のことをこんな風に語ってる。
「自由と平等と正義をこよなく愛し、悪と権力に徹底的に刃向かい続けた親父。競馬も競輪もパチンコも麻雀も、碁も将棋も知らなかった親父。ただひたすら酒を愛し続けた親父。豪快で繊細で大胆で気が小さくて、正義感が強くて、制服と権力が嫌いで、ロマンチストで、手先が器用で、本が好きでひょうきんで、気が短くて、恐がりで、金儲けが下手で照れ屋で、単細胞で直情径行、思慮深くって優柔不断。
そんな親父の独特の気風は、今もこの世に残っている。私の体の中にはっきりと残っている。そして、私の息子の心にもソロソロ芽吹いてきている。親父の肉体はこの世から消えても、親父はいまだに生き続けているのだ。ちょうど親父の故郷の土佐の足摺岬に打ち寄せる黒潮の流れのように。親父の声は今も滔々と胸に響き渡っている。」
きっと為さんは「アホ言うな」と照れてるやろね。弁護士の父と漫才師の息子、立場は違えど、ともに真っ直ぐで優しい親子だった。
上岡龍太郎さんの声をもう一度聞きたかった。ご冥福を心からお祈りする。