山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2021年11月29日月曜日
2021年11月28日日曜日
2021年11月26日金曜日
あっちもこっちも
夏ちゃんのルリビタキ
「確か祖父ちゃんがルリビタキが好きだと言っていた」とお母さんに言って選んだというから、日頃は会話にも知らん顔をしていても、どこかで祖父ちゃんの話を覚えてくれていたのだ。
2021年11月24日水曜日
2021年11月23日火曜日
照る日曇る日
2021年11月22日月曜日
2021年11月13日土曜日
憲法の三つの顏
氏はそれを「日本国憲法の三つの顏」と述べられたので以下に紹介する。
公務員をされていたような方々には釈迦に説法だが、普通の法律は「後法は前法を排する」原則により新しい法律が優先されるが、憲法と矛盾する法律が定められた場合、憲法の効力は失われず、逆に新しい法律が無効となる。先日の例えでいえば、ライオンが大声で「檻は無効だ」と叫んでも通らない。この「最高法規」については大方の理解に大きな隔たりはないだろう。
第二の顏は「外交宣言」である。
以下の指摘は私には新鮮だった。
氏は言う。「憲法前文には、平和を愛する諸国民に公正と信義に信頼して・・と書かれている。この文言を非現実的な理想主義だと非難し削除すべきだと主張する人がいる。確かに、外交は利害得失と権謀術数が渦巻く厳しい世界である。しかし同時に、外交は儀礼・礼節の世界でもある。
日本国憲法はそのために「外国の皆さんを信頼しています」と挨拶しているわけで、この文言を削除するということは、外国に対して「お前らを信じていない」と宣言するに等しい振る舞いである。
そういう視野も理解せず、国内のみの狭い視野で考えていたのではいけないという提起はナルホド目から鱗であった。
第三の顏は「歴史物語の象徴」である。
この提起も目から鱗であったが、氏は、現在フランス憲法の一部となっているフランス人権宣言や合衆国憲法に連なるアメリカの独立宣言をあげ、日本国憲法もその例外ではないと指摘している。
これは第二の顏と密接不可分かもしれないが、現憲法は、明治憲法下で行なわれたアジア諸国への侵略、その下での数々の非人道的なふるまい。国内では権力による虐殺を含む人権蹂躙の数々などを反省し繰り返さないという内外への宣誓であり、考えようによっては、忘れてはならない非常に大事な「顔」である。
2021年11月12日金曜日
檻の中のライオン
私たちは、檻の中のライオンが作るルールに従って生活する。その代わり、ライオンには檻の中にいてもらう。そういう関係だ。
憲法を意識しないでいられるのは、憲法のおかげだ。
動物園に行った時、ライオンを見て「すごいなぁ」と思うことはあっても「檻があってよかった」とは考えない。けれど、動物園で檻のことを意識しないのは、檻がきちんと機能しているからなので、しっかりした檻があってこそ、檻のことを考えないで安心して動物園を楽しめる。❏
2021年11月11日木曜日
道理が引っ込む
9日、大阪地検特捜部は関電元会長ら9人を不起訴(嫌疑不十分)としたと発表した。
大阪地検特捜部というと森友事件で財務官僚を全員不起訴にした部署である。当時の山本真千子特捜部長はその後同期の先頭を切って函館の検事正に栄転し、さらに大出世コースである大阪地検次席検事に栄転を重ねている。
あの、無茶苦茶な8億円値引き、文書の隠蔽・改竄、国会での虚偽答弁、出先職員への責任転嫁とそれによる自死、籠池夫婦の長期拘留。挙句の不起訴処分を行った記憶も新しい。
さて関電事件では、2億6千万円のヤミ補填問題をとりあえず別にしても、部落解放同盟福井県連書記長兼同高浜支部書記長の経歴もある福井県高浜町森山栄治元助役から関電元役員らが約3億7千万円の金員を受け取っていたのである。
総選挙は嘘と利権の安倍・菅政治を引継ぐことの是非が本来の焦点であったのだが、自民党総裁選挙のお祭り報道と、あとはスポーツの勝敗予想のような報道に終始し、結局現状のようなことになった。
だからといって、落胆や冷笑していてはいけないだろう。良識ある人々がメッセージの伝え方についてさらに工夫するとともに、現状に落胆せず、来年の参議院選挙に向けていろんな良識を発信し続けていくことが大切だろう。
2021年11月10日水曜日
子どもの声がした
2021年11月9日火曜日
憲法を変える必要なし
私は次のように返信したのだが、もっと広く皆さんに納得してもらえるような紋切型でない発信が必要だと反省させられる。これから先このブログでも、憲法や憲法9条について、いろいろ考え書いてみたいと思う。
とりあえず、私の意見 その1 は次のとおり・・・
憲法9条に照らせば、自衛隊が憲法違反であることは国語的にも明瞭でしょう。アベ政治が言葉を弄んだような「言いかえ」は社会を腐敗させます。なので単純な自衛隊合憲論には俄かには賛成ではありません。
9条と自衛隊の矛盾を解決するためには、 ①憲法9条を改正する。 ②自衛隊を解散させる。 ③国民の合意を重ねて、かなりの長期間にわたって一歩一歩段階的にすすめる。 の三択しかなく、③でいこうというのが現実的でしょう。
長期間とは、日本を取り巻く平和環境が成熟し、国民の圧倒的多数が「もう自衛隊がなくても安心だ」という合意が成熟したところで初めて、憲法9条の完全実施に向けての本格的な措置に着手するということです。
その場合の(それまでの間の)憲法解釈は、歴代政府さえ何度も表明してきた ①自国の国家秩序に対する「急迫不正の侵害」の実力排除は9条も禁止していない。 ②そのためには必要最小限の実力の準備、保有は9条に反しない。で、これを厳守していくべきでしょう。(自衛隊の現状はこれを超えていますので、現状そのままを合憲とは言い難いと思います)
故に、もしその間に ①急迫不正の主権侵害や ②大規模災害の発生など、必要に迫られた事態が発生した場合には、当然に自衛隊を活用することも含めて、国民の命を守るということになります。事実、共産党はこれまでも大規模災害に自衛隊の出動を政府に要請しています。
以上の考え方は、ワンフレーズのキャッチコピー時代にはいささかじゃまくさい理屈ですが、しっかり語れば理性的な人々には合意できる内容だと考えるのです。(以上)
答えは急ぎません。読者の皆さん方の自由な意見や思いの表明を期待します。
2021年11月8日月曜日
ちひさき鳥の
それはさておき、私が落葉樹を好きなのは、冬の裸木、芽吹き、新緑、紅葉(黄葉)、そして落葉というそのドラスティックなところであるが、物事には光と影があるように、落葉の後始末だけは半分ため息をつきながら楽しんで?いる。
私はこの時期は「レレレのおじさん」になるのだが、5分ほど落ち葉を掃いて振り返ると、すでに次の葉がそこに落ちているから、ある種の潔癖症的に落葉樹に対応するとメンタルヘルスによくない。
金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり岡の夕日に 与謝野晶子 がある。「夕日の岡に」となっている本も多いが、私の持っている岩波文庫の自選の歌集は「岡の夕日に」となっている。
紅葉でいうと、近頃の奈良公園の紅葉の代表選手はナンキンハゼであった。そのナンキンハゼを「本来の奈良の姿でない」と伐採を始めているらしい。私は賛成している。美しいことは美しいが、ここはモミジ、カエデにしてもらいたい。
しかし少し離れた街路樹にはナンキンハゼが多用されている。そしてナンキンハゼは実をつける。野鳥には街路樹も公園も区別がない。きっとイタチゴッコが続くことだろうが、それでよい。 奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき の雰囲気が良い。
2021年11月7日日曜日
コロナ下の福祉
2021年11月6日土曜日
表裏のある奴
2021年11月5日金曜日
触らぬ違和感
言葉は悪いが私には懐かしい名前であった。一度ならず彼の起こしたいくつかの企業と業務上対応した思い出は通常の職業生活の思い出をはるかに超えた忘れられない事案の一つだった。
それはさておき、本題に入るが、NHKの解説は「在日韓国人二世の彼は表社会と裏社会のつなぎ役だった」的な解説に終始していて、私にはいつもどおりのマスコミのある種の忖度に似た歪みを感じた。
それは何かというと、許永中の事件のあちこちに登場した裏とも表ともいえない闇、当時の部落解放運動には一切触れないのは、あきらかに異様であった。
そういえば、関電の高浜町元助役の事件もそうであった。
「現地の口うるさい顔役」程度に、天下の?関電が呼びつけられたり、不当な金品を返せなかったとメディアはいうのだが、そんな馬鹿なことはない。これほどの無茶苦茶も当時の関西の同和問題の歪みに触れずには真相は解明されない。
時代は言い続ける人がいないと退化するというのをひしひしと感じる。
「触らぬ態度」は逆に差別の解消を遅らせる。
「糾弾」という錦の御旗で「窓口一本化」を通して利権に群がった当時の同和行政。警察も手を出さなかった、出せなかった?当時の同和行政。その歪んだ精神が今なお生きていることをこのテレビ番組は私に思い起こさせた。
2021年11月4日木曜日
蟷螂は堅忍不抜
その柿はひとしきり野鳥を楽しませると発酵の域に達し、そうなると昆虫もお裾分けに預かることになる。
そして、自然界のサイクルどおり、小さな虫たちの集まるところにはそれを食する昆虫が来る。
蟷螂(とうろう・カマキリ)がその一例で、この柿はオレ専属のトラップ(罠)だとばかりに居ついて餌の来るのを待っている。その信念たるや見上げたもので、ひたすら動じず葉っぱあたりに成りすまして餌の来るのを待っている。
人間世界では選挙結果に一喜一憂している話が多いが、蟷螂の方針に対する確信を少しは見習ったらどうか。
2021年11月3日水曜日
木犀の二度咲き
数日前ラジオで「金木犀の好い香りが・・」などと言っているのが不思議だったが、広い地域で二度目の開花が確認されているようだ。
もしかしたら私が花期の終了と同時に樹勢を整えるために剪定していたからかもしれないが、なにしろ今年初めて知って驚いた。写真は手前が銀木犀で後ろが金木犀。
そんな感想は頭の片隅にもなかったから、自分の観察力の弱さを自覚させられた。
こんな感じの幹の樹はゴマンとあるようにも思うし・・。
霊薬「犀角」の印象がそれだけ広がっていたのだろうか???
さてさて「二度咲き」を知らずに「木犀は終わった」と信じ込んでしまうと、何処からとも漂ってくる芳香を「近所のトイレの芳香剤」と理解してしまう。皆さんのご近所ではどうでしょう。
2021年11月2日火曜日
本日はイクジイ
写真はハロウィンの日に送信されてきたもので、まるで赤ちゃんに還ったみたいだ。
先週は咳、鼻水、倦怠感が酷くてかかりつけ医で薬をもらってきた。ほゞ毎日のように病院をめぐっていた。
今のところ通常の風邪とされているが、歳がいくとダメージが大きくなる。
先にかかったこの児の鼻水を拭いたりしているうちに、夫婦で感染したのは明らかだ。今は「うつし返さないよう」必死に養生している。
その風邪の前にはぎっくり腰でポスティングを外してもらったから、最悪のコンディションで選挙を迎えていた。
昔読んだメンタルヘルスの本には「明日でもできることは無理して今日しようとするな」というのがあったが、この歳になると、明日はどんなことが起こるかわからないから、今日(今週)できることは今日(今週)中にしておこうと思う。
社会運動も子育てとよく似ていて、楽しく長所を伸ばすことではないだろうか。そういう観点で反省したいがどうだろう。
2021年11月1日月曜日
五風十雨とはいかない
古く中国では五日を一候といい、一年を二十四気(節気)といった。二十四節気を3等分すると七十二候となる。
五風十雨は、五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降ることで気候が順調なことをいうが、総選挙の開票結果を受けた本日(11月1日)はなかなかそんな気分になれない。
かつて九ちゃんは「ステキなタイミング」と歌ったし、職場では先輩が「遅い仕事は牛でもするで!」とハッパをかけていたが、選挙の取り組みもよく似たところがある。
どんな立派な内容の話でもタイミングがずれたら魅力は半減するし、期日前投票が始まってからでは手遅れのことも多い。
そんなことを考えながら新聞を開くと10月1日に投稿した、もうてっきりボツとばかり思っていた原稿が掲載されていた。オイオイオイ、もう枯れはてて引っこ抜いてしまっているぞ。まあ、来年のお勧めで締めくくっているからこれもいいか。