2023年5月31日水曜日

雑草という名の草

   チコちゃんに叱られるで「雑草ってなに?」という問いに「望まれないところに生えているすべての草」と答えていたのは意外でもなんでもなく『納得』だった。

 わが家でいえば昨年の種から勝手に生えてきた青じそがあちこちにあるのだが、成長の良い2本ほどは菜園の端に移植して、これは野菜として扱うが他の青じそは雑草扱いする。

 ヨモギは99%雑草扱いだが、たまにヨモギ団子になるときはその瞬間だけ山菜?扱いする。

 我が街では、今年、幹線道路の中央分離帯が金色に輝いている。いっぺんに景色が変わったので、京都府あたりが種をまいたのだろうかと錯覚するぐらいに景色が一変した。
 ただ、この「景色が一変した」というほどの繁殖力が大問題で、こやつ大金鶏菊(おおきんけいぎく)は特定外来生物に指定され、「みんなで駆除しましょう」と呼びかけられている。

 繁殖力でいえばドクダミも相当なものだが、固有種であるため「駆除しましょう」とは呼びかけられていない。
 ドクダミの繁殖力には負けそうになるが、気を取り直して私は「駆除」に挑んでいる。ただし焼け石に水。
 除草は、今は電動草刈り機で対処しているが、庭は細かなでこぼこがあるからその上に手作業も必要になる。この時期の除草作業には腰が悲鳴を上げる。

   近くの道路の生垣の中にスイカズラ(吸葛)が咲いているのは雑草だろうか。生垣の所有者には望まない草だろうが私は大いに愛でている。となると、冒頭の「正解」も少々揺らいでくる。

 古代ギリシャ文明から飛鳥時代の日本にまで辿り着いた文様パルメット。通常は忍冬唐草文などという。忍冬(にんどう)はスイカズラのこと。そんなことからスイカズラも地中海あたりの花かと勘違いしたが日本原産らしい。忍冬の弦に似ているというのでつけられた名らしい。
 庭に植えると後悔しそうな繁殖力と思われる。
 別名『金銀草』、写真のとおり説明不要だろう。

2023年5月30日火曜日

昭和歌謡

   先日の『退職者を送る夕べ』の感想をいただいたところ、「半世紀も前の歌を聴いた」という、大いに驚いたらしい文言があった。
 我々が「最近の歌は心に響かん」などというように、昨今の退職者からすればその話をひっくり返してナツメロもええとこだろう。しかしそれは百も承知の選曲で、若い?会員が次の歌集を作るべきだと思っている。
 
 私は老人ホームのボランティアで音楽療法なるものに接してきた際、「そんな童謡や唱歌でなく入居者の壮年時代の流行歌をやってくれ」と言ったものだが、私の作った歌集もそれに似た印象なのだろう。
 確かに遠藤実作曲舟木一夫というのもあるが全てが半世紀前という訳でもない。それにBSなどでは昭和歌謡は若い人たちにも流行っているぞ。

 「うたごえは平和の力」と言っていた人々がゲスト然としておさまっている中、それでも大合唱ができている我が会の積み重ねは素晴らしくないかと自画自賛。これも半分馬鹿にされながらも『継続』してきた結果だ。

 民主的老年同盟の合言葉は「請われれば一差し舞え」である。
 芭蕉の俳句の到達点は「軽み」とも聞いた。
 男芸者になれとは言わないが、ゲストでないホストはホストらしく「軽く」なることがいろんな社会活動での老人の心得だと思う。
 退職後も管理職みたいな顔をしている老人程扱いにくいものはない。これは自省である。

2023年5月29日月曜日

編集結果の反省

   先日は『送る夕べ』参加の先輩から、直近の会報の編集について注意を受けた。

 その問題は編集段階で判ってはいたが、再々再修正を言うのが躊躇われて、私が妥協したもので胸が痛かった。
 そもそも私が6本のコラムを書いたのだが、コラムらしい囲み記事にせず流し記事みたいにしたもので、冒頭にコラムだとは書いてあるが何となく流れが悪いものだった。

 その上に、コマドリのコラムにはコマドリの写真が正しく入ったが、他の流し記事のあちこちに参加者の顔写真を入れたものだから、紙面(ページ)を眺めた場合は読みやすそうなレイアウトだが、顔写真とその周辺の文字(記事)とは関係なく、「写真と記事が一致せずおかしかった」と先輩から感想的注意を受けたのだった。

 しかし私は「ほんとうにしっかり読んでいただいたんだ」と嬉しかった。ほんとうに嬉しかった。
 選挙前の超多忙の中の作業を知っている人からは遠慮をして注意がなかったし、ほんとうは「糠に釘」みたいな無反応の方が注意よりもダメージを受けるものだが、「モノ言えば唇寒し」との深慮かもしれないがこの指摘はないままに来ていた。

 先日、鵜飼敏彦氏の句集『桐一葉』のことを書いたが、帯の言葉を書いておられる小笠原好彦先生からこの本を頂いたので、感想を含んだお礼状をしたためたところ、後日「著者にコピーを渡したら喜んでおられたよ」との言葉をいただいた。
 著者にとってはそういう感想がことのほか嬉しいらしいが、その気持ちは大いにわかる。

 このブログの読者は意外に思われるかもしれないが、私はとびきり付きの筆不精で手紙などが大の苦手である。

 そのことを大いに反省した先輩の注意付きの感想だった。
 こんなチンケなブログでもコメントをいただくと嬉しいものだから、他人の文章にも筆不精を乗り越えて感想をお伝えするよう心を入れ替えようと思う。

2023年5月28日日曜日

退職いろいろ

   『退職者を送る夕べ』に『歌集』を用意した。
 場を盛り上げる必要が出たときの予備のツールで、結果使われなくてもいろんな状況に対処するためには「取り越し苦労」も大切だと考えて作った。
 イベントは「取り越し苦労」と雑用とダンドリで成功するものだ。

 写真のとおり、なにわ老年合唱団も活用してくれた。

 歌集の中には島倉千代子『人生いろいろ』を入れておいたが、結局この歌詞は出番がなかった。

 歌では出番はなかったが、退職者それぞれの挨拶は『いろいろ』だった。
 何人かは定年前の『早期退職』だったし、言外に質的量的な過重労働の辛さが滲んでいた。
 また第二の人生では、「もう精神をすり減らす仕事は十分だ」と現場労働に近い選択をしたが、やはりいろんな意味で精神的プレッシャーは降り注いでいるという近況報告もあった。

   やはり『人生いろいろ』、歌うべきだったかな。

 我が退職者会は現職の労働組合の応援団でもある。何か力になれないものかと考えることも少なくない。
 最低限、楽しい行事にお誘いしたりして「充実した人生」とまでは言えないが、ちょっとした休息の場ぐらいの働きはしていきたい。

 思い起こすと私が第二の職場を退職してから10年以上が経った。
 家族には、多忙を理由に「退職までは待って!」と祈ってきたおかげで、退職してから10日の間に子どもの結婚式を行い、その直後から実母の付きっ切りの本格的な介護が始まった。
 電光石火何もかも老々介護バージョンに変更し、実母の介護から義母の介護にバトンタッチして、「趣味で豊かな老後生活」を知らないまま後期高齢者になると、自分の体のパーツが順番に不平不満をいうようになって今日に至っている。
 
 別にその人生を恨んでもいない。老人ホーム家族会などという面白い経験も出来た。時間的に体が動けない分SNSなどもできるようになった。
 「あるべき幸せの老後」などというワンパターンはない。「退職いろいろ」こそ真理であろう。

 ただ老々介護渦中の人は、「世の中で自分ほど不幸なものはいない」と思い込んで人の話を聴けなくなることも多い。
 症状もいろいろ、介護もいろいろ、青い鳥が自分の肩に止まっているのを普通は気付かない。


2023年5月27日土曜日

くす玉

   『退職者を送る夕べ』にくす玉を作って持っていったが、会場にはそれ用の設備がないので頭を抱えた。

 会場側は衣紋掛けの大きなものを台の上に乗せるという方法を用意してくれていたがもう一つだった。

 壁の天井近くにフックがあるにはあったが、くす玉の厚みが壁に邪魔されるので、それもまたもう一つ。

 最後にエアコンの吹き出し口の中にフックを掛ける方法を選択したが、開いた時に垂れ幕が正面を向くように固定するのに難儀をした。けっこう難儀した。

 くす玉は、直ぐに割れるように作ると搬送途中や掲示作業の途中で割れてしまう。それを避けて固く作ると引っ張っても割れなかったり壊れたりする。そのバランスを取って作っている。

 結果、開いた瞬間は少し方向がズレたが許容範囲で、まあまあの大成功だった。
 見ている分には簡単そうだが、ダンドリ側は冷や汗もかいていた。
 喜んでもらえてよかった、よかった。

 クラッカーこそ不発に終わったが、会場全員の エイ エイ オー の声に合わせてパカッと割れたときには大きな拍手が寄せられた。

 次は小道具係の弟子を養成しなければ。入門者募集!

送る夕べの不発弾

   現職の労働組合と我々退職者会の共催で『現職の退職者を送る夕べ』が開かれた。
 開催前は「コロナ対策でアクリル板は必要でないか」「テーブルを超えて交流しても良いだろうか」などなどいろんな心配と検討をして準備したが、何か「こんな時を待っていた」という感じで、たくさんの参加者があり、コロナなど吹き飛ばす交流で盛り上がった。
 高歌放吟も心配したが、呼びかけに「わしも・・」と参加してくれる先輩も多く、魔の4年間を取り返す一夜になった。

 私は、準備段階で「やっぱり薬玉の用意をしてくれ」と頼まれたので、いろいろ改良して持参したが、ほぼ大成功で、会場をいっぺんに盛り上げられた。
 ただ、薬玉と同時にゴミの散らないクラッカーを鳴らして更に盛り上げる予定で準備していったが、会場側から「爆薬は遠慮してくれ」とお願いされた。
 「クラッカーが爆薬?」と不満だったが、会場は警察関連施設、爆発音?に趙過敏なのも一種の職業病だろうと理解を示した。
 でも残った大量のクラッカー、孫たちの誕生日に使ってもあり余る。どうしましょう。

 なお、この成功は単なる「コロナ明け」の現象ではないと考えている。世話人会自体が「自粛」せざるを得ない困難な中でも、必死になって「楽しい会報」を重ねてきた努力の積み重ねの結果であることは間違いない。流した汗は嘘をつかなかった。

2023年5月26日金曜日

平群の紀寺か


      先日は、平城京の紀寺、そして飛鳥京~藤原京の紀寺について書き、特に藤原宮の門前のいわゆる紀寺跡(小山廃寺)は実は紀寺ではなかっただろうと書いた。
 当然、では飛鳥時代の紀寺はどこにあったのかというのが テーマになるが、小笠原好彦先生は次のような理由で、「平群(へぐり)の尼寺廃寺(にんじはいじ)」がそれである可能性が高いと指摘されている。

 1 紀氏の故郷紀ノ川沿いの古代寺院跡の瓦、特にその文様から、その祖型は飛鳥の坂田寺にあり、坂田寺は鞍作氏の氏寺とされていて、巨勢路を通じて繋がっていた。その文様の瓦が尼寺廃寺から出ている。

 2 尼寺廃寺の塔の礎石群は一辺が3.8m、塔の基壇が一辺13.8mという巨大なもので、法隆寺式伽藍であった。

 3 紀氏系図は推古以前は平群氏の系譜でそのあと紀氏系譜を繋いでいる。

 4 平群には平群坐紀氏神社(へぐりにいますきしじんじゃ)があり、明らかにこの地に紀氏が進出していた。

 凡そそんなところだったが、鞍作氏とは蘇我氏であり、平群氏も蘇我氏の傍系であったように思う。
 ただこの説は、義母が平群の出身である私には実感があまり湧かない説だった。
 そこで、地図で確認したところ、その場所は現在の奈良県生駒郡平群町というのではなく、当時の平群の郡はもっと広かったこと、そして当該場所は現在の住居表示でいうと香芝市で、王寺町に接する場所であることがわかって、「なるほど」と私は膝を打った。

 現代の高速道路あるいは鉄路にあたるものは古代では川であった。飛鳥京、藤原京、平城京、いずれの都もそれは大和川(平城京の後期には淀川水系の木津川も利用されたが)であって、難波津に出る(難波津から大和に入る)大和・河内間の窓口はこの寺の近く、ここだった。
 さらに、大和川の最大の難所、戦後も長く大規模な地滑りが続いた「亀の瀬」があった。難波津から登ってきた船もここで小型の船に積み替えなければならなかった。物流の拠点みたいな地だった。
 また俗に古代の国道一号線(推古朝813年)竹ノ内街道は二上山南麓だが、この道は枝分かれした二上山北麓廻りの「龍田(たつた)越」街道。

 こういう交通の急所を押さえる(治める)ことは、瀬戸内海の村上水軍のようになることであり、大和の豪族達もそれぞれが河川の支配権を持っていた。この辺りは長く蘇我氏の勢力圏だった。
 私が膝を打ったのはそのことであり、紀ノ川を牛耳っていた紀氏が大和川にも手を伸ばした結果に違いない。
 尼寺廃寺は、亀の瀬を見下ろすような立地にあった。
 ちなみに、聖徳太子の上之宮・法隆寺はもう少しだけ大和の京寄りで、ほゞ隣通しの場所となる。つまり、飛鳥京・藤原京の玄関口であり、決して京から離れた「田舎」ではない。

 少し話は飛ぶが、私は奈良弁は和歌山弁とよく似ていると感じている。もしかしたらキーワードは紀氏かもなどと想像は広がる。
 平群に生まれた義母が豪族平群氏や紀氏にどう関わるのかは全くわからないが、法隆寺近辺にも親戚があることだし、ちょっとこの辺りの古代史も見過ごせなくなっている。

2023年5月25日木曜日

蕺草

   牧野富太郎著『植物知識』(講談社学術文庫)を持っていて一通り読んだことがあるが、ドクダミのことは地味なこともあり記憶に残っていなかった。

 ドクダミはその語呂と臭気から毒草の代表格のように誤解されているむきもあるが、その名は「毒を追い出す」という正反対の意による。
 「そのため十の薬効から十薬だと理解していたが、この本では「蕺薬」(じゅうやく)が正しく、それは中国名の「蕺」(しゅう)からきているという。

 新潮日本語漢字辞典では「蕺」だけで「ドクダミ」と書かれている。

 この草は日本と中国が原産で、ヨーロッパの植物園では大切に栽培されていると前述の本に書かれている。

 この草はちょっと触れただけでキツイ臭気を漂わせるが、私はハイキングで山道に入ったときの記憶と重なって、汚染された都会の空気から清浄な山地の空気に辿り着いたイメージがして、決して嫌いな「臭気?」ではない。

 この本でも、この草が如何に根絶し難いかを説明しているが、わが庭でも「まいりました」と半ば投了寸前である。

 昔、本を読んでこの草を天ぷらにしたことがあるが、いっぺんに臭気が抜けて「ただの植物」になった。山菜のような個性が消えて普通に食べられた。
 ベトナムでは普通に食材らしく「パクチーのよう」と書かれているが、私はパクチーはあまり好きではないので試食しようという興味が湧いていない。

2023年5月24日水曜日

旧友再会

 何日も繰り返して申し訳ないが、先日の友人を偲ぶ会では、フィナーレ近くで、みんなで河島英五の『旧友再会』を合唱したことを報告する。

 早世した河島英五が病床で作った歌詞だろうと思っている。
 あまりにその歌詞が病床の男と合うので、かつて参加した河島英五の追悼コンサートでも大合唱だったものだ。

 それはそのまま今回の友人の気持ちのように思えた。
 なので、一番最後の頃にはもう声が詰まってしまった。

 彼は絶対にこう言ってくれているに違いない。「〽わざわざ ここまで 訪ねてくれて  今日は どうも ありがとう
 そんな気持ちで次の動画を聴いてほしい。
 下の動画は you tube のもの。




 私と彼との出会いはともに18歳のときだった。
 青年運動や民主運動の高揚期でもあった。
 楽しかった。

 〽 共に 過ごした 青春
   今では 笑い話さ
   もしも もしも やり直せるならば
   も少し うまくやりたいね

   ラララ ラララララ・・・・・

2023年5月23日火曜日

追悼の吟詠

   昨日書いた「偲ぶ会」でTさんが、祭壇の彼に向いて追悼の吟詠を行ってくれた。
 

 最初のは、安達漢城作『追悼の詞(し)』

 人生は夢の如く 亦(また)烟(けむり)の若(ごと)し
 君逝(ゆ)いて 茫茫(ぼうぼう)転(うたた)暗然(あんぜん)
 髣髴(ほうふつ)たる温容(おんよう) 呼べども答えず
 大空(たいくう)漠漠(ばくばく) 恨み綿綿(めんめん)

  人生は夢のごとく、また煙のごとくはかない。君が去ってこの世は朧に実体を失い、ますます暗く、あの温顔はいくら叫んでももう帰らない。大空には恨みの涙だけが延々と満ちていく。

 二つ目は昨日のブログ記事に紹介したTさん自作の追悼俳句。

  道標の文字の掠れや道をしへ

 コメントは昨日の記事のとおり(読み返してほしい)。

 下記の動画に画像はない。吟詠のみ。



   Tさんは詩吟の全国大会で優勝の実績あり。
   俳句も各方面で入選多々。  
   無芸大食の身は、ただただ感心!  

2023年5月22日月曜日

追悼句

  友人の偲ぶ会でTさんが追悼句を2句送ってくれたのを紹介する。

  道標の文字の掠れや道をしえ

 山道のイメージが浮かんできた。石の道標の文字は余程でないと掠れて来はしないが、文字の掠れは過ぎた日の長さを感じさせ寂しい思いがする。我々の付き合いも長い時間が過ぎた。「道教え」とは昆虫のハンミョウのこと。山道を歩いていると道の上に小さくてきれいな虫がいる。近づくと少し先まで飛んで行ってまた道の上で止まっている。さらに近づくとまた先に・・。なので「道教え」と呼ばれる。普通明るい方明るい方へと案内してくれる。彼もきっとそういう方へ案内してもらっていることだろう。作者の話で覚えていたことなどを私風にコメントした。


  人生の片道切符鳥帰る

 渡り鳥にはいろんな渡りのコースがあるが、渡る鷹であるサシバなどが秋に南に帰るのは見ごたえがあるものだ。それぞれで中部山岳地帯などで子育てもした鷹たちは伊良湖岬にだんだん集結し、三重県と奈良県境の高見山などの上昇気流を捕まえて高く舞い上がり、中央構造線に沿って愛媛県佐田岬を通って九州から南に向かうのが有名。彼はそういう場所に生を受けた。年年歳歳、渡り鳥達は来春にはまた上ってくるだろう。渡り鳥達のように往復したいものだが、しかし私たちの人生は片道切符だ。渡り鳥達よ、来春も彼の思い出を運んできておくれ。


 ちなみに、私の追悼句は捻りも何もなく、

  おぼろ夜やいつもの席は空いてます



2023年5月21日日曜日

記事が跳んだ

   先日来体調不良が続いていたが、私が実行委員長的な友人の偲ぶ会まではと自分に気合を入れてきた。
 その偲ぶ会を大満足に終えることができた。手伝ってくれたりした皆さんに心から感謝している。

 それでホッとしたわけではないが体調が再びおかしくなった。
 科捜研のマリコ君なら「瞳孔が開いてますね」と呟いて首を横に振るような、・・写真でいえば、露出オーバー、フィルム写真ならハレーションみたいに全てが真っ白に眩しくなった。
 続けて帰宅してからイクジイもあり、最後はトイレでめまいが酷くて倒れてしまった。妻が救急車を呼ぶ直前だったが、結局、夕食もとらず12時間ほど寝込んでしまった。目の病気というよりも自律神経あたりだろう。
 ということで、21日0:30のブログ記事は跳んでしまった。

 偲ぶ会の様子を露出オーバー風にして掲載したが、実際はもっと眩しい状態が続いた。
 ご同輩の皆様、体調は過信せず過ごしましょう。

 友人のKさんがフェイスブックで次のように報告してくれた。転載させていただく。ありがとう。
 2月に亡くなった友を偲ぶつどいを開いた。ごく少人数でのつどいだったが友人の住職のお寺で心温まるつどいだった。
 住職の読経の後、お弁当とビール、持ち寄りの日本酒、そして亡き友に約束していた私の手作りの梅酒で献杯をした。
 参加者それぞれが彼の思い出、エピソードを語ったが中でも彼の酒癖についてはいろいろ面白い話も出た。そして結論は「ある一定の量を超えると乱れる」という点では一致した。
 Hさんは「おひらきは君がジョッキを倒しとき」と見事に詠んだ。その主役がいない宴席は少し寂しいお開きとなった。
 76歳、真直ぐないい漢だった。
     主客亡き 宴席の空 つばめ交う
写真の説明はありません。
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あなた、高橋重夫、Kiyoshi Uenaka、他7人

2023年5月20日土曜日

藤原京の紀寺

   小笠原好彦著『奈良の古代仏教遺跡』に、「紀寺跡(小山廃寺)—造営年代と氏族を考える—」という章があり、一言でいうと定説に近いとされている「小山廃寺が紀寺の跡だろう」という定説?に[「おかしい」と
異議を唱えられている。
 その理由を私なりに要約するとこうなる。

1 17日のブログの奴婢の話だが、天智9年(670)の庚午年籍(こうごねんじゃく)のときに紀寺の二人が誤って奴婢とされたと書紀に書かれている。
 ということは、天武5年(678)に計画された藤原京以前に紀寺があったということであるから、藤原京の条坊とぴったり一致している小山廃寺が紀寺であった可能性は極めて低い。
 また藤原京の条坊に合わせて建て替えられた痕跡もない。

2 小山廃寺は左京八条二坊で、対称に近い位置に薬師寺(本薬師寺)がある。藤原宮の門が六条であるから宮のまん前となる。
 紀氏は古墳時代までは紀ノ川沿いの豪族で、後、値(あたい)姓と臣(おみ)姓の2系統に分かれ臣姓は平群(へぐり)に進出したものだが、いずれも藤原京以前からの豪族で、それ以前に氏寺を立てていた可能性は高い。よって、藤原宮のまん前に条坊に沿って建立した可能性は低い。

3 薬師寺は天武が持統(鵜野皇后)の重病平癒のために僧100人を得度させ建立を誓願したものだが、その14日後に天武もまた重病となり、僧100人を得度させた。日本書紀はそれ以上は記していないが、僧100人得度ということは寺院の建立を誓願したのであろう。皇后が大病直後だったので藤原不比等が行なったのだろう。
 こうして、宮のまん前左右に寺院が造営されたのではなかろうか。
 つまり、小山廃寺は持統皇后の意を受けて藤原不比等が建立した大寺院(官寺?)だろう。

4 瓦の文様、制作方法には非常に特色・個性がある。ところで紀ノ川筋の古い紀氏ゆかりの寺院跡から発掘された文様の瓦は小山廃寺からは出ていない。
 小山廃寺の瓦を見ると、山科の大宅廃寺、山階寺、久米寺、後の興福寺と同系列の文様が多くあり、それらはこの寺と藤原氏とのつながりの深さを物語っている。
 なお、写真の雷文縁軒丸瓦が斬新なデザインで特徴的だが、この瓦の祖型は近江の園城寺と河内の九頭神廃寺から出ている。九頭神廃寺は北河内の河内馬飼(かわちのうまかい)が建立した北河内最古の渡来系氏族の寺院である。
 天武の皇后・持統は、鵜野(うの)皇后、讃良(さらら)皇后であり、乳部(みぶ)であった鵜野馬飼、讃良馬飼に養育されたと推測されている。
 このデザインは、持統の乳部の氏寺の瓦ー天武の大病平癒のための藤原京門前の寺の瓦ーその後各地の寺の瓦へと広がった。このことからも、小山廃寺が紀氏という一氏族の寺院ではなかったことになるだろう。

 以上が、骨子のまた骨子といえると思う。
 では、紀氏のほんとうの氏寺は・・・この話は別の機会に。
 書紀に書かれていることをただなぞるのでなく、このように研究結果を発表される小笠原先生の話はワクワクするほど面白い。

2023年5月19日金曜日

花相似たり

   17日の夜に時鳥を今年初めて聞いたと書いたが、その翌日の18日朝、病院へ向かう途中、楝(おうち)が咲いているのを見た。

 『夏は来ぬ』は1番で 〽時鳥早も来鳴きて と歌い、4番では 〽楝ちる 川辺の宿の と歌っているから、見事に季節がセットで入ってきた。

 ちょうど病院へ向かう途中であったし週末には友人の偲ぶ会だったりするので、年年歳歳花相似たり・歳歳年年人同じからず ・・・ほんとうにそのとおりだなあとやや感傷的に楝を眺めた。

 窓の外では近頃、ヒヨドリがジャージャージャージャーとうるさいが、きっと、まともに飛べない雛を親鳥が付きっ切りで守っているのだろう。カラスが狙っている。
 去る者がおれば生まれいずるものもある。諸行無常は真理であろう。

2023年5月18日木曜日

家の作りやうは

   「家の作りやうは、夏をむねとすべし、・・暑きころ、わろき住居(すまい)は耐へ難きことなり」兼好法師は喝破された。
 先日は「入道雲だ」と写真を撮ったら豪雨のような夕立になった。ニッポンの春はどこへ行ったんだ。

 昨日は「いつでもOK」と、2階のベランダにビニールプール遊び一式を用意した。
 即日陰を作れるようにけっこう大きなサンシェードもセットした。
 そして、早々に逃げ込んでクーラーをつけてパソコンに向かった。

 写真はグリーンカーテン。自然薯のグリーンカーテンだが、適切に誘引してないのでまだまだ間に合わない。

   菜園ではウスイエンドウの収穫が終わっていない。
 その分夏野菜の植え付けが非常に遅れている。
 四季の国の四季が大いに狂っている。

 友人の偲ぶ会、みんな思いっきりラフな格好で来てほしい..。
 準備する栞の製作も一段落した。

2023年5月17日水曜日

特許許可局

   16日のブログで、「14日の朝のラジオで白神山地で時鳥(ホトトギス)が鳴いている」「へ~~」というようなことを書いたが、今、17日の20時半ごろ、わが家近くで時鳥を今年初めて聞いた。
 記録がてらに書いておく。
 写真はネットのもの。

 ほととぎすは、なほさらにいふべきかたなし。
 ・・・五月雨のみじかき夜に寝覚をして、いかで人よりさきにきかむとまたれて、夜ふかくうちいでたるこゑの、らうらうじう愛嬌づきたる、いみじう心あくがれ、せんかたなし。(清少納言)

平城京の紀寺

   平城京の紀寺跡の璉珹寺(れんじょうじ)については13日に書いたが、今日は『続日本紀』の小笠原好彦先生の講義の一幕を書く。

 天平宝字8年(764)孝謙天皇の条に、たまたま紀寺に居住して台所で働いていた娘二人が、戸籍確認の際奴婢とされたので、訂正を願い出た。
 結果、他の奴婢を含む76人が良人とされた(この不思議についてはとりあえず不問)。
 天平神護元年(765)、そのうちの一人である紀朝臣益麿は従6位上から従5位下となった。これは全くの破格の大出世。
 神護景雲元年(767)、陰陽員外助であったその紀朝臣益麿は正5位下となった。
 宝亀元年(770)。陰陽頭兼伯耆介。同年従4位下となった。

 この後没落するのであるが、古代史上他に見ることができない大出世があった。
 続日本紀には、何故こんなことが起こったのかという理由は記されていないが、孝謙天皇、陰陽寮、大出世というキーワードからその理由が何であったか・・・、はい、長谷やん。と指名された。

 答をいうと、その証拠はどこにも残ってはいないのだが、紀朝臣益麿は「仲麻呂 謀反」を申し出たに違いない。

 指名された私は、頭の中ではほゞそのように考えた。しかし咄嗟の指名で仲麻呂の名前が出てこない。頭の中のイメージは確実に仲麻呂なのだが出てこない。その上に、謀反という言葉が今度は出てこない。仲麻呂の乱に寄与したに違いないし陰陽寮だからそれ以外にない。しかしその言葉が出てこない。

 解らないとか間違ったわけではないが、咄嗟に答えることができない自分に愕然とした。
 帰ってから、「そんなショッキングなことがあった」と妻に話したら、「歳相応や」と慰められた。
 先日、紀寺(璉珹寺)を拝観しながら、済んだ日のそんな記憶が蘇ってきて苦い味がした。

 なお、そうではなく、道鏡関連であったかもしれないが、そこを推理させる記録は一切ない。

2023年5月16日火曜日

卯の花

   お料理の話ではなく、・・植物の卯の花=ウツギが咲いている。そうすると、まるで誘導尋問のように『夏は来ぬ』を思ってしまう。

 卯の花=空木=ウツギは「この木の枝で箸を作って骨拾いをする」という言葉もあって、妻は縁起悪いと好まない。そのため庭の片隅でひっそりと咲いている。

 しかし『夏は来ぬ』のように、季節を代表する樹木である。

 その、〽時鳥早も来鳴きて の歌詞だが私はまだ忍び音に出会っていない。ところが日曜日の早朝にラジオで秋田の白神山地?の方が「もう鳴いている」とレポートされていたので、へえ~~と驚いた。南方からこの辺りをスキップして秋田まで渡って行ったらしい。 

 2番は、〽さみだれの そそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして で田植の季節だ。わが街周辺の田圃は田植えが遅くなり稲刈りが早くなっている。結果、歌と丁度合っている。

   床の間の軸を兜から住吉踊りに掛け替えた。
 そして、「え~っと何と読むのだったかな」と記憶を巻き戻している。

   我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松幾世経ぬらむ 

 う~んと、これに頭を捻って、去年もそうだったと1年経ったことを実感している。

2023年5月15日月曜日

マイナカード

   マイナカードと医療保険証の紐づけが事実として進んでいる。
 私はプライバシーは大事な人権だと考えるから”マイナカードは憲法違反だ”と思い申請していないが、世間では相当進んでいる。
 医療保険(健保)というと各事業場の厚生係などでも扱うから、関係官庁だけでなくいろんなレベルでプライバシーの漏洩事故は起こるに決まっている。

 ニュースでは、コンビニで自分の戸籍の書類を請求したら他人のものが出てきたとか、保険証として使ったら他人の診療内容が出てきて、薬や病名などそのまま医師が扱えば重大な医療事故が起こる可能性があったと指摘されている。

 これほど大規模に個人情報を紐づけると、従来の個々のシステムの機械化などとは桁違いの危険性が予想されるのに、どうしてこんなに進んでいるのだろう。
 絶対多数の与党・
 フェイスブックにあった資料を3枚添付するが、参議院での保険証紐づけ中止の運動を一層応援したいと思う。





2023年5月14日日曜日

匂蕃茉莉

   昨日、璉珹寺の庭にニオイバンマツリが満開だったことを書いたが、帰ってみるとわが家の庭にも芳香が漂っていた。
 家の外に向けて植わっていたので気が付かなかったが、ニオイバンマツリがわが家でも咲いていた。呑気なものである。

 ニオイバンマツリは漢字では「匂蕃茉莉」と書き、 匂(香り)のある、蕃(外国)の、茉莉(ジャスミン類)だが、正確にはジャスミン(茉莉花)ではない。でも、それほど匂うということだ。

 わが家のニオイバンマツリはいつ植えたのか記憶がボケている。というのも、ニオイバンマツリは耐寒性が弱く、何回も霜や雪にやられて枯れ死寸前になり、もうダメかと思っていると何回も細々とまた生き返って今日に至っている。
 過ぎた今年の冬も雪にやられて花も「溢れる様に」とは言えない。

 そんなもので、璉珹寺で「冬はどうされているのか」と尋ねたところ、一面に防霜ネットを被せているそうだった。
 現在わが家ではネット代わりのベニカナメの生垣の中に植えているが、これでは不十分だし、当然に生垣より大きくはならない。次の冬の作戦(仕事)がまた増えた。

 ニオイバンマツリもそうだが、ジャスミンも今が開花期で、知らない道を歩いていたりするとどこからか匂ってきて、ああ5月だなあと思うことがある。
 その程度に仄かに漂ってくる程度が一番で、過ぎると香りというよりも臭気になる。
 それに、この種の匂いを官能的だと思うのは私だけだろうか。

2023年5月13日土曜日

紀寺・璉珹寺

   奈良・平城京の外京の東南隅・なので京終(きょうばて)ともいうが、その近くに紀寺(きでら)という地名があり、天智朝以前に飛鳥に建立されたという紀氏の氏寺・紀寺が平城京遷都で移ってきた寺・紀寺であるといわれる璉珹寺(れんじょうじ)がある。(歴史的な見解の相違は大いにあるが今回は触れない)

 このお寺、1年に5月だけ拝観できるというので散歩がてら足を伸ばした。
 庭中たくさんのニオイバンマツリが満開で、お寺は芳香に満ちていた。オオヤマレンゲは蕾が多かったが、上に向かって咲く珍しい種類の花が一部咲いていた。



   私が少し足を伸ばしたのは、半分はこれらの花々を見たいが為であったか、もう一つは阿弥陀如来立像にあった。
 圧倒的には坐像である阿弥陀如来が立像であるだけでも珍しいが、ここの仏さまは正真正銘の女性の裸形というのがすごい。
 仏像というと金箔という常識?に反し、胡粉(ごふん)で白く塗られていたらしい(今ではほとんど落剝しているが)。

 仏教は比較的平等思想が浸透していると思うが、人そして思想はどうしても「時代の制約」からは抜け出しにくい。
 だから、古い経典に悩んで「女性は瞬間的に男性に変性してから浄土へ行ける」と説いた僧もその時代にあっては善意そのものだったことだろう。

 しかし、この阿弥陀如来を見ると、そんな「時代の常識」を突き抜けて、女性が女性のまま浄土に行ける、仏に成れるという思想を具現化したものだろう。この仏像は男女同権の金字塔的仏像だと私は思う。

 浅薄ながら、女性らしい観音像や薬師像は少なくないが普通には中性とされている。慈母観音、吉祥天、鬼子母神などはおられるが、失礼ながら「専門職」のイメージだ。
 それに対して阿弥陀仏は総合職のトップ、浄土教では最高位の仏像で浄土へ導く「最高神」である。私が『突き抜けた』と感じた所以もそこにある。
 別の角度から見ると、鎌倉時代の実力主義が女性差別を乗り越えていた一部分だったかもしれない。


 なお、これも珍しいことだが、木像の仏像でありながら実際に袴を着けておられる。裸像だから当然だろう。
 その袴は50年に1回取り替えられるが、昔はそれに合わせて50年に1回だけ拝観できるだけだったらしい。(今は1年に31日。5月に拝観)

 また脇侍の仏像は修理の際に別の木材を使用したが為に重文であるが、奈良朝後期まで遡る可能性もあり、国宝級の美しさであった(明治期には国宝指定されていた)。

 興味をお持ちなら、5月中でないと拝観できない。大きな観光寺院でない良さがいっぱいある。

2023年5月12日金曜日

健康の秘訣

 歳を重ねると煩わしいことが増え、 ともすれば話題も後ろ向きになりやすい。
 その上に、政治の右傾化が目に余るので「わたくし的」には×2だ。
 健康の一番の大敵はそういうストレスではないだろうか。
 循環器(心臓)の先生は毎回「ストレスを溜めないように」という。

   さて、近頃妻はラジオを友として暮らしているが、専ら桂二葉ちゃんとチキチキジョニーを聴いている。
 曰く「二人(組)とも笑い声が良い」ということで、声というかやたらにラジオの向こうで笑い転げているのが良いという。

 説明不要だろう。ひっきりなしにラジオから笑い声が聞こえてくるのは健康に良いに違いない。二人(組)とも、いわゆるヨシモト的な嫌味がない。
 漏れ聞こえてくるラジオの笑い声に私の精神も癒されている。

 翻って、私から他人に笑い声を届けているだろうか。
 う~ん、やっぱり川柳かな?

 「型から入る」という言葉がある。時々はマイナスイメージで引用されたりするが、「笑うから明るくなる」というのもまた真理だろう。
 会議などがあると、「今日はこの話」というようにジョークを用意するのも大切ではないだろうか。けっこう大切な問題提起。ふふふふ。

2023年5月11日木曜日

時代おくれ

 
   あちこちでIT化が進んでいる。
 「そんなこと今ごろ気付いたのか」と笑われそうだが、近鉄の延着証明書も廃止になっている。「延着証明はスマホで問えば証明する」ということらしいが、HPにアクセスできないガラケー人間は日本国民でないのだろう。

 個人的には、いくらかの金銭の余裕があればガラケーをスマホにすればよいとは考えるものだが、それでも現実にスマホでない人、アプリを使用していない人がいる限りは切って捨ててよいとは思わない。

 各商店のレジも無人化やキャッシュレス化が進んでいる。スマホの中のポイントを読み取らせて、値段を読ませて、プリペイドカードを読ませてという風に進む途中にいろんな「はい いいえ」があって、勘違いをすると進まない。ああ。

 百均まで無人化がなされ、数百円をスマホの〇〇ペイで処理されているご老人には敬服するし、スーパーのレジを〇〇ペイで通られる相当御先輩のご婦人方には後ろから拍手を送っている。

 私は、ネット通販のカード決済以外では原則としてカードも使わないし、〇〇ペイも使わない。それは、仕組みや操作方法が判らないからではなく、つい無駄な買い物をしてしまう自分自身の弱さにブレーキを掛けるためにそうしている。
 しかし、大きな流れに取り残されないようにはアンテナを張っているつもりだ。でも時代おくれかも。

 何日か前にこの原稿を書いたのだが、先日、友人が「こんなカード知ってるか」と尋ねてきた。スマホがドコモなのでドコモのDカードというもののようだった。「ポイントが付くしお金を払う必要もない」というので、「それはドコモのペイペイかキャッシュカードでないか」と聞くと「そんな手続きはしていない。銀行口座には紐づけされていない」という。

 「銀口座から落ちないカードで何で買い物ができるの」「通信料が落ちる口座に紐づけられているキャッシュカードだろう」というと、ようやく半分わかったようだった。

 世の中にはこんな高齢者がいっぱいいることだろう。
 自分では知らないうちにキャッシュレスのシステムに組み込まれているわけだ。
 何か恐ろしい時代がやってきている。

 キャッシュレスでいうと、今から50年以上前、法円坂の食堂はキャッシュレスだった。柱に大福帳がぶら下がっていて、そこに自分でだったか記帳するだけで食事ができた。そう、日本人は昔からキャッシュレスだったのだ。と考えると不思議な気持ちだ。

2023年5月10日水曜日

新緑

   厚労相などの「相」という字には「助ける」という意味があり、その淵源は樹木の生命力を見ることによって、人は生命力を助けられるからだということは何回も書いてきた。
 改めて歳時記の季語を見ると、新緑、若葉、青葉、新樹、万緑などなどがあり、いずれの解説にも生命力に似たパワーを感じると書かれているのは、古代中国人も近世日本人も相通じる感性であること、言い換えれば、時代を超えた「相」の文字の偉大さを思わせる。

 というような理屈は抜きにして、毎年この時期には春日原生林に行きたくなる。夏鳥であるキビタキに逢いたいがためである。

 ハルゼミも好いし気の早いカエルの合唱もよいが、やはりキビタキの声を聴かなければ暦の夏が実感できない。
 フィトンチッドなどと言わなくても、体調不良で沈みがちな方には春日原生林の森林浴をホンキでお勧めする。



   キビタキは映っていない。声だけ。
 このキビタキ、声はあまり好くない。

2023年5月9日火曜日

ようず哉

   老人が一人亡くなるということは図書館がひとつ無くなるということだ」というアフリカの諺(ことわざ)は、当時の国連アナン事務総長から教わったが、日本にも「生き字引」という言葉がある。

 義母からは生前いろんなことを教わって、先の諺がナント的確だったかと実感としているが、そんな一つが『ようず』で、老人ホームに訪ねた折、「今日は(これは)ようずやなあ」と教わった。そのとき私は知らない言葉だった。

 調べると広辞苑にも載っているが、ネットにあった日本大百科全書(ニッポニカ) 「ようず」の解説は次のようだった。

 🔳 近畿・中国・四国などの地方でいわれる風の名で、主として春に吹く、なまぬるい雨もよいの南風をいう。奈良県では頭痛を催すような南寄りの暖気としてこれを表現している。「みなみけ」ともいう🔳 

 それ以後、そんな心象を伴う春の風が吹くと、義母の口ぶりで「ようずやなあ」と独り言をいうことが増えた。 
 実は最近友人を偲ぶ会を準備している。
 行きがかり上追悼句を一句捻る必要が出てきて、『ようず哉』という下五が浮かび、私の心象としてはピッタリなのだが、あまりに半分死語みたいで伝わりにくそうなのでボツにした。 
 しかし、ほんとうは「ようず」にしたかった。そんな気持ちだ。「ようず」は春の季語。

2023年5月8日月曜日

GW打ち上げ

   GWの打ち上げは孫の夏ちゃんの birthdayparty。
   凜ちゃん family も含めて盛大な party 。

 プレゼントは希望によりレトログラスを主にしたが、ネット通販で値段と変わらないぐらいの送料だった。

 ほんとうは庭でピザを焼きたかったのだが、雨のため屋内で行った。
 初めてピザストーンを使用したが、まあまあだった。

   明日から子どもたちの家庭は日常勤務になる。今日の元気で負けずに乗り切ってほしい。