2023年6月30日金曜日

厚切りラムもも

   近頃見つけた優れもの。非常に気に入っていて何回か購入した。

 ラムは生肉、ラムチョップ、松尾ジンギスカン、そしてイオンのものなど色々食べてきたが、この伊藤ハムの「驚きの厚切りラムもも」は気に入っている。

 生の厚切りの「ラムのもも」をタレに漬け込んだものだが、私はタレを9割方捨ててフライパンで焼いて食べている。
 妻も「臭みがない」と賛同している。

 羊は、世界中では牛よりも豚よりも食べられている肉だし、栄養のバランスも一番とれていると思っている。

 近商ストアで見つけたもので、変にコマーシャルを打って品薄になると困るので秘密にしておきたかったが・・・

 伊藤ハムの「驚きの厚切り 北海道発ラムジンギスカン もも」、これは美味しい。


2023年6月29日木曜日

仏下

   娘から父の日プレゼントで 「くつした」ならぬ「ぶつした」を貰ったことは6月14日に『邪気を踏んづける』に書いた。

 29日、朝日新聞に仏下の記事が大きく載っていた。

 アイデアと製品にする行動力に感心した。

 残念なことは、この仏下、座敷にでも上がって一杯やるような機会でないと皆に見せて笑うことができない。

 ポケッチーフにでもしますか。

ほととぎす

   どういう訳か朝の3時半に眼が覚めてニュースの新しい原稿を書いていると窓の外からホトトギスの声が聞こえてきた。

 「ホトトギスが夜に鳴くのが好い」と確か枕草子にあったように思って本を繰ると、「五月雨の降る短夜に早く目を覚まして、そういうときに鳴きだした声が巧みで魅力的なのを聞くと、わけもわからず魂がさまよい出たような思いがしてとてもたまらない。夜鳴くものはどんなものでも素晴らしい」というような意味の文章でベタ誉めだった。

 夜明け少し前にはいろんな鳥が鳴き交わすものだが、それより早い「夜」の内のことだった。(写真はネットにあったもの)

 おかげで、秋の解散総選挙を思って書いた原稿もよく進んだ。

 なお「6月になると声を立てなくなることも、何もかも言いようもなく素晴らしい」とも清少納言は絶賛しているが、6月はもちろん旧暦だから、昨日のことも矛盾はない。
 


2023年6月28日水曜日

睡魔下る

   夜中に何度もトイレに立ったりするからいつも睡眠不足気味でいて、昼食後は短時間の午睡が日課になっている。正真正銘の高齢者である。おまけにお腹の調子が悪いときはなおさらである。

   6月25日、朝早くから京都・二条の立命館朱雀キャンパスに行った。文化財保存全国協議会の年次大会2日目だった。
 基調講演、4本の報告(講演)などなど充実した内容だったが、私が一番聴きたかったのは『長岡京から平安京へ~棄都の思想~』京都女子大瀧浪貞子名誉教授の記念講演だった。
 瀧浪氏の著作は論理的で教えられるところが多かったので期待して参加した。

 ところが、日程は昼食休憩後の午後第一発目であった。
 せっかくの講演ということで、レジュメへの書き込みからすると8割方聞いたところで睡魔が天から下ってきた。
 我ながら情けない。そして静かなホールにイビキが広がらなかったかと心配になった。

 学んだことは多いがその報告は後日の機会に・・・情けない高齢者の反省のお粗末・・・。

2023年6月27日火曜日

鳥の巣

   庭の主木であるハナノキの下に鳥の巣が落ちていた。
 庭のど真ん中、その下を毎日、自転車で出入りしているし、菜園の作業もしている。また普通に庭として、しょっちゅう人間(我々)が出入りしているすぐ横というか直ぐ上である。
 手入れしやすいようにてっぺんを伐っているからそれほど背も高くない木だ。こんなに人間と近いところに・・・・。

 わが庭を常に訪れている野鳥は、スズメ、ヒヨドリ、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、イソヒヨドリ、コゲラ、エナガ、キジバトといったところだが、大きさが内径約8センチ、深さ約4センチということ、そして場所が、巣箱や穴や隙間でなく樹上だということから、ヒヨドリの可能性が高いように思われる。しかし浅学のため正しくは判らない。以前にヒヨドリが巣を作ったときはもっと乱雑だったような気がするが。

 もしかすると、製作途中で落ちたのかもしれない。そうとも思える理由は、少し厚さが薄い気がすることと、雛がかえって親に餌を貰ったり巣立ちする前は相当うるさい筈だが、そういう記憶が全くないからだ。
 それとも、人間の気配を感じたときだけ静かにしていたのだろうか。

 何かの野鳥が無事子育てを終えたのならそれでよい。
 そうでなくても、あの小さな野鳥がクチバシひとつで作ったにしては見事な出来栄え。どこかに飾っておきたいくらいだ。

2023年6月26日月曜日

パイプラインの提案

   ヨーロッパやアメリカなどを見ていると原油やガスのパイプラインが桁違いの距離に敷設されている。あれに似たことは日本の技術をすれば朝飯前だろうと思う。

 いま私が思っていることはフクシマの汚染水のことである。
 自公政権は「基準以下に薄めるから全く問題ない」と言って海洋投棄をしようとしている。
 なので私は逆提案したい。そんなに安全ならパイプラインを敷設して最も電力を消費している東京都の水源あたりに放流すればよい。安全なのでしょう。
 (東京に流すのが正しい解決策だとは考えていないが、安全論者の言に嘘がないならそう言いなさいよと逆提案したい)

 政府などがそういう提案をしないのは何処かに嘘があるということだ。
 お金は軍事費のことを考えると「知れた金額」だ。自民党と公明党が支持者に訴えて寄付金を集めてもよい。

 しかしできっこないと思う。それよりも福島近辺の田舎のボスにナニガシかの金銭をバラマケばどうにかなるというある種の差別感があると思う。
 ただ、問題にこういうパイプラインのような視点(逆提案)を当ててみると、海洋投棄主張者が嘘つきかどうかがはっきりする。

 「身を切る改革」という維新にしても、ならば今年だけで33億円、所属する国会議員一人当たり6000万円の政党助成金という税金の無駄遣いをなぜ廃止しようとしないのか。
 こういう嘘をばらまいて、民意を反映すべき議員定数を削減するという嘘も「汚染水海洋投棄」に似た大嘘だ。

 そういう視点で考え直してみると見えないものが見えてくる。そういう見方ができることを常識力というのではないだろうか。

2023年6月25日日曜日

計算機

   不器用な上に横着な私に小学校の信頼する担任は「君らが大人になる頃には持ち運びできる計算機ができている」とおっしゃった。
 「そうか、それなら算盤は無用になるな」と合点した私がその後どうしたかは言うまでもない。

 ところが、私が働き始めた60年代後半(昭和40年代)にはまだ普及しておらず、仕事は基本的に算盤でするものだったから往生した。

 その頃(その後?)、職場に1~2台?あった写真のタイガー計算機はなかなか触れなかったが、その便利さに驚いた。機械式計算機で掛け算、割り算が容易にできた。写真の奥のダイヤルに数字を入れ、一番手前の桁送りレバーで桁をずらしながら、右ハンドルで右回転で掛け算、左回転で割り算だったような記憶がある。

 数年後、待望の電卓?が1台配備されたが、現在のホームプリンターよりも大きく重いものだった。それでも貴重なものだったから帰りにはロッカーに格納して施錠したものだった。

 今につながる電卓がいつ頃使えるようになったかは忘れたが、1970年代以降だと思う。それも一人1台はなく、共用の備品だった。
 それが今では百均で十分なものがあり、名刺サイズや他の機能と合体したものなど様々で、こんなブログ記事自体が『死語辞典』みたいだが、不器用で悪筆故新しいOA機器には相性が良かったと思う。

 算盤も上手で筆記も上手な人の一部で、変にOA機器などに馴染まず、ガラケーであることを今でも自慢する人がいるように思う。心理学的には明らかな法則だと思われる。


2023年6月24日土曜日

梅雨の晴れ間

   いよいよ暑くなってきた。
 となるとこれに限ると孫の凜ちゃんのプール開きを行った。

 そして夏の昼食というと素麺。
 具沢山の素麺の具も凜ちゃんは嫌いなものがなく、紫蘇(大葉)も好きだというから優等生だ。

 場所はわが家の2階のベランダなのだが、相当大掛かりな日除けの仕掛けも作ってある。
 祖父ちゃんは「プールに行く」と連絡をうけたら手際のよい設営係になる。

 本番になるとビールを飲みながら楽しく観ている。
 ガンバレ凜ちゃん。

米連邦取引委員会、アマゾンを提訴

   米連邦取引委員会が6月21日アマゾンを提訴した。
 わかり辛いウェブサイトで数百万人を「だまして」同意なくプライム会員に入会させたという理由。
 アマゾン側は「明快かつシンプルな説明だ」と反論しているが、私は米連邦取引委員会の提訴を支持する。

 恥ずかしながら私も一度はそれに引っかかったからである。

 もう何年も前で、丁寧に過去のブログを繰れば出てくるだろうが、ブログにも経緯を書いて、フェイスブックでも「注意するように」アップした。

 私の場合は、カード会社から身に覚えのない引き落し予定の通知があったのであれこれ手繰っていくとアマゾンプライム会員の年会費であることがわかった。

 その原因は買い物で「今回は送料無料」をポチッとしたことによる。そして、後で読み直してわかったが、画面上の細かい説明をスクロールして読み進めると、ほんとうに最後の方に小さな文字で、意思表示のない限りプライム会員になる旨の文字があった。

 私の場合は、それ以降頻繁に買い物をしていなかったこともあり、即「プライム会員を止める」をポチッとしてその年会費は支払わずに済んだが、続けて送料無料の買い物をした場合はその行為が年会費承諾となるような文字もあった。

 今でも「送料無料」の買い物はするが、「プライム会員になって送料無料」とか「送料無料をためす」的なものはポチッとしないようにしている。

 もちろん、制度を知った上でアマゾンプライム会員になられるのは問題ない。しかし、知らない間に会員にされる問題は、米連邦取引委員会の提訴のとおりである。そう思うと、日本政府の対応の鈍感さは嫌になる。

2023年6月23日金曜日

シモツケ

   ラジオ深夜便に「誕生日の花と花ことば」というコーナーがあるが、昨日6月22日のそれは「シモツケ」で、花言葉は「いつかわかる真価」だった。ネットの情報とは少し違うがそれは今日のところはかまわない。

 さてシモツケとシモツケソウはよく混同されたり、中には「同じものだ!」という誤解まであるが、シモツケは木で、シモツケソウは草である。似ているといえば似ているが花も葉も微妙に異なる。私も昔は同じものの別称かと誤解していた。
 シモツケソウはフジバカマに似ている、やはり草(宿根草)である。

   シモツケの花の色は白っぽいものから濃い赤紫っぽいものまでいろいろあるが、わが家のシモツケは程よいピンクで私はその色が非常に気に入っている。
 ところが右の写真を見て「???」と思われるであろうが、ほぼ100%花は終わっている。もう茶色である。
 誰だ!ラジオで「シモツケが盛りです」などと解説しながら「誕生日の花と花ことば」を語っていたのは・・・・。

 それはそうと、シモツケ及びシモツケソウの名前の由来は下野の国(シモツケの国・今の栃木県)に多くあり、また発見されたかららしいが、下野をシモツケと読むのも難しい。

 元々この辺りは毛野国(けの国)であったものが群馬側が上毛野国(かみ つ け の くに)となり、栃木側が下毛野国(しも つ け の くに)となり、諸国群郷名著好字令で「毛」を抜いて、上野国(こうずけのくに)と下野国(しもつけのくに)となったようだ。

 それでも群馬側が現代でも「上毛」と称しているのに、対して栃木側が「下毛」といわないのは文字が「アンダーヘアー」を連想させるからだろうか。知らんけど。

2023年6月22日木曜日

上岡龍太郎の先見性

   上岡龍太郎が霊能力者なる人を数々論破したことは有名だが、中でも有名な事件『探偵ナイトスクープ事件』は次のようなものだった。

    1994429日、「恐怖の幽霊下宿」なるVTRが放送されたとき、下宿部屋に出現する幽霊に悩む医大生の依頼を受けて、桂小枝が検証に訪れるという映像。
 しかし、検証とは名ばかりで、自称・霊媒師を呼んで幽霊がいるか聞き込みをしたり、桂きん枝と小枝が除霊師に扮してふざけたりするだけの、単なるお遊び的な内容に終始。

これに局長・上岡龍太郎が激怒。
「(このVTRで)何の実証もされてないわけでしょ?これをつくったディレクターは何を結論づけようとしているわけですか?」「『やっぱりお化けはいてる』という風にしたいわけですか?」と食って掛かり、「テレビのそれが一番僕はいかん!面白かったらいいわけやなくて、面白くてもそれによって何らかの影響力を与えると言う事を常々考えとかないかんわけですよ!」と、ついには「ディレクター誰?」と担当Dを呼び出して、「ものすごい危険なテレビですよ、これは」と公開収録中に説教を開始。

ついには「こんなこと許せません!絶対許せません!」と言ってスタジオを後にしてしまった。
私は実際にその番組を観ていて、実に痛快だった。痛快だけでなく、ほんとうにそれは大事な鋭い指摘だった。
実際、その頃、統一協会の霊感商法、合同結婚式が被害を広げつつあり、朝日新聞阪神支局襲撃事件があり、翌年にはオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こっている。
上岡龍太郎の追悼番組なら、この先見性を是非とも語りメディアは自省してもらいたい。

だいたい念力でスプーンが曲げられるなら、安くて質の良い金属加工業を起こして社会を豊かにすればいい。また霊視(透視)できるなら福島原発の現状を分析して、スプーン曲げ者と力を合わせて安全に取り除けばいい。

私は多くの宗教や宗教者に寛容だが、統一協会のようなカルト団体とその利益を代弁する自民などの政治家は絶対に許してはならないと思う。

2023年6月21日水曜日

夏至

   今年は6月21日が夏至となる。それにしても、夏至は冬至や春分、秋分に比べると影が薄いように感じられるが、太陽の角度や昼の長さといった夏至の特徴が梅雨空でパッとしないからだろうか。

 七十二候では初候『乃東枯る(なつくさかれる)』に入る。「薬草のうつぼぐさの穂が黒ずみ枯れたように見える」からという。

 夏至にはこれといった行事食もあまり聞かないが、この季節を感じさせるものの一つは『鱧(ハモ)の落とし』だろう。私は酢味噌でなく梅肉に限っている。
 もう一つ言えば『鱧の皮』で、『「鱧」の「皮」』ではなく「ハモノカワ」とアクセントを付けずに一挙にいう。「ハモノカワ」と呼ぶだけで「胡瓜との酢の物」を指す。わざわざ「鱧の皮と胡瓜の酢の物」とは言わない。

 過日、東京人と思われる著名人がテレビで『「鱧」の「皮」』と発音していて、この人は「ハモノカワ」を知らないんだなと直ぐに判った。

 末候は『半夏生ず』で、タコを食べるとか本には書かれているが、半夏生もわが家ではこれといった行事食もない。

 ということで夏至から立秋過ぎまで真夏日がやってくる。
 若い頃は「夏男」だったが、この歳になると猛暑には恐怖すら覚えるようになった。
 テレビは「クーラーをつけるように」とアドバイスをしてくれるが、物価が上がるが年金は増えず、格差社会を実感している。

2023年6月20日火曜日

迷惑メール

   私はブログにアドレスを公開しているが、妻なんかは公開もしていないのに、いろんな迷惑メールが送られてくる。
 それも、通販会社や運送会社のロゴマークなども付いていたりして、私にしても「もしかして尋ねてみようか」などと騙されかねない精巧なものも多い。
 そんなものだから、普通にはその種のメールは軒並み消去している。その内の一つが「ETCカードが切れます」というものだった。

 確かに孫の凜ちゃんが小さいときはひっきりなしに大学病院まで高速道路を利用していたが、お陰でそういう事態も減り、その上に遠くへ遊びにも行かなくなったから、ETCカードを長い間使用してはいなかった。しかしだ、だからどうだ!と思っていた。

 それが今般、キャッシュカードの会社からハガキが来て、「有効期限の3か月前までに利用がなければ停止となる」と通知があった。
 だからといって、これまでのメールがホンモノだったかどうかは分からない。ただ今回はよく似た内容のハガキだがこれは信じた。
 それに、どこそこへメールを送れ!的なものでなく、反語的にいえば期限3月まえまでに使用しさえすれば停止されないのであるから、変な危険性はないと判断した。

 ということで、わが家の近く(ほぼ同一町内)にある高速道路のインターチェンジから次のインターチェンジまで、高速代100円を使って昼食を食べてきた。これくらいの手間は何ということもない。

 メールも正しかったかもしれないが、メールには一切返信せず、ハガキでようやく対応したのは正解だったと思っている。

2023年6月19日月曜日

掉尾を飾る

   冬野菜の掉尾を飾る収穫をした。
   この前の冬に初めて植えたニンニクを掘りだした。

 ただ菜園は既に各種冬野菜を植えていたから、おまけのような荒地に植えて、放ったらかしにしていただけのものなので、半信半疑で掘った。

   それでも、写真のとおりそれらしいニンニクができていた。
   肥料もやらずに放ったらかしにしていてこれだから「小さい」などと不満は言えない。
 掘り出して乾燥のために干した。
   「寄る年波」などとはどとはぼやきたくないが、自分も友人たちも次から次へと体の不調が出ている。
 となると、初物七十五日(プラス)ニンニクで鬱陶しい梅雨を乗り切るか。

   ニンニクはフライパンの料理の必須アイテム、またカツオのたたきにも欠かせない。

   ただ、その昔、大量のニンニクが自慢のラーメン屋が東天満にあったが、そこのラーメンは「過ぎたるは及ばざるがごとし」だった。

 東京で一緒に仕事をしていた愛知出身の大先輩Kさんはニンニクが大の苦手だった。
 きっと奈良で用があったのだろう。近鉄鶴橋駅で例の煙に包まれた際の顏は今でも思い出す。
 少なくとも近鉄沿線では生きていけない人だった。
 何かをすると昔のことが思い出される。

2023年6月18日日曜日

鼻の穴潜り再開そして鹿

   梅雨の晴れ間の日、東大寺の大仏殿に行った。
 大袈裟に言うのでなく、日本語は圧倒的少数派に感じた。
 印象でいうのだが、韓国、中国、西欧と肩を並べてインド人が多かった。
 海外旅行に行かなくても、文化人類学的?にはここはインターナショナルな世界だ。

 コロナ禍で長い間中止になっていた「鼻の穴潜り」も再開されていた。
 「お寺は祈りの場であるから静粛に」という理屈も判るが、滅多に行けない日本(東大寺)に来て、大笑いした思い出を持って帰るのも悪くはない。

 仏教(僧)は葬式の進行係ではないはずで、私は柱周辺の人々に「せっかくだから潜りなさい」と勧めている。

 その外はもちろん鹿さんが主人公で、長年の経験から学習した鹿たちが、スカートを咥えて引っ張ったり、頭でスカート捲りのようなことをして、女性がキャーッと鹿煎餅を落とすように仕向けるので、例によって大騒ぎが続いていた。

 海外旅行客は、仏像よりも鹿の方が思い出になるのではないだろうか。
 その昔、この鹿が周辺農家の畑を荒らすので「鹿害訴訟」という裁判沙汰になっていたが、思うに、この鹿が果たしている観光効果は何ものにも代えがたいように考える。

 よくテレビで「奈良には鹿以外に何もない」などと言っているが、何を言う。
 疲れたときは数時間でも奈良公園の鹿と遊ぶとリフレッシュされること間違いない。

2023年6月17日土曜日

「ちぬの海」の由来

   大阪湾の古称が何故「茅渟(ちぬ)の海」というかについては、69日の「羽衣の松つづき」のコメント欄に古事記の神武東征伝に「兄イツセが血まみれの傷口を大阪湾で洗ったから血沼(ちぬ)の海と言うようになった」という記事があることを書いた。 

記録としては日本書紀の「実際の初代天皇といわれている崇神天皇」の条に、三輪山の大物主大神を祀るために、大神の子孫である」オオタタネコを茅渟縣(ちぬのあがた)陶邑(すえむら)に迎えに行ったことが書かれている。 

記紀は物語の性格もあるので記述の内容を即史実とは見なせないが、記紀が書かれた、天武―元明―元正の時代に「茅渟の海」「茅渟の縣」と呼ばれていたことは史実であろう。8世紀の初めにはそう呼ばれていた。 

古事記神武東征伝にはそのほかに、「珍彦(ちぬひこ)」という神が瀬戸内海を水先案内したとあり、その功により神武から大和国の「国造(くにのみやつこ)」に任ぜられたといい、その神の名をとって「ちぬの海」といわれたのだろうという説もある。 

 そのほか、万葉集、巻の11にも「珍海(ちぬのうみ」が出てくる。 

 さらに諸説を見て見ると、「茅」は「チガヤ」、「淳」は「濃い・豊か」でチガヤのよく茂った地というのもあるが、十分に文字(漢字・万葉仮名)が使いこなせていない時代に当てはめるのは無理があるように思う。 

 黒鯛(くろだい)のことを「ちぬ」というから、よく採れた黒鯛から「黒鯛(ちぬ)の海となったのだろう」という説もあるが、弥生時代の池上・曽根遺跡や四ツ池遺跡から出土した魚の骨では黒鯛は非常に少なく、この説もあまり採用し難い。 

 茅渟の縣陶邑(ちぬのあがたすえむら)(堺市東部・和泉市・大阪狭山市あたり)に戻ると、この地は最新の工業団地?で、その担い手は渡来人だったと考えられている。そこで私は、朝鮮語やもっともっと古層かもしれないタミル語(大野晋説)のチヌを検索してみたが容易にはヒットしなかった。 

 もとより、例えば魚の名前でも各地で千差万別であり、古称であることは判ってもその由来は判然としないものが多い。
 かくして私も「ちぬの海」の名前の由来には辿り着けていない。
 参考になる事柄など教えていただければ幸いである。
 (写真は「歴史たんけん堺」から)

2023年6月16日金曜日

蛙化現象とイジワル爺さん

   Z世代の流行語№1が「蛙化現象」だとラジオや新聞が言っている。「恋愛対象の格好悪い部分を見ると気持ちが覚める」ということらしい。
 童話を書いたグリムさんは「それは誤用だ」と叫んでいるようだが「そんなの関係ネエ」と情報社会はすすんでいる。

   先日いつもの池にモリアオガエルの様子を定点観測に行った。
 すると吟行らしきおば様の集団がやってきて、「どこに居てるの」「今日はいてない」「あっ、おたまじゃくしだ」などなどなど、風景と似つかわしくない大声のおしゃべりや、立入禁止区域への侵入など・・・・、静かに観察している私に気づきもしない振る舞いだった。

 そして「今日はいなかったわ」と言ってようやく去って行った。私はただただ黙って嵐の去るのを待っていた。

 私は外国人でも日本人でも、通常はこの池でモリアオガエルのことを教えてあげたりするのだが、そのときはどうもその気になれなかった。
 教えたら、ズカズカズカと入って行って指ででも突きかねない雰囲気だった。

   で、保護色でほとんどわかり辛い蛙を私は500mm望遠レンズで見つけていたが、全く知らぬ顔で教えてあげなかった。ちょっとしたイジワルだったかも。だって、人間だもの。
 


2023年6月15日木曜日

少子化は上手くいかない

 

   岸田内閣は13日に「こども未来戦略方針」を発表した。児童手当を拡充する、就労していなくても保育園に入れるようにする。育児休業給付金を引きあげ、育児時短給付金を創設するなど年に35兆円規模の政策を実現するが、財源は年末までに考えるというものである。

 これを見て私は、「こども戦略」ではなく「選挙戦略」のように感じた。財源も決まってないのに「あれもやります」「これもやります」と宣伝する。特に公明党の支持者に対しては制度問題でなく判り易い金額がよいと言ったところだろうか。

 この政策が全く意味がないとは言わないが、大きな2点、触れられていないのが大問題のように感じる。

 その一つは、現状認識であえて触れられていない非正規雇用の問題だ。児童手当が少ないから子どもが少ないわけではなかろう。景気に左右されたり、いつ突然職を失うかわからない低賃金で不安定な派遣などの非正規雇用を制限し人生の未来に希望がもてる雇用を確保するという視点が欠けている。ここの是正失くして少子化対策は失敗し続けるだろう。

 二つ目は財源だが、増税はしないが「支援金(仮称)」という保険料を徴収するらしい。税金であろうと保険料であろうと「公租公課」であることは同じだ。

 軍事費を5年かけて16倍、43兆円規模にし、さらに2倍を目指すことを止めなければ、「児童手当は増やすが医療と介護は減らす」という悪魔の選択となるしかない。

 解散総選挙が迫っているが、こんなインチキ戦略とその宣伝戦略を許してはならないと思う。

2023年6月14日水曜日

邪鬼を踏んづける

   「少し早いけど」と言って娘が父の日のプレゼントを持ってきてくれた。
 プレゼントの一つが、写真の靴下ならぬ「仏下(ぶつした)」で、どう見てもこれを履くと邪鬼を踏んづけることになる。
 邪鬼はプリントではなく編み込みだからそんなに安物ではない。

 親が親なら?子も子みたいで、よくもまあこんなものを見つけてきたものだ。
 妻は「これぐらいのことをせんとお父さんは喜ばんと思ってのことやろう」と感心したが同感だ。大いに喜んでいる。(子も子である)

 理屈的には仏像(主に天像)が邪鬼を踏んづける思想(教義)は好きではないが、地獄極楽ではないが判り易さを発揮した「方便」なのだろうと理解している。それは仕方がないことだ。宗教も思想も歴史の制約を受けないものはない。
 そのスピリッツを現代に生かすのが正しいのであって、原理主義、教条主義はむしろ有害でさえある。

   そんな理屈は横において、伝染病や種々の不幸が邪鬼のせいだとしか思いつかなかったその昔は、邪鬼を踏んづける仏像の力強さに人々は安心を得たことだろう。

 そんな素朴な感想が信じられなくなった現代では、、邪鬼とは、難民を追い払い、少数者を差別し、個人のプライバシーに踏み込み、他国への先制攻撃さえ準備する勢力ではないか。
 そんな邪鬼を毎日踏んづけて歩くのは馬鹿馬鹿しいが愉快愉快。
 わが子ながら感心している。

2023年6月13日火曜日

牧野博士を真似る

   わが家を出た直ぐのところに群生している。
 一見したところ見事なお花畑で、これが高山ならガイドブックに載るかもしれない。
 で何というか典型的な空き地の雑草であるが、「雑草という名の草はない」わけで、しっかり確かめようと考えた。
 何を確かめるかといえば、この草はハルジオンかヒメジョオンかという同定である。その内のどちらかであることぐらいはまあまあ私も知っている。

 そこで中公新書『雑草のはなし』などを読んで二つの特徴を確かめることにした。
   以下ヒメジョオンをメーンに記述する。
 ① ヒメジョオンの花はハルジオンの花よりも少し小さい。・・・いま二つを比較することはできないが、写真の花は小さい方のように思われる。
 ② ヒメジョオンの方が背が高い。写真のとおり、まあまあ背が高いように思われる。
 ③ ハルジオンの蕾は下を向いてうなだれる。これが写真のとおり微妙なのだが「特徴」と言えるほどの形状とも思えない。
   ④ ヒメジョオンの下部の葉は鋸歯場だが上部はそうでなく、ハルジオンの葉は茎を抱いているが、写真のとおりこの草は「抱いて」いない。
 ⑤ ハルジオンの茎は中空だが、ヒメジョオンの茎は中空ではない。写真のとおり全く中空ではない。

   結論として、ガイドブックなどの文章は判りにくいが、⑤ の茎を切ってみたところ全く中空でないから、ミルクボーイ風に言って「ヒメジョオンで決まりやないか」と自分自身納得した。

 なお、なぜヒメジオンではなくヒメジョオンであるかという話も面白いが、今日はこれまで。

 牧野富太郎ごっこ。

2023年6月12日月曜日

統一協会問題の闇

   1969年、日本にあった統一協会の関連企業は、韓国にある教団系武器メーカーから、殺傷能力のある空気散弾銃 を2500丁輸入し、国会でも取り上げられた。 

 1987年5月3日、朝日新聞阪神支局銃撃事件が起き小尻記者が殺害された。そして5月6日午前、その銃弾がレミントン社製と報道される以前に、レミントン社製銃弾の薬莢が同封された脅迫状が朝日新聞東京本社に届けられ、脅迫状には「とういつきょうかいのわるくちをいうやつはみなごろしだ」と書かれていた。

 1995年、有田氏は公安警察から「オウムの次は統一協会」と聞いたが、それは実現しなかった。
 10年後に有田氏が複数の警視庁幹部に「なぜ摘発できなかったのか」と聞くと「政治の力ですよ」とこう言った。

 昨年(2022年)7月15日に羽鳥慎一モーニングショーでこの話をした途端、有田氏はテレビに呼ばれなくなった。

 ・・・「新聞を読んで知っている」と言わずに、購入して保持しておくべき本だと私は思った。

  本の帯にもあるが、「空白の30年」の間にどれだけ多くの人々が泣かされてきたことだろう。
 そして、1年前の元首相銃撃事件後の報道騒ぎ?も遠い昔のように静まり返っている、国民総健忘社会の国会は、カネや選挙運動で代弁者となった当事者の議員が「知らぬ顔」で跋扈している。

 エバの国の日本国民はメシアの国韓国にいる神に献金しなければ地獄に落ちるという教義や霊感商法はより巧妙に継続され、表裏一体の勝共連合の家父長的家庭観を通じて家族内にまで権力が介入する社会が生まれつつある。
 家庭教育という政策や憲法改正案まで、よく読むと自民党のそれは統一協会の「案」そのものだ。

 重ねていうが、新聞や週刊誌で知っていることだと言わず、こういう本でおさらいをし、必要なときに読み返すことが必要だと思う。

 権力とは恐ろしいものだ。オームによる坂本弁護士一家拉致殺害事件のときも権力は対応せず、結果として松本サリン事件、地下鉄サリン事件に行き着いた。
 そして朝日新聞阪神支局銃撃事件は冒頭のとおり。
 この一冊、是非ともご購入あれ。

2023年6月11日日曜日

ミュージシャンになる

   レセプションを企画する側になることがままあるが、オンチで不器用な私は自分ではどうしようもできず、そんなときは歌えたり楽器を使える人に協力を求めるのだが、なかなか力を貸してもらえないことも多く、いつも自分の非力を嘆いてきた。

 そこで一念発起し、今般カズーという楽器を購入し、とりあえずミュージシャンの仲間入りを果たした。

 私の買った楽器・カズーは、メード イン イングランドだが数百万円もせず、送料込みで千円ちょっとだった。安いものは何百円でいっぱいある。
 手前の横向きなのがそれ。後ろの円筒は入れ物。

 で演奏方法だが、ただ笛を咥えて鼻歌を歌うだけ、それがブッブーという音になる。
 練習ゼロ回で誰でもとりあえずは音になる。
 「それは楽器ではなく玩具でないか」と言うなかれ。購入先は㈱西日本楽器というから楽器でないか。
 まあ「世界一簡単な楽器」といわれている。

 これで今後のレセプションでは最低限の伴奏?は自分でできることとなった。
 後期高齢者にして初のミュージシャンデビューである。

 ご同輩、カズーオーケストラをつくりませんか。
 今後は私をミュージシャンと呼んでもらいたい。

2023年6月10日土曜日

マイナ「見直し」への道

   岡田 隆行さんのフェイスブックに次のとおりの投稿があった。
 🔳 2024年の秋に保険証を廃止し、トラブルが続発するマイナンバーカードに一本化する関連法が成立しました。
 今日の讀賣新聞と地元紙中国新聞はそれぞれ社説でこれを批判しています。
 讀賣は言います。「マイナ保険証の見直しは今からでも遅くはない、トラブルの原因を解明し、再発防止に努めるのが先決だ。当初の予定通り、選択制に戻すのも一案だろう」と。 
 中国新聞は言います。「政府が問題をかくしたまま法整備を進めたのは、国民への背信行為と言わざるを得ない。求められるのは迅速さではない。国民の信頼を得られる制度とその運営に尽きる」と。私もそう思います。 
 61日付の日刊ゲンダイには、堤未果(つつみみか)さんのインタビュー記事を載せていました。海外では情報は分散させるのが主流。あの米国でもソーシャルセキュリティ番号はあるが、日本のようなマイナンバー制度はないそうです。 
 どんな目的で日本政府はマイナンバー制度を急ぐのか、しっかり見ていく必要がありますね。🔳

 私も同感!。上記以外にも東京新聞、北海道新聞、愛媛新聞などでも「見直し」が必要だと指摘している。
 そして、最後のセンテンスにある「海外では情報は分散させるのが主流」というのは大切な指摘だと思う。
 それに、1歳の赤子にも口座が必要。介護施設入所者も暗証番号等を取り扱う・・などなど、元々制度設計も無茶苦茶だ。

 ならば政府は悔い改めて制度の見直しを真摯に行うだろうか。私には信じられない。
 ただ、彼らをして反省して見直しをさせる有効な方法がひとつある。
 それは、多くの人々によるマイナカードの返納である。
 SNS上でも「セキュリティーが信用できないから」という理由で紙一枚で簡単に返納した経験が投稿されている。これである。

 株式会社の会社経営のイメージで情報は統一した方が合理的だという意見があるが、考えれば、ある意味極端に「合理的」な政府はというとそれは独裁国家である。
 民主主義というのは、ある種の「合理性」にストップをかけチェックするところに存在する。
 会社経営のイメージで国家の運営を語るのは正しくない。
 この国を欧米並みの民主主義国家にしていくのか、政府が過度に個人情報を独占する独裁国家にするのか。
 自覚した市民が「マイナカードの返納」を進めれば好い方へ空気が変わると私は思う。

 健保証でいえば、現行の保険証で何の不都合も生じていない。それどころか、マイナ保険証ではあちこちの医療機関でトラブルが発生している。私が先日受診(初診)した医院には京都府医師会の「必ず従来の保険証を持参してください」というポスターが貼られていた。これが現実だ。

 また運転免許証のない人の「顔写真付きの身分証明書替わり」という話も聞くが、実際にそれで何か「できない」ことがあっただろうか。
 ワクチン接種だってできている。そもそも公租公課の徴収は顔確認も何もなしで徴収されている。いや税金の還付だって、健保証ですんなり返金されている。何の問題もない。あえて言えば、希望者には健保証に写真を付ければ済む。

 元に戻って国家という権力が個人の情報を一元的に管理するのは民主主義に反する。例えばドイツはナチスの反省からそういうのは憲法違反としている。
 日本政府の国会答弁を少しでも聞いたことがあるだろうか。彼らがこのものすごい情報を悪いことに使うはずがないと考えるなら、あまりに世間知らず、ノーテンキと言われるかもしれない。
 IT(コンピューター社会)を少しでも知る者なら、重要な情報は分散して守る!これが現代人の常識である。

 追伸 マイナカード返納運動をしようという週刊誌の広告まで出てきた。
 マイナ返して明るい社会

2023年6月9日金曜日

羽衣の松 つづき

 
   昨日は現浜寺公園あたりにあった『羽衣の松』について書いたが、それに関連して小林利郷:文の『ちぬの海』を要約して紹介しよう。

 🔳昔から、海からの強風を防ぎ浜砂の動きを止めるために人々は、無法がまかり通る戦乱の世であっても、浜辺の松を大事に守ってきた。
 江戸時代、堺の浜寺を治めた田安藩は農地拡大のために紀州街道(だいたい阪堺電車の道)より山側の松は伐採したが、浜側は植林している。
 明治3年に堺県がおかれ、小江知事は「浜寺の松、伐採あいならぬ」と厳禁にしたが、次の税所知事は収入を失った武士の貧しい暮らしを見て「士族授産のため」松の伐採を許可した。
 明治6年、大久保利通内務卿はこれを見て、「こはけしかることかな。かかる名所の松の数百歳へたらんを、ことごとく切り払わんは、まことに情けなきわざなり、ここの司ともあるもの心なしや」と嘆き、『おとにきく高師の浜の浜松も世のあだ波はのがれざりけり』としたため、知事の懐にそっと入れた。
 で、知事は浜松を守ることとし、結果、日本最初の県の公園に指定された。後の府立浜寺公園である🔳

 その浜寺公園だが、敗戦後の昭和22年に駐留軍(米軍)の家族住宅地になり、緑色のペンキが塗られた住宅が幾つも建てられた。金網で囲われた公園(住宅地)はオフリミット(日本人立入禁止)となり、この工事に伴い『羽衣の松』も伐採された。

 昭和30年に海水浴だけ日本人にも開放されたが、金網で囲われた狭い通路を歩いて海まで「通らせていただく」というものだった。
 昭和33年に日本に返還されたが、堺泉北臨海工業地帯造成工事も進み、廃油ボールなども増え、ついに昭和37年には海水浴も禁止になった。

 浜は遠浅でモチ貝(カガミ貝)などがよく採れたが、沖の遠浅に行くまでの間に一旦深いところがあり、私はそういう危険がない大浜海水浴場の方がよほど上級のように思っていた。
 海水浴から帰ったら採ったモチ貝を焼いて食べたのが美味しかった。それ以外には、赤貝に似たサルボウ貝(サブロウ貝とも)、ワタリガニ、ガッチョなども採れたりした。

 ところで上の文章に『高師の浜』が出てくるが、今は高石市の地名だが、元は摂津の住之江(住吉)から堺~高石までの広い地域を指す地名であった。

 音に聞く高師浜のあだなみはかけじや袖のぬれもこそすれ  は、百人一首にも名高い。

 以上のとおり、私が小学生の頃はこういう白砂青松の風景がそれなりに残っていたが、羽衣の松はすでになかった。
 中学生になったときには大埋め立て工事が始まったが、それでもまだ漁業も残っていて、中学校の校庭のあちこちや周辺の道路にはジャコが一面に干されていた。おまけを言えばその上には銀バエが飛び交っていた。
 高度成長の少し前のことである。歳をとると訳もなく懐かしい思い出話だ。

2023年6月8日木曜日

羽衣(ハゴロモ)

   『天女羽衣伝説』は日本各地にあるが、そもそもは世界各地にもあるという。
 その内の一つかもしれないし、そういう有名な伝説を牽いたものかはよく知らないが、名松『羽衣の松』という松が堺&高石の浜寺公園近くににあったことから、南海本線羽衣駅の駅名、はてはその地の地名(羽衣)となったという。(住所は高石市)

 この辺りは今は工場夜景で有名だが、その昔、と言っても私が小学生の頃までは、ちょっとしたリゾート地みたいな海岸だった。

 だから、さらにその昔に天女羽衣伝説があっても全く不思議ではなかった。
 私は、その辺りに高校の同級生が少なからずいて懐かしい場所でもある。・・それはさておき。※ちぬの海については明日に書く。

 さてさて、写真は綿埃ではなく、ベニカナメの葉に居た2~3ミリの昆虫である。そして、その名前がハゴロモだということについては説明なしで納得していただけることだろう。
 天女の羽衣もかくや。

 木の枝に集団で付いていると如何にも樹木の汁を吸う害虫集団に思えるが、このように単独でいるのを拡大してしみじみ眺めると、見事な美しさであると惚れ惚れする。
 単独でいるものなどは害虫とは言いたくないくらいだ。

 親はウンカを大きくしたような蛾のようなものだがカメムシ科らしい。
 写真の幼虫が何ハゴロモの幼虫かは知らない。
 摘もうとするとピョンと跳ねてそれも可愛い。

2023年6月7日水曜日

改めないのが過ち

   労働災害防止の鉄則に「人はミスをするものだ」という認識の前提がある。ヒューマンエラーと言われたりする。
 孔子先生の、『過則勿憚改』(過ちては改むるに憚ること勿れ)(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)というのも「人間は往々にして間違うものだ」というのを前提にしているようで的を射ている。
 故に「過ちて改めざるをこれ過ちと謂う」というのが胸に刺さる。マイナカードのことである。

 私は以前に「マイナカードは必ず個人情報漏洩事故を起こす。絶対に」という趣旨のことを書いたが悪い予想は的中した。
 そのときに、単に個人情報漏洩問題ということでなく、ドイツではナチスの蛮行の歴史の教訓から、国家が国民の個人情報を丸ごと把握するようなシステムは憲法違反とされているということを書いたが、これもそのうちに歴史が証明することになるだろう。

 フェイスブックを見ていたところ、見事に「改めた」経験が投稿されていた。
 これが人間として正しい生き方だろう。
 反対にいえば、それでも「改めざる」のが「過ち」でないだろうか。

 中野裕子さんの投稿は以下のとおり。
 🔳父がマイナンバーカードを自主返納するというのでついていってみた。
 わりと右派な父がどうしたと理由を聞いてみると「作ったときはまさかこんなことになるとは思わなかった」と。
 手続きは、市役所の窓口で「個人番号カード返納届 電子証明書失効申請書」という紙ペラ1枚を書くだけ。
 返納理由の欄には「セキュリティ面で不安だから」と書いていた。
 窓口の職員さんは「返納…ですか」と戸惑っていたから、滅多にいないんだろうな🔳
 掲載した写真も転載。

 蛇足ながら、担当大臣をはじめ政権幹部の日本語の破壊行為に私は憤っている。
 カタカナ交じりの文言を滔々と語るが中身がない。
 商取引なら誇大広告、もっと言えば詐欺にあたる。
 善意の人間はそれにだまされて手続きをする。しかし・・・過っていたと気付いたならば改めるのが正しいと孔子先生はおっしゃった。
 該当するなら、中野裕子さんの父上のように行動しませんか。

2023年6月6日火曜日

6月の庭木

   わが家の6月の庭木というと、その名のとおりジューンベリー、6月のベリーだ。
 少しあっさり気味のベリーなので多くはジャムにしたが、娘はそのまま食べるからとタッパに入れて持ち帰った。
 「目によい」かどうかは知らないが、ブルーベリーの兄弟みたいなものだろう。
 ジャムをソーダで割って飲んだりしている。
 実は豊作だったので、少なからず自然界に戻す意味でそのままにしている。スズメたちが喜んで転んでいる。

 写真はシラタマミズキで、白玉みたいな実をつけている。
 この木は実よりも葉が美しいので植えている。
 別に変った特徴があるわけではないが、薄い緑が気に入っている。夏は暑苦しくなくてよい。

 最後はヤマボウシ。山法師といえば比叡山、天台宗には「一隅を照らす」の教えがある。
 梅雨のどんよりした空模様の中で、ヤマボウシの白い花はあたりをボーっと照らしている。
 梅雨空に一隅照らすや山法師

2023年6月5日月曜日

卯の花くたし

   今年は入梅が早かったので書く機会が少しズレてしまったが・・・、
 『卯の花腐し(うのはなくたし)』とは梅雨に先立つ長雨の異称である。「五月雨のこと」と書いてあるもの(広辞苑)もあるからギリギリセーフにしてもらおう、

 五月は多くの花の季節であり、事実いろんな花が雨や風に落下するのに、それを卯の花が代表しているというところに何となく趣きがあるが、万葉集以来の歴史だけでないだろう。

 モノの本によると「この木は卯杖、卯槌などに使われ、邪悪な土地の悪霊を追い払う役目を持っていた」とあり、「古くから呪法に使われた」とあるあたりに理由があるのだろうか。
 私自身の実感にはないものだが、詩歌ではそういう精神性も含めて卯の花が初夏の代表選手であることは間違いない。

 その、ある種の霊木を腐らすのだから、古人はこの長雨をよほど疎んだように思えるが、瑞穂の国の田植えを思うとき、いささか疑問もある。

 それにしても写真のとおり、その落花狼藉ぶりはちょっとしたもので、向こうの植木鉢の小さな木にしてこうである。
 卯の花の和歌の縁語に、垣根、雪、月、郭公、神山、白川の関などがあるが、全くの門外漢ながら、雪、月、白川の関はこういう状態からのストレートな連想ではなかったか?

 五月生まれの孫の夏ちゃんは藤原京の地で誕生した。
 そして、持統天皇の歌と夏は来ぬの歌から命名されている。
 霊木卯の花よ、夏ちゃんに降りかかる悪霊を封じたまえ。

 ※ 写真は豪雨前に撮っていたもの。

2023年6月4日日曜日

上岡龍太郎さん

   昨日のブログ記事のコメント欄に「誰か上岡龍太郎さんのことを書いてくれないかなあ」と書いたが、Facebookにいろいろな投稿があった、そのうちの印象に残ったものを記録しながら少し書いておく。

1 中村 正男さんの投稿  ·

 上岡龍太郎さんの訃報に

 上岡龍太郎さんの訃報に接し、1979年2月、黒田了一知事が革新府政3期目に挑戦した際、府立体育会館を超満員にして開いた「黒田知事をはげます府民のつどいで、小山乃里子さんとともに司会を買って出ていただいた姿を思い出しています▼このつどいで上岡さんがおっしゃった言葉。「わたしも、こういう仕事をしておりますので、本来ですと、これはぶっちゃけた話ですが、旗色というのはあまり鮮明にせん方が得なんです。いわば自分の思想はおしかくしまして、左の方もこんにちは、右の方もこんにちは、ほんとうはこういうとくほうが得なんです。そやけど、そうやってええことと悪いことちゅうのは、わきまえなくてはいけないと思うんです」▼上岡さんが載った「明るい革新府政」(明るい会機関紙)がいまも残ります。桂米朝、ミヤコ蝶々、笑福亭松鶴、市川房枝、青島幸男――。錚々たるメンバーとともに▼ユーモアも、気骨も、上方を代表する芸人でした。

 ・・・この現場、府立体育館に私もいた。そして上岡龍太郎さんの根性にいたく感動した。そのことを書きたかったが中村さんの投稿が的確なので紹介して私の感想に替える。 


2 福山和人さんの投稿

 上岡龍太郎さん逝去
 「政治家とか言う連中は何の為に存在するのか分ってない奴が多すぎる。政治家で強いモンの味方する奴なんか最低ですよ、強い奴はほっといても生きていけるんやから。そうじゃなく、弱いモンの味方せえよ。そやなかったらお前らの存在意義は何なんや?ちゅう話でね。」
 反骨の芸人だった。それもそのはず、彼の父親は、"いごっそう弁護士為さん"と呼ばれて民衆に慕われた小林為太郎弁護士、我が自由法曹団京都支部の創立者のひとりだ。
 ちなみに僕のオヤジは幼い頃の龍太郎少年の子守りをしたそうだ。僕自身はお二人ともお会いした事はないけど、不思議なご縁を感じる。
 上岡龍太郎さんは、父親の小林為太郎弁護士のことをこんな風に語ってる。
 「自由と平等と正義をこよなく愛し、悪と権力に徹底的に刃向かい続けた親父。競馬も競輪もパチンコも麻雀も、碁も将棋も知らなかった親父。ただひたすら酒を愛し続けた親父。豪快で繊細で大胆で気が小さくて、正義感が強くて、制服と権力が嫌いで、ロマンチストで、手先が器用で、本が好きでひょうきんで、気が短くて、恐がりで、金儲けが下手で照れ屋で、単細胞で直情径行、思慮深くって優柔不断。
 そんな親父の独特の気風は、今もこの世に残っている。私の体の中にはっきりと残っている。そして、私の息子の心にもソロソロ芽吹いてきている。親父の肉体はこの世から消えても、親父はいまだに生き続けているのだ。ちょうど親父の故郷の土佐の足摺岬に打ち寄せる黒潮の流れのように。親父の声は今も滔々と胸に響き渡っている。」
 きっと為さんは「アホ言うな」と照れてるやろね。弁護士の父と漫才師の息子、立場は違えど、ともに真っ直ぐで優しい親子だった。
 上岡龍太郎さんの声をもう一度聞きたかった。ご冥福を心からお祈りする。

 ・・・その父親が亡くなった日、その夜に上岡龍太郎さんは『鶴瓶上岡パペポテレビ』で「こんな話できるのは今日しかないから」と滔々と父親の話をした。
 芸人は出演があれば親の死に目に会えないと言われるが、逆手に取った芸人魂を私は見た。

3 桂枝雀七回忌追善興行

 ・・・これは私の思い出。2005年だから上岡龍太郎はすでに引退していた。京都の南座に私はいた。
 錚々たる米朝一門の芸の後、シークレットゲストに上岡龍太郎が紹介されたとき、会場のどよめきのすごさは尋常ではなかった。
 枝雀にとってもこれ以上の供養はなかったように思われた。
 上方の芸能を語るとき、上岡龍太郎を外して語ることはできない。

4 上岡演劇祭

 これは直接かかわっていないが、上岡龍太郎が上岡演劇祭を主催して関西の演劇界に多大な貢献したことは記録しておきたい。
 翻って現在の上方芸能、特にお笑い部門でこのような熱いスピリットを感じさせる芸人がいるだろうか。
 上方芸能、しっかりしよう。

2023年6月3日土曜日

凜ちゃんのダンス

   同じ障害を持つ関係者の大きな催しがあった。
 コロナパンデミックで急遽取りやめになった催しが4年ぶりで開かれたものだ。

 会場では何人かから「凜ちゃん凜ちゃん」と声がかかった。学校や放課後施設で人気者らしいことがわかる。

 それだけ凜ちゃんの「症状が重い」からかもしれないが、そんなことよりも人気者であることを喜びたい。

   舞台の最後はパプリカダンスで盛り上がった。凜ちゃんも踊ったがマイペースだった。
 マイペースゆえ舞台から落ちたらいかんので後ろの方だったのが少し残念。
 その夜はほゞ満月が照らしてくれていた。

思い込み

   5月31日、原発60年超運転可能改正法が成立した。自民、公明、維新、国民が推進した。
 関電高浜原発では湯水のように(原資が電気料金であった)金が配られ、その一部といっても驚くような大金が関電幹部にキックバックされていた。その一部は現金でなくホンモノの金の小判だったというから「越前屋、お主も悪よのう」という時代劇さながらだった。もう一度言う。自民、公明、維新、国民が推進した。

   というような時代に、過日、わが家の炊飯器が故障した。60年ではなく20年超だった。
 ちょどその日に佐世保の有名な通販会社が炊飯器を宣伝していたので申し込むと、翌日には現物が届いたのでその早さに驚いた。
 可愛い製品だった。その可愛さも「進歩」かと感心したが答えは5合炊きだった。普通には全く不満はないが、ファミリー全員集合でたっぷりとすし飯でも作るには少し小さい。
 これまで使っていた炊飯器が1升炊きだったので、炊飯器は1升炊きに違いないと思い込んでいた結果だ。ほんとうにそう思い込んでいた。

 思い込みでいえば妻がユニクロでパンツ(スラックス)を買ってきたがLLだったというのもある。
 店員さんに相当注文を付けて探してもらって買ったので「交換を言い出しにくい」というので、それはいま私が日々履いている。

 先日、わが家と凜ちゃんファミリーのためにチキンの照り焼きを私が作るのでスーパーに行ったところ、冷凍ではあるが1000g500円という安い鶏肉があったので買ってきた。
 いよいよ調理をしようとしたところそれは胸肉だった。
 チキンの照り焼きはもちろん「もも肉」で、こちらの頭ももも肉レシピだから、もも肉だと思い込んで疑いもしなかった。冷静に反省すれば安すぎるが「冷凍の大量売り」だと勝手に思い込んでいた。ほんとうに思い込んでいた。
 
 結果は大量のニンニクやスパイスで下味を念入りに行い。凜ちゃんは「ボ=ノ」と言ってお代わりを要求してくれたから助かった。

 思い込みの底には「安物買い」の根性がある。
 高齢者の詐欺事件を笑っていられない。
 幸いマイナカードには踊らされていないが。紙一重かもしれない。

2023年6月2日金曜日

モリアオガエル再会

   昨日はカエルが騒音防止条例違反で死刑にされそうな話だったので、今日は被告蛙君の弁護を買って出よう・・・。

 梅雨入りとの声を聴くと直ぐに彼女の到来を確かめたくなって、奈良公園の吉城園へ行き、入口で「来てますか?」と尋ねると「卵が五つぐらいありますよ」と返ってきた。

 私が初めて樹上のモリアオガエルの卵を知ってからはもう何十年も経ったが、、奈良公園のモリアオガエルの出てくる池は年々減ってきている。(モリアオガエルは日本固有の希少な蛙)

 吉城園も、すぐ隣で建築工事があったりして、近年は卵も親もオタマジャクシも減ってきているような気がして心配している。モリアオガエルは自然環境のバロメーターだと感じている。(卵と言っているが、卵泡、卵塊、泡巣などといい、木の葉などに泡の塊を作り、その中に卵はある。この中で卵から孵ったオタマジャクシは下の池に落ちる)
 必ず、大きくもない池の上に作るのだが、失敗して土の上に作ってしまうことはない。本能と言ってしまえば簡単だが、考えればものすごい能力だと感心する。自然はすごい。

 さて、近頃は国や地方自治体から「遺産の活用」という声が「保存」よりも大きくなり、何をおいても「観光客を増やす」政策が目に余っている。

   奈良でも超高級ホテルを作ったりしている。
 言葉の端々から、奈良は京都が羨ましいらしいが、その京都ではオーバーツーリズムが大問題になっている。
 それに、目の肥えた訪日観光客は手あかのついた京都を素通りして素朴な白川郷などに向かっているらしい。

 そんな失敗作の後追いをするのでなく、春日山の原生林とその麓の自然こそが貴重だということを噛み締める必要がある。そして古い寺社。古刹とモリアオガエルは取り合わせが良いと思うのだが。

 私は吉城園で訪日観光客がその池に来れば、「珍しい蛙だ。木の上で産卵する。モリアオガエルという。」と説明している。もちろん日本人にも。ガイドブックにない情報でけっこう喜ばれている。と勝手に自己満足。

 モリアオガエルは保護色だ。茶色い木の肌のときは茶色っぽくなる。
 今回もなかなか見つからなかったので、最後の手段で、妻にスマホの You Tube でモリアオガエルを鳴かしてもらった(これは自然観察では少しだけマナー違反だが大目に見てもらおう)
 直ぐに奥の方から応答があり、ようやく見つかった。
 写真のモリアオガエルは約6センチ。大きさからしてオスだろう。メスは一回り大きい。木の幹でメスの来るのを待っている。
 このようにオスが哀れなのは生物界の本質である。